第2話 おうちかえりたい

 21時3分。

 そろそろ良いだろう、と鞄を持って席を立つ。

 「お先に失礼します」

 頭を下げて、歩み出す。

 ちらっと、長谷川さんの方を見ると、両目を瞑り、両手を合わせて「ごめん」というポーズを取っていた。

 ? ドタキャンという意味だろうか。

 私の不可解染みた表情を読み取ったのか、ちょっと苦笑しながらも、長谷川さんが立ち上がった。

 両隣の人達が長谷川さんに何か話しかける。帰るの?とかそんな感じだろう。

 首と手を器用に振りながら、長谷川さんがそれに応える。

 何かする度に、周囲が反応してくれる。それは他者と常に安定して繋がり続けている証拠なのだろうか。

 「ごめんごめん。ちょっと分かりづらかったよね」

 長谷川さんが、早歩きでこちらに来ながら言う。長谷川さんは175センチくらいあるけど、私は145センチくらいしかないチビだ。30センチ差。だから自然、見上げる形になってしまう。それを察してか、心なしか長谷川さんは腰を屈める。だからさっきも、席の横でしゃがんでいてくれたのかもしれない。

 「あのね、ほんのちょっとだけ残業あるから、待たせることになっちゃうかも……ごめんね」

 だけど、そうして少し屈んで謝られると、私がお姉さんに遊んで貰えなかった子供みたいで、何かちょっといやだ。

 「……了解」

 本当にごめんね!と小さく頭を下げながら、長谷川さんはまた早歩きで、自席の方に戻っていく。

 と思ったら、また早歩きで戻ってきた。

 何と言うか、長谷川さんは動きの量が多い。何気ないしぐさや、顔の動きも含めて。私の10倍くらいは動いている気がする。

 「忘れてた。LINEのID聞いて良い? 終わったら連絡するから!」

 長谷川さんが慣れた手つきでポケットからケータイを取り出す。

 「あ、うん。えっと……。あれ、IDなんだっけ……」

 人に教える機会なんて滅多にないから、すぐに思い浮かばない。ポケットにケータイはない。昼休みに鞄に放り込んだことを思い出す。友達いないんだろうな、いちいちそう思われるのも嫌で、急いで鞄の中からケータイを探す。

 ……えーっと。

 ガサゴソしているこの間が何だか妙に恥ずかしい。私はトロいです、と間接的に主張しているような。

 長谷川さんは顔に曖昧な笑顔を張り付けたまま、待っている。

 別にいつもこうな訳じゃない、と言い訳染みたものを述べたくなる。何だか情けない。あ、あった。

 「ごめん。LINEだよね。」

 アプリを起動し、自分のIDを確認。長谷川さんに告げる。長谷川さんは、長くて綺麗に磨かれた爪をサカサカと動かす。めっちゃ速い。カツカツ叩かれるそのスマホには、ちょっと太った猫のストラップがついていた。お腹の辺りがぷよぷよな感じで、何だかとても柔らかそうだ。

 「オッケー追加した! ありがとう!」

 そう言うと、長谷川さんは今度こそ、いつも通りのはっきりした笑顔で礼を言いながら、また足早に席の方に戻って行った。

 長谷川さんのLINEのアイコンは、集団で飲んでいる写真だった。画像は小さくて、どれが長谷川さんかさえも分からない。ただ、彼女と自分の社会性の差に胃がチクチクする。私には、そんな風に設定出来る写真さえない。

 踵を返し、出口に向かう。営業部のフロアは3Fだ。ここからエレベーターを降りて、ビルを出る。扉を開けて廊下に出て、エレベーターの↓ボタンを押して、待つ。

 暫しの静寂。

 私はこのシンとした時間が好きだ。エレベーターはちゃんと迎えに来てくれる。それまで、何も考えなくていい。ただ、この静けさに、身を任せれば・・・。

 「「「「「ハハハハハハハ」」」」」

 「やーおかしー!」

 「なんだよそれー!」

 が、すぐに扉の向こうから、何人かの大きな笑い声が聞こえてきて、束の間の静寂は破られる。

 そこに長谷川さんの声も混じっていることを瞬時に知覚して、小さな不安が胸を刺す。


 私が、笑われているのではないか?


 アイツ、見事にひっかかったなー(笑) この誘い自体罠なのに、外で一生懸命待っちゃって、一向に長谷川からのLINEなんか無いから、そのうち痺れを切らして「どうしたの?」って送ってきて。でも、返事なんか無くて、営業のフロアに戻って確認すれば、もう長谷川は居ない。そうして、俺達みんなでニヤニヤしながら「あれ? 江口さんどうしたの?」って訊いてやるんだ。

 そうだね。そうして私は、「やられた」と思いながら、希望なんてそうそう持つもんじゃない、とまた強く心に刻み付けるんだ。

 ふぅ……。

 いや……分かってはいる。こんなこと、自意識過剰な被害妄想だ。

 それでも、だとしても。

 中学の時に嵌められて以来、誰かとの約束の時間が守られないその瞬間に、もしかすると、という暗雲が心の中にモクモクと広がっていくようになってしまった。社会人になってまで、そんなことをする人はいない。大丈夫、問題ない。

