3.幽鬼からの使者-2

 灰色の道に、すらりとした人影が降り立った。ごく自然な立ち姿であるのに、頭から足先まで、ぴんと芯の通った美しさがあり、その人の周りにだけ華やぎが広がる。

「シャンリー様!」

 メイシアの声に、ルイフォンは慌てて後ろを振り返った。彼の、その顔を見た瞬間、くだんの人物は、ぷっと吹き出す。

「おいおい、ルイフォン。そんなに驚いたのか」

 腰にいた直刀と、ベリーショートの髪を揺らしながら、シャンリーが揶揄する。

 だが、気配をひそめていた彼女に、ルイフォンが気づくはずもない。何しろ彼女は、もと凶賊ダリジィン。しかも武術師範のチャオラウの姪であり、養女だ。

 剣舞の道を行くために、夫のレイウェンと共に一族を抜けてしまったが、本来なら鷹刀一族を背負っていく人間だった。要するに、戦闘面において、ルイフォンとは格が違う。

 笑われた不満が、顔に出ていたのだろう。シャンリーは、にやりとしながら、タオロンを顎でしゃくった。

「そっちの坊やは、とっくに私の存在に気づいていたぞ」

「やはり、お前らの知り合いだったのか」

 納得したような、しかし、どこか納得していないような。微妙な具合に、タオロンは太い眉を寄せていた。そんな彼に、シャンリーは口の端を上げる。

「『どちら』か悩んでいるようだから、教えてやろう。女だ」

「し、失礼した!」

「慣れているから、気にするな」

 シャンリーは豪快に笑った。彼女が腰に手を当てて胸を張ると、女性らしい豊満さを欠いた、美しく引き締まった肉体が際立つ。

 剣舞の名手として名の知れた彼女は、ちまたでは『男装の麗人』と、もてはやされている。若い女性を中心に黄色い声が飛び交うのだが、彼女自身は男装をしているつもりは、これっぽっちもない。

 単に、動きやすさを追求した彼女の装いを、周りが女性のものとみなさないだけであり、彼女の言葉遣いからもまた、女性らしさを感じられない、というだけの話である。

「私の名は、草薙シャンリーだ、よろしく。そちらは、斑目タオロン、だな?」

 シャンリーの口調は親しげで、今にも握手でも求めそうな勢いであった。タオロンの猪突猛進の愚直さを気に入ったらしい。

 一方、強引に「よろしく」されたタオロンのほうは腰が引けていた。悲痛な顔をして、ルイフォンに襲いかかろうとしていたところに割って入られたのだから、無理もない。

「おい、シャンリー。タオロンが困っているぞ。それより、何故、お前がここにいるんだ?」

 ルイフォンは、先ほどから気に掛かっていた疑問を口にした。

 敵を目の前に内輪の会話もどうかと思うが、タオロンはそれを邪魔をするような無粋な輩ではあるまい。それに、シャンリーも気安く振る舞っているようでいて、実はまるで隙がなかった。

「今日の私は、メイシアに雇われた護衛だよ」

「えっ?」

 驚いて、メイシアを見やれば、彼女はこくりと頷く。ただし、ルイフォンに対して後ろめたさがあるのか、わずかに肩が丸まっている。

 そんな様子に苦笑しながら、シャンリーが補足した。

草薙うちは服飾会社だけでなくて、警備会社もやっているのは知っているだろう? 護衛の派遣もしている。――で」

 そこで、シャンリーの目が据わった。心なしか、声も低くなっている。

「メイシアは、どこかの誰かさんに『世間知らずの箱入り娘が、繁華街をうろつくなんて危険だ』と言われて、護衛を探していた。しかも、『男の護衛は駄目だ』と厳しく言い渡されていたらしい。それで、私が買って出た」

 シャンリーがメイシアと連れだって歩けば、少し歳の離れた美男美女のカップルにしか見えないのだが、護衛としては確かに適任といえた。

「ルイフォンが来てくれたので、てっきりシャンリー様は、あのままシャオリエさんと、お話をされているものと思っておりました」

 メイシアにそう言われて、ルイフォンは気づく。

 シャオリエに客が来ている、というのは嘘ではなかったらしい。意外な組み合わせだが、シャオリエもシャンリーも、もと鷹刀一族。昔なじみなのだろう。

 シャンリーが「『様』付けは、やめてくれ」と、照れたように顔をしかめてから言を継ぐ。

「せっかく騎士ナイトのお迎えが来たのに、私がうろついていたら野暮だろう? だから、隠れていただけだ。――メイシアは、金まで払った正式な雇い主なんだから、ほったらかしにするわけがない」

