p3 Yさんのブログ

拘束されているYさんのブログを見た。長谷部の言った通り、この人物は何だろうと多村も思った。自分を男装の麗人川島芳子の生まれ替わりと称したり、自身の倒産、自殺未遂の経緯も明け透けに語っていた。誇張もあるが、オープンにも語っている。とっても、どこかの線が力を入れている軍事会社とは思えなかった。ただ、今日を反映していて、イスラム国に拘束された経過には興味を持った。

以下は多村がブログより、時系列にメモったものである。関連する報道も付け加えている。( )内は多村の感想である。


軍事会社は2013年12月に設立されている。所在地は茨城県である。

2014年3月、新しい仕事のため、東京事務所らしきものを構え、支援者らしき人物と会った写真がアップされ、やたら忙しいと述べている。


2014年4月、紛争地イラクに行っている。そのために訓練を受けた様子の写真が載せられ、初めての紛争地に出向く意気込みが語られている。


5月、今度はシリアに出向いている。

2014-05-03

『今回の経験で色々分かった事がある。渡航前は色々な想像をして不安感も有ったが、実際の戦地に行ってみると恐怖など全く感じなかった!むしろ僕は居心地が良いかもしれない。僕は今回現地で42歳の誕生日を迎えた』と語り、戦闘服で機関銃を持った写真が掲載されている。(多分撮影のため現地兵士より借りたのであろう)


2014-05-07

『今回行った時の写真やビデオは一部、YoutubeにUPしたので、気が向いたら見てみてください』と書いて、アレッポの模様や、自身が銃器AK47を試射した模様がアップされている。


2014-05-15

『現在の僕は民間軍事会社と言う特殊な業種の仕事をしている。もちろん日本では初めての業種。日本初と言う事ですね。・・この仕事をしたいと思い始めたのは2年前ぐらいの頃から考え始めていた。40年間で色々経験して来た僕は残りの人生、生きる目的を見失っていた時だった。運が良いのか分からないが、自殺経験で生き延びてしまってからどうせ死ぬなら人を救う為に命を使って死のうと考え始めた。あの時僕は、一度死んでいたのだからと。いつしか、今後何人を救えるかが目標になり始めた』と語っている。


2014-05-15

『割と国境に近く、空港がある町には夜中の23時に到着。当然、到着日は何も出来ないと考え、ホテルの予約をしていた。ホテルへはタクシーで運転手に地図を渡し向かった』と書き、翌日シリア国境に近い町に入っている。


2014-05-16 00:44:20

『トルコ国境の町で情報収集してから1時間ぐらいだろうか?数人目に声をかけると、てごたえがあった!〈私、アラブ。トルコ語分からない〉と言う中年男性に会った。

僕は事前に用意していたアラビア語で作成した文章の紙をその男に見せた。内容は簡単にこんな内容の文章だった。〈トルコ国境を越えてシリアに行きたい。自由シリア軍と接触して司令部の指揮官と会いたいと〉まぁこんな風だ。


トルコ、キリス税関でパスポートを提示。シリア側の税関は無人。この辺は少し省略。やっと僕は入国に成功した。青年は入国後、車で移動してくれる様子だった。後に彼らはマフィアや売人の類の人達と気づく、僕は運転手と助手席の男性2名の乗用車に乗った。


せっかく抜けてきた国境に逆戻り。僕は国境付近に勢力を強めている自由シリア軍グループの検問所に連れて行かれた。マフィアの男性にはお金を請求され(日本円で2万円)渡すと逃げる様に何処かへ行ってしまった。


何を話しているか分からないが、口調がキツイ。この時、僕は拘束される事を覚悟したが動揺はみせない!常に毅然としてたつもり。


アイデンティティ・カード(Identity Card:公的機関が発行する所有者の身分を証明するもの)を持っていないのも彼らは怪しんでる。例えばジャーナリストなら公的機関のIDを持っているが、普通の人は無い。


僕は彼らの為に来たと、毅然とした態度で対応する。

マジ!ヤバイ様子。パスポートは取られ、結局何処かに移動する事になった。そこは大きな屋敷で自由シリア軍兵士が多く居る拠点本部だった。この時はどのような展開になるか予測不可能。ただ眼隠しされた状態での移動ではなかったので、わずかに救いの可能性もあると思った』

と、自由シリア軍に拘束された模様を語っている。


2014-05-16

『拘束されてからある意味、一段落と言うか少し気持ちに余裕がでた。常に緊張と目的達成の事しか考えていなかったので、丁度良かったかもしれない。

司令部に連れて行かれて、2日目初めて見る男性が来て、僕はまた尋問室へ。この男性は片言の日本語を話していた。〈私日本に住んでた。6人の友人

が日本に居る〉と、そして次に話した彼の言葉に僕は驚いた!


