第8話 ハヤテ

 ――夜美野高校のオカルト愛好会室では、クラス選試の終わった日に、気分転換だと、こっくりさんが行われていた。

勝巳は面倒だと思い、本に夢中なふりをして、参加していなかったが、園原まゆみや自称・霊感少女たちが、和気あいあいとやっていた。

「こっくりさん、こっくりさん、私はAクラスに上がれますか?」

耳を澄ますと、どうやら話題はもっぱらクラス選試についてらしい。

「うわ、『あ、が、る』だって!よかったね!」

「やった、頑張ったかいがあった!」

「じゃあ――」前が、いい反応だったので、そのついでに、という感じだったのだろう。「私は好きな人と両思いになれますか?」

自分がその人だったら、と勝巳は考えた。

恋愛に関して、こういうことをアテにする女の子より、好かれようと必死に自分を磨く子の方を、好ましく思うだろう。

だが、人の好みに、あえて文句を言うつもりもなかったし、彼は基本的に、害もなければ毒も無い人間だった。

「きゃあ!」

どうしたんだろう、悲鳴が上がったので、勝巳はそちらに顔を向けた。

「ちょ、ちょっと、誰が動かしたのよ!?」

「ヤバいよ、これは!」

何かの騒ぎが起きているようだが――。

「静かに!」

園原まゆみの一声で、辺りは静まり返った。

「早く、こっくりさんを、お送りするわよ!」


 その場が落ち着いてから、勝巳は、こっくりさんをしていた一人に、話しかけた。悲鳴を上げた当人に。

「アレ、騒がしかったけれど、何があったの?」

僕でよかったら相談に乗るよ?と付け足した。厄介事への対処法も、いくつか知っているし。

すると、少女は一気にまくし立てた。

「あのね――好きな人と両思いになれますか、ってこっくりさんに聞いたんだけど、こっくりさんがね――」

「止めなさい!」

横合いから急に怒鳴りつけられて、二人はびくりとした。

園原まゆみだった。

「伏木君、あなたって人には、本当にデリカシーがないのね」

「す、すみません――」彼女が苦手な彼は、謝るしかなかった。起立して、うなだれる。

「謝るだけなら、誰にだってできるわね」

「ええ、まあ――」

「そういうの、もういい加減にしたらどう?」

あまりの言い様に、勝巳も少しいらだった。

「……何を、ですか?」

元から、こういう人だが、流石にうんざりした。

「どうして、とか、何で、とか、一々深く尋ねることを、よ」

アダマスターでのことも、含まれているのだろう。

「……それは、すみませんでした。これから、気をつけます」


 解放されてから、彼はぐったりとソファに寝そべった。

それで気が済んだのか、園原まゆみは、愛好会の顧問でもある図書館長と、何か楽しげに話し合っていた。

ねえ、とひそめた声で、さっきの女の子が話しかけてきた。

「大丈夫?」

「慣れているから、大丈夫だよ」

彼女のほっとした様子を見て、勝巳は誠実そうな顔で尋ねた。

「こっくりさんは、何て言ったんだい?」

「わ、私が――好きな人に殺されるって」

少女は、少し涙ぐんでいた。

「ど、どうして殺されなきゃならないのよ」

「恋愛に刃傷沙汰は、珍しくないよ。好きな相手にもよるけれど」

「でも――」

「こっくりさんが怖いのは、暗示によって、人の本音が出るからだよ。特に、誰かに不幸になってほしい、そういう負の本音がね」

少女は、泣きそうな顔になった。

「じゃあ、あの中の誰かが――!」

「本人だという可能性もある」

「!どうして私が――!」

少女の声が大きくなりかけたのを、勝巳は素早く抑えた。

「あくまでも可能性、それだけだよ。だから、ああいうのはやめた方がいいんだ。なまじ知ってしまうと、我慢できなくなるだろう?」

「――」泣きそうな顔のまま、少女は黙っている。

「で」

勝巳は意地悪く尋ねた。

「君はソイツのことが本当に好きなのかい?」

 ――ぱあん、という音がして、ああ、と勝巳はひりつく頬を押さえて思った。デリカシーの欠損には、やっぱりビンタか。

「そんなこと、関係ないじゃない!」

少女は叫ぶなり、部屋から飛び出して行ってしまった。

