第9話 最後の電話
ある夜、塾から帰宅すると、両親そろって深刻な顔で、勝巳を玄関で出迎えた。
「何があったの?」
ただいま、の代わりに、彼は尋ねた。それには答えが無くて、靴を脱ぎ、リビングへ入った途端、完全に重苦しい雰囲気に飲み込まれた。
彼の両親は、ソファに並んで腰掛ける。まるで今さっきリストラされたので、明日など無いといった表情だった。
「いや、それが……」
明らかに動揺している父親に比べて、母親はしっかりしていた。だが、それも比べて、というだけだった。
「勝巳、びっくりしないで聞いてね」と息を吸って、「実は、お父さんと私が両方とも、海外へ長期出張を命じられて――」
「何だ、そんなこと?」
「え」
思わぬ息子の反応に、二人は目を丸くした。
「僕なら叔母さんのところに厄介になるから、心配しなくてもいいんだけど」
「そ、その、何だ」父親が声を振り絞る。「――お前の受験の時になっても、戻れるかどうか分からないんだ。心配するなというのが無茶だ」
「でもさ、僕はもう心配されるのは嫌なんだ。正直ウザいよ」
「勝巳!」
母親がいきり立って勝巳を掴もうとしたが、さっとそれをかわして、勝巳はリビングを飛び出た。
「僕はあんた達のオモチャじゃないよ。言いなりにはならないし、逆らいだってするさ!」
「そうじゃないのよ!」
「だったら、じゃあ何さ?」とは、自分の部屋に鍵をかけて、勝巳は閉じこもった後に言った。
「何もないが――それでも心配なんだ」
追いかけてきた父親は言う。
「それって馬鹿じゃないの?」
「馬鹿でいい、話をしよう」
「何も話す事はないと思うけど……」
「分かった。出来るだけ今のお前の意見を尊重しよう。いきなりこんなことを話した私達が、許せないんだろう?お前は、ここにいたいんだろう?」
「分かっているなら、どうして話すのさ?」
「お前は素直じゃないからな。それに難しい年頃だ。それなのに普段が大人しいから、かなり我慢しているんじゃないのか」
「そうだよ。じゃあどうする?」
「その分だと、
「うん、分かった」
「……そこで、嫌だとこぼしてくれれば、かえって安心なんだがな」
「父さん、せいぜい僕は、電話口で恨み言を言ってやるくらいが精一杯なんだよ」
「そうか。お前は昔から強情だからな。――だが、ほっとしたよ」
父親が離れていく気配がして、勝巳はベッドに倒れこんだ。
結局、言えなかった。
僕にはこの先の人生なんか無いんです、僕はもうすぐ死ぬんです、その類のことを白状した途端に、あの人たちは発狂したようになるだろうと思うと、とても言えなかった。
――どうしたものだろう。
次から次へと案が浮かんだが、どれも実行不可能な、まるで夢のようなものだった。いっそ遺書でも書いておこうか、と思ったが、何を書いたにせよ、あの人たちが動揺しないとは思えない。隆は彼が死ぬだなんて、まるで思ってはいないし――。
そう言えば、隆は今頃何をしているだろう、と彼は気になって、携帯にかけてみた。
着信のコール音が鳴り、そろそろ留守電に切り替わるだろうという時になって、ようやく相手が電話に出た。
「おい、今何している?」と勝巳は言った。
『――』
息遣いは聞こえる。だが何も喋ろうとしない。
勝巳は何かあったのかと声を荒げた。
「おい!」
『――テメエ、殺されたいか』
「は?」
何をいきなり、と彼は面食らった。
『テメエの所為だ……』
隆の声は特に不機嫌そうでも、怒ってもいない。それが逆に不気味だった。
「何だ、かけちゃマズかったのか?」
『殺されたいんだな』
頭に血が上っているのだろうか、とにかく会話が成り立たない。
「殺すの殺さないの、一体どうしたんだ?」
言い終えてから、彼の脳裏に、ある情景がいきなり浮かんだ。
――夜の静かな公園。ベンチに寄り添う隆と――どこかで見たことのある少女。ああ、これは何となく二人だけにしてやりたい、そういう雰囲気が漂っている。手をつなぐ二人。無言のやりとり。少女の細い指に淡く輝く指輪が見える。お互いの顔をちらちらと見合う二人。見たことの無い隆の表情。ああ、これは部外者が立ち入ってはならないな――勝巳はそう感じた。
直後に鳴り響いたのは、携帯の着信音だった。
小さな悲鳴を上げて、少女は謝罪の言葉を口にしながら、手を解いて逃げ出した。ベンチに張り付いたまま、彼女を追いかけるに追いかけられない隆。
正気を取り戻してから、携帯に出る。
「うわ」
分かった。隆の脳裏で、この情景が繰り返し、狂騒的に再生されているのだと。だから勝巳も共感して、見えたのだ。
「ごめん、悪かった。……せっかくのチャンスを、僕が水の泡にしてしまったんだね」
『……何だよ、何で知っているんだよ』
隆は力ない声でたずねた。
「何となく分かったんだよ。うん。ごめん。もし知っていたら、邪魔はしなかった」
『……これから、追いかける。しばらく、絶対に、かけてくるな。じゃあな、あばよ』
「わかった。じゃあな、また」
ぶつん、とそこで通話が切られて、勝巳はちっと舌打ちしてしまった。
「何だよ、言いそびれたじゃないか」
『じゃあな、また明日』くらい言わせてくれても良かったのに。勝巳はがっかりした。まあ、でも、仕方が無い。それから急に眠気が差してきたので、そのまま彼は寝てしまった。
お互い――これが、最後の電話になるとは、思ってもいなかった。
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