「『金』?」

 首を傾げるルイフォンに、シャンリーは深々と頷く。

「ああ。なけなしのメイド見習いの初月給を、まるごと寄越してきた。要らんと言ったのに、けじめだと言ってな。亭主関白の暴言男の言いつけを律儀に守って、安全に配慮して外出するとは、健気な子だ。私に夫がいなければ、嫁に貰いたいところだ」

 微妙に素っ頓狂な発言である上に、言葉の端々にあからさまな悪意を感じる。

 けれど、『〈ムスカ〉に狙われている、危険だ』と言ったルイフォン自身が車を使うのを忘れて、のこのこメイシアを連れ回し、彼女を危険に晒した。まったくもって面目が立たず、ぐうの音も出ない。

「私のお給料では、シャンリー様……さんを雇うのには足りないと分かっております。だから、充分にご厚意に甘えさせていただきました」

「本当は、その金で、ルイフォンに何かプレゼントしたかったんだろう?」

「えっ?」

 メイシアは目を見開き、頬を染めてうつむく。図星だったらしい。

 シャンリーは、意味ありげにルイフォンを見やり、にやりと目を細めた。が、何も言わなかった。……いっそ、嫌味のひとつでも言ってくれたほうがすっきりした気がする。

「さて。私についての疑問はこれで解消したか? いい加減、そこの坊やを待たせているのも悪い」

 すっと目線をやり、シャンリーはタオロンを示す。

「タオロンと言ったな。私が来たことで、お前はもう詰んでいる。――このふたりが逃げ切る前に、私を倒すことなど不可能だ」

 そう言いながら、タオロンににじり寄る。

「――故に、『メイシアを捕らえる』というお前の受けためいは成功しない。無駄な戦いは、やめにしないか?」

 女性としては、かなり背の高いシャンリーだが、それよりも遥かに上背のあるタオロンに向かい、彼女は威圧的に臨む。しかし、タオロンは、押され気味ながらも首を振った。

「藤咲メイシアを捕まえるように命じられたのは、俺だけじゃない。〈ムスカ〉が金で雇った奴らが他にいる」

「ああ、確かに雑魚がうろついていたね。目についた奴らは寝かせてきたが……そうだな、それが全員とは限らない。では、迂闊にふたりを逃がすよりも、私がお前を倒すまで、そばにいてもらったほうがいいのか」

