文芸部

汐月 燈那

第1話

人の声に賑やかさを加えた喧騒がうるさく耳朶を叩く。あたりには出店のいい匂いが散らばり、食欲をかきたてた。だが買うわけにはいかない。

ーーなぜなら今の私は、迷子なのだから。

「ううう、レイどこ……」

私ははぐれた親友の名前をつぶやいた。しかしその返事は返ってこない。私と同じくらいの年齢の集団を見つけ、必死に探すもレイは見つからなかった。

だがいよいよ涙ぐんできた私の手が誰かの温もりに包まれる。ふと顔を上げると、幼なじみの莉絵が私の手を握っていた。

「香穂ちゃん……!こっちこっち」

人混みを縫うようにして莉絵は私を引っ張る。それに安心感を抱きながらも、はぐれたレイのことを考えてしまう。

「香穂ちゃん!早くしなきゃ……レイちゃんが!」

そんな心配に莉絵は拍車をかけた。場違いな緊迫が二人を包む。そして、人混みを抜けた先には探していた人物の金髪がちらりと目に入る。

「レイ……!」

確かに、そこにいたのはレイだった。

だが、私と同じくらいの身長の男の子二人に囲まれ、怯えていた。なにやら声が聞こえたが、ただの会話じゃない、トゲを含んだ空気がゆらりと漂う。そして私は、レイのこれからを左右するような一言を聞いてしまった。


「ここは日本の祭りだからお前は出てけ!」



「カーホー、聞いてる?」

「う、うん。ごめん聞いてるよ」

「ほら直して、ここのスペル違うよ」

レイに教えられて慌てて直す。そういえば、レイに英語を教わっているところだった☆。やはり、その国の人の説明はわかりやすい。

レイことレイチェルは、私の幼なじみである莉絵の遠い親戚だ。かなり複雑なのだが、レイの曾祖母と莉絵の曾祖母が姉妹という関係になる。莉絵の曾祖母が日本人と結婚し、次第に日本の血となっていき莉絵に至る。つまり莉絵はクォーターの母の娘にあたるわけだ。レイは5歳の頃に日本へ渡り、それ以来すっかり日本文化の虜になってしまい、中身は日本人と遜色ない。正直、今の私よりも詳しいだろう。

だが、そんなレイに私は少し不安を抱いている。

「ねぇレイ。今度の花火大会一緒に行かない?」

「あっ、あー、ごめんね」

レイは申し訳なさそうに言葉を濁す。その理由すら告げないのはレイが嘘をつけない性分だからだろうか。

レイは小さい頃から日本文化に携わりたいと息巻いていた。だがこのように、レイは、ほとんど祭りに参加しないのだ。

原因はわかっている。つい先ほどまで追憶に浸った過去の出来事だ。

「こら、話を変えないの。次の問題やって」

「ちぇ、はーい」

自分の負い目を包み隠すように話題を変えるレイ。そして私は渋々と問題に取り組む。簡単な問題だったようで、パパッと答えを浮かべて、ノートに書いた。先ほどよりも曇ったレイの影に気づかないふりをしながら。



