十月桜編・番外3〈亜紀子〉

 ――文化祭が終り、裕貴がさくら達と共に帰宅して自宅に着く。

 フローラの発案による不満分子のガス抜きイベントで、フローラ、さくら、雨糸、涼香の信者達に散々な目にあわされ、精魂尽き果てて玄関を開ける。


「……ただいまあ」

 声をかけながらリビングに入るとママがソファに座っていた。

「おかえ――って、プフッ!! そっその顔は一体どうしたの?」

 俺の顔を見るなりママが吹き出す。


 それもそのはず。さっきの罰ゲームに外れた結果、カラフルなマーカーを準備していた女子に、教科書の偉人画をピカソの絵に変えるようなイタズラ描きを顔にされてしまっていた。

「あんま言いたくないなあ……」


「お兄ちゃんはフローラ達のファンに散々いじられたんだよ」

「あっ、コラ姫花!」

「でもいい思いもしたでしょ?」

「うっ!」


「いい思いって?」

 ママがさらに聞いてくる。

「うんとねえ、目隠しで手を握って名前を当てっこしたんだけど、お兄ちゃんたら女子はワザと答えを外していた風なんだよねー」

「そうなの裕貴?」


「……うん」

「どうして?」

「うっ! ……と、女子はどうせ大したことできないだろうから、大人しくやられてやろうかな……って思ってさ」

「それでどうしていい思いした事になるの?」


「それは……」

「ふふ、お兄ちゃんに気があった女の子が、罰代わりに告るか、キスしたかったみたいなんだけど、そんな風に答えを外してくるから、かえって女の子たちが怒って、キスしたり胸を触らせたりしたのよ」

 言いよどんでいたら姫香が答える。

「まあ、ふふふ」


「もういいだろ? それよりママ、マニキュアの除光液とか貸してくれない? 油性で描かれたから普通に洗っても落ちないんだ」

「いいわよ。ドレッサーの一番下の引き出しに入っているわ」

「ありがと」


「それから洗い終わったら話があるからリビングに来てちょうだい」

 ママが真面目な顔をする。

「――! 分かった」


 „~  ,~ „~„~  ,~


 ――バー『十月桜』キッチン。

 水上昇平と思川静香、二人で昔話をするうち、霞さくらのイベントへ行く事を勧めた段になって、静香が手を止めて俯いてしまう。


「静香さん……」

 昇平が声をかける。

「……あんな事言うんじゃなかったわ」

 静香がポツリとこぼす。


「なにを?」

「霞さくらのイベントへ行く事」

「そんな事ないよ。僕はさくらちゃんに会えてすごく嬉しかったよ」

「でもあの子が現役で居られたのなんてほんの三年じゃない! その後は――!」

 静香が昇平に向きなおると言葉を詰まらせ、悔しそうに唇を噛む。


「……それでも僕はさくらちゃんに楽しい時間をもらったよ。そして教えてくれた静香さんにも感謝してるんだ」

「気休めは止めて。でなきゃこの店で愚痴ったりしなかったでしょう?」

「あーーそれは、……まあ、その……」


「あなたは霞さくらが好きだったんでしょ? 当時のメールでもあの子の事ばかり話していたものね」

「そうだけど……当時の静香さんとの繋がりが、料理とさくらちゃんしかなかったからね」

「イベントには必ずVIP席のチケットを贈られたって言ってたものね!」


「もしかして怒ってるの?」

「――そうね。怒ってるわ。そこまでさくらにされていて、どうして付き合おうと……はっ!」

 静香が何かを思い出したように黙り昇平を見る。

「さくらちゃんと付き合う? とんでもない。さくらちゃんは最初のファンの僕に色々してくれたけど、好きな人がいるくらいは僕にも分かっていたよ」


「そういえばそうね。あの子は誰にでも優しかったけど、特定の人間に執着はしなかったわ」

「そう。ただ、当時マネージャーが大島さんになった時はすごく喜んでて、嬉しそうに話すから、“ああ、さくらちゃんの想い人なんだ”って察したよ」

「でもファンを止めなかったのね」


「やめないさ。僕が好きになったのはさくらちゃんの歌声だからね」

「そう。……そういえば昨夜さくらが言っていたけど、さくらが贈った席には座らなかったそうね。亜紀子ちゃんがその理由は昇平君に聞いてって言ってたわ」


「それかぁ……この年になったら恥ずかしいなあ」

「教えなさいよ。でなきゃ店を出入り禁止にするわ」

「うー、それは困るなあ、仕方ない。笑わないで聞いてくれる?」


「早く!」

 静香が腕を腰に当てて急かす。

「……さくらちゃんに、“どうして贈った席に座ってくれないの?” って聞かれて、

 ……うわあ、やっぱ恥ずかしい! ほんとに言わなきゃダメ?」


「女装姿を写した写真を裕貴に見せるわよ!」

「はいっ!! スイマセン言います!」

「さあ!」


「“さくらちゃんを知らない人を最前列に座らせて、さくらちゃんの魅力にハマっていくのを後ろの席で見るのが好きなんだよ” って言いました!」


「バカなの?」


「ひどい!」


「はぁ、でも……ぷっ」

「やっぱり笑うんだ……」

「それはそうよ、なんて青臭いセリフ……ふっふふふふ…………うっ……」

 静香が背を向けて腹を抱えて笑うが、最後は涙が出てきた。


 ――涼香、やっぱりあなたはこの人の……。

 一歩引いたところから、これ以上ないであろう応援をくれる行動に、やはり親子なんだと実感して涙が溢れてきた。


「うっ……うっ…………」


「静香さん……」


 静香は泣きながら、昇平の胸に飛び込みたい衝動を抑える。

 昇平もまた両手を握りしめて、沸き上がる衝動に耐える。


「「…………………………」」


「静香さん、これを……」

 静香の嗚咽が治まる頃、昇平が声をかけた。


「…………何よ」

 静香が涙を拭きながら、不機嫌そうに聞き返す。


「涼香を認知させて欲しい」

 昇平が二枚の書類を差し出す。

「そっそれは――!! どっどうして?」

 その書類は黄ばみ始めたDNA鑑定書と、二つの署名と判が押された離婚届だった。

「さっき亜紀子に渡された。そして色々聞いたんだ」

「そう……」


「それで、今更だけど涼香の父親を名乗りたいんだ」

「……それで? 亜紀子ちゃんと離婚してどうするって言うの?」

「静香さんさえ良ければ結婚して欲しいと思ってる」

「護と親権を争う事になるわよ」


「構わないよ」

「そもそもどうして涼香が生まれたのか説明できるの?」

「そっ!! それは……たぶん、さくらちゃんの訃報を聞かされて、荒れてこの店で静香さんに慰められた時……かなと思う」


「具体的には?」

「ごめん。酔ってて覚えてない」

「だとしても、あなたは気のない女に手を出したって言うの?」

「気はあったよ」


「うそ!」

「初めてスーパーで会った時から好きだったよ」

「……うそよ」


「本当だよ。高校生の頃は、静香さんは芸能人になる為に頑張っていて言い出せなかったし、大学で再会できた時には、大島さんから婚約している事を聞かされていたんだ」

「……そうね。護に口止めしていなかったし、偽装婚約する事で大学の入学費用も出させていたからね」


「僕はそんな事情を知らなかったから、純粋に失恋したんだと思っていたよ」

「……そう」

「おまけに亜紀子を紹介して欲しいと言った時も、二つ返事で引き受けてくれたから、もう望みはないんだと思ったんだ」


「あなたには大変な重荷を背負わせてしまった……そう思っていたわ」

「自分で抱えた荷物を不幸だとは思わないけど。……まあ、静香さんにしか愚痴れなかったのは確かだったよ」

「昨夜、亜希子ちゃんに色々聞かされたわ。“さくらちゃんの事は私には全然話してくれなかった”ってね」


「うん。亜紀子には知らない女性の話はしなかったよ」

「女にその気遣いは逆効果よ」

「そうみたいだね。その結果がこれとこれだよ」

 昇平は腫れた顔と離婚届を指差した。


「なるほどね」

「それで、答えを聞かせて欲しいんだけど」

「答え……そうね」


 „~  ,~ „~„~  ,~


 ――裕貴が家に帰り、イタズラされた顔を洗い、軽くシャワーを浴びてリビングに行くと姫香もソファに座っていた。


「来たわね裕貴。座って」

 ママの斜め向かいに座る。

「話って?」


「…………ふうん。この数日で随分大人の顔になって来たわね」

 聞いた事には応えず、ママが俺の顔をマジマジと見詰める。


「ねーママ。私もそう思うわ」

「……話って?」

 照れるのでさらに聞く。


「そうね。ママ昨夜は静香さんと話をしたわ」

「「どんな?」」

 姫花とハモる。


「静香さんがどうして裕貴にちょっかいをかけていたのかその理由をね」

「……ああ、そういう事」

「なんとなく気付いていたけど、下手にあなた達の行動に影響を与えてもいけないと思って、ずっと静観していたの」


「そうだったんだ。思い出してみても静香さんを悪く言う事は無かったよね」

「言われてみればそうね。普通、親ならもっと静香さんにクレームを入れてもおかしくないもんね」

「そうよ。事情を薄々知っていたから、昨夜は確認しながら色々話を聞いてきたわ」


「どんな?」

「まずはパパと静香さんの出会いから話しましょうか」


 ――そうしてママは、親父と静香さんの出会いから、静香がこっちへ来るまでの話をしてくれた。


東京向こうで涼香ちゃんを生んで、こっちに戻って来る時、パパがシングルマザーになったのを心配して、空いているアパートの隣を紹介したの」

「……なるほど。それで隣に住んでいたんだね」


「ついでにママも静香さんを知っていたし、裕貴もいて、姫香もお腹にいたから静香さんが働いている夜の間は、涼香ちゃんも一緒に面倒見ていたのよ」

「……大変だったでしょ?」

「体の方は大変だったけど、気持ちの方はパパが大事にしてくれてたから平気だったわ」


「でもそれって静香さんは……」

「……そうね。内心穏やかじゃなかったでしょうね」

「それでお姉ちゃんに辛く当たっていたんだね」

「ええ。さらにママも涼香の出生の秘密は知らなかったから、余計に涼香を庇っちゃってね」


「今度は俺が大きくなってきて、涼香を庇う行動がさらに静香さんを追い詰めていたわけか」

「ええ。大島さんと結婚して認知までさせて、さらに言い出せない秘密があったのに責められて、すごく傷ついたと思うわ」

「静香さん……ぐすっ」

 姫花が瞳を潤ませる。


「それで姫香が生まれた時、ちょっと女のカンが働いて涼香のDNA鑑定をして、パパの子だって知ったわ」

「そっ、そんなに早くから……」

 驚きを隠せない

「ひょっとしてフローラに話した、お兄ちゃん達がわたしのオムツ交換で苦労したって言う頃には知ってたの?」


「ええ」

「もしかして、ママはもうその時には静香さんを許していたの?」

「そうよ」

「あっ! お兄ちゃんはパパが、私の名前はママが付けたんだよね」

「ええ」

「やっぱりそっかー……うふふ、ありがとうママ」


「どういう事だ?」

「私とお姉ちゃんの名前は?」

「涼香と姫花……ってそうか! 最後の文字が同じだ!」

「本当は同じ漢字にしたかったけど、静香さんに気付かれて当てつけだと取られたら嫌だったのよ」


「お姉ちゃんと同じ字が良かったけど、そういう事ならしょうがないよね」

「そうだな……」


「今だから言うけど、静香さんが我を通すつもりなら、涼香が生まれた事でとっくにウチの家族を壊したでしょう? それをしないで大島さんに認知させたのは、パパやウチを思いやっていたのよ」

「……ああ、そうか。そういう事だったんだ、何か裏があると思い込んでたよ」

 静香さんの目先の行動に目を奪われ、大きな事実に気付かずにいた自分の浅はかさに改めて気が付く。



「人を嫌いになる事はとても簡単よ、それが悪意を向けられたらなおさら。逆に許したり好きになるのはとても難しいわ。だけどどんな人でも黒一色には染まっていないの。凶悪な犯罪者でもネコを可愛がるかもしれないし、落ちてるゴミを拾うかもしれない。ただ良い所が自分に向けられていないだけだと思えば気が楽になるし、自分も負の感情で汚れる事もないわ。――よく覚えていてね」


「……うん」「はい」

 そう返事すると同時に、肩の黒姫が髪を掴む手に力が入り、姫花の右前方の空間が少しブレた。


「……静香さんへの事は、小さかったとはいえオレがした事だから、その不義理は俺が返していくよ」

「それは静香さんは望んでいないと思う」

「そうかな?」

「裕貴は涼香を守ってきた。そしてこれからもそうするんでしょ? だからいいのよ」


「でも……」

「それにその役はこうなった元凶にやらせなきゃダメよ」

「――って、ママ! まさか!」

「パパに全てを話して、涼香のDNA鑑定書と離婚届を突き付けて静香さんの所へ追い出してやったわ」

「やっぱり」

「それに裕貴達をこれだけ導いてくれたのに、ママが何もしなかったら女がすたるわよ」


「さっきの言葉の後なのにママったら容赦ない……」

 姫花がおののく。

「……それで? 離婚なんてことになったらどうするの?」


「うふふ……さあて、どうなるかしらね。楽しみだわ」

「「楽しみ?」」

 姫花と二人、首をひねる。


 „~  ,~ „~„~  ,~


 ビリビリビリッ!!


 静香は離婚届とDNA鑑定書を破いた。

「静香さん!!」

「これが答え」


「でもそれじゃけじめがつかない」

「女はけじめなんていらないのよ」

「じゃあ、僕はどうすればいい?」

「……そうね、一つだけお願いしようかしら?」


「なんなりと」

「週末、この店が休みの時は家に来て食事の用意をしてくれる?」

「……そんな事でいいの? それくらいならお安い御用だけど」

「決まりね。私の好物は覚えてる?」


「もちろん」

「うふふ、楽しみだわ。さっそく今晩からね」


「いいよ。それと静香さん、一つだけ言っておきたい事があるんだ」

「なあに?」


「娘を――涼香を生んでくれてありがとう」

「!!」

 静香が口元に手を当てて驚き、瞳を大きく開くと見る見る涙を溢れさせた。

「涼香を生んだ時、傍に居てあげられなくてごめんね」


「うっ! うっうっ――!」

 さらに静香が堪えられなくなって両手で顔を覆う。

「静香さん」

 昇平が優しく抱きしめる。


「私も……実は私もあなたが好きだったわ」

「ありがとう」


 „~  ,~ „~„~  ,~


 ――夕方になり、重い話の後だと言うのに、ママはなぜかウキウキと夕飯の買い出しに出かけ、帰って来てから嬉しそうに食材を冷蔵庫にしまう。

 そしてなぜか日本酒の地酒をテーブルの上に置いて手酌でコップに注ぐ。


「夕飯作るんじゃないの?」

「んっふふー。今晩は飲みたい気分なのよ――ふぅ~~……」

 クピッと軽くお酒をあおると、温泉に浸かったかのような吐息を漏らす。


 離婚届を親父に突きつけ、家族の危機にあると言うのに、上機嫌な事に違和感を覚える。

「どうしちゃったんだろ……」

「わかんない」

 姫花も首を傾げる。


 そろそろ夕飯の支度の時間だと言うのに動く気配がないので、かわりに作る為にソファから立ち上がる。

 すると玄関が開く音がする。

 なにかボソリと声がするが、親父ならもっと声が大きい。

 だが、そんな風に無断で上がってくるのは一人しかいない。

 立ちあがったままママを見ると嬉しそうに笑う。


 そしてリビングの扉が開く。

「こっ、こんばんわ……」


「お帰り。涼香」

 ママが上機嫌で迎える。

「お姉ちゃんどうしたの?」

 姫花が聞く。


「いっ今、裕パパが来てて、夕飯をママと作り始めてて……そっそれで、私はこっちで、裕ママに昨日のお礼に夕飯を作ろうかなって思って……」

 どうやら涼香は気を利かせたようだった。

「うれしいわー! さすがに昨日は張り切ったから、今日は簡単なのにしようかなーって思ってたの」


 嘘だ! 絶対予想してた!

 ココロの中でツッコむ。


「あ! じゃあ私も手伝う」

 姫花がエプロンを持ってきて涼香に渡す。


 キッチンに向かう涼香に近づく。

「……親父は何か言ったか?」

「うん。『こんな僕だけど父親を名乗っていいかな?』って」

「そうか。で、なんて答えたんだ?」


「『姫香ちゃんと結婚できたらね♪』って言ったわ」

「ふっ、親父の困り顔が目に浮かぶな」

「ふふふ」

「その程度? ……お姉ちゃんは優しいなあ」

 傍で聞いてた姫香があきれる。


 そうして二人で和気あいあいとキッチンに立って料理を始め、チクワにチーズを詰めたツマミをママに出してきた。

「はい裕ママ」

「ありがとう涼香」

 それをママが嬉しそうに言い、つまんでお酒をあおる。


「……注ぐよ」

 空いたコップを見てお酒を差し出す。

「あら嬉しい! 裕貴までサービスしてくれるの?」


「まあね」

「……いやだ、このお酒しょっぱいわ。せっかく愛する娘が作ってくれたおつまみと、息子が注いでくれた初めてのお酒なのに」


 ママはそう言いながら、涙を拭いもせずに涼香達を見て、幸せそうにお酒を口に運ぶ。

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SAKURA DOLL 完全版2~十月桜編 鋼桜 @sakura_doll

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