第3話 ぼうけんのしょ 前編
「ごめん! お待たせ!」
雑多に人が行き交う駅前で、白い息を弾ませて長谷川さんがやってきた。自然と人の視線が集まるのが分かる。
足下まである、夜に紛れるような黒いコートに、真紅のマフラー。そんな簡単な出で立ちの長谷川さんは、たったそれだけのはずなのに、何だか夏祭りの夜に浮かんだ提灯みたいに存在感があって、凄く大人っぽかった。なのに、ほっぺたと鼻を赤くして、どこか少女のようにも見えてしまう。そのちぐはぐさが、不思議と魅力的な気もする。きっと、会社から走ってきたんだろう。
逆に私は、高校時代に学校指定で買った紺色のピーコートを未だに使っていて、見るからにダサい。隣に並ばれると、ちょっと恥ずかしい気もするけど、「この人に好かれる為に生きている訳でもない」とすぐに思い直し、どうでもよくなる。
「そのピーコート、可愛いね」
「え?」
虚を突かれる。鳩が豆鉄砲食らった、みたいな顔をしているのが自分でも分かる。
「シンプル?っていうか、素材良さそうっていうか、ちゃんとしてて、暖かそうだし、えぐっちゃんに似合ってるよ。可愛い」
「あう・・・」
頬が熱い。みるみる紅潮していくのが自分でも分かる。
いやいやいやいや待て待て。
所詮私は学校指定がこの歳でもお似合いな地味女ってことだ。きっとそうだ。彼女の意見なんて、どうでも・・・うん、いいはず・・・。なんだか首がやけに熱くて、シャツのボタンをひとつ開ける。
「あはは、やっぱり、えぐっちゃんって素直な感じがしていいね! 新鮮!」
綻んだ彼女の表情に、イルミネーションのカラフルな光が反射する。・・・綺麗だなぁ。
は。
イカンイカン。また彼女の術中(?)にハマるところだった。
「・・・そういうのいいから」
ちゃんと声にした筈なのに、思わず尻すぼみな声になってしまう。聞こえなかったのか、長谷川さんも、口元に微笑を浮かべたまま、?という顔をしている。ちょっとデジャヴ。
「えっと! お店、なんだけど」
羞恥心を隠す為に、話題を変える。
「あ、うん! どこにしたのー?」
手に握っていたスマホを、彼女の顔の前に持っていく。
「ここで、どうかな・・・」
示したお店は、出来合いではなく、手焼きのハンバーグを提供するレストランだ。メニューを見る限り、ただガッツリという訳ではなく、洒落た料理もあり、女性でも入りやすそうだ。席も半個室のようになっているから、知らない人に囲まれるのが苦手な私でも大丈夫、なはず。加えて、ワインが豊富らしいから、長谷川さんがお酒が好きな人でも大丈夫だ。
詰まるところ、五十件から一生懸命選んだだけあって、それなりの自信があった。
しかし、所詮私程度の感性は長谷川さんの洗練されたそれとは別物だ。
・・・判定や如何に。
「ほうほう、手焼きハンバーグ、ワインが豊富・・・へ~良さ気な感じ・・・」
どうやらお気に召して頂けたらしい。こわばっていた首筋が弛緩して、心なしか呼吸がしやすくなる。
「・・・じゃあ、ここでいいかな?」
「うん! 良いところを選んでくれて、ありがとう!」
線香花火が散ったような笑顔が夜に弾けて、皮膚の表面がざわつく。
「ど、どういたしまして・・・」
ありがとう……面と向かって誰かにそう言われたのは、随分久しぶりな気がする。……営業失格だな、わたし。冬なのに、真夏の熱帯夜みたいに暑い。口元がもにょもにょする。
二人で歩き出す。お店まではすぐだ。駅前から徒歩3分。小うるさい人混みの間を縫って、様々な飲食店が立ち並ぶアーケードに入っていく。
「ところで、えぐっちゃんは、いつもお昼ご飯とかはどうしてるの?」
う。
いきなり落としてくるなぁ・・・。ご飯繋がり? だとしても、ぼっちには辛い質問である。その辺察してくれないのか、この人は。
「・・・外回りの最中、車内で食べたりしてる」
「何食べるの? コンビニごはん?」
この話、広げるのか・・・。しかも微妙にエグいし。それを聞いて私が答えても、空気が良くなる訳がない。正直、あんまり話したくない。適当に返事して切り上げよう。
「そんな感じだよ」
なるべく柔らかいトーンになるよう努めたつもりが、空気を震わせたその音はなんだか張りつめられて鋭くて、相手を非難するみたいな響きを持っていた。返事は勿論ない。
そうして暫く、無言の時間が続いた。
雑踏がやけに耳の奥にへばりつく。酔っぱらいの笑い声が鬱陶しい。
・・・ホラ、こうなるでしょ? だから、こういう話はしないで欲しいんだってば。どうせ、引かれるに決まっているのだから。
っふ・・・。
苦々しい顔で、ちょっとだけ自嘲して、それからチラっと長谷川さんの方を見た。
見たら・・・。
長谷川さんはドヤ顔しながらこっちを見ていた。心なしか顎をしゃくれさせている。私が見ていない間もやっていたのか、その鋭角はプルプルしている。・・・イ○キ?
