2.守護者との邂逅-1
〈ベロ〉と話をしたいというエルファンに運ばれ、ルイフォンは屋敷の地下にやってきた。
物凄い唸りと振動を撒き散らす、巨大なコンピュータ――ルイフォンが『張りぼて』と呼んでいるほうの〈ベロ〉の脇を通り抜け、続き部屋となっている小部屋の扉を開く。
その瞬間。
部屋の中から、まばゆい光があふれ出した。
「――っ!?」
瞳を
清冽な白金の流れが、勢いよく小部屋を巡る。
神々しさすら感じる輝きの渦。
やがてそれは、個々に意思を持ったかのように乱舞を始め、互いに絡み合い、繋がり合い、光のベールを作り出していく……。
幻想的な光景に、目を奪われた。
〈天使〉の羽に酷似したその光は、神聖で犯しがたく、禁忌的。
同じ『もの』である〈ケル〉を知っているルイフォンですら息を呑むのだから、いわんや初めて見たエルファンは、目を見開いたまま凍りついたように動かない。
しかし――。
その神秘的な様相もそこまでだった。
〔ああ、もうっ、
豊かに
部屋の中の、ありとあらゆる白金の糸が震えた。光と音の振動は、まるで巨大な竪琴のすべての弦を弾いたかのよう。その響きは、開け放した扉のこちら側にある、張りぼての〈ベロ〉に勝るとも劣らぬ――騒音……だった。
〔ちょっと、そっちの部屋、うるさいわ。さっさと扉を閉めて中に入ってきなさいよ〕
この声色、この口調。紛れもなく〈ベロ〉である。
「お前のほうが、よっぽどうるさいだろ!」
ルイフォンは、エルファンに噛まされていた猿ぐつわを引きはがし、思い切り叫んだ。だがそれも、あっけなく周りの音に掻き消される。
そんなルイフォンを抱きかかえたまま、冷静さを取り戻したエルファンが小部屋に入り、扉を閉めた。
「何がそんなに
無表情に尋ねるも、エルファンの目線は、さまよっていた。どこに向かって話しかければよいのか、迷っているだけなのかもしれないが、やはり狼狽しているように感じられる。
〔そりゃ、
涙を浮かべて笑い転げる、人工知能――。
姿のない『もの』であるのだから想像でしかないのだが、ルイフォンの目には、その姿が、はっきりと見えた気がした。
「〈ベロ〉、お前は、ルイフォンが強制アクセスしなければ、出てこないのではなかったか?」
エルファンは、〈ベロ〉の笑いをきっぱり無視することに決めたらしい。その態度に、〔つまらない男ね〕という感想に舌打ちまで聞こえ、更に部屋の光がゆらりと不満げに揺れる。
〔私には、お前たちが来るのが分かっているんだから、強制的に引っ張り出されるよりも、あらかじめ待機しておいたほうがスマートでしょう?〕
そんなことも分からないの? と言わんばかりの高飛車な声である。
〈ベロ〉の言うことは、もっともだ。そのほうが効率が良い。この点は、ルイフォンも同意する。だが、どうして、いちいち人の神経を逆なでするような言い方をするのだろう。
――というよりも、これは〈ベロ〉のモデルとなったシャオリエの性格の問題だ。
母は人選を間違えたのだ。ルイフォンは、そう思わずにはいられない。
「なるほど」
一方、エルファンは静かに相槌を打つと、口の端を上げた。
「お前は、この屋敷の出来ごとをすべて知っているというわけか。それなら話は早い。では、説明は不要だな?」
〔エルファン、そのへんにキリファの仮眠用のベッドがあるから、ルイフォンを寝かせるといいわ〕
