4.囚われの姫君-2
「取り乱したりして、失礼いたしました」
メイシアは、〈
黒絹の髪の先が、自分の膝をさらりと撫でる。体を動かすと、投げ飛ばされたときに打った背中が悲鳴を上げたが、その痛みは矜持でもって表には出さなかった。
「おやおや、急に従順になりましたね」
揶揄するような〈
そんな彼女の屈辱など、お見通しなのだろう。〈
「心を入れ替えたあなたに、敬意を表して良いことを教えて差し上げましょう」
〈
身構えると、自然と肩に力が入る。その様子に、〈
「『契約』に抵触するため、詳しい理屈は説明できませんが、リュイセンに教えたことの半分は嘘ですよ」
「え……?」
「あなたは『鷹刀セレイエの〈影〉』であり、『今はあなた本人だけど、いずれあなたでなくなる』という話――本当は、少し違うのです」
「!?」
メイシアは不審と不安、それから、ほんの少しの期待で体を震わせた。無意識に自分の体を抱きしめれば、手枷の鎖が油断は禁物だとばかりに、じゃらりと音を立てる。
「あなたにとっては朗報ですよ」
優しげにすら見える眼差しで、彼女を囚えている〈悪魔〉は告げる。
「あなたは、あなたのまま、別人になることはありません。あなたは、ただ『鷹刀セレイエ』の記憶『も』、持っているだけ――……っ!」
突然、〈
「〈
「な、に……!? ……この……程度で……、駄目、なのか……! 糞……っ」
「大丈夫ですか!?」
メイシアは血相を変えた。たとえ彼が敵であっても、いきなり目の前で苦しみ出したら、さすがに落ち着いてなどいられない。思わず、ベッドから飛び降りる。
「だから……『契約』……言った……しょう……!」
脂汗を浮かべながら、憤怒の顔で〈
「しばらく……、収まり……す」
〈
辛そうに肩を上下させる〈
「『契約』……、
今、起きたことを確認するかのように、彼女は、ぽつりと言葉を落とした。
「私は、私のままでありながら、セレイエさんの記憶も持つことができる。それは、私が
〈
当然だろう。迂闊に肯定などしようものなら、死が訪れる。
しかし、その彼の態度が、彼女の言葉の正しさを示していた。
それは、すなわち。
メイシアの
「あぁ……」
心の底から、安堵が広がる。
歓喜がこみ上げてきた。こんな状況にも関わらず、薄紅の唇に微笑みが浮かぶ。
ルイフォン、と心の中で呼びかけた。
必ず、あなたのもとに帰るから……。
「安心しましたか?」
憮然とした声が、彼女を現実に引き戻した。
〈
「あなたが、あなたの中の『鷹刀セレイエ』をあれほど激しく拒絶してしまっては、『彼女』が目覚めるのは難しいかと思いましてね。あなたを落ち着けて差し上げようとしたのですよ。……無茶をしました」
「……」
随分と恩着せがましい物言いだった。〈
だから、当然のことながら、〈
ただ――。
いまだ〈
彼は決して、狂人などではなく、『セレイエを見つける』という目的のためになら、手段を問わないほどに必死なだけだ。
だからこそ、手強い。
そして、リュイセンも……。
〈
リュイセンが裏切らなくても、やがてメイシアは消えてしまう。そう説明されれば、リュイセンも決断しやすくなる。
何故、リュイセンが〈
「計画では、時が来れば、あなたの中の『鷹刀セレイエ』は自然に目覚めるはずだったそうですよ」
『契約』の警告が収まったからか、前より少し軽い口調で、〈
メイシアは、問わずにはいられなかった。
「……あなたがセレイエさんを探しているのは、彼女に復讐するため、ですか?」
〈
では、セレイエに会ったなら――?
