3.居城に集いし者たち-1

 屋敷をぐるりと囲む外壁が、覇者の風格を漂わせていた。

 鷹刀一族の居城を守る鉄壁。その唯一のほころびともいえる場所が、鉄格子から成る重厚な門である。

 常であれば、総帥イーレオに忠誠を誓った、屈強な門衛たちが守りを固めている場所だ。しかし今は、警察隊の制服を着た一個小隊ほどの男たちに取って代わられていた。

 男たちは、侵入者はすべて阻止するように命じられていた。

 例外として、野菜を載せたトラックだけは荷物を運ばせるように、と言われていた。彼らにその指示を与えた者は、ジャガイモの布袋の到着を心待ちにしていた――。



 凄まじいブレーキ音を立てながら、鷹刀一族の屋敷の門前に一台の黒塗りの車が停車した。

 耳をつんざく響きに、そこに配置されていた男たちは、目配せをしあった。

 慣れない制服を着た彼らは、習慣として思わず腰に手を伸ばす。しかし、そこにはいつもの愛刀はなかった。慌てて懐に手を入れ、拳銃を掴む。

 車までの距離は、腕をいっぱいに伸ばした長さよりも、ずっと遠い。すなわち、間合いの外。――だが、拳銃なら射程圏内になる。

『先手必勝』という言葉が、彼らの頭を横切った。

 不慣れな者が扱うのは危険だから、できるだけ使うな、と忠告はされていた。しかし、彼らは、普段手にしたことのない武器に酔っていた。

 ――――!

 鋭い発砲音が響き渡った。

 刹那、車のフロントガラスは蜘蛛の巣と化していた。防弾硝子のためか、弾は内部まで貫通していない。

 撃った者は初めて体験した腕への反動に思わず尻餅をついたが、興奮と感動に顔を上気させていた。その周りの者たちは彼に羨望の眼差しを向け、ならば我も、と拳銃を構える。

 そのとき――。

「何をする!」

 怒りをあらわに、勢いよく車の扉が開いた。

 声変わりは始まっているものの、ところどころに未だ高い音色を残したハスキーボイス。車の中から出てきたのは、その声にふさわしいような少年だった。

 年の頃は十二、三といったところだろうか。どう見ても子供である。際立った特徴はないが、強いていえば利発そうな顔立ちをしていた。

 それよりも、目立つのは服装だった。その年頃の子供が身に着けるにしては不自然な、だが借り物とは思えない上質なスーツを着こなしていた。

「ハオリュウ様! 危ないです!」

 同乗してきた大男が飛び出してきて、少年を車に連れ戻そうとする。見るからに護衛と分かる大男を、ハオリュウと呼ばれた少年は「黙れ!」と一喝した。

「姉様は、ここに囚われているんだ。異母弟おとうとの僕が迎えに行くのは当然のことだろう?」

 自分の手を引く大男を振り返り、ハオリュウは睨みつけた。大男が反射的に手を放し低頭すると、彼は拳銃を向けたまま身動きできないでいる男たちに向き直り、一歩、歩み出た。

「あなた方は警察隊員ですね」

 武器を持つ相手に臆することなく、ハオリュウはまっすぐに瞳を向けてきた。

「僕は、藤咲家当主代理、長男の藤咲ハオリュウです」

 彼は左手に嵌められた指輪を見せた。複雑な彫刻は、貴族シャトーアの当主の証だった。

「あ……?」

「…………まさか……」

 男たちの間に動揺が走る。

 上流階級の家紋などに興味のない彼らにも、彼が何者であるかは即座に理解できた。まさに現在形で罠に掛けている貴族シャトーアの名前だったからだ。

 子供とはいえ、貴族シャトーアの地位は絶対である。普段は、身分など糞食らえ、と息巻いている彼らであるが、今は警察隊の制服姿だ。慌てて拳銃を懐にしまい、言いたくもない謝罪の言葉を口にしなければならないのかと、ぐっと唇を噛む。