 長谷川さんはあくまで、仕事で他の人と話さなくてはならない中で、笑っているだけだろう。業務を早く終わらせる為に、円滑なコミュニケーションを取っている、の、だろう。

 とは言え、こうして他人を待たせることに一種の悪びれを余り感じていなさそうなところに、やはり別種の人間なんだな、とつい思ってしまう。

 そう感じてしまう私は、性格悪いだろうか。でもやっぱりモヤモヤする。

 チーン。

 そんな私の心中とは裏腹に、小気味の良い音が廊下に響いて、エレベーターが到着した。存在を悟られないよう音も無く乗り込んで、そっと扉を閉める。

 また、ドッと笑い声が起こった。またモヤ。鞄の肩紐をぎゅっと握る。手の中は汗ばんでいた。

 だけど、その雑音は下に降りていくと共に静かに消えていって、思わず止まっていた息を吐き出す。

 エレベーターを降りて、大理石と間接照明で荘厳さを醸し出した1Fロビーを歩いていると、今度こそポケットに在中していたスマホが震えた。

 取り出して通知を見る。長谷川さんだ。ちょっとほっとした自分が憎い。

 Chisato Hasegawa「ごめん! 後10分くらいで行けるから!」

 また、振動。

 Chisato Hasegawa「後、私から誘っといて申し訳ないんだけど、えぐっちゃんセンスのお店行ってみたいかも、なんて」

 Chisato Hasegawa「ダメかな?」

 そして、ちょっと丸っこいアヒルみたいなキャラクターが汗を散らして一生懸命土下座のアニメーションをするスタンプが送られて来る。

 また、訊き方がズルい。こういう言い方が出来る様になる本とか売ってるのかな? 

 貴方が誘ったんだから、貴方が決めて。

 本当ならそう言いたいけど、あらかじめ私から誘っておいて申し訳ないんだけど、とか言われると、やっぱり強く言えない。

いや、どの道言えないんだけど。

 えぐち「わかった」

 送信。

 いや、でもなぁ……。えぐっちゃんセンスとか言われても、そもそも極端に友達が少ない、というか、ほぼ皆無の私が飲み屋を知っている筈もない。チェーンの居酒屋ではダメだろうか。ど○ど○とか。しかしまた、六本木の屋外カフェで友達と談笑している長谷川さんが思い浮かぶ。ダメだろうなぁ……。

 うーん。とりあえず、検索してみるか。

 グーグル先生に、「駅名」「飲み」というキーワードを入れる。あ、やっぱり沢山出てきた。食べログに飛んでも、50件くらいある。うわぁ……。

 中華、イタリアン、日本料理、エスニック。個室、半個室。価格帯。沢山の判断基準が入り乱れて、目が回りそうになる。

 うーーー。本当、なんだよ、えぐっちゃんセンスって。今更恨みがましくなってきた。

 そこでようやく気付く。これはあれだ。多分、こういう風に言うことで、相手に気持ち良く仕事を押し付けるテクニックだ。

 いやあ敵ながら天晴……。いや、敵じゃないか。でも、どの道、ヤだなぁ……。やっぱりそういう本、売ってるのかなあ。

 すると、後ろから知らない人たちが笑いながらやってきて、ロビーの真ん中で突っ立っている私に一瞬驚いて、気味悪そうに出て行った。

 ……少し冷静になろう。こんなところで悶々としているのも可笑しい。とりあえず、外に出て、駅前の方に歩きながら、このリストの中から選ぼう。

 しかし、ハァ……。仮に、50件の中から私がお店を選んで、それを長谷川さんが気に入ったとしても、その後長谷川さんと対面して喋り続けなければいけないタスクが生じることは、動かしようのない事実だ。

 一体どれくらい? 話したい、と言われたからには、横に並んで丼かきこんでさぁ帰ろうって訳にはいかないのだろう。一体何の話をすれば場が持つのか。想像も出来ない。

 私は自分語りに面白さは覚えない。というか他人に語れる程前向きな、用意された自分なんてものがない。長谷川さんにも正直、そこまで興味がない。これを話したい、というようなネタも勿論ない。ないない尽くしの私たちの間に、何か共通点があるのだろうか? 地球人? 日本人?

 ニホン、イイクニダネー。

 何故片言。 

「はははーはははー…ぁー」

 肩が落ちる。

……何だか急激に面倒臭くなってきた。

 投げ出したい。

 投げ出して、帰りたい。帰って、画面の前に座りたい。

いつも見ているアニメやゲームのキャラクターたちが、異様なまでに温かく、輝いて思えてきた。天使の姿をした六つ子達が、私を光降り注ぐ空に導くところまで想像して、現実に戻る。何だかやけに喉が渇いていた。

 やっぱり私にはこういうのは向いていないらしい。

 他者と仲良く生きようとすることは、酷く不自由だ。仲良くなんてならなくて良い。共存さえしていればいいじゃないか。ただ隣で穏やかに息をしているだけなのに、どうして私に構うのだ。吸って吐いて、いつか止まって。それだけじゃないか。それでいいじゃないか。命あるものの最低限の有様、それさえ許容してくれない人の波が、社会という塊が、ダイバーシティなんて言葉を声高に主張する。まるで矛盾の箱型だ。人が泳ぐためにあるのに、ずっと蓋が被さったままのプールの中みたい。そこは暗くて冷たくて、動こうとすれば相応の抵抗があって、疲れて息継ぎしようとすれば、蓋が邪魔をする。その只中で私が望むことなんて、一つしかない。


 私は、自由になりたい。

 本日何度目かの溜息を吐いて、歩き出す。

 コツコツ、コ・・・。


 「・・・・・・・・・・・・・・・」


 自動ドアが反応しない。

 ぶん、ぶん。

 手を大きく振ってみる。効果ナシ。 

 ・・・機械くらい、私をまともに認識してくれても良いじゃないか。

 また溜め息が漏れる。

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