メイシアの黒曜石の瞳が陰りを帯びる。
「〈
けど――と、続けようとしたところで、〈
「ほう? いったい何を言い出すかと思えば……」
彼は、わざとらしく驚いたように眉を上げ、鼻で笑う。
「同情を装った、ご機嫌取りですか」
「い、いえ!」
メイシアは、反射的に否定した。
しかし、否定してから気づく。
囚われの身の彼女にとって、〈
良いことではない。けれど、やるべきことだ。これは、彼女の戦いなのだから。
メイシアは、手枷の鎖を鳴らし、胸に手を当てた。
それは、高鳴る鼓動を鎮めるためでもあり、同時に、自分の行為は、決して卑屈な腰巾着のそれではないと、胸を張るためでもあった。
「私……、あなたのお姉様に――ユイラン様にお会いしました」
「姉さん……!?」
〈
メイシアは、やはり、と内心で思う。
目的のためには手段を選ばないような〈
――『鷹刀一族への思い』だ。
もはや関係の修復は不可能と諦めながらも、彼は今でも一族を大切に思っている。それは、これまでのやり取りから明らかで、だからメイシアは、卑劣と思いながらも『偽りの『和解』で彼を騙す』という策まで考えた。
ユイランの名前を出したのは、生前のヘイシャオにとって身近であろう人物で、かつ現在、正面から敵対しているイーレオやエルファンを避けた結果だ。
「ユイラン様は、『弟の死は、事実上の自殺だった。だから、彼が自分の意思で生き返ることはあり得ない。〈
「はっ!」
突然、〈
「それはつまり、私は『不本意に『生』を
その通りだ。
意に反しての蘇りを強いられた上に、『駒』にされたのだ。さぞや恨み骨髄だろうと、メイシアは話を持っていくつもりだった。
しかし、〈
「あなたも――姉さんも、『
〈
「ええ、分かっていますとも! それが真実なのでしょう! 死の間際のホンシュアも、同じことを言っていましたから!」
彼は、悪鬼の形相で吠えた。
わなわなと曲げられた指で、白髪混じりの自分の頭を掻きむしる。まるで、その中にある記憶をほじくり返し、
「けれど、『私』は知りません……! 『私』は、『鷹刀ヘイシャオ』が死んだことすら知りません!」
「え……? ……あっ!」
メイシアは一瞬、混乱し、しかし聡明な彼女は、すぐに〈
「当然でしょう! 『私』が持つ記憶は、『ヘイシャオが生きている間』に保存されたもの。『私』が、彼の死を知るはずがありません!」
「……っ」
叩きつけられた鋭い声に、メイシアは肩を縮こませる。
「私は――いえ、オリジナルの『鷹刀ヘイシャオ』は、ミンウェイと約束を交わしました。『生を
「鷹刀ヘイシャオが、自殺などするはずがないのです。彼が自ら『死』を望むなど、あり得ない!」
「きゃっ」
だんっ、と強く足を踏み鳴らした〈
激しい憤りの表情を見せながら、しかし、彼の心は明らかに追い詰められていた。それは、彼が鷹刀ヘイシャオ本人ではなく、作られた『もの』であるが故の苦しみであり、憐れであり、不幸だった。
「ええ、私も馬鹿ではありません。分かっていますよ。――私の持つ記憶が保存された時点から、オリジナルの鷹刀ヘイシャオが死ぬまでの間に、『彼が心変わりするような事件があった』ということでしょう」
ぞっとするほどに深く、怨嗟に満ちた笑みで、〈
「しかし、たとえ何があったとしても、『死』はミンウェイへの裏切り行為です。私はヘイシャオを許しません」
『ミンウェイ』と口にしたときだけ、〈
切なげで愛しげで、辛そうでもあるのに、そのときだけ険が和らぐ……。
彼の言う『ミンウェイ』は、メイシアのよく知るミンウェイではなく、彼女の母であり、〈
「小娘。あなたは、私が鷹刀セレイエを探す理由を訊きましたね。――お答えしましょう。『私が、生き残るため』ですよ」
「……!?」
唐突な発言だった。
メイシアは理解が追いつかず、黒曜石の瞳をただただ大きく見開く。そんな彼女に、〈
「まず初めに確認ですが、鷹刀の子猫や、あなたの異母弟がこの館で見聞きしたことは、あなたにも伝わっていると考えて問題ありませんね?」
「――はい」
恐る恐る、答えた。
何か、とんでもない話が始まる予感がして、メイシアの体は、否が応でも緊張で固まっていく。
「ならば、私が〈神の御子〉を――『ライシェン』を作ったことはご存知でしょう?」
「はい……」
「『ライシェン』は、王家のトップシークレットです。摂政カイウォルは、完成した『ライシェン』を受け取ったあかつきには、秘密を知る私を殺そうとするでしょう」
メイシアは、そのまま頷こうとして、はたと疑問に思った。戸惑いの呼吸に、気配にさとい〈
この状況で何も言わないのは得策ではないだろう。彼女は遠慮がちに「すみません」と断り、慎重に言葉を選びながら、おずおずと尋ねる。
「王家に〈神の御子〉が必要になったとき、〈悪魔〉たちが〈神の御子〉を作ることは、慣例となっているはずです。なのに、役目を果たした〈悪魔〉が殺されるなんて、おかしいと思います」
彼女の弁に、〈
「『ライシェン』には、特別な事情があるのですよ」
気になる答えだった。
しかし、〈
「そして、鷹刀セレイエもまた、摂政に命を狙われています。摂政にとって、彼女は私以上に目障りな人間なのですよ。彼女がすべてを〈影〉に任せて雲隠れしているのも、おそらく摂政から身を守るためでしょう」
メイシアは瞳を瞬かせた。
セレイエもまた、〈
首をかしげたメイシアの耳に、驚くべき〈
「ですから、私は、摂政に対抗するために、鷹刀セレイエと手を組みたいのです」
「……!?」
思わず、目を見開いた。
〈
その疑問は、そのまま顔に出ていたのだろう。彼は
「あなたの言いたいことは分かります。私は、自分を『駒』にしたセレイエを憎んでいるはずだ、手を組むなど、あり得ない。――そうでしょう?」
声高な〈
「……憎んでいますよ。こうしている今だって、はらわたが煮えくり返っています。――しかし、『生きて』と言った、ミンウェイとの最後の約束を守るためには、そうするしかないのです」
〈
彼女と交わした約束は、絶対の誓約。
純粋すぎる思いが、痛々しいほどの哀愁を漂わせる。
けれど同時に、そんな彼を冷ややかな目で見つめる自分がいることに、メイシアは気づいた。
彼の言葉を、ほんの少し離れて聞いてみれば、それはただの生への執着だ。
この男は、他人の犠牲をいとわない。メイシアの父は、彼に殺されたも同然だ。そんな人間の語る生など、耳を傾ける価値はない。――そう思う。
「鷹刀セレイエへの復讐は、私の身の安全が保証されてからです。場合によっては、表に引きずり出した彼女を摂政に売って、保身を図ってもよいわけです。交渉次第ですよ」
そう言って〈
「何しろ私の手元には、鷹刀セレイエが最大の頼みにしている『最強の〈天使〉の器』がありますからね。彼女は私を無下にはできないはずです」
「!?」
捕食者の目だった。
本能的に身の危険を感じ、メイシアの背筋が凍る。
『最強の〈天使〉の器』――あの会議のときに、リュイセンが、メイシアに対して口にした言葉だ。そして、イーレオが『契約』に苦しみ、エルファンがこう叫んだのだ――。
「――
知らず、声に出した彼女に、〈
「どうしてそれを?」
失言だったのか――?
