p6 報道されない妻の身分

長谷部から至急会いたいと連絡が入ったのは1月20日の午後10時頃であった。多村は新聞社にいたので近くの喫茶店で出会った。彼はタクシーで直ぐにやって来た。

「大変なことになったなぁー」と多村が言うと、

「時間がない。報道部の誰かお前の知っている記者はいないか」と、興奮した面持ちで訊いた。普段冷静沈着な長谷部にしては珍しかった。多村はそれとなく察した。

「秘密を守れる信頼できる奴だよな」

長谷部は黙って頷いた。多村は報道部で大学同期の記者を直ぐに呼んだ。長谷部は「悪いが運動部の記者は部外者だから席を外して欲しい」と多村に告げた。

後に問題となった時に、多村にまで波及しない配慮だと思い、多村は社に戻った。


これは、翌日、政府関係者の話として記事になった。


後藤健二拉致事件の経緯を

10月25日 –Gさんがイスラム国の支配地域にあるラッカへ向い消息を絶つ。

10月29日 –Gさんの帰国予定日。

10月末 -東京都に住むGさんの妻が、外務省に相談。

11月1日-トルコに住むGさんの知人シリア人男性に、ガイドに裏切られ拘束されているとメールが入る。

11月その数日後、Gさんの妻の携帯電話に、Gさんを拘束している旨のメールが、イスラム国関係者から届き、10億円を要求される。

と、手短に報じる。


翌、22日のA紙では政府関係者の話としてこのように報道された。

政府は11月1日に家族からの通報により、Gさんの失踪を認知した。

12月初旬 – Gさんの妻がメールに気づいて開封し、外務省に相談する。以後、1月までに約10通のメールが妻に送信され、当初約10億円、のちに約20億円の身代金の要求がなされた。


多村は長谷部の携帯に連絡を入れた。

「当社とA紙では身代金の要求の日付が違っているが、どういう事なのか?」

長谷部は「お前とこにはもう少し詳しく話したんだけど、マー仕方ないか、A紙の政府関係者は俺ではないよ」と答えた。


2月6日号の麻里子の週刊誌は、

「メールのやり取りは首相の中東歴訪前まで断続的に続き、イスラム国は約20億円の身代金を要求していた。外務省も内容を把握し、官邸に逐一、報告していたが、ズルズルと判断を引き延ばしたまま、首相が企業を引き連れ、中東に出かけ、“飛んで火にいる夏の虫”となり、身代金も10倍以上も吹っかけられてしまった」(外務省関係者)と載せた。

多村は長谷部の言ったもう少し詳しくはこれだと思った。

すぐに麻里子に携帯を入れた。新聞の記者からこれを貰ったと答えた。友人の記者が書けなかった部分を渡したのだと多村は思った。


2月3日

国会に於いては民主党の鈴木貴子衆議院議員が提出した質問主意書に対し、政府は、「あらゆる手段を講じてきており、政府としては、対応は適切であったと考える」と答えた。

一方、「Gさんの妻に、『イスラム国』側から金銭を要求するメールが届いていたことを把握しているかどうか」という質問については、「これを公表すれば、今後の対応に支障を及ぼすおそれがあることから、答えを差し控えたい」とした。


岸田外務大臣は、Gさんの拘束を政府が把握した時期について、3日の参院予算委員会で「昨年12月3日」と説明した。しかし、翌4日の衆院予算委では、1月20日に2人の映像が公開されるまで犯行グループがISかどうか確証がなかったと述べた。

 これは推測出来ても、特定は出来なかったのだから、首相は拘束相手を知らずに中東訪問をしたという詭弁でしかないと多村は思った。


1月20日以降はネットでもGさんの妻の身分が外務省外郭団体の職員だと流出しているのに、報道も野党もこのことには一切触れなかった。これでは外務省と関連付けて追求できないではないか、多村は非常な違和感を抱いた。なぜだ?友人記者に尋ねたが、はっきりした答えは返らなかった。