「あ? ああ」
質問への返答としては微妙に噛み合っていないのだが、相手は、思うままに、気ままに好き勝手のシャオリエ――をモデルにした『もの』である。
一応は気遣いだと解釈したエルファンは「すまない」と述べて、ルイフォンを下ろす。しかし、次の〈ベロ〉のひとことが、彼の謝意を無下にした。
〔これが十年前ならば、嬉しいくせに無愛想にルイフォンを抱っこしているお前なんて、さぞかし見ものだったんでしょうけれど、さすがにその図体になってからだと、むさ苦しいだけだわぁ。――それと、エルファン。お前、いつまでも若いつもりでいると、ぎっくり腰になるわよ?〕
「……」
エルファンは黙って虚空を見つめた。彼の双眸には、凍てつく殺気がみなぎっている。
その状況をベッドから眺めやり、ルイフォンは心の中で呟いた。
――ああ、面倒臭ぇ……。
やはり、というか。なんというか。〈ベロ〉とは会話が成立しない。シャオリエそのものなのだから、当然だろう。
まったく、こんな奴と話をしたいとは、エルファンも物好きだ。
ルイフォンは傍観を決め込むことにした。横になったことだし、少しでも体を休めて早く傷を治すのだ。それがメイシアを助けることに繋がる。
彼は半眼になりながらそう思い、同時にふと疑問を
機械類、とりわけ母の遺した〈ケルベロス〉に興味津々のルイフォンからすれば、〈ベロ〉との対面は、鬱陶しいながらも、好奇心を刺激する。けれど、門外漢のエルファンにとっては、そうではないだろう。
なのにエルファンは、唐突に〈ベロ〉に会いたいと言い出した。
しかも、その目的が『メイシアの危機に、〈ベロ〉が警報のひとつも鳴らさなかった理由を釈明させるため』だ。
これは、無意味だ。
リュイセンは既に、メイシアをさらって屋敷を発っている。起きてしまったことを今更、責め立てたところでどうにもならない。
相手が部下の
何故だ?
エルファンが無意味なことをするとは考えられない。
ルイフォンの思考は一転し、その体は、にわかに緊張に包まれる。
「〈ベロ〉、そろそろ本題に移ろう」
気を取り直したのか、はたまた、眉間に浮かんだ苛立ちを、氷の仮面の下に綺麗に収め終えたのか。エルファンを取り巻く空気が一段、重くなった。
〔そうね。私も充分に笑わせてもらったし、そろそろ、お前に付き合ってあげてもいいわ〕
受けて立つ、とでもいうように部屋中の糸が挑戦的にうねりを上げ、からかうような声が響く。
〔お前は、私が警報を鳴らさなかった理由を知りたいんだっけ?〕
「ああ、それならば知っている」
即答だった。
わずかに顎を上げたエルファンは、無表情ながらもどこか得意げで、緩やかに腕を組むその仕草は、今までのお返しだと言わんばかりに見えた。
「〈ケルベロス〉は〈七つの大罪〉の技術の結晶。その性能をフルに使えば、不可能も可能になる、そんな禁忌の代物だ。だから、キリファが『原則として、〈ケルベロス〉は人の世に関わってはいけない』と決めた。――それを守っているためだろう?」
〔何よ! ちゃんと分かっているじゃないの!〕
唇を
「は……?」
ルイフォンは呆けたように呟いた。
母は、〈ケルベロス〉に『人の世に関わってはいけない』と命じたという。それは、つまり『何もするな』ということだ。
ならば、いったいなんのために、母は〈ケルベロス〉を作ったのだ?
