ハバナギラ

 砂漠の日照りが、そのまま石造りの道路や建築物に照り返す町でのことだ。昼下がりだというのにあたりは閑散とし、商店も軒並み閉まっている。しかし確実に、人の生活が根付いた気配が充満しているのだ。真っ青な空にあざやかな洗濯物がはためき、窓辺には花があり、野良猫の毛並みはつやつやだ。


 わずかな日陰を見つけ「とりあえず弾いてれば音に誘われて人が出てくるかもしれない」とやけっぱちなことを言いながら、一曲弾き終えた時だ。


「まあ、かわいらしいお嬢さん。素敵な音楽をありがとう」

 なんだその三文芝居じみた台詞は。石畳のくぼみから視線を持ち上げると、花嫁衣裳に身を包んだ女が立っていた。こんがり日焼けした肌と、マーメイドラインの真っ白なドレスが、燦然と光を浴びている。


 花嫁に続き、似たような肌の色をした花婿とつるっパゲの司祭、そして大勢の参列者がぞろぞろと現れた。曰く、祝い事はとにかく大勢でやるのがこの地域の伝統らしい。

 式と宴は夕刻からはじまるが、それを人々に知らせるために新郎新婦は町を練り歩かねばならない。町民の大多数は、ふたりの姿を見たらば仕事や家事をほっぽりだし、そのパレードに加わるのだという。


「よかったら旅人さんたちもいらして下さらない? 夜通し音楽を鳴らして歌って踊って飲んで食べて騒ぐの。宿のご主人も今日はもう仕事しないって言ってたから野宿になっちゃうわ、断然参加するべきよ!」

 花嫁の提案に一同が湧き、太陽光の中に喜びが轟く。祝福の塊がすさまじい力でもって、俺たちを圧倒していた。やっぱり、もちろん、案の定というか……二つ返事で輪に加わろうとするあいつを、干乾びた俺の手が制する。


「お前はいいよ、好きなだけ酔っぱらってくれ。俺は御覧のとおりこんな身だし、立ち入るのは教会もいい気がしないだろ。祝いの席に縁起が悪い」

 例にもれず、司祭が苦虫を噛みつぶしたような顔で俺を見ねめつけているので、面倒なことになる前に分別のある骸骨アピールをしたつもりだった。が、その場が静まり返ってしまい、気まずいかんじになる。俺が空気読めないやつになってるんだけど。


「もし、お若い方々。ちょっとよろしいかな」

 人垣の奥から、しわがれた老人の声がした。すると人々はサッと道を開き、誰もがいっせいに跪く。その花道(?)を、背中を丸めたよぼよぼの爺さんが杖を突きながら頼りなげにこちらへ向かってきた。幾重にもぶら下げた首飾りをじゃらじゃら言わせ、腰紐についた鈴やら鐘やらもしゃりしゃり鳴らし、薄汚れたローブを引きずり、なめくじみたいな速度で歩く。


 俺とあいつはちらりと顔を見合わせてから、爺さんがこちらまで来るのを辛抱強く待った。こっちから歩み寄ったらダメそうな雰囲気だった。

「旅の者たちよ、辺境の土地までよくぞ参った。まずはその労を称えよう」

 爺さんはあいつよりも背が低く、真っ白な髪と髭を蓄えた頭を上に向けることができないようだった。声が余計にくぐもって聞こえるので、俺たちも姿勢を低くする。


「はあ、どうも。ありがとうございます」

 額には三本のしわが深く穿たれ、レンズの黒いサングラスをかけている。顎髭は近くで見たら桃色のリボンで三つ編みにされていた。どこからツッコミを入れるべきかもうわからない。


