3.居城に集いし者たち-2

 天まで届くかのような、高い煉瓦の外壁。その硬い質感を右手に見続けていたら、薄紅色の吹雪に見舞われた。

 エルファンは、ほんの一瞬だけ夢幻の世界に心を奪われる。

 庭の桜だ。

 この城壁より更に空高く舞い上がり、花びらが彼を出迎えてくれたのだ。一週間ほど前に屋敷を発ったときには、まだ五分咲き程度であったのが今や満開なのであろう。

 彼は、父親のイーレオそっくりな美貌を少しだけ綻ばせた。

 よく似た父子の彼らは、兄弟に見える。洒落者のイーレオと違って、実利主義のエルファンは髪を染めたりはしないので、頭に白いものがちらつくエルファンのほうが『兄』だ。本当の異母兄弟きょうだいであるルイフォンに至っては似てない親子にしか見えないが、これは年齢差からいって仕方ないだろう。

 美しい花の舞に、皺を寄せていた眉間の皮がすっと伸びる。渋さの滲む影が消えると、彼は、わずかながらの若返りを果たした。

 だがそれも、鉄門が見えるまで。

 否、それよりも前に、おびただしい数の警察隊の車が門へと続く道を無粋に遮っているのを発見して、エルファンは再び眉間に皺を寄せた。

 実のところ、反対側の道から門に向かっていれば、ハオリュウのように支障なく門まで到着したのであるが、これは結果でしかない。

「すみませんが、これでは前に進めません……」

 運転席の男が、脅えた表情でエルファンを振り返った。彼は空港でエルファン父子を拘束し、尋問していた取調官なのだが、気付いたら彼のほうが尋問されていた。

「仕方ない。ここからは歩いて行く」

 低く魅力的な、だが感情の読み取れない声に、取調官はエルファンの怒りの幻影を見たらしい。「ひぃっ」と声を漏らすと、壊れた人形のように謝罪を繰り返した。

 エルファンが車を降りると、取調官は逃げ去るように車を急発進させる。そこまで必死になることもないだろうに、とエルファンが深い息を吐いているうちに、車はあっという間に見えなくなった。

 彼は再び息を吐くと、今度は高い外壁を見上げる。久しぶりの我が家である。

 ……この中で、一族が警察隊に蹂躙されている。

 彼の目尻が上がり、眉間に更に深い皺が寄った。ルイフォンの話では今のところ大きな被害は出ていないが、父イーレオが執務室で一個小隊を引き連れた指揮官と対峙しており、応接室では姪のミンウェイが狂犬に噛みつかれようとしている。

 ともかく屋敷に入って、この目で状況を確認したいところだが、現状では門をくぐることすら容易ではなさそうだ。――門前にいる一個小隊ほどの警察隊員を見て、エルファンは三度目の溜め息をついた。

 周囲の状況を確かめるため、エルファンは乱雑に止められた無数の車のひとつの影に隠れた。

 門の前にいる男たちは警察隊の制服を着ていたが、その肩を怒らせた立ち姿から、明らかに凶賊ダリジィンの下手な変装だと知れる。

 そして、それに対峙する少年は、渦中の貴族シャトーアの娘の異母弟だろう。

 リュイセンたちを乗せた車は、まだ到着していないようだった。

 空港を出たのはリュイセンのほうが先だったが、彼は貧民街付近に大きく迂回したので追い越す結果になったようだ。加えて、エルファンが乗っていたのは警察隊の車両であり、周りの車が道を譲ってくれたというのもある。

 エルファンは――もう何度目か分からないが、眉間に皺を寄せた。

 強行突破をせざるを得ないか。できれば、穏便な方法を採りたいのだが……。

 遠目に見える様子から、少年と男たちは何やら言い争っているようであった。

 貴族シャトーアの娘の事情についても、ルイフォンから聞いていた。大層な事件のように語っていたが、エルファンから見れば、実に馬鹿馬鹿しい話だった。

 騙された貴族シャトーアの娘が鷹刀一族の屋敷を訪れ、人のいいイーレオが彼女を受け入れた。翌日、脅されている継母が「娘が誘拐された」と訴え、屋敷が警察隊に囲まれた。それだけのことである。

 イーレオの自業自得。エルファンが昨日、留守にしていなかったら、何をしてでも娘は追い返していた。

 しかし、父に対して怒りの感情は湧いてこない。矛盾としか思えないのだが、そこで娘を見捨てられない父のことをエルファンは敬愛していた。

「いえ。僕が探します」

 突然、少年の毅然としたハスキーボイスが、エルファンの耳朶を打った。距離があるので彼らの会話は断片的にしか聞こえないが、まだ高さの残る声はよく響いた。

「僕が直接、凶賊ダリジィンの総帥という者に会いにいきます」

 エルファンは耳を疑った。貴族シャトーアの、しかも子供が大華王国一の凶賊ダリジィンの総帥に会いたいなど、正気の沙汰ではない。

「難航することを考えて、身代金を持ってきたんです」

 少年の声に続き、男たちが何やら騒ぎ出す。だいぶ混乱した状況のようだ。

 そうこうしているうちに、少年は、近くに止めてあった黒光りする高級車の中に姿を消した。

 エルファンは、もう少し詳しく様子を見ようと、車の影から影へ、そろそろと近づく。すると、「危険です」「おやめください」などといった懇願の声が、はっきりと聞こえてきた。

 しばらくして、少年は再び車外に現れた。

 彼のそばにいる三人の者は護衛だろう。主人を守るかのように両脇にふたり。残るひとりは重そうなアタッシュケースを持っている。

「行きましょう」

 少年の声が高らかに響いた。

 エルファンは額に皺を寄せ、渋面を作った。

 少年の探している異母姉がどこにいるか、エルファンは知っている。このまま少し門前で待っていれば、あっさりと再会できるのだ。だが、彼女のそばには、リュイセンとルイフォンがいる。彼らが同じ車から出てきたとき、少年はふたりの若い凶賊ダリジィンが異母姉に悪事を働いたと思い込み、騒ぎを大きくするだろう。貴族シャトーアの権力は厄介だ。

 どうしたものかと、エルファンが頭を悩ませている向こう側では、警察隊の服装をした男たちが恐慌をきたしていた。

「ま、まずは、中にいる連中と連絡を……」

 しどろもどろに言葉を転がす男に、別の男の叫声が被る。

「だ、駄目っす。繋がりやせん!」

「な? 何がだ?」

「あの人に『八百屋』は来ねぇと報告しようとしてんですが、『電波が通じません』と……」

「なんだと!」

 殺伐とした喧騒に、思索の海へと潜り込んでいたエルファンの意識が引き上げられた。男たちの滑稽なまでの慌てようを見て彼は軽く嗤い、そして思い出した。

 ここは天才クラッカー〈フェレース〉が守っている鷹刀一族の屋敷。その敷地内で〈フェレース〉の許可のない電波は通じない。

「直接、報告に行け!」

「って言われても、この馬鹿でかい屋敷のどこにいるんすか!」

 癇癪にも近い悲鳴が上がる。それを聞いて、エルファンにひとつの策が閃いた。

 男たちが連絡を取ろうとしている人物は、おそらくこの騒動を指揮している者。そして少年が会いに行くと言っているのは総帥イーレオ。どちらも執務室にいて、エルファンは執務室の場所を知っている。ならば、案内すると言えば、すんなり門を通してもらえるのではないだろうか。――無論、本当に案内などはせずに、そのへんの部屋に閉じ込めておくつもりだが……。

 エルファンは身を潜めていた車の影から、すっと姿を現した。

 鷹刀一族の直系らしい、すらりとした長身、黄金率の美貌。壮年の渋さと色気を備えた堂々たる歩みに、腰にいた双刀が呼応して揺れる。

「一週間ぶりに帰ってみれば……一体どういうことだ?」

 エルファンは低い声を響かせた。

 男たちの喚きが、ぴたりと止まった。

 その場にいた者は、一斉に声の主に注目し……男たちは硬直した。

「た、鷹刀……エルファン……!」

「警察隊に名を知られているとは……。こんな稼業とはいえ、私自身は清廉潔白に生きているつもりなのだが?」

 男たちの背を、本能的な恐怖が這い上がっていく。父イーレオと同系統の蠱惑的な声質でありながら、父はすべてを惹きつける引力を持ち、彼はあらゆるものを撥ね除ける斥力を持つ。その違いは、ただひとつの差――『遊び心』の有無だ。イーレオが同じ台詞を言ったとしたら、まったく別の印象を与えたであろう。

 エルファンは車の林をゆっくりと抜けていく。乱雑に止められた車の間を無造作に進むように見せかけながら、できるだけ貴族シャトーアの少年の背後に回るよう、道を選んでいた。

