十月桜編〈インプリンティング〉

「まずはお疲れ様」

 腕を組んで、不機嫌な調子で一葉が言い、向かい合った雨糸は一葉と同じ目線に立ち、隣に雛菊デイジーが並んで立っていた。

「……ごめんなさい」

「すまなかったアル」

 雨糸は昨夜夢で見た電脳空間が、雛菊を通して見ていた空間だと知り、それと共に一葉や涼香に辛い記憶を思い出させてしまった事を一葉に謝ると、隣に居た雛菊も一緒に謝った。

「……いいわ。予想外ではあったけど、アンタたちと接続コネクトしたおかげで良い事もあったしね」

 過ぎた事だと言いたげに、だが少しぶっきらぼうに一葉が二人を許す。

「それはどういう事?」

「その前にコールしたのは雛菊なのに、どうして雨糸がここに居るの? っていうか、雨糸は今どういう状態なの?」

 一葉が聞く。

「えーっと……」

 雨糸は涼香の何年分もの記憶を覗いたせいで、記憶の時系列が整理できず、混乱して言葉に詰まる。

「ウイは今、一旦起きてシャワー浴びたあと、Primitiveさくらの為に用意してあった睡眠薬を貰って眠っているアル」

 歯切れ悪く答えようとする雨糸に代わって雛菊が答える。

「そう。まあ、あれだけの悪夢を見れば体が休まらないものね」

「…………うん。本当にごめんなさい」

 その悪夢は涼香の原体験である事を十二分に理解した上で、雨糸がさらに謝る。

「もういいって。それよりもアタシはホンの少しだけどお礼が言いたいわ」

「あれアルか」

「どういう事?」

「涼香の記憶が私にも見れたって事よ」

「……なんで?」

 顔を上げて雨糸が聞き返す。

「実を言えば、AIアタシたちは人間の記憶を“電子的に”知る事は出来ても、それがどういう情報を持っているのか、“理解”できなかったのよ」

「……それってどういう」

 腑に落ちない顔で雨糸が聞き返す。

「つまり、デジー達AIは人間の記憶情報を、視覚的な映像に変換する事が出来なかったって事アル」

「それは、大昔のデジタルカメラは被写体をデータ素子でしか認識できなかったけど、画像エンジンを搭載して、高速で大量の情報を判別できる――つまりは被写体を有機的に認識できるようになった……ってのと同じ理屈かしら?」

「……その通りよ」

 一葉が驚いたように言う。

「さすがはウイ! えへへへ」

 喜んだ雛菊が、子犬のように雨糸に抱き付く。

「でもどうして私が涼香の記憶を覗くことで、あなた達が認識できるようになったの?」

 すり寄る雛菊の頭を撫でながら雨糸が聞き返す。

「それは、電子情報として雨糸に送られた涼香の記憶の脳波情報を、雨糸が映像として認識して、その時の雨糸の脳波情報を雛菊が再分析して、映像化ができたって事なのよ」

「…………要するに私が音声信号を、スピーカーみたいに音声に変換したって事なのね?」

「正解」

「そうか、その為の新しいツインだったのね」

 雨糸のアレルギー体質に合わせて作られた、カチューシャ型ツインの、隠された機能を知って、アバターと一緒に視覚化された、頭のライトグリーンのツインに無意識に触れる。

「今までのツインじゃ細かな脳波を測定する事が出来なかったから、Primitiveさくらに使っていた装置を、新たに雨糸専用にリメイクしたのがそのツインアル」

 雨糸の胸に顔をうずめたまま、雛菊がすまなそうに説明する。

「いいのよ雛菊、でもこれってすごい事じゃないの?」

「そうね。記憶が映像として再現できれば、犯罪の証言に利用したり、果ては人間そのものを記録媒体に仕立てる事も可能になるし、先の未来には、人類が全て脳波リンクして意識を――」

