第31話 経験値
「……翼の交換スピード」
ナグリの手からハンマーがすり抜け、ピットにカラ~ンと落ちた。
「わかっているつもりだったのに」
所詮それはつもりでしかなかった。
ライフ牧場以外のピットでは翼交換専門のチームが構成されている。今、最下位のドラゴンがピットから飛び立っていった。
最下位チームにしても翼の交換は左右同時で数人体制、マグマフェニックスのチームにいたっては数十人体制をとっている。それに引き換え、ライフ牧場はナグリ一人。
間違いなくライフ牧場チームが翼交換で一番時間をかけていた。
「どうすれば……」
翼の交換はもう一回残っている。ナグリの想定ではリードを生かしてギリギリトップで翼交換を終わらすはずだった。
「ちくしょう」
一回の交換で順位を半分以上落とした。これ以上翼の交換などしたら……。
ナグリの翼交換のスピードだけでいえば専門学校生でありながら他のピットクルーに負けていない、魔法陣を展開する速さにも自信をもっていた。だがそれは個人の小さい力でしかなかったのだ。
何人もが協力して一対の翼を交換する。
早くて当たり前、新人だけのライフ牧場。レース経験差が浮き彫りダービーの難しさを教えられる。
ナグリの膝から力抜け崩れそうになるのを、細い腕が抱きとめた。
「……オーナー」
「情けない声出さないの、まだレースは終わってないわよ」
『大きく順位を落としたライフライトニングですが、かかんに攻めています。がんばって私のディナーがかかってるのよ~!』
「シェルちゃんもライトもあきらめてないわ」
ライトは第二コーナーに差し掛かったところ、密集して苦しいポジションだが、意思疎通の取れたドライバーとドラゴンは狭い隙間を潜り向け一頭のドラゴンを追い抜いた。
ハルナがハンマーを拾い汚れを拭ってナグリに渡す。
「道具は大切にしないとね。私も今回のレースに勝てると思うほどお気楽じゃないわ、でも、私たちに足りないものはハッキリとしたじゃない」
それが何かわかる。とナグリに問いかけてくる。
『ライフライトニングがまた前方のドラゴンをコーナーの外側から抜きにかかる、だが前を飛ぶのはベテランドライバーのバグスだ、道を譲らない、うまいブロックだキャリアの違いを見せつける』
「俺たちに足りないモノ、レースに対する経験値」
「正解。私たちには落ち込んでいる暇なんてないわ、この場でできる限り経験値を稼ぎましょ」
「了解です」
ナグリとハルナはレース展開を気に掛けつつも他のピットで動くスタッフたちを、観察して、調査して、その技術を盗み取る。ナグリの専門学校の教師も言っていた技術とは肌で感じて盗み取れと。
『八周目が終わり、各ドラゴンたちが続々と二度目の翼交換に入ります』
先頭は変わらずマグマフェニックス。
ライフライトニングはシェルの奮闘で順位を二つあげ6位になっていた。トップに遅れること十数秒、マグマフェニックスがピットアウトするのと入れ替る形でライトがピットに戻ってくる。
「ナグリ!!」
「おう!」
すぐさま交換に取り掛かる。
「ハルナさん、トップとは何秒差?」
「ピットインの前は12秒ほどだけど、この交換でさらに開くわ」
悔しいけれど現実はかわらない。
それでもシェルは勝利をあきらめてはいなかった。
ドライバーの勝利へ対する気持ちに全力で答える。ナグリはコンマ1秒でも早く翼を交換しようと、ハルナは辛くとも確実な情報を伝えようと奮闘する。
二回目の交換を終えコースに戻ったライトの順位は最下位になっていた。それでもシェルは全力でレバーを握り前へ進む。
ただ勝つために。
『最下位のライフライトニング、攻める攻める、コーナー一つで二頭のドラゴンを抜き去った』
「ナグリくんにこのレースが終わったらお願いがあるんだけど」
「なんでしょうか」
「レースが終わったら話すね」
決意を固めた表情にナグリは覚悟のような物を感じ取った。
『早いぞライフライトニング、また一頭抜いた』
『一周で三頭抜きですか、これはすごいですね、でも飛ばし過ぎのようにも見えます』
九周目がホームストレート。
ピットの上を白いドラゴンが通過する。
「明らかなオーバースピードだ、あれじゃライトの体や翼がゴールまでもつかわからない」
「ライトは大丈夫、疲れは見えるけど、シェルちゃんと意識がシンクロしているみたいに前だけを睨んでいたわ」
「問題は翼か」
本来なら、翼を壊さないようスピードを落とせと指示を出すのがピットスタッフの仕事なのだが、ナグリもハルナも指示をだしはしなかった。
勝つためにはあの速度を維持するしかなかったから、このスピードをノーミスで飛び続ければトップを捉える可能性がわずかにだが残っていたのだ。
だが、現実は甘くはなく。
ナグリの懸念が当たり十一周目の最終第四コーナー。限界以上のスピードを出したライフライトニングはウィングブローにより落水した。
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