 男たちの懐が不自然に膨らんでいるのは拳銃を持っているからだ。いくらエルファンでも、素人の百の弾丸を愛刀だけですべて避けきるのは難しい。だが、貴族シャトーアを盾にしておけば、警察隊を装っている彼らはエルファンに手出しできない。

「鷹刀……?」

 少年もまた振り返り、高い声を漏らした。彼はエルファンを見た瞬間、凶賊ダリジィンという凶悪な存在らしからぬ容貌に息を呑み、困惑の表情を浮かべる。――お馴染みの反応に、エルファンは「そうだ」と低く返した。

「私は鷹刀エルファン。鷹刀一族総帥の長子で次期総帥だ。それより、お前は何者だ?」

 エルファンの双眸が少年を捕らえる。少年の護衛が慌てて主人をエルファンから隠すが、彼らには武術の心得はあっても暴力の心構えはない。同僚が凶賊ダリジィンに、あっけなく殺されたばかりということもあり、自然に身が固くなっていた。

 そんな護衛たちを押しのけ、ハオリュウはエルファンの前に歩み出た。

「僕は、藤咲ハオリュウ。貴族シャトーアの藤咲家当主の長男。次期当主です」

 少年――ハオリュウは、臆することなくエルファンを見返した。しかも、意図してのことが否か、それとなくエルファンの名乗りをなぞっている。

 顔の造作的には十人並みの、どこにでもいるような少年だった。だがエルファンは初対面の、それも子供に正面から視線を返されたのは初めてだった。たいていの人間は、一度はエルファンの美貌に見とれるものの、すぐさまその氷の眼差しに恐怖を感じ、凍えて動けなくなる前にと目線をそらすのである。

 凶賊ダリジィン相手に揺るぎがないのは、権力に守られた貴族シャトーアの子供の無鉄砲な行動力ゆえか。父イーレオであれば、ひと目で気に入るのであろうが、あいにくエルファンは無謀な賭けに出る輩に乾いた賞賛は与えても、評価はしない主義であった。

貴族シャトーアが、なんの用だ?」

 事情は知っている。しかし、エルファンは彼の言動として不自然がないように、凄みをきかせて問いかける。

「僕の異母姉があなたの父君のところにいるので、迎えに来ました」

 ハオリュウの返答に、エルファンは眉を寄せた。それは不審を表す演技をしようと思ってのことだったが、安易な『誘拐』という言葉を使わぬハオリュウへの疑念でもあった。まるで鷹刀一族の名誉を傷つけぬように、との配慮に取れたのだ。

「それは本当か?」

「はい」

「つまり、この騒ぎは、お前が異母姉を取り返すために起こしたものということだな?」

 エルファンが、顎でハオリュウの背後の警察隊を示す。

 ハオリュウは「いえ……」と、言いかけて首を振った。

「そんなところです」

 そう答えて、ハオリュウはエルファンの顔をじっと見詰め、それから頭から足先まで全身に視線を走らせた。

 客観的には、立派な体躯の凶賊ダリジィンに子供がおどおどと脅えているように見えただろう。だが、エルファンにはその目線の意味が理解できた。

 ――『値踏み』だ。

 偶然出くわした、鷹刀一族の総帥に最も近い男に対して、どういう態度を取るべきかを――どう利用するべきかを、冷静に計算している。

 エルファンは溜め息をついた。

 まさか、子供相手に腹を探る羽目になるとは思わなかった。先ほど車で送らせたの取調官のほうが、数千倍も御しやすかった。

「エルファンさん」

 ハオリュウの目線がエルファンの顔で止まり、ハスキーボイスが放たれた。何かを決意したような、迂闊に触れれば斬られるような研ぎ澄まされた目をしていた。

「ふたりきりで、お話したいことがあります。よろしいでしょうか」

「なんだ?」

凶賊ダリジィンのあなたは、警察隊がそばにいては心を開いてくださらないでしょう。僕の車へ――防音されています」

 そう言って、フロントガラスが蜘蛛の巣状になった高級車を示す。

「ハオリュウ様! 危険です!」

 ハオリュウの護衛が顔色を変えた。

「大丈夫だ。もし僕に何かあったとしても、これだけの警察隊に囲まれていれば、彼は逃げ切ることができない。だから、彼は僕に手を出せない。――そうですよね?」

 ハオリュウはエルファンに目をやり、彼が頷いたのを確認すると、今度は男たちに顔を向ける。いきなり、話を振られた男たちは慌てふためくが、彼らには肯定するという選択肢しか与えられていなかった。

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