幕間
正絹の貴公子-1
これは、本格的な夏の気配が濃くなってきたころのこと。
ルイフォンとメイシアが
好きな人の家に行った。
正確には、
……分かっていたわよ。凄い豪邸だ、ってことくらい。
だって、普通の『お
「え? ハオリュウが
信じられないほど嬉しい話に、私は思わず聞き返した。
「これから暑くなりそうだから、
祖母上が、にこにこと上機嫌に答える。ハオリュウのことは、お気に入りなのだ。
デザイナーの腕を買ってくれて、女王陛下の婚礼衣装担当に抜擢してくれて。でも本当は、お
「けど、珍しいよね?
私が首をかしげれば、「彼には、他に目的があるのよ」と、祖母上は、ふふっと
「あっ、父上と仕事の話?」
「そうねぇ。ひょっとしたら、それもあるかもしれないけれど、今回はファンルゥちゃんに――」
「ええっ!? ファンルゥ!?」
意外すぎる名前に、私は祖母上を遮り、素っ頓狂な声を上げた。
すると、祖母上は「人の話は、邪魔しちゃ駄目でしょ?」と、私をたしなめながらも、楽しそうに説明してくれた。
「『ファンルゥさんは
「なんか、ハオリュウらしい」
私は、くすりと笑う。
「ファンルゥ、大活躍だったんだよね」
「ええ。『初めにファンルゥさんが危険を冒して、囚われた
――菖蒲の館で起きた一連の大事件。私は、その一部始終を教えてもらっていた。
とても、辛く悲しい話だった。
ミンウェイねぇが、お母さんのクローンだったなんて信じられなかった。
悪い奴だと思っていた〈
それから、鷹刀と王家の関係とか、
本当は『子供の
……私がハオリュウのことを好きだって、父上にバレている。
「それでね、クーティエ」
「えっ!?」
ううぅ……、と赤面していた私は、祖母上の声に、びくっと肩を上げた。
「ファンルゥちゃんへのお礼の贈り物について、ハオリュウさんが相談したいそうなの。お願いできる?」
「勿論よ!」
即答してから思った。
私がハオリュウのことを好きだって、祖母上にもバレバレだ……。
ハオリュウとお買い物に行けるのだと、私は浮かれていた。
でも、結局、電話であれこれアドバイスしただけだった。
そうだよね。
ハオリュウは
ふたりきりで話せただけでも、嬉しいことのはず……。
――それはさておき。
ファンルゥへのプレゼントは、絵本に決まった。魔法使いの女の子が大活躍する冒険シリーズの一冊で、
ファンルゥはお話が大好きだけど、菖蒲の館で〈
ちなみにハオリュウは、
だって、全部なんていったら、十冊以上だ。
それに、こういうのは、ちょっとずつ集めたり、図書館で借りて、そのときだけ、その本を独り占めしたりするものなのだ。そういう幸せって、あると思う。
ハオリュウは『分かった』と言ってくれたけど、たぶん、本当の意味では分かってない。
――彼は、
そして、今日――ハオリュウが
いつもなら、ハオリュウの移動手段は、父上の警備会社から派遣されている護衛たちが運転する車だ。だけど、今回はタオロンさんと私で、彼を迎えに行った。
タオロンさんが、先にハオリュウに挨拶をしたいと言ったからなんだけど……、皆で口裏を合わせた『お話』を確認するため、かな……?
そう――。
ファンルゥにとって、ハオリュウは『〈
それで、私がファンルゥのために『お話』を作ったのだ。
まず、〈
でも、悪いことばかり考えていて、腕の立つ
一方、ハオリュウは病気じゃなくて、足の悪い
あるとき、彼の付き添いで来た
そして、菖蒲の館で『タオロンも、一緒に行こう』と、ルイフォンたちが誘いかけたら、怒った〈
ファンルゥの作る『お話』は、なかなか突拍子もないくせに、きっちり辻褄が合っているんだけど、私の作った『お話』も、かなりいい感じだと思う!
だから、タオロンさんが先に挨拶とか、必要ないはずなんだけど……、ハオリュウと初対面なのに、以前からの顔見知りのふりをするのが不安なのかな?
――まぁ、いいや。
おかげで、私は好きな人の家に行けるんだもん。
ハオリュウのことをまったく知らないタオロンさんがひとりきりじゃ、さすがに気まずいだろう、ということで、本当は父上が付き添うことになっていた。
けど、ダメ元で、『私が行きたい!』と言ったら、父上はすんなり許してくれた。
父上、娘に甘い。――嬉しいけど。
ともかく、私は天にも昇る心地だった。
……だけど、門の前に立った今、ちょっとだけ後悔している。
だって、豪邸すぎるのよ!
