三眠蚕の貴公子-3

「イーレオさんは、僕がレイウェンさんをビジネスパートナーにするにあたり、『問題点がふたつある』とおっしゃったんですよ」

 祖母上と母上を交え、ハオリュウは話し始めた。

「ひとつは、レイウェンさんが慎重な方であること。もうひとつは、ユイランさんのお心です。――僕に負い目を感じているだろうから、仲良くやっていくのは難しいだろう、と」

「負い目?」

 私が首を傾げると、ハオリュウが祖母上を見やる。祖母上は恐縮したように会釈を返し、口を開いた。

「クーティエ。この前、ミンウェイがうちを訪ねてきたときに、鷹刀で起きたことを聞いたでしょう? 藤咲様のお父様は、私の弟に殺されたようなもの。私は恨まれて当然なのよ」

「えっと、……うん」

 私はミンウェイねぇの話を思い出す。凄くややこしかったけど、確かにそんなことを言っていた。

「だから、僕はイーレオさんを通して申し上げたんですよ。――ユイランさんと〈ムスカ〉は別の人なのだから関係ない。けれど、もしもお気になさるのなら、そのお気持ちは僕に協力する方向に向けてください、とね」

 ハオリュウが無邪気に笑うと、つられるように祖母上も口元をほころばせた。

「なんて度量の広い方だと思ったわ。その上、更にとんでもないことを言うんだもの」

「え、何?」

 好奇心丸出しで尋ねる私に、ハオリュウが布の詰まったスーツケースを開ける。そして、おもむろに真っ白な三眠蚕さんみんさんの生地を取り出すと、感触を確かめるように指を滑らせた。

「ユイランさんに、異母姉の婚礼衣装を依頼したんですよ」

「婚礼衣装!?」

「ええ。早すぎるとも思うのですが、事実上、もう異母姉はルイフォンのところに嫁いだようなものです。ならば、父の喪が明けるころ、桜の季節に。鷹刀の屋敷のあの桜の下で、ふたりの結婚式を挙げてあげたい……」

 ハオリュウは、純白の布地を愛しげに見つめていた。うつむき加減の瞳は、濡れたように漆黒につやめいていて、私は一瞬、彼が泣いているのかと思った。

「力のない僕は、異母姉を死者にすることでしか自由にしてあげられなかった。藤咲の家から嫁入りさせてあげることができなかった。だから、せめて藤咲の絹で作った婚礼衣装を贈りたいと思ったんですよ」

「そんな大切なお衣装を、私に任せてくださるなんて……もう、負い目も何も吹っ飛んで、素直に嬉しいと思ってしまったわ。だから、レイウェンが仕事を受けると決めたなら、全力でお手伝いいたしますと、お答えしていたの」

 静かに心の内を告げるハオリュウに、祖母上が素朴な言葉を添える。彼のことを凄く気に入っているのが、なんか伝わってきた。

 ハオリュウは「ありがとうございます」と、祖母上に正面から向き合った。

「僕が本当に見たいのは、女王陛下ではなく、異母姉の花嫁姿です。赤の他人のためにばかり奔走して、身内がおろそかになるというのは釈然としません。だから、僕が国一番のデザイナーと思ったユイランさんに、異母姉の衣装をお願いします」

 そう言って彼は深々と頭を下げ――貴族シャトーアに頭を下げさせるなんて、と父上が大慌てをした……。



 その後、ハオリュウは父上と契約書を交わし、今後の打ち合わせをした。

 私は、誰も何も言わないのをいいことに、ずっと彼を見ていた。本当はこのこの場にいてはいけなかったのだと思うけど、私は彼の仕事を知りたかった。

 そして帰り際、ハオリュウはスーツケースの布類を祖母上に手渡した。サンプルということらしい。

「すみません、ユイランさん。こちらの緑の三眠蚕さんみんさんはクーティエさんに差し上げてもよろしいでしょうか」

 私が「え?」と驚いているうちに、彼の手が魔法を掛けるかように三眠蚕さんみんさんの風を運んできた。首筋から肩へと、ふわりと柔らかな感触に包まれると、不思議と胸が弾んでくる。

