正絹の貴公子-2

 タオロンさんの運転は、私だけを乗せていた行きよりも、貴族シャトーアのハオリュウが一緒の帰りのほうがぎこちなかった。そこはまぁ、如何いかにもタオロンさん、ということで気にしないことにする。

 私とハオリュウは、後部座席に並んで座り、たわいのないおしゃべりをした。主に、これから会うことになるファンルゥのことを私が喋り、ハオリュウが相槌を打つといった感じだ。

 ファンルゥは自分の身を守れるように強くならなきゃいけないということで、私と一緒に母上の指導を受け始めたこと。母上が戯れに見せた剣舞にすっかり夢中になっちゃって、剣舞も習うと決めたこと。だから、あとで私とふたりで、ハオリュウに舞を見せてあげる予定であること。――そんな話だ。

 ちなみに、私とハオリュウは、ちゃんとシートベルトを締めているため、すぐそばに座ってはいるけれど、肌が触れるほどにくっついているわけではない。――残念だけど。

 やがて草薙家うちの門が近づいてきて、私は何気なく外塀を見やり……、思わず声を上げた。

「ファンルゥ!」

 塀の上に、小さな影があった。

 敷地内から高く伸びた木に掴まり、爪先立ちできょろきょろしている。そして、私たちの車を見つけると、ぶんぶんと大きく手を振った。

 危ないよっ!

 注意しなきゃと、私が車の窓を開けたとき、ファンルゥは、ひらりと塀の内側――草薙家うちの敷地内へと飛び降りた。続けて、高い声が聞こえてくる。

「パパとクーちゃん、戻ってきたぁ!」

 よかった。うまく降りられたみたいだ。

 ほっとしていると、ハオリュウが運転席のタオロンさんに言う。

「彼女が、お嬢さんのファンルゥさんですか。聞いていた通り、可愛らしくて、活発な方ですね」

「す、すんません……!」

 タオロンさんは、何故か謝った。

 それから、ハオリュウは私を振り返り、嬉しそうに目を細める。

「初めて逢ったときのクーティエにそっくりだね。本当に、仲の良い姉妹みたいだ」

「……」

 そうだった。

 ハオリュウが初めて草薙家うちに来た日、私はどんなお客さんが来るのか気になって、塀の上から偵察していた。そして、緋扇シュアンに睨まれて、バランスを崩して落ちたのだ。――ちゃんと、足から綺麗に着地したけど。

「…………」

 ……もう、塀の上に乗るのはやめようと思う。



 そして、車は草薙家うちに到着した。

 門ではファンルゥを始め、父上、母上、祖母上までそろっての出迎えだ。

 タオロンさんが素早く運転席から降り、身を翻して後部ドアに向かい、ハオリュウのために扉を開ける。明らかに慣れていない動きだけれど、いずれハオリュウに仕えるつもりの意思表示みたいな懸命な空気が伝わってきた。

 ハオリュウが杖を手に取る。さっきは自分の足だけで歩いていたけど、慣れた自宅以外は、まだ念の為、ということらしい。

 そして、杖の先を地面に下ろす。

 ――その瞬間。

「うわぁぁ!」

 細く高い、歓声が上がった。

「ハオリュウ! ハオリュウだね! もう車椅子じゃなくていいんだ! よかった!」

 ファンルゥの満面の笑顔が彼を迎えた。

 彼女は、ぴょんぴょんと飛び跳ね、元気な癖っ毛をふわふわと揺らす。

「ファンルゥね、ハオリュウのことを聞いてから、天国のママと、天使の国のホンシュアに、ずっとお願いしていた! ハオリュウが早く歩けるようになりますように、って!」

 ハオリュウが、戸惑いに視線を揺らした。

 純粋すぎるファンルゥに、気まずかったんだと思う。――本当は、もうずっと前から、車椅子を使わずに歩けたのだから。私の『お話』の設定が悪かったかもしれない。……ごめん。

 でも、彼が困り顔だったのは一瞬のこと。すぐに花がほころぶように微笑んだ。

「はじめまして、藤咲ハオリュウです。この前は、素敵な絵をありがとう。それから、僕の姉様を助けてくれて、本当にどうもありがとう。まっすぐで、心の綺麗なあなたに会える日を楽しみにしていました」

 ハオリュウは杖を支えにしながらも、優雅にお辞儀する。

 そして、ファンルゥの手を取ると、そっと甲に口づけた。

 えっ!?