「君は宴に参加するね」紫水晶が埋め込まれた、木製のごつい杖の先をあいつの鼻に突き付けて爺さんが言う。それ以外の選択肢を与えない口調だった。

「そして、君――」杖を振るい、爺さんは俺の眉間を紫水晶で二度軽く叩いた。頭に杖を添えられたまま数刻後、逆光に表情を遮られた声が降ってくる。

「チェーザレというのかね。たいそうな呪いを受けたもんだ」

 喉の音から変な声が抜けて、頭蓋骨のてっぺんで跳ね返った。爺さんの口の中から、舌が唾液を揉む粘ついた音がする。

「私なら、その厄介な呪いを取り除ける。ついて来なさい」




「悪く思わないで頂きたい。魔女や悪魔、そういった類の力を受けた者を聖域へ招くべからず……というのが、前時代からの教えなのです」

「お構いなく。この身体になってから、貴方の同業者からのとばっちりは飽きるほど受けてきた」


 司祭は爺さんが乗った車椅子を押しながら、今日の披露宴の会場であり、爺さんの住処だという邸宅に俺を案内した。かつてはこの土地の領主のものだったが、言わずもがなそんな社会制度は廃れている。


 あいつはというと「いろいろ貸してあげるからあなたもおめかしして」とか「披露宴はとにかく派手にやるから君も演奏してほしい」とか言われながら町民に囲まれてどこかへ連れて行かれた。


「領主なき後、町でいちばん立派なこの家には、もっとも町民の生活に貢献した人物が住むべきだという取り決めが成されたそうです。長老のお父様が優れたお医者様でして、“テーブルクロス引き”後に蔓延した疫病の特効薬を開発されたのです。それからというもの、このお宅は長老一族のものに」


 マジェリカスタイルのタイルが張り巡らされた大広間では、披露宴の準備に勤しむ人々で溢れていた。セッティングのざわめきに混じり、車椅子の車輪が転がる音と司祭の声が響く。

「長老もお父様のご遺志を継がれ、お医者様、ひいては占い師、エクソシストとしてもご活躍され、町の皆様から厚い信頼を寄せられているのです」


 胡散臭い肩書きがふたつも飛び出し、司祭を二度見したら爺さんが「ははは、相違ないよ」と笑った。マジかよ、相違ねえのかよ。呪われてからこれまで、身体を取り戻すための手がかりを何ひとつ得られなかったこともあり(積極的に得ようともしなかったが)、訳知り顔の爺さんにのこのこ付いてきたが、とたんに不安になってきた。


 手動式エレベーターに乗り、上階の奥まった部屋へと案内される。大広間の開放的で明るい雰囲気はなく、薄暗く長い廊下の道のりは怪しさ満載だった。

「司祭殿、君にも式の準備があるだろう。手間を取らせたね」

「恐縮でございます。式の時間には迎えの者を寄越しましょうか?」

「いや、構わんよ。たぶん式には間に合わんから、披露宴には顔を出すよ」

「かしこまりました。失礼いたします」

 つるっパゲの司祭は深々と頭を下げ、踵を返し教会へと向かっていった。遠くなる彼の背中を見送りながら、いよいよヤバいぞという気がしてくる。


「チェーザレ」爺さんのナナフシのごとく細長い人差し指が、目の前の扉を差す。「開けて中に入りなさい」

 今にも消えそうな燭台の灯の中に、爺さんのゆがんだシルエットが落ちている。魔法だとか呪いだとかに精通しているタイプの人間が、異様な雰囲気を纏ってないほうがおかしいだろう。この身体がどうなるか……一か八かの賭けだ、爺さんの指示に従おう。


 真鍮のノブを掴むと、軋んだ音を立てて扉が開く。中は完全な暗闇だったが、サングラスの黒に追い立てられて一歩踏み込む。きり、と車椅子の車輪が擦れる音に振り向いたその瞬間、自らの選択を後悔した。

「まったく、持たざる者たちは従順だよ。我々、持つ者を信じて疑わないのだから。そのまますっかり騙し通してやるんだ。さすれば世界の均衛は保たれる。この長い長い歴史の中で、持つ者たちは幾度となく民衆を欺くことに失敗してきたわけだが――」


 爺さんの丸まっていた背中が、バキバキと音を立ててそのシルエットを細長く伸ばしていく。這うようだった両の脚は、床に鋭く突き刺さるようにしてその長躯を支えていた。あいつより背が低いどころか、俺を見おろすほどの身の丈だった。無用の長物と化した紫水晶の杖が、ぞんざいに転がされる。