たぶん、執事だと思われる人がやってきて、私たちはハオリュウの家、もとい、屋敷に入った。
私は気が引けていたけど、タオロンさんは完全に腰が引けていた。
そして、ハオリュウの書斎に入ると、タオロンさんは腰を抜かした。
「な……! なんで、こんなところに、ファンルゥの絵が……!」
タオロンさんの野太い叫びが、アンティーク調の硝子の飾り棚を震わせる。
実はタオロンさん、
……無理もないと思う。
だって、
勿論、私も唖然としていた。
とはいえ、私は、ハオリュウが、どこかにファンルゥの絵を飾ったことを知っていたし、タオロンさんみたいに、場違いなところで自分の娘の絵を発見してしまったわけじゃない。
だから、タオロンさんと比べれば、ちょっとは
そのとき、奥の執務机から、ゆったりとした声が上がった。
「ご足労くださり、ありがとうございます」
「ハオリュウ!」
久しぶりの彼に、私は喜色を浮かべる。
彼は、すっと立ち上がって、私たちのほうへとやってきた。
正装ではなく、シンプルなシャツ姿だけど、きっちり折り目がついているところが彼らしい。どことなく品の良さが漂っている。
「あれ? ハオリュウ、杖は?」
いつもなら、当主の指輪をはめた左手にあるはずの杖が、今日はない。
「室内では、もう使わなくて平気だよ。じきに、外出時にも要らなくなる」
足取りは少し危うかったけど、笑みをたたえながらの自信に満ちた顔に、私の胸が、きゅんと、ときめいた。
杖を付いていないからか、それとも、また背が伸びたからなのか。ハオリュウの目線は、前よりも高い位置にあった。出逢ったばかりのころよりも、ぐっと声も低くなって、彼は急に大人びた。
――格好いい。前よりも、ずっと。
外見だけじゃないのだ。……ううん。外見よりも、内面のほうが、大人びた気がする。時々、
まだまだ子供の自分が切なくなって、私の心がしぼんでいく。
駄目駄目! 今は、落ち込んでいる場合じゃない!
私は、ぐっと拳を握り、気を取り直す。さて顔合わせだと、初対面のハオリュウとタオロンさんの間を取り持つべく、口を開きかけたときだった。
私のそばで腰を抜かしていたタオロンさんが、そのまま床を這うようにして、ハオリュウに向かっていき……土下座した。
「すまなかった!」
割れんばかりの
「斑目のせいで、お前の親父は死んだ! 恨んでくれていい。でも、謝罪させてくれ!」
「タオロンさん!?」
「メイシアには、前に頭を下げる機会があったが、
刈り上げた短髪を、ごりごりと絨毯にこすりつける彼に、私もハオリュウも、ぽかんと口を開けたきりだ。
そんな私たちの様子には構わず、タオロンさんは、なおも重ねて言う。
「お前に、ひとことの詫びも入れず、素知らぬ顔で草薙家で顔を合わせるなんて、俺にはできねぇ!
猪突猛進のタオロンさんらしい、まっすぐな叫びだった。心の底からの言葉が、当事者じゃない私の胸にまで、ぐっと迫る。
あ、でも……、タオロンさん、敬語……。
フォローしなきゃ、と。慌てて視線を走らせると、ハオリュウが、私に向かって穏やかな顔で頷いた。
分かっているよ――って、言ってくれたんだと思う。
「どうか、顔を上げてください」
巨体を極限まで小さく丸めたタオロンさんに、ハオリュウが語りかける。だけど、タオロンさんは、ぴくりともしない。
「父の件に関しては、あなたの立場では、何もできなかったと聞いています」
「だが、俺は斑目の人間だ。責任はあるだろう!」
床に向かって放たれた、タオロンさんの声には行き場がなく、くぐもった音の中に、無力だったことへの悔しさが
頭を下げ続けるタオロンさんを前に、ハオリュウが何を思ったのかは分からない。けど、彼は凛とした声で「いいえ」と告げた。
「あなたはもう、斑目一族の人間ではありません。――それに、斑目一族は、藤咲家を蹴落とそうとしていた
ハオリュウの優しげな面差しは、とても静かで――だけど、有無を言わせぬ強靭さを持っていた。
彼は、柔軟でありながらも、強硬。
内に闇を抱えつつも、決して呑まれることなく、しなやかに闇を支配し、昇華していく。
それが、いいことなのか、悪いことなのか。先天的なものなのか、後天的なものなのか。そんなことは、考えても仕方のないことだ。
そういうのも全部ひっくるめて、ハオリュウという人なのだから――。
タオロンさんが鋭く息を呑んだ。
さっきは
太い眉の下の小さな目が、いっぱいに見開かれ、息を吸い込んだ形のまま、唇が固まっていた。浅黒い肌だから、よく分からないけど、たぶん、頬は興奮に紅潮していると思う。
タオロンさんの喉が、こくりと上下した。
「……社長が、先に挨拶に行くことを許してくれたとき、俺に言ったんだ。もし俺が、お前――……」