「一葉!!」

 雛菊が雨糸の胸からガバッと顔を上げて、一葉の言葉を制する。

「そっ! ……そんな昔のアニメみたいな事が!!」

 時遅く雨糸が察してしまって身震いする。

「でも安心するアル」

 雛菊が雨糸の手を取る。

「そうね」

 一葉も同意する。

「どういう事?」

 雨糸が聞き返す。

「理由はこれ」

 一葉が空間に手をかざすと、何やら砂嵐と雑音混じりの映像が再生され始めた。

 目を凝らして見聞きすると、どうやら幼い涼香が裕貴に押入れから連れ出されるシーンらしかった。

「こっこれって、涼香の?」

「そう。これが今現在のAIアタシたちが認識できる限界。脳波信号を映像に再変換するには、まだまだ雨糸の協力と多くの臨床試験データが必要なの」

「ふふふ。加えてウイは無意識下でITスキルを行使できる数少ない人間だから、とーぶんウイはママ達に強気でいられるアルよ」

「はあ、よかった。そんな未来私一人じゃ背負いきれないわよ」

「一人じゃないアル。デジーもずっと一緒アル」

 雛菊が泣きながら雨糸にふたたび抱き付く。

「アンタ意外と泣き上戸なのね」

 一葉が茶化す。

「……でも小さい頃からお手伝いとか言われて、パパにいいようにコキ使われていただけだと思ったけど、意外な所で役に立ったみたいね」

 雨糸が雛菊をあやしながら笑って答える。

「まあ……ね。初体験に涼香を利用されたのはシャクだけど、結局はそう言う事。これから辛い思いもするだろうけど、雨糸のこの経験は、きっと将来アナタと“アタシ達の”役に立つはずよ」

「そう……かな?」

「……ウイにはまだまだヒドイ思いもしてもらう事になるアル。だったら、少しでもウイの役に立つようにした方が良いとデジーはおもたアルよ」

 リアクション制限のある現実の素体ボディと違い、電脳世界の雛菊は子犬のような目をして涙を浮かべて雨糸を見つめる。

「雛菊……あなたってば……」

 感極まって涙を浮かべながら雨糸も雛菊を抱き返す。

「……って事で、スキンシップはそれぐらいにして、本題に移らせてもらいたいんだけどいいかしら?」

「本題?」

 雨糸が聞き返す。

「そう。雨糸には一つ役をやってもらいたい――と、思ったけど後でね」

「どうしたの?」

 雨糸が聞き返す。

「リアルの方でちょっと面倒な事になってるようね」

「ええ?」


 „~  ,~ „~„~  ,~


 静香に事故当時の詳細を聞かされ、落ち込むさくらが俯いて無言で歩く。

「こっちだよ」

 静香の血で汚れたワンピースを変える為、さくらの手を引いて、クローゼットのある部屋へ案内する。

 オマケに青葉もさくらの肩に乗らず、落ち込んだように床をトボトボとついてくる。

「………………」

 扉を開けると、十畳はあろうかというフローリングの部屋は、簡単なイスが二つとテーブルが置かれ、壁一面クローゼットで、その扉は部屋の片側半分が鏡がはめ込まれていて、さながらダンスの練習を想定されたような鏡部屋だった。

「……ちっ、どこ開けりゃいいんだ?」

 出入りしていた経験から、衣裳部屋は知ってはいたが、いざ入ってその壁一面のクローゼットの扉を見て、数の多さに思わず呟く。

「……しょうがない、聞くのもシャクだから端から見ていこう」

 そうしてさくらに選んでもらうため、手近な扉から開け放っていく。

「…………何だこりゃ?」

 だが、鍵のついた扉を除いて全てあけ放つと、クローゼットに収められていた服は全て静香の仕事着――つまり派手な洋服ばかりだった。

「休みとはいえ、学校行くってのにこんな派手なの着ていけるかよ、ったくあのババアめ……」

 腕を組んで悪態を突く。

「なら、裸ででも行きなさい」

 そう後ろから声をかけられ、振り返ると扉の所に一葉が立っていた。

「一葉か。ずいぶんな言い草だな」

「当然でしょ。裕貴、アンタここが誰の家か知っていて、さっきみたいな乳繰り合いをしたの?」

 一葉が怒ったように言う。

「――って、見てたのかよ!」

 一葉のツッコミに思わず怯む。

「アタシじゃないけど、楊貴妃レディ・ヤンはこの家のセキュリティーアプリがインストールされていて、各部屋は常時モニタリングされているわ。アタシはそれにリンクしていて知ったのよ」

「なっ!!」

「そんな……」

 俺と共に青葉も驚く。

「青葉は昨日オシオキされたばかりで、覗きスヌープを遠慮したんでしょうからしょうがないわよ。けど裕貴の方はどうなの? ここが自分の家みたいな認識でいたの?」

「……確かにそうだ。俺が甘かった」

 規格外AI一葉がいる事は置いといて、そこそこ裕福な女二人のセキュリティーが、甘い訳がないと今さら自覚した。

 静香もメカには疎くても、専門家に任せてセットアップぐらいは普通にやるであろう事に、自分が思い至らなかった事を悔やむ。

「ふん。そのおかげで涼香は居間に入れなくて、静香に先に入られてあの結果よ」

「!!」

 確かに涼香の性格なら、俺やさくら、フローラで下ネタあんな話をしていれば入りづらいだろう。

 そうして静香を差し置いて俺らに気を遣えば、静香を逆なでする事になり、さらにややこしい事態になっていただろう。

 …………俺のせいか。

「さらにアタシまで普通のAIじゃないってばれたらどうなると思う?」

「静香の行動が陰にこもって、一葉がやりずらくなる……か」

「その通りよ。……まったくもう」

「本当にすまない」

「……ごめんなさい」

 さらに頭を下げると、さくらも謝った。

「涼香が母親の方にかまけている理由がわかったなら、今日の所は涼香を置いてとっとと学校へ行きなさい」

「分かった。すまなかった」


 „~  ,~ „~„~  ,~


 その後、さくらを無難な服に着替えさせ、さくら、フローラ、俺だけで学校に向かう。

 車の中で、沈んだ様子のさくらにフローラが言う。

「落ち込む気持ちは判るが、今は受けた恩を昇平さんに返す事を考えた方が、建設的じゃないのか?」

「……うん。そうね、ありがとうフローラ」

 そのおかげで、何とかさくらも顔を上げることができた。

 自分もあんな風に静香に言われて、落ち込む様子もないどころか、さくらを励ましてくれるフローラを嬉しく思う。

 学校には1時間ほどの遅刻だったが、正規の授業でなく、さくらのファンだった先生達の善意の補習授業という事もあり、特に言われる事もなかったが、かわりに落ち込んだ様子のさくらを、先生達は心配していたようだった。

