第四話 「君の名前」
小母さんが帰ってきても、万引き、もとい空き巣のことは話さなかった。
アーシェには、何も被害は出ていないと言って安心させた。ニクスが言うならと納得し、今は元気に夕食の準備を手伝っている。
一方トリエはそれで納得はしていないようだった。どっちにしても犯罪者がそこにいたのに変わりはない。当たり前だ。しかし、それ以上に。それ以前に。
なぜニクスは見てもいない人物を空き巣などと言ったのか。それが引っ掛かって仕方なかった。まず、犯罪を犯していなければ万引きでも空き巣でもない。ただの怪しい人物だ。
それを断言するのは実際に見たからだ。ならどこで。どうして見たのか。
何も教えてくれないニクスを見つめ、ひたすら考え続けていた。
そして見つめられていたニクスもまた、考え事をしていた。
落ちていた部品。今自分の手元にある複雑な部品。これが彼女のものなら、部品が足りていないことになる。壊れていた時点で足りてはいない。リリーならそれを補ってでも直してみせると確信していた。
だが、このスイッチの付いた部品。これはきっと代用が効かない。特殊な部品だ。
何のスイッチなのかはわからないが、もしこれが重要な部品なら、彼女が動かない可能性もある。
しかしあとは手足をつけるだけと言っていたリリーに、今更新しい部品を渡せるはずもなく。
それに、リリーなら大事な部品が欠けていたら気付くはずだ。それが例え見たことない機械人形のものだとしても。今は信じて待つ。もしも夕食までに出てこなかったら、その時渡そう。そう思って、部品をポケットにしまっ――
「できた!!完成よ完成!!」
――渡す必要はなかったようだ。
リリーは廊下をものすごい勢いで駆け、リビングで急ブレーキをかけた。
「ニクス!きて!!」
「わ、わかった、自分で歩くからちょっと待てって」
自分より何倍も興奮しているリリーを見て、むしろ落ち着いてしまった。
彼女はちゃんと完成した。ならばこの部品はいったい何なのか。それだけがわからないままだが、今は完成した完璧な彼女を見る心の準備をするため、一旦考えるのをやめた。
***
「さてさて、心の準備はできたかしら?」
先程出た部屋の前。ドアノブを掴んで構えるリリーと、
「お、おう、どんとこい!」
両手を強く握って身構えているニクスが向かい合う。
「本当にいいの?」
「いいよ、はやく開けてくれよ」
「本当に本当に??」
「いいってば!」
焦らしてなかなか扉を開けてくれないリリーのせいで、構えが緩む。
「もう!自分で開けるぞ!!」
「だめよ私が開ける!!はいっ!」
「えっ、あっ」
せっかくしていた心の準備も崩され、不意を衝かれて扉は開く。
そこには――
「……ニクス」
綺麗な瞳、綺麗な髪の、綺麗な人形がいた。
彼女は綺麗な声で、第一声、目の前にいる青年の名前を口にした。
呼ばれた青年――ニクスは、その響きにどこか懐かしさを感じ、それ以上に言葉にできない感情に襲われ、固まった。
壊れていた右半身はすっかり直され、触れれば全てが壊れてしまいそうな儚さの代わりに、完璧な美しさが増す。
しかし瞳には完璧ではない、人間のような不完全さが映っている。
それは初めて会った時とは明確に違う。彼女には表情が宿っていた。
どこか虚ろげだった瞳には光が灯り、人間らしさを増していた。
なるほどこれが完全な機械人形。リリーがときめいてやまなかった代物か。
そして、裸だからとからかわれ見られなかったその体には、見覚えのない服が着せられていた。
歯車をモチーフにした長めのスカートと、対照的に短いジャケット。アシンメトリーの手袋まで着けられていて、その体はほぼ覆われて肌が見えないようになっていた。
頭には歯車の髪飾りもついている。
確か元はボロボロのワンピースを身に付けていたはずだ。服なんてあまり気にしていなかったが、リリーが用意したと思われるその歯車モチーフの服は、彼女にとても似合っているように思えた。
「見惚れすぎね」
どれくらいの時間そうしていただろうか。リリーの苦笑で我に返る。
見ると、目の前の彼女はどこか恥ずかしそうだ。本当に機械なのか疑ってしまうその人間らしさに、また自分の世界へと入っていきそうになる。
「あ、の、ごめん。じろじろ見過ぎだよな」
「……いえ」
「えっと、……?」
ふと、彼女を呼ぼうとして、呼べないことに気付く。
「そうだ。君の名前、教えてもらえるかな」
声がついたら聞かせてほしい。勝手に取り付けたつもりの約束を思い出す。
だが。
「……?」
返ってきたのは、声がつく前と同じ。彼女は静かに首を傾げた。
「え……な、名前、わかる?」
「機械人形って、名前とかつけるのかしら」
今度答えたのはリリーだった。
「つけないのか?……もしかして君、名前ない?」
「……」
頷く。そこは人間よりロボットに近いのか。機械に名前などつけないと。
新たな知識を得たニクスは同時に、彼女を見て考える。機械人形は人間に近い、生き物。自我がある。それはもはやただの機械ではない。
ならば、名前をつけるのが道理だろうと。
というか、彼女を名前で呼びたい。
「僕が名前をつけても、いいかな」