「ああ、やはり、この色はあなたによく似合う。――クーティエさん、木々の狭間からあなたが現れたとき、僕は森の妖精かと思ったんですよ」

「ハ、ハオリュウ! 何を言うの!」

 塀の上でバランスを崩し、危うく尻もちをついて落ちそうになったときのことを思い出し、私は顔を真っ赤にする。

 ――と、そのとき、父上が私をぎろりと睨んだ。

 はっと気づく。私は、ハオリュウを呼び捨てにしていた。

「ご、ごめんなさい」

「いいえ、僕とあなたは『親戚の子供同士』です。是非とも『ハオリュウ』とお呼びください。僕も、あなたのことを『クーティエ』と呼ばせていただきますから」

 彼は三眠蚕さんみんさんのような透き通った笑顔をこぼし、緑の布を私の好きな服にするよう、祖母上に頼んだのだった。



 皆でハオリュウを見送るべく、緩やかな勾配のアプローチを下っていると、向こうからあの目付きの悪い運転手がやってきた。スーツケースも運ばずに車で待っていたくせに、勝手に門を開けて入ってきたのだ。

 私は、むっとする。

 けど、隣を歩くハオリュウは、私なんかよりも、もっと険しい顔つきになっていた。

「ハオリュウ、あんたの読み通りだったぜ」

 ただでさえ胡散臭そうな悪人面を、にやりと更に歪ませて、運転手はぞんざいな口調でハオリュウに話しかけてきた。

「用を足すふりをして車を離れたら、案の定、のこのこ現れやがった。ふたり組で、車の下に何か仕掛けようとしたんで、薬を嗅がせてトランクと後部座席に寝かせてある」

「そうですか。……あなたに付き合っていただいてよかった」

 眉間に皺を寄せながらも、ハオリュウが安堵の息をつく。

 彼らの言葉の端々からは、不穏な匂いが漂っていた。事情を知らない私だって、察することができるくらいに……。

 ハオリュウは、後ろにいた父上たちを振り返った。

「彼は、緋扇シュアンです。信頼できる友人です」

 父上と――母上も、祖母上も、彼が何者か、名前だけですぐに分かったみたいだった。顔色こそ変えないが、わずかに呼吸が乱れる。

 シュアンと呼ばれたそいつは、挨拶のつもりなのか、目深にかぶっていた運転手の帽子を引き上げて顔を見せた。もっとも、彼と睨み合いをした私は、その不健康そうな面構えと血走った三白眼はとっくに知っていたけど。

「彼には、非番の日に個人的に僕の護衛をしてもらっています。今回のあなたとの面会も、彼の休みに合わせて設定したんですよ」

「つまり、あなたは狙われている自覚があったんですね?」

 父上が尋ねると、ハオリュウは平然と「はい」と答えた。

「藤咲様。緋扇氏の本業は警察隊員でしょう? 普段はどうしてらっしゃるんですか」

 かすかに苛立ちを見せながら、けれどあくまでもやんわりと、父上がハオリュウに問う。

 父上の言葉で、シュアンの正体が分かった。鷹刀の事件に関わった、『狂犬』と呼ばれている警察隊員だ。ハオリュウへの態度も納得できて、喉に刺さった小骨が取れたみたいにすっきりとする。

 けど父上は、口調こそ穏やかだけど、どんどん無表情になっていった。――これは、怒っている……。

「護衛は、つけてらっしゃらないんですか」

 甘やかなはずの父上の声が、まるで冷酷な祖父上の声に聞こえた。

「護衛がいないわけではないのですが……。父が争いを好まない人間でしたから、藤咲が雇っている者たちは心優しい者たちで、どちらかというと護衛というよりも警備員なのです。だから、例の事件で僕が誘拐されたとき、僕についていた護衛たちは皆、殺されました」

 ハオリュウは、低い声で静かに告げる。

「僕はもう、僕のために死ぬ者を見たくありません……」

「それは……ご愁傷さまでした」

 父上が目線を下げると、ハオリュウがわずかに首を振る。

 でも父上は、それで終わりにしなかった。遠慮がちに「ですが……」と続けた。

「あなたは人の上に立つ人間です。あなたが亡くなるようなことがあれば、あなたが計画している藤咲家の立て直しは頓挫します。中途半端に終われば、私の会社だって大損害をこうむるでしょう。――あなたは、ご自分の好きなように動いてよい人間ではないのです」