 そんな男たちに、追い打ちをかけるかのようなハオリュウの言葉が突き刺さった。

「僕の車に対して発砲した件、あとで上の人に報告しておきます」

 男たちの顔が強張り、引き金を引いた男に視線が集まる。しかし彼が槍玉に挙げられる前に、ハオリュウが続けた。

「ここは凶賊ダリジィンの屋敷の前ですから、あなた方が勘違いしたのは承知しています。そのことも含め、報告しますから、ご安心ください」

 少年の声であるが故に、それは善意に聞こえた。あるいは、少しうがった者には、親の真似をして寛大な貴族シャトーアを演じようとしている子供が、必死に背伸びをしているように見えたかもしれない。

 だが真に聡い者ならば、彼の言葉の端々に剣呑な響きを感じることができただろう。もっとも、男たちの中には愚鈍な者しかいなかったので、誰も気付くことはなかったのであるが。

「それより、異母姉あねは、どうなりましたか?」

「い、いや……」

 彼らの待っているジャガイモの布袋の中にいるはずだ、とは、誰も言わなかった。

 ハオリュウは目線を下げて呟いた。

「……分かっています。既に救出されていたのなら、あなた方のほうから報告するはずです」

「今、他の奴らが探しにいってますんで……」

 貴族シャトーアの傲慢さで怒鳴りつけられると思って構えていた男たちは、意外に物分かりのよい少年にほっとして、取り繕うように言葉を返した。警察隊員として、ふさわしい口調ではなかったが、とりあえず返事ができただけ上出来といえよう。

 だが、ハオリュウは彼らが思っているような素直で可愛らしい少年ではなかった。

「いえ。僕が探します」

「は……?」

「僕が直接、凶賊ダリジィンの総帥という者に会いにいきます」

「そ、それは……」

「救出が難航することを考えて、身代金を持ってきたんです」

 男たちは口を開き、何かを言いかけようとして……しかし、何を言えばよいか分からずに、そのまま間抜けに固まった。

 彼らは所詮、組織の下っ端に過ぎなかった。彼らに下された命令は、『八百屋』を除いての、この門の封鎖のみ。それ以外のことは聞いていないのだ。

 そのとき、ひとりの男の懐から、携帯端末の呼び出し音が鳴った。

 鋭い響きに、男たちは、はっとする。それは、彼らが待っていた連絡に違いなかった。

 端末を持っていた男が血相を変え、「ちょっと失礼しやす」と慌ててその場を走り去る。

「何か、あったのでしょうか?」

 電話の内容を気にするハオリュウに、残された男たちは「い、いえいえ!」と、誤魔化すように大きく手を振った。

「で、では、身代金は我々が預かって、鷹刀イーレオに交渉に行く、ってぇことで……」

「失礼ですが、僕が到着する前に異母姉を救出できなかったあなた方は、信用できません」

「けど、凶賊ダリジィンは危険ですんで……」

「ですから、あなた方には護衛をお願いします。あなた方は警察隊です。貴族シャトーアの僕を守る義務があります」

「な、なんだと……?」

「本気かよ?」

 ハオリュウの暴君的発言に慌てる者、困惑する者、怒りに顔を歪ませる者……。てんでに、ざわめき始めた男たちだったが、それを上回る叫びが彼らを襲った。

「何ぃ!? 『八百屋』は来ない、だとぉ!」

 電話に出ていた男だった。

 一瞬、あたりが静まり返り……次の瞬間、騒然となる。

「ど、どうすんだ!?」

「ふざけんな!」

「タオロン様が失敗したのか!?」

 ハオリュウの眉が、ぴくりと動いた――その名は、彼が斑目一族の屋敷に囚われていたときに知った名前だった。

 騒いでいる男たちを無視し、彼は踵を返した。身代金の入ったアタッシュケースを取り出すべく、車に戻ったのだ。

「ハオリュウ様、本当に行かれるのですか!?」

「危険です! おやめください」

 車の中には、先ほどの大男を含め三人の護衛がいた。皆、必死の形相で主人の暴挙を止めようとする。一番奥にいたひとりなどは、アタッシュケースを死守するかのように抱え込んでいた。

