4.硝子の華の憂愁-1

 斑目タオロンが持ち帰ったGPS発信機によって、〈ムスカ〉の潜伏先はあっさりと判明した。地図上では、王族フェイラ所轄の庭園で、一般人は立入禁止の区域である。

 今まで見つからなかったのは、王族フェイラの庇護下だったからだろう。案の定という気持ちが大きかったのと同時に、これで現在の〈七つの大罪〉も王族フェイラと密接な関係にあるといえた。

 やはり、女王の婚約者が黒幕なのか。セレイエは、どう関わっているのか。

 ――そもそも、セレイエが〈天使〉だったことを黙っていたとは、隠しごとも大概にしろとか。いやいや、それは次の会議で発表するつもりだったのだとか……。

 専らルイフォンを中心に、賑やかに議論が繰り広げられた。

 潜伏先が王族フェイラの土地であるため、下手に総攻撃でも仕掛ければ、国を敵に回すことになる。それは避けねばならぬため、綿密な準備が必要になる。

 しかし、それでも――。

 鷹刀一族は、確実に〈ムスカ〉に近づいていた……。



 屋敷内の温室にて、ミンウェイはひとり、ガーデンチェアーに腰掛けながら、ぼうっとしていた。植え替え作業の途中だったのだが、シャベルもほったらかしである。

 ――〈ムスカ〉の潜伏先が分かった。

 それは、彼女と父との再会を意味していた。

 ミンウェイは、ぞくりと身を震わせ、両手で自分の体を抱きしめる。温室の中は、少し動けば汗ばむほどであるのに、心の芯から凍っていくようだった。

 どのくらい、そうしていただろうか。

 頭に、こつんと、硬いものが押し当てられた。続けて、男の声が響く。

「あんたが、ここまで無防備とは驚いたな」

 その声に、ミンウェイはまさかと思った。

 半身を返し、予想通りの姿を見つけ、瞳を瞬かせる。

「よぅ」

 彼は、如何いかにも彼らしく、皮肉げに三白眼を歪めて挨拶をした。

 警察隊員の緋扇シュアン。ただし、今は私服である。凶賊ダリジィンの屋敷を出入りするのに、制服は不都合があるからだろう。

「緋扇さん……。……どうして、あなたは私に拳銃を突きつけているのですか?」

「あんたの背中が、あまりにも隙だらけだったからだ。殺されても知らねぇぞ?」

 そう言って、シュアンは手の中で拳銃をくるりと回し、胸のホルスターに収める。そして、テーブルを挟んだ反対側のガーデンチェアーに勝手に腰掛けた。

 チェアー二脚とテーブルとで鋳物三点セットなのだ。この温室の雰囲気にぴったりと思って購入したのだが、向かいの椅子に誰かが座るのは初めてかもしれない。

「今日は、どうされたのですか?」

 ひとりになりたくて温室にいたのに、との思いは顔には出さない。もっとも、ミンウェイがそう口にしたところで、シュアンは気にしないだろう。

「〈ムスカ〉の潜伏先が分かったと、エルファンさんから連絡を受けたのさ」

「……!」

 シュアンと鷹刀一族は、情報交換の約束をしている。それは、警察隊と凶賊ダリジィンが手を組むことで共に利を得よう、というのが、もともとの趣旨だった。しかし、〈ムスカ〉の登場によって大きく意味合いが変わった。

 シュアンは大切な先輩を〈ムスカ〉に殺された。直接、手を下したのは、他でもないシュアン自身だが、〈ムスカ〉が先輩を〈影〉という別人にしてしまったのが原因だ。

 そしてシュアンは、同じ境遇のメイシアの異母弟、ハオリュウと黙約を交わした。足が不自由であり、また貴族シャトーアの当主であるために目立つことのできないハオリュウが裏で手を回し、シュアンが行動するという関係であるらしい。