「伏木君、あなたは――」

園原まゆみや、他のメンバーの突き刺さるような視線を浴びて、彼はいたたまれなくなった。

「……本当に難しいですね、こういうことは」

いけしゃあしゃあと言った彼に、ついに心底怒ったのか、まるで烙印を押すかのように、園原まゆみは吐き捨てた。

「人間として最低じゃない」


 ――よりにもよって、そこで目が覚めた。

寝起きの気分は最悪だった。ひどい頭痛がした。寝返りをうったら、どすん、と下に落ちた。分厚い絨毯の手ごたえ。

「お早う」と聞きなれた声がする。

「……」

答える気もしなくて、彼はソファの上に戻って、寝そべった。

「おや、何か言ったらどうだい?」

「うるさい黙れ死ねババア」

「……そういえば、君は寝起きが最悪だったね」

まもなく、かんばしいコーヒーの香りに、勝巳はむくりと起き上がった。

彼の自室ではなかった。病室でもなかった。

社長室の見本のような、高級品に満たされて、つんと尖ったビジネス臭のする広い部屋だった。

彼は、何度か来たことがあった。

国際的な軍事産業会社WALHALL――この国では、民間警備保障などを主にやっている――の、支部社の頂の部屋。

そこの最高責任者が、彼の叔母ハヤテなのだった。

「どうしてここに――?」

彼はきちんと傷を手当されて、毛布をかけられていた。

「君の友達がだね、うちの支所に殴りこんでくれたのだよ。最高取締役を出せ、非常事態だ、とね」

彼女はくすくすと笑いながら、いい香りのするコーヒーが並々と注がれたカップを、彼に渡した。

「バカだ、特上のバカだ」勝巳は確信した。「この前、窓ガラスを割って、連行されたくせに」

「だが、彼はこうするしかなかったんだろう?」

きっと、彼女が直々に隆を尋問したのだろうと思った。

病院に勝巳を連れて行けば、通報されて、今度こそ退学処分を受けるというところまで白状させたのだ。

「まあ、奇縁とはいえ、彼は私と会ったことがあるからね。うちの顧客の窓ガラスを割ってくれた際に」

元は海外で、軍隊相手に商売をしていた人なのだ。一見、物腰は穏やかだが、敵に回すと本当に怖い。

「まあ、散々ボコってくれましたからね――」

「私の前で土下座されたのだが、あれには閉口した」

だが、と叔母は切れ長の目で、じっと勝巳を見すえた。

「君が私や現状を認識できず、ついに失神までしたほどの恐慌状態に陥っていたのだけは、あれだけは違うと言い張っていたのだよ」

「ハヤテさん」

勝巳は、コーヒーをすすりながら言った。

「どうしたんだい?」

「僕は、どれくらい頭のいい人間だと思いますか?」

「WALHALLの研究・開発部門には、君程度の人材なら溢れている」

だが、と続けた。

「君は他人の心理を把握するのが巧い。そのメソッドを意識的に流用すれば、特定の状況の分析や、その操作もできるようになるだろう。営業部門には、ぜひ入ってほしいところだ」

「……」

それにしても、美味しいコーヒーだ。叔母の性格がそのまま反映されているような、シャープな味と香り。ごめんなさい、と勝巳は呟いて、言った。

「――だが、私個人としては絶対に入れたくない。万が一、あんな目に遭ったら――」

「勝巳!」ハヤテは叫んだ。

いきなり彼女に両肩を掴まれたので、彼はコーヒーをこぼしてしまった。

「どうして私の考えている事が分かった!?」

「ハヤテさん」

だが彼の目は、今や中空をさ迷っていた。顔色は青ざめていき、唇をかみ締めて――わなわなと体を震わせると、

さい工業の第一工場が、もうすぐ爆発する――劇薬が工場の敷地内から流出して――また、何人も死んでしまう」

膝から崩れ落ちた。

「勝巳! いったい何を言いたいんだ――」

ハヤテは戸惑った。

「もうすぐです、間に合わない、まただ――」

勝巳はソファに倒れると、毛布に顔をうずめて動かなくなった。

「――」

ハヤテは、だが、すぐに秘書から、山奥の化学工場がなぜか爆発して、劇薬が川へ流れこみ、近隣の住民から次々と被害が出ている――その中には彼女の会社が警備をつとめている、ある事務所からの報告もあったのだ――と知らされた。