「もしもしー?莉絵、ちょーっと相談があるんだけど……」

その夜、私は電話をかけた。もちろん、レイのことについてだ。この手の話はレイの家族であり私の友達という都合の良い位置にいる莉絵に頼むのが一番だろう。

「ん、あちょっと待ってね。場所変える」

莉絵も何かを察したのか、電話の向こうからごそごそと移動する音が聞こえた。

「うん、そろそろ来る頃だと思ってたよ。レイ、今日結構沈んでたから」

「さすがだね。今どんな感じ?」

「さっき夕飯終わったところ。多分音からしてレイも部屋に戻ったんじゃないかな」

「なら大丈夫かな?本題入ろっか」

そう私は前置きして、一つ息を吸う。

「私がやりたいことはわかってるよね?」

私たちの関係を信じて、敢えてぼかした聴き方をした。だが杞憂に終わったようで、もちろんと強い返事が返ってきた。

「レイ自身は話さないけど、やっぱりあの日のことを気にしてるみたい。祭りは日本人だけのものだっていう偏見が定着しちゃった気がする」

「そっか……。私は何としてでもレイと莉絵とで夏祭り行きたいな」

語気を強くして、自分の感情に揺るぎがないことを信じる。たかが夏祭りかもしれない、だが私たちにとってはずっと行きたくて行けなかったものでもあるのだ。

それを汲み取ったのか、莉絵が一つ大きく息を吸う。

「なんとしても……なんだよね?」

まるで『ファイナルアンサー?』とでも言われたかのような重圧のある声で莉絵は問う。それに一瞬たじろぐも「うん」としっかりと返した。

「わかった。ならさ……」

「………」

「レイを拉致ろう」

「……は?」

あまりにも荒唐無稽な提案に、思わず間の抜けた声を上げた。

「いやさ、きっとレイは誤解してるんだって。一回慣れれば祭りも楽しめるよ!もう誰も馬鹿にする奴はいないしさ!」

私はなんの根拠もないが、それについては一理あると納得してしまった。子供の頃の嫌な思い出というのは大きくなっても理論なんかで制御できるものではないのだ。それには一度自身で体験してみないことには慣れるというのは不可能だろう。

「でもさ、どうやってその……拉致るのよ。一度断られちゃったし、嫌がるよ?」

「ま、まぁそれは任せなさい。なんとかして見せるから。香穂は心配しなくていいよ」

やけにおどおどとした任せなさいに逆に心配になった。だが、ここは私なんかよりもレイを知っている莉絵の言葉を信じる他にない。

そのあと、いろいろと祭りのことを話して私たちは電話を切った。私は自分のベッドに倒れ伏す。そして魂を抜くように大きく息を吐いた。

楽しみじゃない、と言ったら嘘になるだろう。現に今私の頭には笑いあうレイや莉絵たちの姿が浮かんでいた。

だがそこまで行くのには一筋縄じゃいかないことも理解しているつもりだ。

親友の一つの問題を解決したい。なぜやるの?と聞かれればそう答えるだろう。だが、あの時レイと離れた自分。その後に何も言ってやれなかった自分の負い目を少しでも隠したい気持ちがあると気づいた時には、激しい自己嫌悪に襲われたものだ。

次こそ逃げない。

私はその思いを忘れないように拳をぎゅっと握った。


わぁっーしょい!わぁっーしょい!うぉぉぉぁぁぁぁぁぁ……

莉絵から「説得したよ!」と連絡が来てはや二週間。そして今日は待ちに待った夏祭りだ。

血気盛んな祭り男たちが吠える中、きらびやかな着物や談笑であたりが包まれる。

日はすっかり落ちるも、今は出店と出店の間くらいしか闇を見つけることができない。

そんな中を私、莉絵。そして深く帽子をかぶり、自慢の金髪も隠したレイが歩く。

「何買うー?焼きそばとか?」

「食べ物がいいね。レイはどう?」

「…………」

普段から活発な元気少女のはずのレイが、今日に至っては口を閉ざして喋ろうとしない。当然といえば当然だが、いかんせんやりづらい。

先ほどから人目を気にした犯罪者のようにキョロキョロとあたりを警戒している。

なぜ、こんな状態のままで祭りに参加しようと思ったのか。そして、どうやって莉絵はレイを説得したのか。

それは、莉絵がレイにしつこく付きまとった以外に他ならない。説得と言っても、なんら難しいことはしていなかった。ただ、LINEで「祭り行こ」を何百と打ち、レイが寝てる間に部屋に忍び込み、祭りを匂わせるいたずらを仕掛けて仕掛けた結果、レイが鬱になる前に折れただけなのだ。

