夏休みは終わらない

TKMR

夏休みは終わらない


2002年8月16日


空一面に入道雲が広がりを見せる。ひぐらしの鳴き声が、あちらこちらで不協和音を奏でていて、僕の気持ちを惑わす。真夏の太陽が辺りを支配し、髪から汗の雫が滴り落ちて、僕を苛立たせた。丁度今と同じ頃の季節だった。高校三年生最後の夏休み、夢だった甲子園を前に当時の僕は輝いていた。大会当日も、ひぐらしは鳴いていた。その日、幼なじみで四年目を迎えようとしていた彼女が応援に来てくれると言っていたので、人生最高の緊張感に満ちていた。出番を控えた五分前に、携帯電話が鳴っていたが、それどころでなかった。僕は誰からの電話かも確認せず電源を切った。緊張感が会場を張り詰める接戦の中、僕らのチームは逆転を果たし、見事優勝を勝ち取り、僕は人生最高の喜びと幸せを感じていた。その直後、父親は

「おめでとう、これでお前の夢は果てせたな。早くあの子の元に行ってやりなさい」


シャットアウト。


あの時の電話は、彼女からの電話だった。応援に向かう途中事故にあったらしい。走った、人生で一番無我夢中で走った。病院では、頭に包帯を巻きつけた彼女が、ベットに横たわり、隣に付き添う彼女の母親が、怪我は頭を打っただけで、命に別状はないと告げた。胸を撫で下ろしたが、すぐに彼女のもとへ行けなかった自分を悔やんだ。彼女の母親は、気を使って席を外してくれた。その6分後、目を覚ました彼女から出た一言。


「あなた誰だっけ?」


言葉が出ない、君の大切な人だよ、君のために優勝したよ、冗談はやめてくれよ。


「あの....大丈夫ですか?顔色悪い」


この日から、毎日彼女のもとを訪れて、学校のたわいもない話をして一日を過ごした。徐々に打ち解けてくれた彼女の記憶はあの日から戻ることはなかった。


そして、毎日手紙を書いた。今まで彼女と過ごした思い出を手紙に綴った。誰かに送る宛があるわけでもないが、書かずにはいられなかったのだ。部屋で手紙を綴る最中、風鈴が儚げな音色を奏でていた。


それからも彼女の側に寄り添い、彼女は完全に信頼しきってくれていたが、僕への気持ちは取り戻せなかった。そして、大学受験も終わり僕は東京に、彼女は地元に残った時々、会うこともあったが、自然と会う回数も減っていった。あれから僕は、たくさんの女性と関係を持ったが、愛することはできなくて、最後に浮かぶのは彼女の笑顔だけだった。時の流れは早く、大学生活も終わりを告げ僕らは社会人になった。そして、三年後彼女から一通の手紙が届いた。


「この度は結婚することになりました」


結婚、この一言は僕の心を締め付けた。もうあの頃の気持ちは、忘れられたと思ってたのに。彼女の幸せを願うべきなのに、喜ぶことはできない。そんな時、帰宅途中に見つけた怪しげな手書きの看板。


((あなたの思い出を大切な箱にしまいましょう))


何だこれは、そんなことできるのか。半信半疑ではあったが、看板を掲げる一軒の建物に足を踏み入れた。建物の中は思っていたよりも、開放感があり白で統一されたデザイン。いらっしゃいと年老いた男性が手招きをした。本当に思い出を封じることができるのですか、本当だとも。彼は長く伸ばした髭を右手で触りながら自信に満ちた目で僕を見つめる。嘘だと思うなら、試しにやってみればいい、その時にはもう忘れているんだよ。彼は嘘をついているようには見えなかった。


週末、僕は帰り思い出を綴った手紙を保管していた古びた箱を探しに実家に帰省した。押入れからは、埃をかぶったグローブやアルバムが見つかり、少しノスタルジックな気持ちになる。ひとつひとつ丁寧に移動させ一番奥から、僕が探していたものが見つかった。箱と青春時代の僕の気持ちを抱えて、何をすることもなく次の日の朝には家を出た。帰り道、彼女と過ごしたこの町の空気を深く吸い込み、吐き出す。




薄暗い機械に囲まれた部屋の中で、一通りの説明をされる。本当にいいんだね?という問いかけに、僕は深く頷いた。意思とは裏腹に、箱を抱える手が小刻みに震える。


((僕はこれで全て忘れることができるのだろうか、楽になれるのだろうか))


頭部に取り付けられた怪しげな機器の冷たさがひんやりと地肌に伝わる。今までの彼女との思い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。


スイッチを押す音と共に、涙が箱の上に落ちた。だめだ、忘れたくない、これからもずっと忘れられない、君のことが今でも好きだ。


目の前が真っ白になる。ハッとして目を開けた。実家の部屋に倒れている。手に抱えたままの箱は、軽くなっていて中から手紙はなくなっていた。壁掛けのカレンダーに目を向け今日の日付を二度見する、母親の声が居間から響いた。



「もうそろそろ起きないと、甲子園間に合わないわよ」


一瞬、僕の時は止まった。

何事もなかったかのように、ひぐらしは鳴いている。悩んでる暇なんてない。僕は、迷うことなく家を飛び出しあの子の元へ、ただひたすらに走りだした。はじめよう、もう一度僕の夏休みを。

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