「欺きを欺きのままにせず、事実に昇華させてしまえば何ら不都合はない。君も本来は持つ側の人間だろう、共感して頂けるはずだが――どう思う? チェーザレ・ド・ダッチェス君」

 頸椎を鷲掴みにされ、身体が宙に浮く。首から下と頭が離れ、ばらばらに暗闇へと放られる。虚無に落ち、意識が薄れゆくさなか、久々に聞いた自分の名前を反芻していた。




 体中の血液が巡る音に耳をそばだて、激しい動悸に苦しみ、爪の伸びた手を胸に押し当てたかもしれない。あるいは痙攣するまぶたの裏を飛び交う、無数の星々に目を回しながら、こめかみを両側から強く圧迫されるような頭痛に耐えていた気もする。もしくは消化器官の蠕動にあえぎ、だらしなく口を開いて嘔吐した不快感が残っている。いくつもの悪夢を巡ったかもしれないが、すべて忘れてしまった。


 浴びるほど酒を飲み、動けなくなるまで好物を食らい、心ゆくまで極上の美女と交わり、深い眠りについて精神に安寧をもたらしたい。足のつま先から脳天へと駆け上がる衝動に震え上がり、目の奥からぬるい涙がとめどなく落ちてくる。やがて全身を浸したそれを羊水だと錯覚し、外界を求めて四肢をばたつかせた。


「ずいぶんと長いこと彷徨っていたようだが、お目覚め如何かな」


 目が覚める、などという生物的な感覚ではなかった。はてしない暗闇の中、唐突に視界が開け、自らの意識の器は骨であることを知覚する。


 埃まみれのステンドグラスカバーを被った電球があちこちから吊り下げられ、さまざまな色の光が落ちている。『高等魔術の教理と祭儀 祭儀篇』『法の書』『ソロモンの鍵』……どう見てもヤバい本が無造作に詰め込まれた本棚は、紙の重みでひしゃげていた。その隣の戸棚には、コルクで栓をされた瓶がいくつも収められている。中身はたぶん薬草の類だ。そこかしこに気味の悪い人形や仮面、悲痛な形相の動物の剥製、よろしくない儀式に使うであろう器具、形も色もばらばらの鉱石……どこを見ても怪しさの権化だ。


 そして、複雑な紋様が刻み込まれた広い机の中央に俺の頭蓋骨が置かれている。背もたれの長い上等な椅子にどっかりと腰かけた爺さんが、シーシャの吸い口を咥えて俺を見おろしている。


 首から下はどこにあるのか、両腕を動かすと四方を壁に囲まれていた。ちょうど人ひとりが納まるぐらいの空間のようで、両手を握って前方の扉を殴ると、頭蓋骨の後方からドン、という音が聞こえた。


「棺の中だよ」爺さんが俺の頭蓋骨に向かって、鼻から煙を吹きかける。「チェーザレ、君はなかなかに思慮深い男だ。こちらのほうに偏りがある。他のパーツにはあまり用がないし、死体は死体に相応しい場所に」


「俺はまだ死んでねえ」声をあげると、下顎が机にぶつかって無様にもがこんがこん頭が跳ねた。銀歯だらけのきったねえ口を開いて爺さんが大笑いする。


「チェーザレ、君は、君の許嫁は、君の一族は、いったい何をしでかしたんだ? 生と死のどちらも喪ってなお、この世に留まり続けようとする意思の根源は何だ? どのみち、それほどの憎しみを与えられた君にはもう何も残っていないはずだ。その名が持つ威厳を、最後のひとりになった今も守り続けようとでも言うのか? ……やれやれ、私も歳を食ったモンだ。も少し若ければそんなのもお見通しなんだが。使い古された人間の身体は、どうも不便でいけない」


 爺さんが机の引き出しを開き、煙草の箱から一本取り出して指を鳴らすと火が灯り、俺の歯に咥えさせた。俺の頭の脇に置かれた箱の銘柄は“Breath of the Witch”、覚えてやがれこのクソジジイ。


「魔法だとか魔術だとかっていうのは、犠牲なくして成立しないんだ。難しいことじゃない。パンを捏ねるには小麦と水が要るし、良いものをつくるなら塩、砂糖、バター、卵、目的に見合った材料を揃えるだろう。至極単純だ」


 ジジイが無駄口を叩いている間、部屋のあちこちから、様々な形の杯が机の上へと宙を移動して集まってきた。それぞれが自分の役割と立ち位置を心得ていて、紋様の上に降りる。


「私の一族はみな優秀な医者だったよ、表向きはね。ただ、先祖代々魔女を信奉していて、ある程度の魔力を得る方法を身に着けた。アカシックレコードがどうとか言って占いをしてやるだの、気が触れた者の瘴気を消してやったりするのはまだ可愛いものさ。私にはどうも、呪いを取り扱うのが性に合うようなんだ」


 戸棚が開き、瓶の蓋が外れ、薬草や粉末が弧を描いて杯に飛び込んでいく。ある杯はぼこぼこと沸騰し、別のものは紫色の煙を噴き、その隣からは女の叫び声みたいな音が響いている。


「呪いにとっての小麦と水は、凡そにおいて憎悪と怒りだ。スパイスとしていきすぎた愛情、底抜けの悲しみ……たちが悪いのだと純粋な快楽を材料にする奴もいる。私は負のエネルギーと相性が良いんだ。そういう感情を持つ者と私の持つ魔力が結びつき、発現すると呪いが成就する。まったく、いい商売だよ……さて。私は君に『呪いを取り除ける』と言ったね。しかし『呪いを解く』とは言っていない。どういう意味かお分かりか」


 本棚の中からひときわ分厚い書籍がジジイの人差し指で呼び出され、あるページが開かれた形でジジイの右手におさまる。さらに左手で何かを招き寄せるような動きをし、宙から落ちてきた葡萄酒の瓶をその手に掴む。


「君が受けている呪いは肉体と魂の剥離、及び生死の喪失。取り上げられたものは呪いを成就させた魔女の“手中”だ。呪いをかけた者にしか呪いを解くことはできないし、解く予定で呪いをかける魔女なんていない。これは大原則だよ。この世界に足を突っ込んだのなら、心得ておくべきだ。もっとも、そんな知識も君には必要なくなるがね」


 葡萄酒の栓が弾け、ジジイの手前に配されたワイングラスに赤黒い酒が注がれる。咥えさせられた煙草の煙は細くたなびいて、灯をうしなう。


「君が受けた呪いは極めて稀な術式だ、よほどの腕利きでないと成就できない。いくつかの事例を知っているが――骨から肉が引き剥がされていく苦痛に魂が耐えられず、成就する前に死んでしまうか、変わり果てた自らの姿に絶望して死を懇願するかのふたつにひとつだ。君が持つ生への執着と渇望は常軌を逸している」


 ジジイは立ち上がり、バキバキと骨の軋む音を立てながら気だるげに頭と肩を回す。黙って聞いてりゃいけしゃあしゃあと……頭蓋と切り離された棺の中身は本能に忠実なようで、今すぐにでもジジイをぶん殴るために蓋をこじ開けようとしている。しかし頭のほうは焦燥の最中においても冷徹さを欠かず、ジジイと己の欲深さを嘲笑してさえいた。


 この物見高さは、はたして災いなのか幸いなのか。肉が破れ、血管が解け、臓器が剥がれていくさまを、全身の知覚が受け入れたのを覚えている。もしかしたら、掌に掻き乱されてもなお横たわり続ける大地と、たがわない星回りに生まれたのかもしれない。なんて思ってても絶体絶命の大ピンチである。我ながら尊大だぜ。


「君みたいな逸材を野放しにしておくのは、術者として非常に惜しい。君の肉体を私が手にすることはできないが、お零れを頂戴することはできる。君としては不本意だろうが、その魂は魔力の種として一級品だ。有意義に活用させていただくよ。骨の髄までね」

 宣誓を終えると、ジジイは短く早く、息を吸い込んだ。それが合図だったかのように、この部屋に満ちる空気が変質する。


 この世のものとは思えない、気味の悪い音がジジイの口から発される。継ぎ目なく続いていく呪文は、まっとうな人間が用いる言語ではないことを直感させた。


「おい爺さん、そりゃあ横暴がすぎるぜ」

 バカな奴ほどよく喋り、賢い奴ほど黙するとはよく言ったものだ。ジジイは俺の呼びかけなど気にも留めず、闇の底から這いあがってくる呻き声みたいな呪文を唱える。遮る術など知らないが、悪あがきに口を開き続けた。


「貧弱な生の身体をお使いのあんたからすれば、生も死も無い俺は身軽に見えてさぞ羨ましかろう。キモい儀式をはじめちゃうほど欲しくて仕方ないらしいけどな、これは俺のものなんだよ」

 机上の紋様が鈍い光を描き出し、杯が小刻みに震え、杯と杯がぶつかり合ってガチガチ鳴りはじめる。いくつもの指輪を嵌めたジジイの片手が、俺の頭にあてがわれた。


 その瞬間、如何なる苦痛を感じ得ないはずの骨身が、はっきりと熱を感知した。それも普通の人間の手の温度でない、焼き印を押し付けられているかのような鮮烈な痛みだ。蒸気さえ立ち昇っている。砕けんばかりに噛みしめた奥歯が軋み、骨の隙間という隙間から苦悶の息が吹き抜ける。


 ジジイの指に抗い、頭蓋と下顎を引き剝がす勢いでぐばっと口を開いた。呪われた者だけが有する絶叫が、分裂した脊椎を通り、無い声帯を振動させて突き抜けていく。しかしジジイの口からは、とめどなく呪文が紡がれる。否が応でも焦燥が募った。


「何度だって言うぞ、この呪いは俺のものだ。魔女の強大な憎悪も、肉体が四散していく耐え難い苦痛も、この名のもとに受けてやったんだよ。これだけの呪詛を享受するに相応しいのは俺だ。あんたが吸い取ったところで真の意味を成し得ない。生憎、手放してやる気は微塵もない。俺をこの世に貼り付けてる呪いに縋りついて、髄まで啜って、何もかもを貪り尽くした上で生を取り戻してやる。あんたはせいぜい指咥えて物欲しげにしてろ」


 手応えを得たとでも言うように、ジジイの口角が憎たらしく吊り上がる。あたりに満ちている禍々しい空気をその指に絡め取り、人差し指で宙をくるくるとかき回すと、竜巻が俺たちを取り巻いた。魔女の手中にある心臓が力強く波打つのを、肋骨の内側で知覚する。鼓動が不規則に訪れるたび、喉の奥から何かがせり上がってくる。この反動に甘んじたら最後、俺の身体はもぬけの殻になることを直感した。


 そんな深刻な状況下においても――研ぎ澄まされた俺の聴覚は、ジジイの声と暴風の奥から、愉快な音楽が響いてくるのを聴き取った。民衆の大合唱だ、老若男女の声が束になって、限りの無い幸福を歓喜し、どいつもこいつもぶちあげハッピーという様相の旋律がどんどんこちらに迫ってくる。


 ジジイもそれに気づき、繋ぎ続けていた詠唱がついに途切れた。その隙をつくようにして、色とりどりの光源が激しく明減し、部屋じゅうの怪しいアイテムの数々がガタガタと震え出した。ジジイは狼狽えながら、綻びを正そうと先ほどよりも大きな声で呪文を唱えだす。


 聞き覚えのある靴音が、拍を打ちながら近づいてくる。自らもその歓喜を口遊み、妙ちくりんな蛇腹楽器を弾きながら、大勢の歌声を引き連れて。

厳重に戸締りをされているはずの扉がはじけ飛ぶように開き、音楽が吹き込んできた。際限のない祝祭の旋律を欲しいがまま纏ったあいつが、飴色の目を輝かせ、音楽の暴風を受けながらも吹き流されずそこに立っていた。