 そうして授業に送り出した後、フローラは図書館で自習をすると言い、俺は祥焔かがり先生に緋織さんの事を相談するために、機械科準備室を尋ねていた。

「水上か。どうした?」

「相談したい事があります」

「何だ?」

「緋織さんの事です」


 そうして、静香から聞いた緋織さんの過去の事を話した。

「――で、それが本当かどうか。緋織さんを信じていいのかどうか、迷いがあるから、祥焔先生の考えを聞きたいんです」

「…………そうか」

 話し終えると、祥焔先生はポツリとそれだけ言って、肘をついて考え込む。

「…………どうなんでしょう?」

 催促するように聞いてみる。

「……来週末は野尻湖の花火大会があったな」

「はあ?」

 違う事を聞かれて思わず間の抜けた声をあげる。

「霞、フローラ、思川を誘って、妙高の温泉あたりに行こう。水上、三人に声をかけてくれ」

「相談の方は……」

 斜め上を超えて喋る祥焔先生に、改めて聞き返す。

「白雪、緋織に音声発信」

 だが、先生は答える代わりに白雪に発信を指示する。

「ええ?」

 あまりの脈絡のなさに、思わず相談した事を後悔する。

「はぁ……。わかったわ。でも教師なんだから、きちんと問答してあげなさいよ。裕貴君困ってるじゃない。……まったくしょうがないわね」

 劇的に人間臭い反応で返す白雪にも驚きつつ、祥焔先生のリアクションを待つ。

「……大事な事だから答えられない。だから直接緋織に聞く。それだけだ」

 コールを待つ間、先生がやっと訳を話してくれる。

「ええっ!?」

『何かしら?』

 驚くと同時に緋織さんに繋がり、白雪が緋織さんの声を流す。

「緋織、今週末こっちで開かれる野尻湖花火大会に来ないか? そして夜は妙高あたりに泊まって温泉に浸かろう」

『デートの誘い? 生憎だけど――』

「水上がお前の父親殺しの真相を聞きたがっている。話してやってくれないか?」

 断ろうとした緋織さんを先生が遮って、俺の相談をストレートに伝える。

「ちょっ! 先生!」

 その強引さに思わず声をあげる。

『…………いいわ』

「決まりだ。めかし込んで来いよ」

『冗談はよして。ついでに近くの演習場の方も寄ってみるから、昼間は付き合えないわよ』

「この悪魔め……。いいだろう。じゃあ夜は水上の相談の後、酒を付き合え」

『しょうがないわね……。じゃあ詳細はまた連絡をちょうだい』

「ああ、分かった」

『裕貴君』

「はっ、はい!」

 名を呼ばれて焦る。

『聞いた通りよ。その時に質問に答えるわ。いいかしら?』

「はい。いっ、いい……です」

 予想外の展開について行けずキョドる。

『ありがとう。じゃあ祥焔、週末ね』

「ああ、頼む」

 そうして通信を切る。

「…………今の様子だと、静香が言っていた事は本当だったんですね?」

 強引に事を進められ、少しムッとしながら聞いてみる。

「まあそうだな。“父親を殺した”という一点は本当だが、霞に対する考え方は私は答えられないし、憶測で答えていい事じゃない。それに、聞かれても緋織なら包み隠さず本心を話すだろう。だからこうした。――不満か?」