「ッフ、勝った」
「え、な、なにが?」
純粋に何を言っているのかが分からなかった。何を言いたいのかも。
「実は私もね、いつも一人車内で食べているのだよ」
「え」
思わず、足が止まって、長谷川さんの顔をまじまじと見つめてしまう。
「・・・長谷川さんが?」
「ふふ、そんなに意外かな?」
長谷川さんが、その太眉を垂らして、精緻な顔つきを崩す。だって、貴女は六本木でカフェでランチでフレンチで・・・。
「しかも、お母さんが握ってくれたおにぎりを、サランラップをはがしながら食べる!」
そこに存在しないおにぎりを両手で掴んで、もぐ!とやる長谷川さん。
瞬間、不可抗力にもその姿を想像してしまう。
私たちが営業の外回りの為に乗る軽自動車の運転席は、身長が低い私でもちょっと窮屈だ。なのに、そこに長身の長谷川さんがむぎゅっと押し込まれている。仕方なく体を縮める長谷川さん。しかしそんな苦しみは当に頭にないという様子で一生懸命、母の愛が詰まったおにぎりのサランラップを剥がす。お腹が空いて、もはや我慢できない! そのまま、おにぎりにかぶりつく。お米を両頬いっぱいいっぱいに頬張って、むほーと幸せそうな顔をする。
その姿はなんというか、大きい体を狭い小屋の中に押し込んで、一生懸命ひまわりの種を口に詰め込むゴールデンハムスターのようだった。つまるところ、非常に可愛らしく、それと同時に、形容しがたい滑稽さがあった。
ブホオ!
だからこそ、こうやって吹き出してしまったのは、不可抗力だと思う。長谷川さんのせいだ。
「あー! 笑ったー! えぐっちゃん、失礼だなー! 私の母への愛を侮辱するのかー!」
眉根を寄せ、わざとらしく胸を張って、長谷川さんは怒ったようなそぶりをする。
「いや・・・ゴホッ・・・だって、何か凄く、意外で・・・ッブフ」
笑ったことで、背筋と腹筋の緊張が抜けて、自然と視線が降りていく。
・・・と。
今までは何となく、その迫力から顔ばかりに目がいって気づかなかったが、長谷川さんの胸、乳、おっぱい。・・・いや、本来それがあるバストと呼ばれる場所。しかし、残念ながらその場所は、潔い程に平坦であった。
がしっ。
え?
胸に、両手。私の胸に、長谷川さんの両手。って、ええええ貴方それは流石に色々とマズイ。
「・・・今『胸ないなコイツ』って思ったでしょ」
「ちょっと、長谷川さん……」
「ほほぉー……着やせするタイプってやつですかぁ……随分立派なものをお持ちのようでぇ……」
ぐにぐにと揉みながら、そのまま長谷川さんが私の胸を握る力を強める。え、えぇー……ちょっとちょっとちょっと。動揺して思わず顔を上げると、長谷川さんの目は軽く血走っていた。
「・・・さっき『胸ないなコイツ』って思ったでしょ」
また、同じ質問である。両手はそのままギリギリと、万力のように乳を締め上げる。あ、まずいこれガチなやつだ・・・。
「お、おもってないよ?」
「ほんとに?」
ぎりぎり。い、いたいよぅ。割と本気で。
「ぜ、全然思ってないよ! うんうん!」
痛みから逃れようと猛然と首を振る。
「ふーん」
疑わしそうに胸をぐねぐねしながらも、その返答に一応満足してくれたのか、手の力が抜けて、目を逸らしてくれた。途端、その口からマシンガンの様な早口が飛び出す。
「そう、ならいいのだよ。ただちょっと、中学時代初めて付き合った彼氏とこれまた初めてした水着デートの時の微妙そうな顔に非常によく似た顔面構成をさっきのえぐっちゃんがしていたからさ。そして奴はあの後はっきりした理由も言わず私を振りやがって本当もうあの時落ち込んだ自分をタイムスリップして引っ叩きたいっていうかいや奴も磔にしてアバタケダブラしてやりたいっていうか」
「そ、そうなんだ・・・大変だったね」
早口でよく聞こえなかったから雑なコメントしかできなかったけど、長谷川さんはその手をようやく離してくれた。胸が痛い(物理)。
彼女の血走った両目はその血の気を治めたが、今度は逆に瞳孔が開ききって、遠すぎるどこかを見つめていた。
「ふふ、なんてことないよ・・・男という生物に何かを期待した私が若かったのだよ・・・はははは」
完全に目が死んでいた。
突然の暴挙に驚いたけど、こんな完璧超人みたいな長谷川さんでも、気にするようなコンプレックスを抱えているらしい。なんか不思議だ。