そこまで言い掛けて、彼は、はっと顔色を変えた。――実際の顔の色じゃなくて、雰囲気が、だけど。
「しっ、失礼いたしました! 『お前』ではなくて、『ハオリュウ様』です! ――今までの暴言、どうか、お許しください。責任はすべて俺にあります。社長は関係ねぇ……あ、いや、ありません!」
タオロンさん、すっかり動転している。
立派な体躯の大男が慌てる
きっとそれは、ハオリュウも同じだったんだと思う。彼は困ったように苦笑した。
「落ち着いてください」
「す、すみません……」
恥ずかしそうに謝りながら、タオロンさんは、頭に巻いた赤いバンダナの結び目に、しきりに触れていた。
「それで、レイウェンさんは、なんとおっしゃったのですか?」
「あ、ああ……」
タオロンさんの太い眉が、ぐっと内側に寄る。その真剣な表情から、失礼のない台詞を懸命に考えているのが、手に取るように分かった。
「社長は……、こう言ったんです」
『藤咲家の当主に直接、会って、その目で、彼の人となりを見てきなさい』
『それでもし、君が命を懸けて守るにふさわしい相手だと思えたなら、ファンルゥが独り立ちしたあと、私の警備会社を辞めて、彼の専属の護衛になりなさい』
『君のまっすぐな気性は、依頼されただけの相手を守るよりも、君が守りたいと思った人間を守るほうが向いているからね』
『君ならば、私は責任を持って推薦できるよ』
『君はきっと、ハオリュウさんのお役に立つだろう』
「レイウェンさんが、そんなことを?」
ハオリュウが瞳を
私も、びっくりだ。
「俺は馬鹿だから、難しいことは分からねぇです。けど、社長が言いたかったことは、その……心で、感じました」
とつとつとした口調で、タオロンさんは続けた。
「体を張って守るなら、命じられた依頼主じゃなくて、心から守りたいと思える相手のほうがいい。――そういう自由を……俺はやっと手に入れたんだ、って」
タオロンさんは、そこで言葉を切って、まっすぐにハオリュウを見つめた。
「あなたに会って、社長の思いが分かりました。俺は、あなたの護衛として、生きてみてぇ」
太い声が、力強く言い切った。
言葉遣いは滅茶苦茶だけど、堂々としていて頼もしい。
いい話だと思う!
タオロンさんなら、絶対にハオリュウを守り抜いてくれると、信じられるもの!
私が心を浮き立たせていると、急にタオロンさんが視線を下げた。
「――けど、今の俺じゃ、駄目です。まだ、てんでなってねぇ……。雇ってくれだなんて、口が裂けても言えねぇ」
彼は、がしがしと自分の短髪を掻き上げる。
「俺はファンルゥが大きくなるまでの間に、
タオロンさんは、再び床に手を付き、丁寧に頭を下げた。
赤いバンダナの結び目の先が、彼に倣うように、ぺこりと垂れて、まるで一緒に頭を下げているみたいだった。
「タオロンさん」
ハオリュウが静かに口を開く。
「私は確かに藤咲の当主ですが、この地位がいつまでも安泰であるとは限りません。私の足元をすくいたい人間は、いくらでもおります。――ですから、ファンルゥさんが、ご成長されたとき、もし、私がまだ当主の座におりましたら……、そのときに、もう一度、今の言葉を聞かせてください」
「ハオリュウ……様。ありがとうございます!」
私はなんか感動して、うるっと来た。
ファンルゥが独り立ちなんて、まだまだ、ずっと先のことなんだけど、素敵な未来が広がっている――!
「それじゃ、
私は晴れやかな気分で、ふたりに声を掛ける。
今日は、ハオリュウが祖母上に新しい服の依頼をすることにかこつけて、ファンルゥにお礼をしに行く日なのだ。
ファンルゥは、きっと喜んでくれる!
「ハオリュウ、荷物はどこ?」
足の悪いハオリュウに、ものを持たせて歩かせるわけにはいかない。専属の護衛候補のタオロンさんに運んでもらうべきだろう。
「ああ、それなら机の上に――」
言われて見やれば、執務机の上にリボンの掛かった可愛らしい包みが見えた。
それと、もうひとつ。小洒落た包装が――。
「ハオリュウ。これ、チョコレート?」
超高級なことで有名なお店の包装紙は、
「前にルイフォンが『ファンルゥさんは、チョコレートがお好き』と言っていたのを思い出してね。手土産にと用意したんだ」
「……」
「ファンルゥさんのための品だから、甘めのミルクチョコと、ホワイトチョコにしたよ。お酒の入っているものは、ひとつも混じってないから大丈夫」
ハオリュウは、にこにこと得意げに答える。
そういう問題じゃないの……。
このチョコは、子供のおやつにするには高価すぎるの……。
タオロンさんは、たぶん、お値段を知らないと思うけど……。
――この
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