焦るメイシアに〈
「……エルファン様が、ルイフォンのお母様から――〈天使〉だったキリファさんから聞いたそうです」
「なるほど。『契約』に触れかねない話でしたから、あなたがご存知で助かりました」
〈
「そうです。あなたこそ、『最強の〈天使〉の器』です。……ひとつ付け加えるならば、あなたが最強といえる理由は、
「え?」
「〈天使〉の力の使い方を熟知した『鷹刀セレイエ』の知識があるからこそ、最強たり得るのです。ただ
メイシアは、無意識に自分の体を抱きしめた。
血の気の引いた白蝋のような顔で、じっと〈
「あなたは切り札です。あなたの身柄が、私を優位に立たせてくれる。――あなたは、『デヴァイン・シンフォニア
「『デヴァイン・シンフォニア
結局は、これなのだ。
がたがたと、体が震える。
その動きに合わせ、手首から伸びた鎖が、囚われの音色を響かせる。
「……『デヴァイン・シンフォニア
仕組まれた運命からの解放を祈るように、メイシアの口から細い声が漏れた。
「私も全貌を把握しているわけではありません。それより、あなたの中の『鷹刀セレイエ』が目覚めれば、あなたは自然にすべてを知ることができるはずなのですが……」
〈
「わざわざ説明するのは面倒臭いと思っておりましたが、まぁ、よいでしょう。あなたの中の『鷹刀セレイエ』への刺激になるかもしれませんし、あなたが驚く顔を見るのも面白い余興でしょう」
閉ざされた地下の研究室に、魅惑の薄笑いが広がる。
白衣の〈悪魔〉は、まるで呪文を描くかのように、虚空に向かって指を滑らせた。
「『デヴァイン・シンフォニア』は、『di;vine+sin;fonia』と綴るのだそうですよ」
『di』は、『ふたつ』を意味する接頭辞。『vine』は、『
つまり、『ふたつの
――転じて、『二重螺旋』『DNAの立体構造』――『命』の暗喩。
『sin』は『罪』。『fonia』は語呂合わせ。
これらの意味を繋ぎ合わせて、『命に対する冒涜』。
「鷹刀セレイエは、自分の『願い』が冒涜であると理解していながら、それでもなお、望まずにはいられなかったんですよ」
「セレイエさんの『願い』……?」
メイシアが問うと、〈
「彼女は私と同類です。――死んだ人間を諦めきれず、それが『命に対する冒涜』と知りながらも、蘇らせようと
「セレイエさんは、どなたか大切な方を亡くした。……そういうことですか?」
顔色を変えたメイシアに、〈
「ええ。鷹刀セレイエは子供を亡くしました。……殺されたんですよ」
「!?」
メイシアは息を呑んだ。
ルイフォンが言っていた。――異父姉のセレイエは
そして、子供が生まれていたのだ。
「どうして……、殺されるなんて……」
メイシアのその言葉を待っていたのだろう。〈
「生まれた子供が、『白金の髪、青灰色の瞳の男子』――すなわち、〈神の御子〉の男子だったからですよ」
「――!」
それがもし本当ならば、その子供は現女王を退け、王位に就く資格を持つ。
しかし、
――否だ。
だから、殺されたのだ。
「もう、お分かりでしょう? 〈神の御子〉の『ライシェン』。――彼は、鷹刀セレイエの子供のクローンです」
「……!」
悲鳴が、漏れそうになった。
声を押さえようと口元に手を当てると、それに連なる手枷の鎖が、代わりの音を高く響かせる。
〈悪魔〉は
「鷹刀セレイエは、殺された息子を『次代の王』として誕生させようとしているのですよ」
それが――。
『デヴァイン・シンフォニア
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