 な、な、何、それ……?

 やっぱり、貴族シャトーアだから!?

 う、うう……、身のこなしが洗練されている。格好いい……!

 いいなぁ、ファンルゥ……。



 今日は、ハオリュウが祖母上に夏のよそ行きを注文に来た――ふりをして、ファンルゥにお礼を言いに来た日。

 ……の、はずなんだけど、結局、『ハオリュウが草薙家うちに遊びに来た日』というのが、一番ぴったりだったと思う。

 もともと、母上が『今日はお天気がいいから、お昼は庭で、ガーデンパーティだ!』と張り切っていたから、ご馳走の準備はあったんだけど、想像していた以上のお祭り騒ぎになった。

 ファンルゥへの絵本のプレゼント贈呈は、いつの間にか、囚われのお姫様を助けた勇敢な女騎士の表彰式になっていた。

 それから、ハオリュウの手土産のチョコに舌鼓。……もっとも、あまりにも美味しすぎて一気に食べちゃうのはもったいないのと、夏だから溶けちゃうのとで、すぐに冷蔵庫行きになったけど。

 私とファンルゥの剣舞の披露もやった。剣舞といっても、初心者のファンルゥには、まだ刀を持たせてないので、ふたりとも刀なしの舞だ。

 母上みたいに美しく舞うことはできないけど、妹分になったファンルゥと、ふたりでの舞は、なかなか息が合っていたと思う。ハオリュウも、ちょっとは私に見惚みとれてくれた――と、信じる!

 お腹がいっぱいになり、ファンルゥの目がとろんとしてきたところで、ガーデンパーティはお開きとなった。

 タオロンさんがファンルゥをお昼寝に連れていき、母上たちが後片付けを始める。

 そして――。

「こっちが片付くまで、クーティエは、ハオリュウさんのお相手をよろしくね。終わったら、彼の採寸をするから」

 祖母上が楽しそうに銀髪グレイヘアを揺らしながら、涼しげな笑顔でそう言った。



 ハオリュウが外の空気を感じていたいと言うので、少し暑いけれど、私たちはそのまま庭に残った。

 緑の木陰のベンチで、並んで腰を下ろす。

 母上たちが片付けをしているところから、ちょっと離れた場所。姿は丸見えだから、ハオリュウとふたりきりではないけれど、会話は聞こえないと思うから、ふたりきりといっても嘘ではない……かもしれない。

「今日は、久しぶりに羽根を伸ばせたよ。ありがとう」

 肩が触れそうな真横から、柔らかな声が聞こえた。彼の吐息が頬をかすめ、私の心臓が、どきん、と跳ねる。

「こ、こちらこそっ、来てくれてありがとう!」

 心拍数の上がりきっていた私は、彼の側に用事があったことなど、すっかり忘れている。お礼と共に勢いよく頭を下げると、両脇で高く結い上げた髪の毛で、ぴしゃりと彼をはたいてしまった。

「わ、わっ。ご、ごめんなさい!」

「ううん。……クーティエの髪、綺麗だね」

「は?」

 私の目が、点になった。

 ハオリュウ? 何を言っているの!?

 だけど、彼は至って真面目な顔で……、私は真っ赤になって固まる。

「クーティエが舞うとき、クーティエの髪が風をはらんで、流れるようになびくんだ。しなやかで、のびのびとしていて……。ずっと前に、クーティエのことを『森の妖精みたいだ』と言ったけど、本当にそうだな、って思うよ」

「な、な……なな、何を言って……!」

「この家に来るとき、いつも、どこかの木の陰からクーティエが、ふわりと舞い降りてくるんじゃないかと思うんだ。決まった道なんかじゃなくて、好きなところから自由に――」