ルイフォンは思索の海に沈みかけ、はたと現状に気づく。
「おい、エルファン。じゃあ、警報がどうのって話はなんだよ?」
さっきまで、それを真剣に考えていた彼は、思わずベッドから体を浮かせた。その途端、腹の傷が引きつれて、「痛ぇ……」と悶絶する羽目になる。
ルイフォンの抗議など、エルファンはとっくに予測済みだったのだろう。こちらを振り返り、ふっと鼻で笑った。
「ああ。それは面倒な説明を抜きにして、とりあえずお前を〈ベロ〉のところに連れてくるための方便だ。あんな適当な理由に、お前もよく納得したな」
「納得してねぇよ! お前が、俺を勝手に運んだだけだろ!」
傷を庇いながらも、ルイフォンは言い返す。
わけが分からない。いったい、エルファンは何を考えているのだ。
猫の目を吊り上げ、文句たらたらのルイフォンに、エルファンは口の端を上げた。
「まぁ、聞いていろ。これから、お前とメイシアにとって重要な話になる」
「メイシア!?」
愛しい名前に胸が震えた。
そして次の瞬間には、ルイフォンの目つきは鋭くなり、顔つきが変わり、神経が研ぎ澄まされる。
「ルイフォン、お前はメイシアを取り戻す。それがどんなに困難だったとしても。――そうだな?」
重く、冷ややかな口調であったが、白金の光を映すエルファンの瞳には慈愛の色が見えた。質問の意図は分からぬが、ルイフォンの答えはひとつに決まっている。
「当然だ!」
「それでこそ、だ」
エルファンは満足げな笑みをこぼすと、身を翻す。広い背中が『ついて来い』と告げているように見えた。
「〈ベロ〉」
玲瓏たる響きが、虚空に向けて放たれた。
エルファンは光の波打つ天井を仰ぎ、そのうねりを追うように瞳を巡らせる。ちらりと見えた横顔は、神秘の白金に照らされて、まるで祈りを捧げるかのように静謐だった。
「メイシアの身柄は、必ずルイフォンが取り戻す。人の世のことは、人の手でなんとかする。そこに、お前の協力は求めない。それは約束する」
〔いきなり、どうしたの?〕
目的の読めぬ言動への不快と、興味。光の糸が弾かれ、ざわりと
「だが、〈七つの大罪〉の領域にあるものは、私たちにはどうすることもできない。だから、お前に助けてほしい。――頼む」
〔どういうこと?〕
白金の光が、戸惑うように明暗を変えた。
「メイシアがさらわれた経緯は知っているのだろう? では、メイシアを手に入れた〈
「――!」
ルイフォンの心臓に衝撃が走った。
そうだ。
〈
『メイシアは、『セレイエの〈影〉』だそうだ……』
『『今はメイシア本人だけど、いずれメイシアでなくなる』と……』
脳裏に蘇ったリュイセンの言葉に、息が止まりそうになる。
メイシアが、初めて鷹刀一族の屋敷を訪れた日。その直前に、彼女は仕立て屋に化けたセレイエの〈影〉、ホンシュアに会っている。そのときに何かをされたのは、もう疑いようもない。
そして――。
『セレイエは、メイシアを『最強の〈天使〉』にして、その体を乗っ取ろうとしている』
エルファンは、そう読んだ。
今まさに、その話をしているのだ。
「――メイシア……!」
ルイフォンは叫びたくなるのを押さえ、唇を噛んだ。口の中に広がる血の味も、ぐっとこらえる。
「〈ベロ〉、〈影〉は人の世の存在ではない。〈七つの大罪〉の領域だ。――ルイフォンはメイシアの身柄を取り戻すことはできても、彼女が〈影〉にされるのを止めることはできない」
「!」
エルファンの言葉に、ルイフォンの体は情けないくらいに震えた。
後ろを振り返らなくとも、エルファンには、その様子が手に取るように分かっていただろう。しかし、彼はそのまま白金の光を浴びながら、祈るように告げた。
「だから、〈ベロ〉。手を貸してくれ。メイシアが〈影〉にされるのを阻止してほしい」
「!?」
ルイフォンは息を呑んだ。
「……できるのか?」
〈天使〉の力には抗えない。〈天使〉である母に記憶を改竄されたルイフォンは、それを身をもって知っている。
けれど――。
「〈ベロ〉、お前なら、メイシアを助けられるのか!?」
ルイフォンは痛む腹も気にせずに、ベッドから飛び下りた。引きつるような激痛が走ったが、そんなことは構わない。這うようにして移動して、エルファンの隣にひざまずく。
「〈ベロ〉、頼む! メイシアを助けてくれ!」
体を折り曲げ、頭を下げると、腹が裂けたような感触があった。だらだらと冷や汗をたらすルイフォンに、エルファンが顔色を変え、〈ベロ〉の光が慌てふためく。
「ルイフォン!」
〔ルイフォン、やめなさい!〕
ぱたりと倒れそうになったルイフォンを、エルファンは抱え上げた。そして、天の光に向かって叫ぶ。
「〈ベロ〉! 頼む! ルイフォンに手を貸してやってくれ!」
すがるような眼差しだった。そこに、冷徹なる次期総帥の面影はない。
強く弾かれた弦のように、光の糸が大きくたわんだ。白金の輝きが、震えるように明暗を揺らす。
そして。
〔……お前たちの望みには、応えられないわ〕
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます