第一章 「機械人形〈マシーナ〉」
第一話 「出会い」
暗い夜道に人影はなく、明かりも少しの街灯だけが頼り。その光景はまるで、この世に自分一人しか存在していないかのようだった。
――あの時はそうだった。実際、自分の見ていた世界は今の光景と何も変わらない。暗くて、一人で、他には誰もいなくて。
「……さむっ。はやく帰ろう」
自然と速足になっていく。話し相手がいないと道が長く感じるし、嫌なことまで思い出す。なるべく何も考えないようにして、ひたすら足を速めた。
見慣れた道もこうも暗いと下手をすれば迷ってしまいそうだ。帰りがいつもより遅くなってしまったのもあるが、この道はこんなにも暗かっただろうか。建物の明かりが揃って消えている時間に出歩くことなどまずしない。やはり泊まっていけば良かったかなどと、少し後悔さえした。
その夜の街の不気味さは、暗さから来るものだけではない気がして。
なるべく周りを見ないように、雪道だけを見つめて歩き続けた。
悪いことは重なるという。では不気味なことも続くか。
何故今日はこんなに嫌な汗をかくのか、自分でも不思議で堪らなかった。考えすぎなだけならいいのだが、今見たものはそうでもなさそうだ。
家が見えるあたりまで来た時。
自分の家であるはずの扉から、人が出てきたのだ。
一人暮らし。合鍵などなく、見間違えでもない。暗くて顔がはっきり見えるわけではないが、たぶん知らない人。
その人が手に持っているものをじっと見て。また一筋、汗が流れた。
何かできるようになりたいと思い作り始めた、その第一歩。明日アドバイスを貰うため、今日改めて弄ろうと思っていた、自分の作品。
手作りの、作りかけの時計だった。
空き巣だ。間違いなく。戸締りはしっかりしていたはずなのに。
待てと声を上げることさえできず、その場に立ち尽くした。このままでは逃げられる。捕まえなくては。時計を取り返さなければ。他にも盗まれたものがあるかもしれない。犯人を目の前にして何もしないのか?頭は回っても足が動かない。
そうしている内にその姿はどんどん遠ざかり、そして見えなくなった。
家からさらに奥の道。開けた道へと繋がる曲がり角を曲がっていくのを見届けると、やっと足が動くようになる。瞬間、地を蹴って空き巣が消えていった方へ駆け出す。まだ追いつける。追いついてやる……!
そして姿の消えた角を曲がって、また止まる。
「な……んで……」
雪道に残った足跡が、丁度角を曲がったところで綺麗に途切れていたのだ。他に道はない。ここを進むしかないのに不自然に消えていた。
「何なんだよ……」
こうなるともう追いかけようがない。手がかりもないし暗くて何も見えない。何より、怖かった。
時計ならまた作ればいい。それよりも金銭などが盗まれていたら死活問題だ。とにかく家に戻って確認しなければいけない。
時計は諦めろと自分に言い聞かせ、来た道を戻った。
***
「ただいま……」
一人暮らしには広すぎる一軒家の我が家。その扉を恐る恐る開ける。
もし空き巣の仲間がまだいたりしたらという恐怖から、人の気配を確認するように家の中に声を掛けた。中にいれば気付くくらいの控えめな声で。
「誰もいませんよね?いないでくれ」
呟いて、近くにあった工具を手に取り構えて進んだ。部屋を荒らされた形跡はないようだった。金銭の入った棚を開けてみるも、やはりそのまま。一ミリも動いていない。空き巣の狙いは時計だけのようだった。しかし何故あんな作りかけの時計なんか持ち出したのだろう。ただの嫌がらせだろうか。それとも目立つ場所に置いておいたからか。
どこかわからない場所へ隠しておくべきだったと遅まきながら後悔する。
だいたい戸締りはしっかりしたはずだ。どうやって入り込んだのだ。というか足跡が消えたのはどういうことだ。一度諦めたが、時計だけ綺麗に持ち去られていることを確認した途端にもやもやとした気持ちが湧き上がってきた。
「あぁくそ……っ」
勢いのままに奥の、時計のあった部屋の扉を開ける。その部屋も荒らされてはいなかった。時計がないこと以外は何も変わらない。何も――
「っ!?」
――訂正しよう。変わっていた。明らかに変わっていることがあった。というか変わった者がいた。
いつも時計を組み立てていた作業机の上。月明かりに照らされてそのシルエットの半分がはっきり見えた。
「あ、あの、何してるんです……か」
――そこには、女の子がいた。
空き巣の次は不法侵入者。しかも悠々と座っているではないか。
思わず掛けたその声に反応したのか、彼女はゆっくりと顔を上げた。
背筋がひやりと凍り、工具を握る手を強めた。先程の空き巣の仲間である可能性は高い。もし、もしも狙いが自分なら。そんな恐ろしい考えが頭を過る。
全く、悪いことは本当に重なるものだ。今日は厄日だろうか。
少女の目は見ず、その先を見るようにして警戒する。気付かれない程度に一歩、また一歩と後退っていく。隙を見て扉を開け、そのまま全力疾走すれば追いつかれずに済むかもしれない。その後のことはまたその時考えれば良い。今はこの場から逃げることが優先だ。
そしてまた一歩、後ろへ下がった。途端。
「――うわっ!?」
足を滑らせその場に尻餅をついた。置きっ放しになっていた工具に躓いたのだ。
反射的に顔を動かし少女を見る。こっちが隙を作ってどうする……!