「ええ、そうですね」

 ハオリュウは、緩やかに笑った。厳しい顔の父上を前にして、それは驚くほど和やかで、自然な微笑みだった。

「イーレオさんにも言われましたよ。『上に立つ者は、決して選択肢を間違えてはいけないし、自らを危険に晒してもいけない』とね」

「その通りです! 分かってらっしゃるなら、何故……!」

 父上が声を荒立てるのは、とても珍しい。それだけ真剣にハオリュウを心配している、ってことだ。私はどきどきしながら、ふたりのやりとりを見守る。

「恐れながら、私は警備会社も経営しております。是非、うちの者をあなたの護衛につけさせてください」

 父上は眉を寄せ、強い口調で言った。

 するとハオリュウは、少しだけ身を引いて、軽く……頭を下げた。

「すみません。――僕はあなたを試しました」

「試した?」

 父上が敬語も忘れ、おうむ返しに聞き返す。

「危険を承知で、あなたが――あなたの会社が僕の護衛を買って出てくださるかどうか」

「え……?」

「おっしゃる通り、いつでもシュアンに頼れるわけではありません。僕は護衛を探しています。――そして、あなたが警備会社を経営しているのは知っていました。足を洗った凶賊ダリジィンの受け皿になっているということも。けれど、彼らの人となりは信用でき、むやみな殺生は禁じられていることも」

「ええ」

 それなら是非、と気安く続けようとした父上に、ハオリュウが首を横に振る。

「ですが、レイウェンさん。僕に必要なのは、身を挺して僕を守ってくれる者ではないのです」

 深い深い闇色の瞳で、彼は父上を見上げる。

「――僕に代わって、殺せる者です」

 魔性を帯びた、孤独の王者の声が風に解けた。

 ひやりと肌を刺すような冷気に、私は両腕で自分を掻きいだく。

「……それで、緋扇氏なんですね」

「はい」

 父上は、驚いてはいなかった。穏やかな、守るような目でハオリュウを包み込んでいた。

「さすがに、彼の代わりとなる者を用意するのは難しいですね」

「そうですか」

「ですが、『警備員』ではなく『護衛』をあなたにつけさせてください。ビジネスパートナーのあなたを今のままにしておくのは、私の会社がリスクを抱えているのも同然です。うちの者たちなら、必要とあらば、『自分の判断で』あなたのために殺せますから」

 父上とハオリュウのやり取りは、表に出さない言葉が多すぎて、私にはよく分からなかった。けど、最後にハオリュウが「感謝します」と言ったから、話はうまくまとまったんだと思う――。

 そんな感じで話が終わると、待っていたらしいシュアンが切り出した。

「捕まえた奴ら以外に、仲間がいるかも知れない。その門から出るのは危険だ。この家には他に出口はないのか?」

「裏門があります。ですが、捕まえた者たちはどうするんですか?」

 父上が尋ねると、ハオリュウが意外な答えを返してきた。

「エルファンさんの部下が、車ごと引き取る手はずになっています。僕たちはタクシーで帰りますから」

「え? 父の部下……?」

「はい」

 ……ハオリュウの無邪気な笑顔が腹黒い。

「僕を狙う輩には心当たりが多すぎて、僕では特定できないので専門家にお願いするんですよ。――っと、勝手にあなたの家の前を受け渡し場所にしてしまって、すみません。貴族シャトーア凶賊ダリジィンが表立って仲良くするわけにはいかないので……」

「自白させるんですか……」

「ミンウェイさんには気づかれないようにと、口を酸っぱくして言ってあります。彼女には頼みませんので、ご安心ください」

 わずかに細められた瞳からは、しなやかで力強い漆黒の闇。

 けれど、それは優しくて。

 もう寂しい色には見えなかった――。



 自分の部屋に戻り、ハオリュウに貰った緑の三眠蚕さんみんさんを肩に羽織った。

 ふわりと軽くて柔らかく、透き通るような輝きが私を包む。いつもは剣舞の型を映す姿見の中から、森の妖精が覗いていた。

 普通の蚕は四回脱皮してから大人になるのに、三眠蚕さんみんさんは他より早く、三回の脱皮で大人になる。

 なんか、可哀想。

 でも、しなやかで美しい。

 まるで、ハオリュウみたいだ。


 ――次は、いつ逢えるだろうか。


 私はこの日、たぶん生まれて初めて『切ない』という言葉の意味を知ったのだった……。

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