「ハオリュウ……?」

草薙家ここは、僕にとって……、特別な場所なんだ」

「……え?」

 ほんの一瞬、ハオリュウの顔に影が落ちた気がした。

 でも、次の瞬間には、彼は穏やかに笑っていて……。

 ――ううん、見間違いなんかじゃない。

 ハオリュウは、はっきりと言ったもの。『今日は、久しぶりに羽を伸ばせた』って。

 つまり、いつも、ずっと気を張り詰めているのだ。

 貴族シャトーアの当主として……。

「――っ」

 私は唇を噛んだ。何か言ってあげたいのに、なんて言えばいいのか、分からない。

 そんな私の気持ちも知らないで、彼は、ゆったりと空を仰ぐ。

 高い空に、鳥が二羽。寄り添うように飛んでいく。

 悠然と、自由に――。

「クーティエ」

 私の名前を呼びながら、彼は、空から私へと目線を移した。

「ファンルゥさんのプレセントの相談に乗ってくれて、ありがとう。ファンルゥさん、とても喜んでくれた。よかった。あなたのおかげだよ」

「ううん。ファンルゥが、あの絵本のシリーズに夢中なのは知っていたもの。お礼を言われるようなことじゃないわ」

 私としては、当然の台詞を返しただけだった。

 なのに、ハオリュウは、ふっと目を伏せた。唇を噛み締め、押し殺した声で呟く。

「クーティエと一緒に――買い物に行きたかったな……」

「えっ!? それなら言ってくれれば……」

 ハオリュウの立場を忘れ、反射的にそう言い掛けた私に、彼は『しまった』という感じに、鋭く息を吸った。

 彼は、まっすぐに顔を上げ、硬い声色で告げる。

「ごめん。僕は、特定の女性と親しくするわけにはいかない身だから……」

「っ!」

 私たちの間を、風が通り抜け、彼の前髪だけを自由気ままに巻き上げた。――闇に染まった彼の瞳を、私にはっきりと見せつけながら。

「女王陛下の婚約者の話――。……受けるの?」

 乾いた声で、私は尋ねた。

 そんなつもりはなかったのに、耳に響いた自分の声は、責めるような口調だった。

 私の視線はきっと、斬り込むように鋭かったと思う。

 だけど、ハオリュウは目をそらさなかった。貴族シャトーアらしく曖昧に笑うこともなく、深い闇色の眼差しで、私の言葉を静かに抱きとめてくれた。

「おそらく、受けることになると思う」

「……っ!」

「僕の立場では、断ることはできないよ」

「そんな……! どうしてよ!? どう考えたって、おかしいじゃない!」

 摂政殿下は、女王陛下がご結婚されても、ご自分が権力を握り続けたいだけだ。

 だから、王族フェイラのヤンイェン殿下から、言いなりにできる貴族シャトーアのハオリュウに、婚約者を取り替えようとしているだけ! ――自分勝手だ。

「女王陛下の婚約者になりたい人なら、他に、いっぱいいるでしょ! だったら、ハオリュウじゃなくたって、いいじゃない!」

「クーティエ……」

 いきなり噛み付いてきた私に、ハオリュウは狼狽する。

「ハオリュウを巻き込まないでよ!」

 分かっている。これは八つ当たりだ。

 でも、私の口は止まらない。

「だって、私……! ハオリュウが好きだもの――!」

 気づいたら、張り裂けるような心が叫んでいた。

 叩きつけた言葉は、私が大切にしていた想い。

 彼を困らせるだけだと分かっているから、ずっと秘めたままでいるつもりだった想い。

「別に、恋人になりたいとか、そんなことは望んでないわよ!」

 叶わぬ恋だって、気づいていた。

 実らぬ恋だって、知っていた。

「けど、ハオリュウが好きだから! ハオリュウが、摂政殿下の駒のように扱われるのが、我慢できないだけ!」

 封印を解いてしまったからだろうか……?