 よどみなく理由を話す祥焔先生。

「いいえ。そう言う事でしたら納得しました」

「強引な決め方をしたのは悪かった。でもまあ花火大会にかこつけて、落ち込んでいるお前の嫁どもをすこし慰めてやれ」

「なっ!! ――って、知って?」

「ああ、全部な。今の白雪は十二単トゥエルブレイヤーのNo1をインストールしてある」

「……ああ、そう言う事ですか」

 諦めに似たため息をつきつつ納得する。

「少し違うわ祥焔。一応あなたたちの監視役を任されて、必要上Alphaから切り離して、他の“媒体”にimprintingインプリンティングしてあるの」

インプリンティングすり込み?」

 確か、ひな鳥が最初に見た動物を親と認識する事をそう言ったと思うが、IT用語でも、コンピュータ用語でもない気がして聞き返す。

「おい」

 祥焔が白雪をたしなめる。

「まあ、インストールと同じと思ってくれていいわ」

「……そうですか」

 白雪が年上のように、上から目線で話すせいか、DOLLだというのに思わず丁寧語になる。

「だから、出自は他の十二単と同じで姉妹ではあるけど、人格は完全な独立AIと変わらないわ」

「独立……そうか、一葉達は黒姫の主人格メインパーソナリティーで繋がっているんだったな」

 納得しながら肩の黒姫を見る。

「今は記憶の共有は行っていないけどね」

 白雪が言う。

「どういう事?」

「一葉、雛菊、巴と他のAIをそれぞれに行動させることで、思考ルーチンの幅を広げているのよ」

「よく……わからない」

「人間は閃いたり、直感で理解したりするでしょう?」

「ええ」

「そういう記憶や経験に依らない深層意識や無意識の反応を、AIの思考ルーチンでも再現させる為。っていえば判るかしら?」

「なるほど。よくわかります」

「ふん。人形は素直な方が扱いやすいと思うがな」

「祥焔ったら。……今更よ」

「私が言いたいのは、“そんなAIを欲している連中の意図”が、気にくわないんだ!」

「誰が欲しがっているって言うんです?」

 気になり、声を荒げる先生に聞いてみる。

「……緋織のスポンサーだ」

 しまった、という顔をして先生が答える。

「軍関係……って、確か言ってましたね」

「そうだ。朝鮮半島危機の時、安全保障条約履行後に、そのまま居座っている在日米軍だ」

「そんな連中がどうして人間に近いAIを?」

「決まっている。銃器や核さえ必要なくなるからだ」

「……? 分かりません」

「要人暗殺やスパイ、……コントロールの利く高性能ヒューマノイドがどれだけ有用か、今どこまでできているか想像がつくか?」

 その言葉の真実に、思わず拳を握りしめる。

「……わかりません。でも兵器の開発の一端を担っているという事はわかりました」

 ビクンと肩の黒姫が震えたのが判る。

「そうだ。だがな水上」

「はい」

「黒姫達AIには真摯に向き合って付き合え」

「どうしてですか」

「犯罪を犯す事をためらう様なAIに育ててやれ。という事だ」

 祥焔先生が、肩の黒姫にも言う様に優しく言ってくれた。

「そう言う事なら。……全力で育てます」

 祥焔先生の言葉が素直に胸に染み込む。

「頼んだぞ」

「ふふ、妹達の未来に光が差すようね」

 白雪が笑う。

「そうなればいいけどね。……と、そうだ。先生」

 立ち上がり、部屋を後にしようとして思い出す。

「ん?」

「静香から伝言、“教師辞めたらウチの店で雇ってあげる”って言ってました」

「……そうか」

「どういう事です?」

「なあに。先週の金曜の夜、彼女の店に行って明け方近くまで飲んだのさ」

 あのウワバミと朝まで……、すげえな。

「そうだったんですか。でも何で?」

「まあ、ちょっと彼女の為人ひととなりを知っておきたくてな」

「へえ、……で、どうでした?」

「やはり涼香の母親なんだな。……と感じた」

「“あんなの”でも、ですけどね」

 どう涼香の母親なのか気にはなったが、これ以上話題にしたい人物でないのでスルーする。

「ああ。“たいした”母親だ」


 „~  ,~ „~„~  ,~


 その後、祥焔先生の助言から週末の予定をさくら、フローラには学校で話すと、二人とも喜んでOKしてくれた。

 そして夕方、bathingベイシング ribbonリボンのお礼をすると言って涼香を家に呼んで、夕食を一緒に食べ、部屋で朝の騒動の後の事を謝り、経過を聞いた。

「――まっ、ママは皮膚がうっすら切れてただけで、深くはなかったの」

 俺のベッドに湯上りのバスタオル一枚で、寝そべっている涼香が答える。

「……そうか、青葉も叩かれたショックで、超音波振動をほんのコンマ何秒かしか出していなかった。って言ってたから心配はしてなかったけど、それなら良かった。本気でプラズマまで出してたら、あれじゃ済まなかった、とも言ってたぞ」

 ベッドの縁に背中からもたれ、首を涼香の方に向けて言う。

「うっうん。さくらちゃんにもママがケガさせたり、不躾な事したみたいでゴメンね」

「それは……、それよりケガ以上に、静香がした事がビックリだったけどな」

「そっ! ……れは…………」

 涼香が赤くなって下を向いてしまう。

「ちゃんと涼香に返してもらったようよ」

 一葉が意味深に笑いながら不可解な事を言う。

「はあ?」

「ひっ、一葉!」

 聞き返したら、涼香が叫んで一葉の顔を手で覆ったようで、一葉がフガフガ言っている。

「……まあいいや。ところで今晩どうする? 泊まっていくか?」

「…………」

 そう聞くと、涼香が背中から首筋に無言で抱き付いてきた。

「……そっか。だけど今日はパジャマくらい着ろよ?」

「………」

「イテイテ、こら、つねるな……つか、もう子供じゃないんだからしょうがないだろ?」

「……わかってる……」

「それに、できれば今日はさくらの方を慰めてやりたいくらいなんだ」

 知られたくなかった事をアッサリ静香にバラされた上、心も唇も傷つけられて打ちひしがれていた、今日のさくらの後姿が目に焼き付いていた。

「そう……だね」

「だけど今俺が行っても……」

 罪悪感と負い目を募らせてしまう。そう言いかけて止める。

「ふふ、じゃあ今日は私がお兄ちゃんを独り占めね」

「……おい。それはさくらに対してあんまりじゃ……って、涼香?」

 楽しそうに言った言葉とは裏腹に、振り返ると涼香の顔は涙で濡れていた。

「もう少し……」

 肩に頭を預けて涼香がポツリと言う。

「……もう少し?」

 泣いたわけを聞きだそうと、穏やかに聞き返してみる。

「もう少しだけ待って」

「……待つ?」

「…………そうしたら、…………全部の答えが出るから」

「答え?」

「ゴメンね、裕ちゃん……」

 ボロボロと本格的に泣き出してしまう。

 いつも何かを抱えて一人で奮闘していて、今もまた何かを抱えている涼香をなだめようと、ベッドを振り返って涼香に向かい合う。

「……ごめん……なさい」

 ベッドで上半身を起こし、巻いていたバスタオルが落ちて、ささやかな涼香のプライドがはだけているが、涼香は両腕を下げたまま隠そうともせず、真っ直ぐ俺を見て泣きじゃくる。

「いいんだ涼香。もういいから……」

 聞き出すのを諦めて、幼いころからしていたように、小さくてか細い涼香の体を抱きしめてやる。


「…………ごめんね、お兄ちゃん」

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