彼女だけでなく、リリーも頷く。
そしてしばらく考え、ふっと浮かんできた名前を口にした。
「……シュタール。今日からそれが、君の名前だ」
感覚と響きだけ、だが、彼女に似合う名前を選んだつもりだ。それに、どこぞの国の言葉ではちゃんと意味があるかもしれない。
「き、気に入らないなら他の考えるけど!!」
と、急に湧いてきた不安に思わず顔を俯ける。
天から降ってくるアイデアなどは、得てして良いものだったりする。だからといって決して雑に決めたわけではなく、自分では良いと思った名前。
しかし、名前というのはそうあっさり決めてしまっていいものでもないとわかっている。
格好つけて言い放ったはいいが、段々不安が増してきたニクスは恐る恐る彼女を見た。
その顔は、
「私の名前はシュタール。ニクスがくれた名前、大切にします」
心底嬉しそうな、人間の女の子の笑顔だった。
「ぼ、ぼくとずっといっしょにいてくれますか!?」
何を血迷ったのか、無意識にニクスの口からそんな言葉が零れる。
「な、なに言ってるのニクス……」
「はい、もちろんです」
返ってきたのはリリーの冷たい視線と、Yesだった。
「ご、ごめん誤解だ。言い方がおかしかった。深い意味はなくて、でも行くところがないなら、僕の家に来ないかって」
「もちろん、です」
返事は変わらない。
動揺している。それは客観的にも主観的にも明らかなもので。彼女が、シュタールが美しいからか。それとも機械人形と話すことが初めてだからか。あるいは……。
「はいはい、住むところも決まったみたいだし?ご飯にしましょ」
その思考をリリーが遮る。
「そうだ、ご飯か。シュタールは、食べ物食べられるの?」
「食料は必要としません」
「精密機械に食べ物ぶち込んだら壊れるわ」
「そ、そっか、そうだよな」
油断すると機械だということを忘れそうになる。人間とロボットと、機械人形。境目は難しい位置にあるかもしれない。
「それじゃあ、行こうか。シュタール」
「はい」
しっかり目は合わせず、距離を少し縮めた。手を引いてあげたい気持ちはあるが、まだ勇気が出ない。言葉を喋り人間のように表情を変える女の子に、昨晩のように触れることはもうできなかった。
少しだけ視線を上げる。まだ顔を直視できない。段々と上がる視線はだが、胸のあたりで止まる。いやらしい気持ちからではない。首に下がっているそれを見た。
「な、なんでこれ……!?」
「今度はどうしたのよー」
「僕の、作ってた時計!!」
シュタールが首から下げていたのは、時計の形をしたペンダント。
そのデザインはニクスが作っていたそれと同じデザインだった。
設計図はニクスしか知り得ないもののはず。しかもなかなか歪な形をしたものなので、たまたま似ているということもあり得ない。
「随分小さいのね?もう仕上げちゃったの?」
「違うよ、僕のはもっと大きい。でも、昨日シュタールの代わりに盗られた」
「と、盗られた!?なにそれ聞いてないわよ!?」
「言ってないからな。後で話すって言ったのはこのことだよ。このペンダント、盗まれた僕の時計にそっくりなんだ。僕のもまだ完成してないのにこっちは完璧だし」
何より不思議なのはそこだった。まだ自分も完成させていないものを既に完成させている。設計図通りに、忠実に再現されている。
「じゃあなに、昨日のうちに家に機械人形が置いてあって、ニクスが作ってた時計は盗まれたってこと!?」
「ああ。代わりにって言ったろ。盗んだやつを見たし、追いかけた」
「追いつけなかったの?」
「消えたんだよ。曲がり角で」
「な、なによそれ。怪奇現象にも程があるわ。しかも作りかけの時計の代わりに機械人形を置いていくなんて……もしかしていい人なんじゃない?」
「なんでそうなる!僕の時計はゴミじゃないんだぞ!」
リリーの行きついた答えに不満を漏らすが、確かに変だ。わかっている。事が起こってからずっと変だと思っている。
謎に謎が重なってますますわからなくなる。この不自然さはなんだ。仕組まれていて、全て台本通り行われているようなこれはなんだ。時計が盗まれたこと以外に特に悪いことが起きていないのが逆に不自然だ。
消えたあいつは、いったいこんな綺麗な機械人形を置いていって何がしたかった。今日来たと思われるあいつは、重要そうな部品を落とすためだけに店に来たのか。
――シュタールは、いったい何のためにここへ来た?
ふと、シュタールを見る。
綺麗で、とても優しそうで。人間の女の子と見間違えてしまう、機械人形。
彼女はいったい、何のために置き去りにされたのだ。そこにそもそも意味はあるのか?
作りかけを盗み、壊れかけを置いていく。その奇行が理解できない。
不自然さで頭はぐちゃぐちゃになる一方だ。
永遠と思考を巡らせるニクスに、ぎゅるると。間抜けな音が聞こえた。
我に返り横を見れば、少し顔を赤らめ不機嫌そうにするリリー。
「変なのは十分わかったから!!とりあえずご飯食べてからにして!!」
固くなっていた表情も思わず緩んだ。
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