 事件を通じ、鷹刀一族とハオリュウも懇意になっている。だから、鷹刀一族とシュアン、ハオリュウの三者は、〈ムスカ〉に関することをはじめとした、あらゆる面において――主に、暗部において――、互いに便宜を図る関係となっていた。

 そんなわけで、一族の後ろ暗い部分を一手に引き受けている次期総帥エルファンが、シュアンを呼び出すことは珍しくない。

 ――故に、彼が屋敷に来た理由には納得できる。

 けれど、温室に籠もった彼女のもとに、わざわざ顔を出さなくてもよいだろう。この場所のことは、誰かに訊かなければシュアンは知らないはずだ。

 ミンウェイは柳眉をひそめる。

「久しぶりに会ったというのに、随分、つれない態度だな」

 シュアンが、口の端を上げて苦笑した。やれやれ、といった様子からすると、さすがにミンウェイの歓迎を期待していたわけではなさそうだ。

「すみません」

 今は、心に余裕がない。

 いつもの顔をしていることが、しんどい。

 勘弁してほしい。誰とも会いたくない。

 しかも、相手はシュアンだ。――〈ムスカ〉を恨む人間だ。

 ミンウェイは、シュアンが先輩を殺した現場に居合わせている。

 引き金を引いた彼が、彼女の腕の中で、脆く崩れ落ちたのを知っている……。

 ――だから、〈ムスカ〉の潜伏先が判明したのは、彼にとって朗報だ。

「おい、ミンウェイ」

 青ざめた顔で押し黙った彼女に、シュアンが「大丈夫かよ」と声を掛ける。

「まぁ、あんたなら、いろいろ考えちまうだろうさ。あんたは馬鹿が付くほどのお人好しで、愚かなまでに優しいからな」

 じっと見つめてくる三白眼は、意外なほどに柔らかだった。言いたい放題に聞こえる言葉も、決して突き放したものではない。

 彼の立場なら、浮かない顔の彼女をなじったとしても、おかしくはないのに……。

「少し休むべきだな。俺は勝手に、俺の用件を言ったら退散するからさ」

「用件?」

 テーブルに視線を落としていたミンウェイは、そっと顔を上げた。途端、波打つ髪から草の香が広がる。

 なんの用事であろう? 疑問と共に、罪悪感がこみ上げる。

 彼女ひとりの時間を邪魔するとは、なんて無遠慮な人だと思った。そっけない態度を取ってしまった。けれど、シュアンの訪問には、きちんと目的があったのだ。――そう思うと不思議なもので、少しだけ寂しくも感じる。

 ふわりと漂う草の香に、いつものミンウェイらしさの片鱗を見出したのか、シュアンがわずかに目を細めた。

「この屋敷に来たついでに、あんたには言っておこうと思ってさ」

 何気ない口調だが、いつもと雰囲気が違った。

 常にどこか皮肉げで、斜に構えたような三白眼が静かな色をしていた。狂犬と呼ばれた、すさんだ空気や、ぎらついた面影がすっかり鳴りを潜めている。

「先輩の婚約者に会ってきた。……会って、先輩の身に起きたことを全部、話してきた」

「え……」

 ミンウェイは絶句した。

 先輩を撃ったあの日、客間を勧めても亡骸のそばを動かなかったシュアンに、ミンウェイは毛布を持っていった。そのとき、彼がぽつりと漏らした。

 先輩は、もうじき結婚するはずだった。

 幸せの絶頂にある先輩を、自分は殺したんだ……と。

 ミンウェイの表情を読んだシュアンが、口の端を上げる。

「あんたの言いたいことは分かるさ。――自分から『殺した』と告白するなんて、馬鹿げている、だろう?」

 自嘲めいた言葉なのに、ミンウェイにはシュアンが誇らしげに感じられ、戸惑う。

「緋扇さん……、いえ、そう言いたいわけでは……」

「なら、こんなところか? ――〈七つの大罪〉や〈影〉なんて話は、信じてもらえないだろう。信じたところで、先輩が帰ってくるわけじゃない。復讐心に駆られるだけかもしれない。何か危険があるかもしれない……。――つまり、『話したって、いいことなんて、ひとつもない』」

 常識的に考えて、その通りだろう。

 分かっているのに、何故、会いにいったのか。ミンウェイの双眸が、揺らぎながら問いかける。

「けど、あの先輩を愛した女なら、真実を求めるだろうと思った。そして先輩なら、すべて包み隠さずに、愛した女に知ってもらいたいだろうと思った。――だったら、先輩の真実は、俺が独り占めしていいものじゃない」

 シュアンの視線が、ミンウェイを射抜く。彼が放つ弾丸のように、迷うことなく。

「……」

「そんな困ったような顔をするなよ。あんたをいじめている気分になる」

 おどけた素振りで肩をすくめると、いつもは制帽に押し込めて誤魔化しているぼさぼさ頭が、派手に揺れた。

 シュアンは、晴れやかに笑む。それは、後悔している者の顔ではない。

「婚約者の方に会って、よかったと思っているんですね」

「ああ。さすが、先輩が愛した女だと思った。……俺だって、会う前は、俺の行動がとんでもない引き金になるんじゃないかと不安だったさ。それが、一気に吹き飛んだ」

「それを聞いて、安心しました」

 それで、どんな話を? という、質問を込めて口を挟んだのだが、シュアンはそれ以上、何も言わなかった。

 多くを語るつもりはないのだろう。詳しく聞きたいところだが、それこそ、無遠慮に踏み込む行為だ。

 ミンウェイは、ほんの少し落胆する。彼女が小さく息を漏らしたとき、ついと、シュアンがテーブルに肘を付いた。その分だけ、距離が縮まった。

「……ミンウェイ、あんたには感謝している」

 唐突に、そう言われ、聞き間違いではないかと、彼女は耳を疑う。

「はっきり言って、あんたの馬鹿馬鹿しくお人好しで、鬱陶しいほどお節介で、愚かなほどに優しいところには苛立ちを覚える」

「……!?」

 随分な言われようである。

 普段の彼女であれば、そして目の前にいるのが、いつもの調子の彼であったら、婉曲な嫌味のひとつも言ってやらねば気がすまなかっただろう。

「けど、あのとき――俺が先輩を撃ったとき……、あんたがそばに居てくれたから、俺は救われた」

「……っ!」

「そのあとも、ハオリュウが怪我をしたときには、あんたにはいろいろ言われたし、俺も言った。……俺は、いろいろあって、他人とはすっぱり縁を切ったから、そういうのは久しぶりだった。……悪くねぇな、と思った」

 その件は、確か口論みたいになって、シュアンの気分を害したのだ。……違ったのだろうか? しかも、どちらかといえば、非はミンウェイのほうにあった気がする。

「だから、先輩の婚約者に会いにいく決意ができたのも、あんたのおかげだと思っている。……感謝している。ありがとうな」

 シュアンが笑った。

 よく見知った、癖のある笑顔ではない。こんなふうに笑う人だったのかと驚くような、穏やかに寄り添うような笑顔だった。

「それじゃ、俺は行く。ミンウェイは、ちゃんと休めよ」

 ガーデンチェアーをがたがたと鳴らし、シュアンが立ち去ろうとしたときだった。

 草の香が、ざっと揺れ動いた。

 出口に向かおうとしたシュアンの前を、鮮やかな緋色が遮る。緑の温室に、いきなり大輪の華が咲いたかのように。

「え?」

 ミンウェイの緋色の衣服を目の前に、シュアンは戸惑う。

「あ……」

 どうして彼の行く手をふさぐように立ち上がったのか、ミンウェイ自身にも分からない。

 けれども、彼女の右手は中途半端に浮いていた。引き留めようとでもするかのように、彼のほうへと伸びていた。

 ……ひとりにしてほしくないのだと、認めざるを得なかった。

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