「……思った通りだったよ」

 ハオリュウが呟く。

「あいつらは、お前たちの同僚の仇だ」

 護衛たちは息を呑み、ハオリュウは唇を噛む。

「誘拐される僕を守ろうとして、彼らは殺された。僕は斑目も厳月も、許さない」

「ですが、ハオリュウ様。あなたが行かれても……」

「大丈夫だ。あそこにいる奴らは『警察隊員』だ。僕を守る義務がある。あいつらを利用して姉様を助ける!」

 凶賊ダリジィンの屋敷で一晩過ごした彼女は、どんな酷い目にあったことだろう。それを思うと、はらわたが煮えくり返る。

「姉様、僕が必ず助けます」

 触れるもの、すべてを斬り裂いてしまいそうな、張り詰めた空気が場に満ちる。異母姉がどう変わってしまっていたとしても、彼はまっすぐに受け止める覚悟をしていた。



 応接室の映像を中断させた電話の相手は、回線が繋がった途端にルイフォンの耳朶を打った。

『ルイフォン! 今、どこにいるんだ!?』

 携帯端末から響く怒鳴り声は、繁華街の情報屋トンツァイのものだった。

「あ……」

 ルイフォンは小さく声を漏らし、癖のある前髪をくしゃりと掻き上げた。

 斑目一族の襲撃によって、すっかり忘れていた。当初の予定では、藤咲家に行くつもりだったのだ。そのため、トンツァイには藤咲家周辺の安全確認を依頼していたのだった。

「悪い」

『何かあったのか?』

「メイシアが襲われた」

『なっ……!? 大丈夫か!?』

「ああ、とりあえず無事だ」

 ルイフォンの答えに、トンツァイが安堵の息をついた。

『――詳しく聞きたいところだが、それはあとだ! 部下が情報を寄越してきた』

「何?」

 ルイフォンの額に険が混じる。

『藤咲メイシアの異母弟、藤咲ハオリュウが鷹刀の屋敷に向かった。異母姉を助ける、と言っていたそうだ。どうやら、母親の藤咲夫人から事のあらましを聞いたらしい』

「え!? ハオリュウが!?」

 最愛の異母弟の名に、メイシアは思わず喜色を上げた。だが、その直後に口元を覆う。

 継母がどこまで正確な情報を知っているのかは分からない。けれど、どの内容を取っても異母弟を苦しめるばかりなのだ。彼はこう思っているはずだ――自分のために異母姉は犠牲になった、と。

 立て込んだ状況は重なるもので、トンツァイとのやり取りの最中に、今度はリュイセンの携帯端末が鳴った。発信元は、鷹刀エルファン――。

「父上! ご無事でしたか」

 しかめっ面の多いリュイセンの頬が緩む。あの父のことだから心配無用、と思いつつ、やはり声を聞くとほっとする。

 謂れなき密輸入の容疑で父子共々空港で拘束されていたところに、総帥たるイーレオから連絡が入った。非常事態と解釈したエルファンは息子のリュイセンを強制的に脱出させた――という経緯だったのだ。

『私は無事だ。それより、一体どういう状況だ? 執務室に電話が繋がらない』

 父の問いはもっともである。この複雑な状況をどう説明したものかと、リュイセンは途方に暮れかけた。だが、次の父の台詞に彼は耳を疑った。

『私を取り調べていた者を吐かせた。誘拐された貴族シャトーアを救出するという名目で警察隊が屋敷を囲んでいるとのことだが……ミンウェイが言っていた娘のことか?』

「……父上、今、どこにいらっしゃるのですか?」

『警察隊の車の中だ。取調官に屋敷まで送らせている。もうすぐ着くぞ。お前こそ、どこにいる?』

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