だが少女は動かない。
あまりに動きがないので不審に思い、目を、合わせた。
月明かりに照らされた左半身。左目をじっと見つめた。よく見ると、とても綺麗な色をしていた。エメラルドグリーンに輝く、人間とは思えない宝石のような瞳。どこか儚げな印象をもたらすその瞳は、一瞬だが警戒を解いて見惚れさせるほどの力があった。
続いてその瞳にかかる長い髪の毛に目をやると、こちらも人間とは思えない色をしていた。
透き通るような桃色。窓から差し込む月明かりに反射してきらきらと光っていた。
あまりの幻想的な美しさに、はたと気付いた。
――人間では、ない?
改めて全体をよく見ると、目が慣れてきたのか見えなかったものまで見えるようになっていた。
照らされていない右半身からは無数の配線や部品が乱雑に飛び出し、腕と足がついていなかった。完璧な美しさと壊れそうな儚さに息を呑んだ。
警戒心など忘れ、今度は逆に少女へ近付いた。それでも少女は動かない。否、動けないのだろう。彼女は壊れてしまったロボットなのだ。
しかし最初に微かに顔を上げたのを見逃さなかった。完全に壊れているわけではないとも確認が取れている。返事が来ないのを覚悟で再び声を掛ける。
「あの、あなたロボット……ですよね。どうしてここにいるのか、教えてもらうことはできますか」
少女は静かに首を傾げた。ロボットと話すことなどまずない。こちらの言葉が通じるのかもわからない。それでも今度は首を動かせば会話になるような言葉を選んで話しかける。
「僕の言葉は、わかりますか」
こくり。今度は小さく頷いた。どうやら言葉は通じるらしい。
「あなたがここに来る時、誰かに運ばれてきましたか」
こくり。また頷く。決まりだ。この少女を運んだのは時計を盗んだ奴だ。しかし何故時計の変わりにロボットを置いていったのかはわからない。
「その人はあなたの仲間ですか」
今度は首を傾げた。わからないということは、少なくとも意図して彼女はここに来たわけではない。
彼女は敵ではない。そう判断すると彼女の目の前まで歩み寄った。近くで見てもやっぱり綺麗だ。
そっと彼女の左手をとり、静かに口を開く。
「君を直してあげたい。でも行きつけの修理屋はもう閉まっちゃったんだ。そこに凄腕の修理師がいてね。その人にお願いして明日朝一番に君を直しに行きたいんだ。いいかな」
またこくりと頷いた。今度は少し、微笑んだ気がした。
「よし、じゃあ決まりだ。僕はニクス・ニール。ニールは別に覚えなくてもいいんだけど。長い付き合いになるか短い付き合いになるかまだわからないけど、よろしくね」
少女は長く頭を下げた。きっとよろしくの意だ。
「君の名前は……明日声がついたら、聞かせてもらおうかな。とりあえず今日は休もう。えっと、ちょっと触れても大丈夫かな……?」
こくり、頷く。ニクスは自分のベッドへ少女を運び、寝かせた。その肌の感触は人間に近くて、ロボットというより人形のようだった。飛び出す配線さえなければ人間と間違えてもおかしくない。実際自分も最初は間違えた。
掛布団を掛けて体を隠すと、本当に女の子が寝ているようで少しどきどきした。
「あ、えっと、じゃあ僕は床で寝ようかな」
その気持ちを隠すように少女に背を向け床を片付ける。ごちゃっとした床を見て、また躓いても困るしもう少し日頃から片付けておこうと反省した。
自分が寝られるスペースを確保すると、コートを掛布団の変わりにして寝転がった。端に寄せただけの工具の山に囲まれる。うん、まあこれも悪くないかもしれない。
「……それじゃあ、おやすみ」
彼女に聞こえるか聞こえないかわからないくらいの声で呟き、そっと瞼を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます