第10話 契約

「うああああああぁぁぁぁぁぁあ゛あ゛あああぁ…!!!!」


僕は誓いの輪を描いた<黒いワシ>の血と共鳴し、彼の記憶を垣間見てしまった。

瞬きほどの時間で大量の情報が頭に叩き込まれ、耐え切れず叫び声をあげる。

なかでも、おじいさんが村の大通りを無理やり歩かされ、牢屋でぼろ布のように倒れている場面が強く、強く僕を苦しめた。


おじいさん、

サミュエルおじいさん…!!


初めて咳止めの薬を一人で調合できた時はその骨ばった手で僕の頭を撫でてくれた。

リンゴのおすそ分けをもらい、リンゴジャムを作っていたとき、僕は誤って煮詰めたリンゴを自分の足にかけてしまい、大やけどを負った。その時おじいさんは、残り少ない軟膏をすべて僕に使ってくれた。

僕がお父さんとお母さんについて質問した時は、ぶっきらぼうに答えてくれた。

字の読み書きもおじいさんが、

全部、あの村で暮らした全部はおじいさんが与えてくれたものだ。


おじいさんが…


僕の大切なおじいさんが、


ごめんなさい、僕のせいだ


おじいさんを助けたい、無力な僕に、力が欲しい


おじいさんを、助ける力、


そして、<黒いワシ>を、仲間を、守る力が欲しい…!



強くつぶった目の奥が赤く染まり、そこから不意に昔自分で作ったカチーナ人形が3体現れ、白い鳥の羽をくるくるさせて踊っていた。


最初はそれが何を意味しているか分からなかったが、ふと合点がいった。

これは精霊の契約の儀式だ、踊っているカチーナ人形の名前を当てられれば精霊と契約ができる。

儀式を始める呪言は唱えていなかったが、僕の激しい感情の起伏が精霊を呼びつけてしまったのかもしれない。

普通は1体の精霊しか呼び出せないと聞いていたので、3体もの精霊が僕のもとに集まっていることは異常事態だった。

しかし、始まってしまった儀式を辞退する気もない、おじいさんと一族の皆を助ける力を分けてもらわないといけない。

そうだ、僕は守りたい人がたくさんいる、3体でも足りないくらいだ。


カチーナ人形に宿った精霊の名前を当てようと、僕はまず左のカチーナ人形を見た。

これはトウモロコシの葉を使って作った、コーンメイデンをかたどったものだ。

その頃は、まだカチーナ人形の作り方を習ってから日が浅く、不器用にしか動かない小さな手がもどかしかったのを覚えている。

それでも、出来上がりを見た<黒いワシ>はこれで豊作間違いないとほめてくれ、その年は確かに例を見ない豊作年だった。

僕は知る由もなかったが、その時から僕は一族の者たちに、大地に実りをもたらす子として好意的に認識されるようになった。


「そこに宿られているのは、豊穣と収穫の神ココピラウとお見受けする。

我に力を与え、大いなる輪の中に我を加えんと欲す。」


コーンメイデンカチーナは僕の言葉に反応したように振動するが、契約は締結されなかった。


豊穣の神、ココピラウは笛の音で幸運や豊作、子宝をもたらす男神。

そうか、コーンメイデン、「メイデン」は乙女なので、男神は宿らない。

カチーナ人形に宿っているのは、ココピラウが恋に落ちた女神のほうだ。


「先ほどは失礼いたしました。

そこに宿られているのは、豊穣と収穫の女神ココピラマウナとお見受けする。

我に力を与え、大いなる輪の中に我を加えんと欲す。」


コーンメイデンカチーナはくるりと回ると、一礼し、赤い背景に霞んで消えていった。

僕は体がずっしりと重くなって、ココピラマウナとの契約が完了したことを感じた。

これで、精霊のもたらす大地の加護を得た。


残り2体のカチーナ人形は変わらず白い羽をはためかせて僕を観察している。

ココピラマウナとの契約が思いの外、霊力を要したため息苦しい。

僕は気合を入れて右のカチーナ人形に思いを凝らした。


そのカチーナ人形は変哲もないカラスを象ったクロウカチーナだった。

カチーナ人形としてはよくある形だったし、毎年祭りのたびに作った。

僕はいつ作ったカチーナ人形なのか確かめようとよく細部をながめ、そこにS/Mと彫ってあるのを見つけ、思い出した。


これは、なぜ悪魔の子供を養い育てるのかとサミュエルおじいさんが村人たちから叱責されているのを物陰で聞いてしまった後に、おじいさんのために作ったカチーナ人形だ。

むろん、家にカチーナ人形を持って帰る危険は犯せないので、おじいさんに渡したわけではないが、おじいさんへの感謝の気持ちを込めて作ったものだ。

いつか村人たちの僕に対する差別や嫌悪が洗い流され、おじいさんと僕が幸福に暮らせるように願ったカチーナ人形だ。

これは豊作をもたらしコーンメイデンカチーナと違い、結果的になんの効果ももたらしてくれなかった。

でも、それはカチーナ人形が悪いのではない、僕が村の人たちに認めてもらう努力を放棄したからだ。

畑に種を蒔かなければ芽吹かないのと同じだ。

目立たぬよう、小さく縮こまっているだけではなく、時には自分が思っていることを言葉にすることが必要だったのかもしれない。今となっては後の祭りだ。

もしこの精霊が村の人たちの差別や嫌悪を洗い流しておじいさんを助けたいという僕の願いのもと招かれたのなら、答えは一つしかなった。


「そこに宿られているのは、「第3の世界」の創造し、我ら愚かな人間を一掃するために大洪水で世界を洗い流した有限の創造主ソツクナングとお見受けする。

我に力を与え、大いなる輪の中に我を加えんと欲す。」


クロウカチーナは一つ頷くと、赤い背景に霞んで消えた。

ココピラマウナの何十倍も重く、肺は膨らむことを拒み、体の節々が軋んだ。

この感覚は、川で溺れたときのもとに似ている、その何倍も苦しい。

おじいさんが村の人たちに拷問を受けているのを見ていなければ、とっくに放棄していた。

呼吸が上手くいかず、空気の足りない苦しみの中、おじいさんを守る洗浄の力を手に入れた。


最後のカチーナ人形はヒマワリのような太陽を象ったサンフェイスカチナだった。クロウカチーナと同様にこれも珍しいものではない。しかし、このカチーナ人形がそうかどうかは分からないが、<フクロウ>に教えてもらい初めて作ったのはサンフェイスカチナだったので思い入れがある。またサンフェイスカチナは、ココピラマウナやソツクナングを創造したこの世界の創造主を意味すると教わった。


そして、僕はその精霊の正体に初めから気が付いていた。

それでもなにかの間違いだろう、と一番最後にこのカチーナに取り掛かったのだ。

この精霊の気配は幼いころからいつでも感じていた。

一族の岩窟に行けば温かく僕を迎え入れてくれた。


この精霊は一族の守り神、タイオワ。

<フクロウ>の精霊だ。

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