Gさんが本当にYさんの救助の為だけに出かけたと思っているのだろうか。救助の為に出かけたとはどこでその確証を得たのであろうか?Gさんは取材でシリアに入るとは言っているが、Yさん救出のためとは一度も言っていない。Yさんを自由シリア軍の拘束から助けたから、関わったから 出来れば助かって欲しいと願っただろうし、そのような気持を周辺に述べたであろうが、助かって欲しいと、助けるは大きく違う。シリアでのガイド(通訳)の言った言葉をそのまま信用したのだろうか?後日、ある報道機関がそのガイドに連絡を入れたら「今は何も語れない」と語ったという。いつから、日本の報道は横並び、垂れ流される情報を追認するだけになってしまったのだろうか!我社だってそうだ、長谷部がせっかく外務省関係者として情報を提供しているのに、その後の追跡、追求の記事が載らない。多村はかって、沖縄返還の密約をスクープした先輩の西山記者の件を思った。


長谷部と話したいと思ったが、今回の事件で今、外務省は大変である。麻里子の顔が浮かんだ。

「どうや、焼き鳥食べたくないか?」とメールを入れた。

「食べたい!欲求不満の塊です。奢って!」と返事が来た。

いつも元気な麻里子がどこか所在無げで現れた。

「元気がなさそうやな」

「うん、やっぱりGさんのことを考えてしまう。会う約束の人が一度も会わない内にあんな事になってしまって・・」

多村は麻里子の気持ちがわかるような気がした。あの秋山恵子に似た奥さんは今どんな気持ちだろう。長谷部の今の気持ちはと思った。

「今日は、痛飲しょうか?送って行ってもええよ」

「あらぁー、この前もそんな事言って、送って行ったの私やよ」

やっと、麻里子に笑顔が戻った。しばらく世間話で気晴らししたが、やはり話はそこに帰ってしまう。今やから言うけどと、Gさんの奥さんが、我らがマドンナに似ていた話をした。

「そうやったん、お友達、辛いやろうね。政府関係者って彼のことやってんね」

多村は今回の件で報道機関のあり方を尋ねた。

「多村さんかて、報道機関に身を置いてるんよ。野球報道やから関係ないとは言われへんよ。私の欲求不満分かってくれる。フリーやから専属やからでなく、ジャーナリズムに身置くものは連帯せんといかんのに、皆は命を助けるために何したん。私も含めてやけど・・」麻里子がこんなに真面目な話をするのを多村は初めて見た。違う麻里子を見る思いであった。

しばらく、沈黙のあと、多村は口を切った。

「落ち着いたら、友人に話を訊いてみるよ。報道に携わる者が二度とこんなことが起きないように、これからは報道関係者だけとは限らんようになったけど・・参考になるような話を聞いてみるよ」

「おおきに、もしそうやったら、上と喧嘩しても頑張る」

多村は麻里子をいい女だと思った。これは送って帰って貰った方がいいと、飲むピッチを上げた。


報道はGさんの美談に明け暮れ、イスラム国がいかに非道かを報じ、このような奇形児がどうして生まれたのかには言及せず、Gさんの死を持って終わったかのようになった。国会では野党の追求は通り一辺で終わり、いつの間にか政治とカネのいつもの茶番の場になってしまった。

Gさんの死をもって、首相、政府の対応を追求するは、ISを弁護するのかのような風潮が生まれ、首相の中東訪問の是非は不問に付され、政府の対応については世論では6割が支持する結果になり、人質救出を名目に、与党は紛争地に自衛隊を派遣できる恒久法の検討に入った。

ジャーナリズム、報道は何のためにあるのだろうか?世人は日々仕事に忙しい、ニュース・報道を見て判断するのが精々だ。ネットが出来たといえ、疑問に思ったことを調べたり、検証したり出来る人は限られている。その代理として公(私的、公的問わず)の報道機関はあるのではないか、自ら大手の新聞社に身を置くものとして、怒り、自戒もした。

中東も、アメリカもフランスも遠い国の出来事としてきたが、テロの標的とされる仲間入りを果たしたというのに、この国は少し呑気過ぎないかと多村は思う。松本サリンの失態、地下鉄サリンも防げなかった警察・公安に安全を託さねばならないと考えて多村は薄ら寒さを覚えた。


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