〈ジャーナリストのGを知っているか?〉僕はもちろん知っていると答えた。明日シリアに来ると言うのだ!僕は二ヤけた♪マジ?やったぁ♪僕が日本で会いたかった人の一人。まさかシリアで会えるとは運命としか考えられないよぉ!だって会える確率的に万に一つだよ!』と語っている。

(自由シリア軍を味方だと考えていたのだろうが、拘束されてのこのノー天気ぶりは何だろう?)


2014-05-17

『翌日2日目の夕方、Gさんと初対面♪僕は握手を交わした。そこには見た事がない司令部幹部が5、6人来ていた。そこでまたシリアに来た理由や経緯を聞かれGさんが通訳を始めた。会話をしてから30分ぐらい経過。その後・・・。ショック。

Gさんを通して聞かされたのが、〈今夜国境まで送るので、そこで宿泊して翌朝トルコへ帰れと〉自由シリア軍幹部の連中から聞かされたと告げられた。夜は税関が閉まっているので朝まで国境で待て。だって。その事よりも目的が達成

出来なくなった事が、挫折感を感じた。僕は戻るぐらいなら銃殺してほしいと思った。


苦労して来たのに納得が行かない!ホントはGさんと写真を撮ろうと思っていたが、挫折感ですっかり忘れてしまった。ホントにGさんは上手く伝えてくれたのか、疑いさえ思えた。Gさんはそれを告げた後、僕に〈残りの時間をエンジョイしてください〉と手を振って戻って行った』

と、Gさんとの出会いを語っている。


その後彼は残り、

『〈明日、最前線の都市アレッポに連れて行く。アラーの神に感謝しなさい〉だってさっ♪僕は人間関係の戦いに勝利したと、言葉に言えない喜びだった。普通なら最前線の戦闘をしている所に行くのに喜ばないと思うが、僕は真逆だ。ミッション成功こそが最大の目的。成功こそが幸せ、自分が成長する達成感だ!』

と、前線に行ける喜びを語っている。


2014-05-18

『最終的には国境付近の自由シリア軍部隊には大歓迎された。僕はその国境近くの司令部本部を後にして最前線のアレッポに向かった』


2014-05-20

『この中の武器には、弾が装てんされている物があり危険。僕は慣れているので子供が遊ぶ様な感覚で、弾を抜き安全装置をかけてから、手に取り構えてみる。(名前:アブダミ)はニコニコしてみている。この後、軍事製品の話などして、僕は供給できる差支えない製品は協力する事にした。(※今回の渡航で、小規模の戦闘をするが今回は省略する)』

で、5月の記載は終わっている。帰国後Gさんと会い、Gさんとの接点が出来たようである。フリーライターに憧れがあったような記載もあった。


***

6月

YさんはGさんに同行を依頼し、護衛兼助手と称して、Gさんとイラクに入国し、行動を共にしている。


2014-06-11

『近々、再びシリアの最前線へ行く予定。自由シリア軍の兵士みんなが僕を待っている様だ。凄く嬉しく思い、僕も早く皆に会いたい。もぅ直ぐ会える』


2014-06-29

『アルカイダ系ISIS/ISILとクルド人地区との最前線に行ってきました。報道ステーションでは僕がカメラを持って撮影してます』


2014-06-30

『一部の映像をYoutubeにUPしました♪良かったら見てくださいねぇ♪』

と語り、Gさんが現地ジャーナリストからインタビューされている映像をYさんが撮影している。報道ステーションでは別の動画が使われる。


2014-07-10

『アルビルやキルクークはクルド自治区(クルディスタン地域)の都市になる。翌朝遅めに起きてブランチをとった。この様な部屋を借りて寝泊まりした。やはりシリアにそっくり。クルド人自治区は行政機関が整備されており、許可書が有ると行動がしやすい。各役所、重要施設には日本で言う警備員が居るが、全て武装した兵士の様な警備員だ』