莉絵がそういう性格なのは知っているが、まさかここまで直球勝負に出るとは思わなかった。それを聞いた時は呆れを通り越して感心すら覚えた。

だが、やはり今のレイを見ると間違ったことをしてしまったのではないかと不安になる。どんな理由をつけようとも私たちのエゴに変わりはないのだ。

前に莉絵は一緒に行くことを拉致すると表現したが、脅迫に近いやり方で連れてきている今の状態にぴったりかもしれない。

どうにかならないかな、と不安を抱きながらも私たちは人ごみを縫うようにして歩く。

すると、レイの様子が少しおかしいことに気付く。

「レイ……大丈夫?」

「うん……ちょっと人に酔った感じがする……」

レイは額に手を当て、力なくつぶやいた。私と莉絵は一度目を合わせると、近くのベンチに三人で腰を下ろした。

まだ歩いて十分程度なのだが、レイはそういった人ごみに弱いようだ。

「じゃあ私は何か買ってくる。香穂とレイはそこで休んでてよ」

「あっ、じゃあ私も……」

と席を立とうとするが、レイを一人にするわけにはいかないと思い直し、黙って莉絵を見送った。

「ごめんね……私のせいで……」

レイは申し訳なさそうに頭を下げる。私はそんなレイの頭を帽子越しにそっと撫でた。

「気にしないで。もともとは私のワガママだし、レイは変な気を使わなくていいからね」

「でも……」

なおも口ごもるレイに、私はデコピンをくらわせてやった。いたっ、とレイは呻く。

「いつまでもうじうじしないの。慣れないとはいえ、楽しまなきゃ損だよ?」

私は気丈に振舞って、にかっと笑って見せた。それに引っ張られるように、レイもやっと笑顔を見せた。少しは緊張が緩んだようだ。

すると、買い出しに行っていた莉絵が帰ってきたようだ。

彼女の両手に握られていたのは、三つのピンクの塊。そう、祭りの定番の一つであるわたあめだ。

「はい、レイ食べるの初めてでしょ?」

レイはこくこくと頷いたあと、差し出されたわたあめをじっと見つめた。今までの食べ物と異なった形をするそれに、目をキラキラとさせた。

わたあめなんかは、正直祭り以外で食べる機会は少ない。それを慮った莉絵のチョイスに、私は花マルをあげたい気分になった。

「どう?おいしい?」

砂糖を口周りに付けた莉絵が、また同じく口を汚くさせたレイに聞く。レイは食べるのに夢中なのか、数回頷くだけで返事をするだけの余裕がなさそうだ。気づけばレイのわたあめは棒を残すだけになった。私はほとんど口をつけていない自分のわたあめを見て、焦りながら口にした。

食べ終わると、レイの気分も良くなったようで、私たちは再び波の中に身を投じた。だが、道中何かを買うわけでもなく、この祭りの雰囲気だけを楽しむように流れ歩いた。

よかった、レイも少しは慣れたみたい。依然として服装は変わらないが、笑顔を見せるようになった。そんな姿に私と莉絵も思わず顔がほころぶ。


だがそんな時に顔を合わせたのは、一番会いたくないヤツだった。

「あ……」

気づいた時にはすでに遅く、ヤツとレイはお互いのことを認識してしまった。レイは目を見開き、今すぐにでも逃げ出したいと叫んでいるようだ。

(ここは日本の祭りだからお前は出てけ!)

もう何年も前のセリフが、まるで今聞こえたような臨場感で蘇る。そう、ヤツはそれをレイに叫んだ馬鹿野郎だったのだ。

早くここから立ち去ろう、そう思ってレイの手を強く握る……はずだった。気づけば私の隣にいるはずのレイが綺麗さっぱり消えているではないか。

驚いて後ろを向くと、すでに駆け出したレイが視界から消えるのを見た。私はヤツを一度睨みつけてから、その方向へと足を走らせた。



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文芸部 汐月 燈那 @shiotuki

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