 私の両目から、次々と涙があふれ出す。

 私は、全身を怒りで震わせながら、同時に、とめどなく泣いていた。

 滅茶苦茶だ、私……。

 最低――。

 でも、抑えられなかった。

 だって彼が、『自由』という言葉を、憧れのように口にするから……。

 ――すうっと。

 生ぬるい夏風が、私たちの間を抜けていく。

 私の頬に引きつったすじを残しながら、流れた涙を強引に乾かしていく。

「……クーティエ」

 視界の端で、何かが動いていた。

 白くなるまで握りしめられたハオリュウの拳が、小刻みに戦慄わなないていた。

「……クーティエ。――『私』は、貴族シャトーアの当主だ」

「――!」

 私は鋭く、息を呑む。

「女王陛下とのお話を別にしても、私には幾つもの縁談が上がっている。当主である私には、藤咲にとって一番、望ましい方と縁を結ぶ義務がある」

「……っ」

「私は生まれたときから、衣食住に始まり、高い教育も、豊かな財力も保証されてきた。それは、私が将来、藤咲に富をもたらすことを引き換えに得た特権だ。私は、その暗黙の約束をたがえるわけにはいかない」

「ハオリュ……」

「女王陛下との結婚が、藤咲にとって一番、利益になると思えば、私は女王陛下を選ぶ」

 彼は、掌の中に本心を握りつぶして、きっぱりと言い切った。

 それが、彼の覚悟なんだって……、見せつけられた。

 ……知っていた。

 彼が、そういう人だってことを――。

 嗚咽を漏らす私の耳に、淡々としたハオリュウの声が響く。      

「私の父は、確かに平民バイスアの私の母と再婚した。けど、その前に、異母姉あねの母君である大貴族の令嬢と結婚している」

 分かっているわよ。私じゃ駄目だってことくらい。

 惨めだから、もう何も言わないでよ。

 ――だけど、無情にも彼は続ける。

「私の母との再婚は『異母姉あねに婿を取れば、藤咲は安泰だ』との親族の妥協――目論見があった。だから当然、私という嫡男の誕生を、親族は快く思わなかった。亡き者にされそうになったこともある」

「……!?」

「藤咲にとって、私は望まれない人間だ」

「な、何を――!?」

「これが、私を取り巻く環境だよ。――あなたに知っていてほしいと思ったから、口にした」

 不可思議な微笑で私を見つめ、ハオリュウは、ふわりと闇をまとう。

「……どういう……意味……?」

 けれど彼は、私の問いかけには答えず、静かに言葉を重ねる。

「後ろ盾のない私は、とても弱い当主だ。私は自分で、強くならなければいけない」

「ハオリュウ?」

「今の私に言えることは、これだけだ。これ以上を言う資格はない」



 夏の風が、木陰を揺らす。

 ざわざわと、葉擦れの音を奏でる。

 口を閉ざしてしまったハオリュウを見続けることができなくて、私はうつむいた。

 だけど、彼の気配はまるで動かず、彼はじっと私を見つめ続けていた。

 私の髪を飾る、絹のリボンが風に舞う。

 軽やかな絹のはためきが、私の鼓膜を震わせた。

 華やかな絹のはためきは、彼の網膜に何を映しているのだろうか……。



 やがて、祖母上が迎えに来て、ハオリュウは採寸に向かった。



 ハオリュウは、絹の貴公子だ。

 平民バイスアの血を引いているなんて関係ない。生粋の貴族シャトーアの――正絹の貴公子だ。



 ハオリュウに言えなかったことが、ひとつある。

 私は、舞姫に選ばれた。

 女王陛下の婚約の儀の奉納舞。その群舞の際の、大勢いる舞姫の中のひとりだけれど、若い舞い手にとっては垂涎すいぜんまとのお役目だ。

 ハオリュウが、陛下の婚約者になるかもしれないという話が出る前に、審査を受けていた。

 舞台の中央に立つのは、国一番の舞い手である母上に内定していた。『親の七光りで、どうせクーティエは選ばれるに決まっている』と、散々、嫌味とやっかみを言われていたけれど、誰にも文句を言わせない完璧な演舞で周りを黙らせた――はずだ。

 だから、通知を受けたとき、本当に嬉しかった。誇らしかった。

 でも――。

「ハオリュウと陛下のためになんて、舞いたくないわよ……」

 私の口の中には、甘くとろけたはずの高級チョコレートの味が、苦く残っていた。

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