ムーン・リバー

ただひたすら広がる大地に、えんえんと線路が引かれている。大陸の端から端までを一直線に横断するレールの上を、かつては汽車が走っていたらしい。今やそれを辿るのは、物好きで金が無い旅人ぐらいのものだ。


朝方に寂れた村を発ってから、廃線跡を北西に向かって歩き続けた。景色は代わり映えせず、太陽がぎらぎらと地面を焦がし、そんな地獄みたいなところをとにかく進み続けるなんて苦行でしかない。暑さも空腹も疲労も感じない俺だが、それでも気が狂いそうだった。


あいつはぼろぼろのカンカン帽をなんども被り直し、汗と砂埃でクソほど汚れた燕尾服をトランクに無理やり押し込み、嵩が減るのを惜しみながら水で舌を湿らせ、数分おきに「暑い」と絶叫した。「知らねえよ」と返したらぶん殴られ、頭蓋骨が弧を描いて錆びたレールに跳ね返った。身体が戻った時、割れた頭蓋骨から脳味噌がはみ出したら困る。


レールの側に生えた猫じゃらしを引っこ抜いたり、先客が落としていったガラクタを手慰みにしながらだらだら歩いた。ぽつぽつ会話をしていたが、内容は忘れた。それが日没まで続いた。


最後のほう、あいつはもうやけくそというか、一日中歩き続けたせいで相当ハイになっていた。空き瓶に詰めてきた飲用水が、実はシードルだったんじゃなかろうか。沈みゆく太陽を左手にのぞみ「お天道様と私たちのどっちが先に地平線を超えるか勝負だ」などと叫び砂埃を舞い上がらせながらレールを駆けて行ったが、対戦結果は言うまでもない。


陽が落ちてしまえば、荒野はものの見事に暗転し、星空がとんでもない速度で俺たちを追い越して空を覆いつくす。あいつに持たされた荷物の中から探りさぐりカンテラを取り出して火を灯すと、黄ばんだ骨の指先から光が溢れ出た。


血と肉と皮膚を失っても、不安や心細さといった負の感情……その根源であろう死への恐怖は骨の芯を蝕んでいる。旅のド素人の俺がこんなところであいつを見失ってしまっては元も子もない。最悪、這いつくばってでもレールの位置を確かめながら前進するしかない訳だが、この脆いしゃれこうべが何かの拍子に暗闇の中へ転げ落ちてしまってはひとたまりもないというものだ。


光を足元に近づけ、レールを照らし出す。錆びているとは行っても、汽車の轍に擦られ、銀色に剥かれた鉄の色がかすかに細長く続いているようだった。どれほど昔のことだろう、俺が生まれた頃、すでに石炭も電気も高級品だった。


あいつは俺が近づくなり荷物をふんだくって「寒い」と連呼しながらありったけの衣類を身体に巻きつける。まったく、生身の人間というやつは忙しい。

「チェザーレくん、虫除け」

「俺は虫除けじゃねえよ」

「骨の旦那ことチェザーレさま。拝啓、お元気ですか。日差しの強さが増し砂漠のフンコロガシもひっくり返り干からびる季節になりましたが、深夜には得体のしれぬ虫や爬虫類が野宿の旅人を襲うというものでございます。虫除け対策は講じておりますでしょうか」

「はいはいはい」


商売道具が詰まったがま口鞄(あいつが管理してるから整頓されてない)に手をつっこみ、気持ち悪い色合いの粉末が詰まった瓶をいくつかひっこぬく。カンテラでひとつずつラベルを照らしだし、「飲みすぎてしこたま吐いた日のために」「喉が痛くてアコーディオンよりも声が出ないときのために」「入浴できない日が続き自分の体臭に耐えかねた旅人のために(乱用禁止)」……「やむ終えず野宿せねばならぬ夜のために(風が無い土地用)」該当の瓶を開栓する。


きゅっぽん、と目出度いかんじの音と同時にコルクが飛ぶ。蓑巻きになってるあいつの身の回りにだけぐるりと薬を振り落とすと、青色の粉塵がかすかに舞い上がるのが見えた。俺の回りにはどんな危険生物が近づこうが問題はない。何せ骨である。いや、カルシウムを主食にする大食の砂漠生物とか出たら困るんだけどさ。


レールの上に同じ成分でできた固形状のお香をちょんと乗せ、マッチで軽くあぶって火を移せば就寝の準備は完了。ぼろっぼろのレジャーシートを砂上に敷いただけの粗末な宿に並んで横たわる。あまりにも無防備すぎる、俺たちはビーチに日焼けしにきたわけではない。しかし、心臓が剛毛で覆われた旅人と、心臓がここではない場所で管理されている骸骨だからこそなせる業である。


「おやすみ前の一曲だよ」

強烈な大群でもって夜空に輝く、星という名のつぶつぶが落ち窪んだ骸骨の目の中に容赦なく落ちてくる。あいつは蓑の中から両腕をだして、アコーディオンを構える。俺も手持ち無沙汰だし(?)煙草に火をつけて咥えた。


小汚い俺たちにしては、やたらとロマンチックだった。ゆったりと間延びした旋律が、お香と煙草の煙と細く揺らし、風ひとつない粛然とした夜空に響く。一日を歩き終え、乾いた喉と唇でだるそうに、しかし歌詞が自分を潤す水であるかのように、あいつはしなやかに歌った。そのメロディは錆びたレールを振動させ、際限なく世界のすみずみへと響き渡っている気さえした。


「ちょっとヤバくない? 星多すぎじゃない? 引くわ」

アコーディオンは叙情的なフレーズを繰り返してるのに、あいつは歌うのをやめて突然頭の悪そうな台詞を吐いて笑い出した。せっかくセンチメンタルな気分に浸ってたのに、こいつのこういうところどうかと思うわ、俺。

「まあそうだな、確かにヤベえな。虫ほどいるぞ、この虫除けが大気圏超えたら全部燃えて死ぬかも」

「あはは、そうしたら夜がほんとうに真っ暗になるね」

「よく知らねえけどアレだろ、なんか、星座とかいうやつがあるんだろ。すっげえ昔の人が考えたやつ」

「たしか荷物のどこかに星座早見表があったはずだよ。まあ私たちじゃ見てもわかんないだろうけど」

「全部一緒に見えるしな。白くてきらきらした点だ」

「どうする? 今見えてる星の全部に生き物が居てさあ、同じように夜空を見ながら“全部おんなじ点々に見える”って言ってたら。その点々の中にこの星があるの」

「うわ、鳥肌立つわ」

「人肌もないのに?」

「うるせえな」


こいつの品のない笑い声もきっと、レールに伝って全世界、全宇宙の白い点々に筒抜けである。まあ、そんなこたぁ無えんだけどな。それで正解なのだ。他所の星の生き物どころか、同じ星に生きてる奴らだって俺たちのことなんて気に留めていないのだから。


ムーン・リバー/ヘンリー・マンシーニ

『ティファニーで朝食を』挿入歌

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