 タオロンは、太い眉をしかめながら頷く。

 それが、合意の合図となった。

 両者共に、間合いを取るべく、ぱっと後ろに下がる。着地した足元で砂が散り、土埃が舞う。

「では、勝負だ!」

 シャンリーが叫ぶと、鞘走りの音が鳴り響き、銀色の閃光が煌めいた。



 タオロンが、重たいごうの太刀を放つ。

 低いうなりと、烈風をまとった斬撃が、シャンリーに襲いかかる。

 幅広の刃が、まさに肌に触れんとしたとき、シャンリーは踊るように身をしならせ、体の芯をほんのわずかにずらした。

 たったそれだけ。

 それだけで、タオロンの渾身の一撃はくうを薙いだ。衝撃の余波が、悔しげに彼女の服をなぶる。

 タオロンは顔色を変えた。

 重量のある彼の大刀は、さほど高速の軌道を描かない。だから、見切ること自体は難しくはないだろう。だが、そこから生み出される破壊力は計り知れない。

 普通の人間なら、多少なりとも恐怖を覚える。ぎりぎりでかわす利はないはずだ。

 冷や汗を流すタオロンに、シャンリーが微笑む。

「見た目通りの豪剣の使い手だな。嬉しくなるね」

 では、こちらから、と。シャンリーの目線が告げる。

 音もなく静から動へと転じると、タオロンに向かって直刀を繰り出した。ひとたび動き始めた彼女は、すべらかに流れ出した水のように留まることを知らない。

「っ!」

 始めは緩やかに見えたその突きは、途中で急流のように速度を増す。それも一刀ではない。滝壺に叩きつけるが如く、無数の突きがタオロンに打ちつけられる。

 数撃目までは正面から受けていた彼も、たまらずに後ろに大きく飛び退いた。シャツごと皮膚が裂け、鮮血が散る。

 対してシャンリーは、愛刀に唇を寄せ、笑みをこぼしていた。

 その姿は、今までの印象を覆す、ぞくりとする『美女』だった。あれだけ高速の突きを繰り返したにも関わらず、息ひとつ乱していない。

 タオロンは遅ればせながら気づいた。

 王宮に召されるほどの剣舞の名手、草薙シャンリー。

 刀に愛され、刀を愛する。その身は刀と共にある、刀の化身。

 本来の後継者だった鷹刀一族の直系の長男は、彼女を娶るために凶賊ダリジィンを抜けたという――。

 相手が女性だと思って、舐めてかかっていたかもしれない。タオロンは気を引き締める。彼は、腹の底から力を溜めた。

「いくぞっ!」

 タオロンは大刀を旋回させ、勢いよく薙ぎ払う。巻き起こった爆風が空間を震わせる。

 先ほどとは比べ物にならないほどの気迫を、シャンリーは直刀を滑らせながら受け流した。

「いくら私でも、お前と力比べする気はないよ」

 彼女は、体の重心を移動させ、タオロンの超人的な威力を無効化する。無駄のない動きは美しく、まるで舞いを見るかのようだ。

「坊や、力みすぎだ。それでは、せっかくの豪腕が刀と喧嘩している」

「!」

 恥辱に顔を染め、相手を睨みつければ、シャンリーはごく真面目に惜しむ目をしていた。戸惑う彼に、彼女は微笑む。

「夫のレイウェンが神速の使い手でな。だから、相棒たる私は、彼と補い合えるように、親父殿のような豪剣のぬしになりたかったんだが……まぁ、性別的に無理でな。だから、お前のようなのが羨ましいだけだ」

 そう言いながらも、シャンリーはひらり、ひらりと舞い踊り、タオロンの大刀が彼女を捕らえることは叶わない。

 斑目一族きっての猛者といわれたタオロンが、赤子のように翻弄されていた。



 ルイフォンは目を疑った。

 偉そうな――もとい余裕の顔をしていたから、シャンリーも『できる』とは思っていた。

 だが、体力のピークにある男のタオロンに対して、シャンリーは一児の母である三十路前後の女性だ。パワーもスタミナも、圧倒的にタオロンのほうが上だ。

 始めは互角の勝負をしても、じわじわとシャンリーが不利になるはず。そう思っていた。だから、適当なところで逃げる算段を立てていたのだが――。

「ルイフォン」

 メイシアが、彼の服を引いた。

「私にはよく分からないのだけれど、シャンリーさんが押している……で、合っている?」

「あ、ああ」

「このままいくと、どうなるの? タオロンさんの負けが決まって、彼を鷹刀に連れていくの?」

「え……?」

 不安げな瞳で見つめてくる彼女の意図を測りかね、彼は言葉を詰まらせる。

「〈ムスカ〉の部下になっているタオロンさんは、〈ムスカ〉の潜伏先を知っている」

「そうか! 奴を捕まえれば……。……奴は律儀だから、素直に吐くかどうか分からないが……」

『拷問』という言葉がよぎり、できれば避けたいところだと思う。タオロンは死んでも口を割らないかもしれない。あるいは、ミンウェイの自白剤に頼れば……。

 そう思ったときだった。メイシアが激しく首を振った。

「そのとき、タオロンさんの娘さんはどうなるの!?」

「!」

 タオロンの娘のファンルゥ。くりっとした丸い目に、ぴょんぴょんと跳ねた癖っ毛が愛らしい女の子。父親そっくりの意思の強さと優しさで、〈天使〉のホンシュアのために懸命になっていた。

 タオロンが捕まったら、あの子は……。

 ルイフォンの背筋が凍る。

 しかし、〈ムスカ〉の居場所は絶対に必要な情報で、タオロンは重要な情報源だ。

 しかも〈ムスカ〉は、今回はメイシアを狙ってきた。イーレオでも、ミンウェイでもなく、メイシアだ。セレイエも、メイシアにこだわっていたし、メイシアには何かあるのだ……。