と語り、Gさんと室内で一緒の模様が写真でアップされている。


2014-07-13

『将軍(クルド軍)が視察を終えると多くの護衛兵達は次の視察に行ってしまった。我々はしばらく最前線の橋に居たが、次は油田に向かう事にした。今回のブログは読んでて皆さんも思っただろう。そんなに書きたい内容が無いのだ。なんと言うか最初に、世界で一番危険な国と言われる、シリアを経験してしまっているからだ。次回最終回を更新する頃、僕は再び戦場へと戻る。次からの渡航は長期間になるだろう』


2014-07-14

『直ぐに次のミッションへ移る。今度は油田を奪還する作戦の指揮を取る。人員に余裕が無い為、当然、私も本格的な戦闘をする。次のブログの方が映画の様で面白いと思う』

で、イラクから帰国している。


7月再度シリア行き。

2014-07-21

『まだ渡航まで数日時間があるので、目的地は書けない。何か毎月行っている気がする。今回は1ヶ月弱滞在するのでブログの更新はその帰国後になる。多分、今までの中で一番危険かもしれない。今回の渡航では僕の戦闘シーンも多く撮影したいと思う』

と語り、これが最後のブログになっている。このあとYさんはシリアに入りイスラム国に拘束される。


***

この頃、

2014年8月8日より米軍がイラク北部クルド人自治区でISへの空爆を開始する。


2014年8月14日

ISが湯川さんを拘束

 湯川さんは7月下旬にシリアに入り、「イスラム戦線」など反体制派連合部隊と行動を共にしていた。Yさんは同部隊がアレッポ北方の村でISと交戦後、行方不明に。IS側に拉致されたとみられると、M紙が一報。


2014年08月20日

M紙カイロ発

シリア北部アレッポ郊外でイスラム過激派組織「イスラム国」に日本人男性が拘束されたとされる事件で、男性が一緒に行動していたシリアの反体制派武装組織「イスラム戦線」のメンバーが19日、当紙に対し、旅券など男性が残した所持品を預かっていることを明らかにした。また、男性が、写真撮影のためにイスラム戦線と別行動をとった直後に行方不明になったことが分かった。イスラム戦線の戦闘員によると、男性は7月下旬にトルコからシリア入りし、イスラム戦線などの反体制派連合部隊と行動を共にしていた。部隊は今月14日、アレッポの北約30キロのマレア近郊にある村を包囲していたイスラム国を攻撃し、銃撃戦の末、村の包囲を解いた。この直後、男性は「写真を撮影したい」と戦闘員らに言い残し、村に1人で入った。だが部隊に戻らないうちにイスラム国が攻撃を再開し、その後、男性との連絡がとれなくなったという。男性は自衛用の銃を持っていたが、戦闘には参加せず、主に写真を撮っていたという。反体制派側は、拘束しているイスラム国の戦闘員との交換を条件に男性の解放を求めている。だがイスラム国側からは明確な応答がないという。

このように報道された。


政府はこれに対して、

2014年8月16日

在ヨルダン日本国大使館内で執務する馬越正之駐シリア臨時代理大使を本部長とする現地対策本部を設置した。


本当にその筋が軍事会社を目論むなら、こんなブログを許す筈はないし、このような人物を使わないだろうと多村は思った。しかし、Yさんは倒産もし、そう資金があるようにも思われない。顧問に自民党の元県議の名前があり、Yさんの立ち上げた「アジア維新の会」なる政治団体の事務所住所がこの元県議の息子(現市議)の事務所と同じくしている。東京で一部の政治家と一緒に写した写真もある。設立、渡航にはどこかから資金が提供されているのは確かである。Yさんは何かおだてられ、危険地域に行くように踊らされているように多村には思えて仕方なかった。

 ただ、シリア自由軍の下の兵士たちと親しくなったり、Gさんとの同行を取り付けるなど、人懐っこい、オープンな不思議な魅力もどこかある人物ではないかと多村は思った。

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