 轟音が響き、部屋じゅうのありとあらゆるものが木っ端微塵に破裂していく。雪崩を起こしたかと思うとすべてが灰になり腐り果て、色を失い崩れ落ちてく。俺の頭が乗せられていた机も脚が折れ、杯はこなごなになった。


 それらが納まると、あいつは「あー、埃っぽい」と咳き込みながら、灰燼の山に腕を突っ込んで何かを探しはじめた。棺を脱出した俺の身体は、そのへんに転がった俺の頭を拾いに来る。ジジイはレンズの割れたサングラスをかけたまま、腰をぬかしてへたり込んだ。顎が外れたらしく、口を開いたままわなわなと震えている。


 あいつはワイングラスを見つけ出すと、踵を振り落として叩き割った。あまりの急転直下っぷりに呆気に取られている俺を振り返り、酒の入ってる顔でへらへら笑う。


「あのね、結婚式の最後にね、すべてを執り行った印に旦那さんがグラスを割るの。この町の風習なんだって」


 おっさんみたいな咳を繰り返し、酩酊した足取りでジジイの前へ躍り出る。出会った時とは形成逆転、あいつは膝に手をついてジジイを見おろし、迷子をあやす調子で声をかけた。


「呪いばっかり強いと思ってた? 祝福はね、もっと自分勝手で歯止めが利かなくて、すごいんだよ。でもここまでやるつもりは無かったんだよマジで、私もびっくりした」


 いつの間にか音楽は遠のいていた。それでも廊下の向こうの大広間から、喜びに湧く人々が飲んで歌って騒ぐ、どんちゃん騒ぎが聴こえてくる。ジジイのことなど誰も気に留めていない。


「おじいちゃんをいびる趣味は無いんだけど、様式美ってあるじゃん。うちの親に聞いたの、こういう時は『金輪際あなたとは喧嘩をしません』って意味で名前を教えてあげるのがルールなんだって。だから覚えておいてね、一回しか言わないよ」

 あいつはおもむろに手をのばし、ジジイのサングラスをはずしてそのへんに投げ捨てた。老人のつぶらな瞳が、酔っぱらった小娘に怯えている。


「私はカルロッタ・ル・ポワゾン。呪われた骸骨のダーリンを道連れにする、しがない旅人なの。以後よろしくね。町の人には優しくするんだよ」


 ぱちーん、と眉間にデコピンを食らわせると、ジジイはそのまま白目を剥いて灰燼の山にぶっ倒れた。あいつは舞い上がる粉を手で払いながら「よっしゃ、キマったぜ」とか言い、俺のほうに踵を返す。


「チェーザレくん、何も取られてない? 見えにくくなったり、聞こえにくくなったりしてない?」

「……チェザーレでいいよ。別にその発音だけが正しいわけじゃない。視聴覚は問題ないけどさ、俺の頭に手形ついてないか」

「ウケる何言ってんの、そんなんついてないよ」


 あいつは相変わらずへらへらしていて、楽器を持ち直すと部屋を出て、大広間に向かって歩き出す。いまだ繰り返し演奏されている祝福の曲に合わせ、蛇腹をびよびよさせていた。

 そのうしろをアホみたいにのこのこ歩き、いまさら自分の白骨の手指を見つめてみる。いったい、何が惜しくてこんなものにへばり付いているのか――立派な理由を見出す必要は無い。この身体も呪いも、俺が好きなように使えばいいだけのことだ。


「ぜんっぜん飲み足りない! この披露宴、お客さんが全員帰るまで終わらないんだって。だったら、いつまでだってみんなでお祝いしてればいいんだよ」

 だってそうだろ、この女がゲロ吐くまで飲み明かしたって、お構いなしに夜は明ける。


 呪われた男がちょっとフラフラしたからって、何だって言うんだよ。俺はまだ死んでないし、生きてもいない。見逃してくれ。御覧の通り、罰なら先払いしてあるからさ。





ハバナギラ

イスラエル民謡

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