 ルイフォンは拳を握りしめ、唇を噛む。

「ルイフォン、これを」

 唐突に、メイシアが服の襟を裏返した。見れば、そこには小さなバッジのようなものが留められている。

「これは?」

「シャンリーさんに護衛を頼んだときに渡された、GPS発信機。私に何かあったときの保険に、って。――これを、タオロンさんにこっそりつけて、彼を見逃して」



 シャンリーは、ルイフォンが動き出したのに気づいた。タオロンからは死角となる位置に移動している。何か企んでいるのだと、すぐにぴんときた。

 ――とはいえ、そのときも、タオロンと激しく斬り結んでいる最中であり、詳細は分からない。

 一度、舞台に上がれば、幕が下りるまで、舞い手は踊り続ける。長時間の演技に耐えられるよう鍛えている彼女は、まだまだ体力に余裕があった。しかし、いい加減、どんな幕引きにしたものか、正直なところ困っていた。

 雇い主の要望を聞きはぐっていたことに、今更のように気づいたのである。

 おそらくは殺してはいけないのだろう。彼女としても殺すには惜しい人材だと思う。そもそも、ちょっとやそっと斬り刻んだところで、簡単に死ぬような輩ではない。

 捕らえればいいのか、追い払えばいいのか。そのどちらかだと思うのだが、どちらを選べばいいのかが分からない。

 そのとき、ルイフォンが何かを投げた。

 それは、驚くほど正確な軌道を描き、タオロンの襟首に向かって一直線だった。

 もう少しで、タオロンの首筋に落ちる、そう思ったときだった。はっと気づいたタオロンが、体をずらして避ける。

 ……そりゃ、タオロンほどの使い手なら、普通、気づくだろう。

 半ば呆れ気味に、シャンリーは苦笑する。だが、地面に落ちたそれを見て、雇い主の意図を理解した。

「これは、なんだ?」

 太い眉を寄せ、タオロンが顔をしかめる。

「GPS発信機だな」

 包み隠さずのシャンリーの答えに、タオロンは不快感もあらわに発信機を踏み潰そうとした。

「待て」

 瞬速の一刀が、タオロンを遮る。シャンリーの直刀は、タオロンの右足をまさに斬らんとする直前で、ぴたりと止められていた。――刃を当てたところで、筋肉の鎧に阻まれ、薄皮しか斬れないだろうが。

「それを拾って、持ち帰れ」

「なっ? 何故、俺がそんなことを!?」

 ありえねぇだろう、とタオロンが目をむいた。その反応は予想通りで、シャンリーはわざとらしく溜め息をつく。

「この勝負が既についていることは、分かっているだろう?」

「まだ分からねぇ。俺のほうが体力があるはずだ」

「それだけ重い刀をぶんぶん振り回して、いつまで持つのやら?」

 シャンリーは、ふっと鼻で笑った。

「言ったろ、私の親父殿とお前は同じタイプだ。私は、豪剣の使い手と戦い慣れている。しかも、お前は親父殿より遥かに未熟だ。――更に言うのなら、私が最強と思っていた親父殿は、神速の使い手である私の夫に敗れている。その彼の奥義を、私は伝授されているのだ」

「……っ!?」

 タオロンの集中力に乱れが出た。

 しかし、それは、彼女の弁に畏怖を覚えたためではなく、やたらと偉そうなシャンリーの雰囲気に呑まれただけだ。こう早口にまくしたてられては、内容など半分も理解できない。

 ――それこそが、シャンリーの狙い。生真面目なタオロンが律儀に話を聞こうとすることを見越しての、からめ手である。……別に、適当に並べ立てた自慢話を聞いてほしいわけではない。しかも、最後のひとことは、通じていないかもしれないが冗談である。

 隙を見せたタオロンの懐に、シャンリーがすっと入った。

 彼は自分の若さを頼みにしているようだが、経験不足は否めない。要するに、亀の甲より年の功。シャンリーのほうが、年齢と性別の不利を差っ引いてなお、上手うわてだった。

 あたかも重大な秘密を告げるかのように、彼女は彼の耳元で囁く。

「斑目タオロン。お前の情報は、それなりに聞いている。だから、約束しよう。もしも、その発信機を持ち帰ったなら、お前を――いや、お前の娘を助けてやる」

 そしてシャンリーは、悪役然とした笑みをにやりと浮かべた。

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