先程から、閉ざされたダムがほんのちょっと決壊して、水がチョロチョロと出始めているのを感じていた。そのが小さな流れは、目の前のこの人に向かって流れていく。彼女はただの美しいマネキンではない。私と同じで、殴ったら血が出るし、人の言葉で傷つく生身の人間だ。そう思うと、メンドクサイとか、胸がナイとか、何だか色々失礼な考えを持ったことが申し訳なくなってくる。
「あの…なんか色々、笑っちゃって、ごめんね」
軽く頭を下げる。長谷川さんが目の色を取り戻して、慌てて両手を振る。
「あ、いやいや! あ、あー。何かこっちこそ取り乱しちゃって、ごめんね。いや本当に」
深々と頭を下げる。一応反省しているらしい。
「いやまあ、おにぎりネタがあそこまで笑われるのは、流石に予想外だったけど・・・」
頭を上げながら、長谷川さんが、はにかんで頬をかく。
「でもね、やっと笑ってくれて、良かったよ」
そうして彼女は、穏やかな笑みを浮かべた。この人は色んな笑顔を持っているんだなぁ。頭のどこかがそんなことをぼーっと考えながら、その柔和な表情が、子供の頃に少しだけ通った日曜教会の聖母マリア様みたいで、ちょっとびっくりする。
「って、え、笑う・・・?」
「うん。えぐっちゃん、会社で話しかけた時からずっとカッチコッチの表情してたから。あーこりゃ警戒されてるなーって」
「あ、ああー・・・」
そりゃ、この営業部に配属が決まって、最初の挨拶周りでちょっとだけ話しただけの人(それも私は、挨拶した後、終始「はい」しか言わず、後は長谷川さんが喋ってただけ)、そんな関係の人から、突然二人きりで飲みたいなんて言われて、驚かない人間の方が少ないと思う。それに加えて、長谷川さんはリア充だし・・・あと私の性格とか・・・。とにかく、警戒しないはずがない。
「ま、ひとまず今夜は、最初にそれをほぐさなきゃなー、さて、どうしようかなーって思ってて。で、この話題は良いと思った訳ですよ」
ぬ。
もはや、最初から私は彼女の手の上にあったということなのか。ナンバーワン営業マンの手腕に、舌を巻くばかりである。いやあ、恐ろしい。
「あ、また警戒しようとしてる」
びくり。
また見抜かれた。
「ふふふ。私、ドクシン術には自信があるからね。唇の方ではなく、心の方ね。結構読めるよ、ガチで」
と、長谷川さんは口元に右手を添えて、不適な笑みを作る。手首の金時計が怪しく光った。
確かにさっきは驚いたが、人の心が読める術などがこの世に存在するのだろうか。とはいえ、さっきも当てられたし。でも、そんな、
「そんなことが出来るはずないって思ってるでしょ」
「え、えええ・・・」
私の方を指さしながら、またしても彼女は自慢げに私の心情を言い当てる。このひと、凄い・・・かもしれない。
「・・・いやまぁ、実際には何も凄いことなんてしてないんだけどさ」
トンっ・・・と軽く私の背中を押しながら、彼女は私の前を歩き出す。そうしてようやく、雑踏の中で随分足を止めていたことに気が付いた。
「ただ、仲の良い人にこれが得意な子がいてね。その人曰く、観察と推測だって。そのやり方を何年も見ている内に、私もちょっとだけ出来るようになってきたんだ」
私の方を振り向かず、表情が分からないまま長谷川さんは先を行く。その声は無理に押し殺したように平坦で、気軽には踏み込めない。彼女の背中が、さっきよりも遠く見えた気がした。
「ま、えぐっちゃんが特別分かりやすいだけってのもあるけどねぇ・・・?」
だけど焦げ茶色の革鞄を後ろ手に持ったまま、両足を交差させて振り向いた彼女は、意地悪そうにニヤニヤしていた。
「なんか、ちょっとムカつく・・・かも」
「うはは、ごめんごめん」
悪びれなく、彼女はまた屈託ない笑みをこぼす。うん、さっきまでのはせがわさんだ。ちょっとほっとする。こんな風にトゲなく他人に踏み込める長谷川さんは、素直に凄いと思える。
やはりギャップ理論半端ないな。普段キビキビしてるからこそ、こうして柔らかく対応して貰えると、何だか自分だけが受け入れられているかのような錯覚に陥る。そう、例えば、このスマイルになら、お金を払えるかもしれない、的な・・・。
って、あれ? これキャバクラに行くオッサンと同じ気持ちなのでは・・・。
「やっぱりちょっと憂鬱かもしれない…」
「え? なんか言った?」
「……何でもないです」
凸凹の頭が二つ並んで、今宵、未知の冒険が始まる。
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