その対応に追われた後で、彼女が社長室へ帰ると、勝巳は窓の外を見つめていた。高層ビルの天辺からの夜景に見とれているのだろう、彼女が近づいても、反応が無かった。

「勝巳」とハヤテは呼びかけてみた。

「ああ、ハヤテさん」と甥っ子は振り返る。

「あれの説明してほしいのだが――」

「僕にも分からないんです。だから、憶測でしかないのですが――」

彼らは、お互い自身の正気を疑いながら、同時に言った。

「「未来予知」」

「多分。でも、どこか奇妙で」勝巳は物憂げにため息をついた。

「何でもいい。言ってごらん」

「……化学薬品の工場というのは、爆発や火災を、何よりも恐れて建てられた施設だと思うんです」

「薬物汚染など、ましてや――という事かな?」

「ええ」

「タンクローリーも、そういうものだと思うんですが……」

「人間というのは、何をしでかすか、常に想定外だよ。テロなど、まさにそれだ」

とんでもないものなのだ、と彼女は言った。

「今度の事も、設備に不具合があったのかもしれない。管理体制に不備があったのかもしれない。つまり、人災かもしれない。あるいは、自然災害――天災かもしれない」

とうとうと諭すように説くハヤテに、勝巳は何かの直感を得て、信じられないような推論を――自分でも正気を疑いつつ――作り上げた。

によって、引き起こされたとしたら?」

静かに、叔母は首を横に振り、厳しいが穏やかな目で、じっと彼を見つめた。

何かの権力を掌握している者の寛容さと、傲慢さが、この一室の空気のように、つんと彼の鼻を痛ませた。

「勝巳、もしそれが事実だとしてもね、私が頷くことはないだろう。そうでなければ、私達にも対処の仕様もあるからね」

「ハヤテさん」勝巳は、叔母が顔色を変えるだろうことを覚悟して言った。「を使わせてくれませんか」

「ダメだね、とても」

あっさりと彼女は断った。

「私が、の使用許可を、可愛い甥っ子に下すと思うかな?」

「ハナから思っていませんよ。でも――」

勝巳は意固地を装った。

「隆のヤツ、使用方法を僕にバラしたんですよ。その効果もね。アイツが耐えられたことなら、僕だって耐えてやる」

「珍しく強情だね」

「『人は死んだらゴミになる。だから死ぬ前に暴れてやれ』、隆の口癖ですよ。僕にだって暴れたい時があるんです」

ハヤテは、やや眉をひそめ、唇を引き締めてみせた。参ったと感じた時に、彼女はそういう表情をするのだった。

「……彼は君の悪友だな、本物の」

勝巳は、否とも是とも言わなかった。そして、

「いつならは空いていますか?」

「使いたがる人間は今のところ私以外に居ないから、いつでも空いているよ」

ハヤテはそう言うと、デスクに両手を置き、すっと窓側へ押しやった。重量感を放つそれは、意外にも軽やかにすべり、下にあった巨大な銀の揺りかごのような装置が浮上した。大きな揺りかごのようだったが、実は鋼鉄の処女アイアンメイデンと同じ、拷問機具のようなものだった。

「これが開け方だ。秘書に言えば、この部屋に君を通すようにしておく」

「叔母さん、ありがとう――」

勝巳はほっとしたように笑みを浮かべた。だがハヤテは苦笑して、

「叔母さんと呼ぶな。私は君の親戚の中でも、ろくでなしの部類に入る人間だ」

「……僕は好きなんですけどね、ハヤテさん」

「そうかい、感謝するよ」

物騒なものを囲みながら、二人は和やかな雰囲気だった。

と、扉がノックされて、秘書が入ってきた。

「失礼します、先ほどの化学工場爆発に併発する事務所汚染の件ですが――」

そこまで口にして、秘書はやや迷惑そうに勝巳を見た。

「あ、ハヤテさん、じゃあ、僕はこれで」

仕事の邪魔にならないよう、勝巳は軽く会釈してから退出した。

携帯が懐にあるのを引っ張り出し、着信履歴を確認する。一件だけ、糸辺隆がかけてきていた。ほんの少し前、ハヤテと彼が話していた時だ。

そして2度目にかかってきたのを、勝巳はやれやれと呟いて、取った。

『よう』

いつもの調子だったので、彼は切なくなって肩を落とした。ヤツはバカだと、しみじみ思った。だが、一々気にしていれば、友人というものは長くやっていられない。

じゃねえよバカ。お前は常習癖のように警察沙汰寸前の真似を起こしやがって、あ」

エレベーターが着いた。人が降りた気配を感じて、勝巳は体を廊下の隅に押し付けて隠し、社員らしいスーツ姿の男をやり過ごしてから、それに乗った。一階のボタンを押す。

『何だよ、いいじゃねえか、気にすんな』

「お前にとって生きるってのは、思う存分に暴れるってことだろう」

『いきなり何だ?ま、当たっているがよ』

「お前の所為だけど、お前のおかげでもあるからね」

『何か上手く行ったのか?』

「まぁね。死に近づけば、何か運命が分かるかもしれない」

『は?』

「いや、何でもない」

そうか、と隆はそれ以上詮索しなかった。

『ところでさ』

「うん、どうした?」

『あ――やっぱ、いいわ。後で話す』

後で話す?隆の性格上、そんな事は滅多に無いのだ。勝巳は変に思って、

「本当にどうしたんだ?お前らしくないぞ」

『うるせえ。じゃあな!』

強引に切られてしまい、もう一度かけ直しても切られたので、勝巳は首をかしげるしかなかった。

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