十月桜編〈鈿女の舞〉
「大丈夫? ママ」
「お怪我はございませんか?」
「ゆうママ大丈夫?」
そう気遣う俺に、ママのDOLL“愛染”と黒姫も声をかける。
「んがっ!」
さすがにその音で毛布を跳ね上げて飛び起きたお父が、焦点の合わない目であたりを見回して、俺のまとった匂いに気付いて鼻を動かした。
「う………ん……んあ……れ? クンクン…………怒……った?……静さん。……ごめん、……色々グチっちゃって……ほんとう、ありがと……う…………」
まだ寝ぼけているらしく、静香の店にいると勘違いしているようだった。
「もう、パパったら。もう家についたから大丈夫よ」
どうやら無事だったらしいママが、何事もなかったように駆け寄り、落とした毛布を拾いながらお父の肩を押さえて、ふたたびソファに横たえさせる。
「そ……か……んご…………」
お父がグダグダな返事をして再びイビキをかいて目を閉じた。
「……全く。昔話なんかして、裕貴の付けてきた香水の匂いを嗅いだもんだから、意識がタイムスリップしちゃったみたいね」
「昔話……、」
「そ。当時付き合っていた私にすら、頑として言わなかったさくらちゃんの事故の真相を、静香さんから聞いた事を言って、ようやく全部話してくれた時の事をさっきパパと話してたのよ」
「そう言えば、何で静香から聞いてた事をお父に聞き直したの?」
デリケートな部分があろう事をものともせず、どうして聞けるんだろうと思った。
「どこまで真実か、どうしても本人の口から聞きたかったのよ」
「そっか。他人視点だと事実がずれちゃうかもしれないもんね」
「そうよ。特に他の女性視点だと余計にね」
なるほど。嫉妬心か対抗意識だったのか。
同時に客観視を真実とせず、直に聞くところが勝気なママらしいと思った。
「……と。それはいいとして、さっきの話だけど」
お父をチラリと見て、急に真顔になって聞いてくる。
「さっきの話?」
「涼ちゃんの父親」
「ああ、帰りがけに静香が大島さんが認知したって言ってたんだ」
「……………………………………………………………………え?」
たっぷり30秒ほどポカンとしてからママがそれだけを口にした。
「以前、“涼香の父親は誰だ”って聞いたら、さっきになって静香が“護さんが認知した”って答えたんだ」
ママの真剣な話の後の、拍子抜けした顔が可笑しかったが、なんとかこらえて真面目に答える。
「………………そう」
ママは今度はさほど間をおかずに短くうなずいた。
「ビックリだよ。離婚してなきゃ涼香は社長令嬢だってんだもん。それさえ知ってりゃ、山の中なんて家出しないで大島さんトコへ涼香を連れて行ったのに」
前半は笑いながら、後半は半ば本気で悔しく思った。
「ふふふ。そうね」
ママが何かに安堵したように嬉しそうに笑った。
「……と、そうだ。その事だけどどうしたらいいと思う?」
「どう、とは?」
「涼香に伝えるかどうか」
「そうね。どうしたものかしら」
「俺は涼香をあの家に、静香の元に居させたくないと思ってる」
「まあ、裕貴がそう思うのは無理ないわね」
「だけど、涼香はその事をどう思うだろう。驚くかな」
「……ママは涼ちゃんの反応は分からないわ。けど、知ってどうなるの? 大島さんの元へ行かせるの?
「あ!!」
「でしょ? ママは涼ちゃんがいきなり友人のいない都会へ、喜んで行きたがるとは思えないわ」
「確かにそうだ」
今でさえ、コミュ障で不自由しているのに、知り合いのいない都会でやっていけるはずがない。
……もしかしてそう言う事を知ってたから、護さんは俺に言わなかったのかな?
DOLLらを通して今の現状を知り得ていたのだから、そう考えると護さんなりの気遣いだったかもしれないと思う。
「ま、涼ちゃんだってもう小さくないし、裕貴もついてるんだから大丈夫よ」
「そうだね。今はお金に不自由してないし、話しても動揺させるだけだろうし、何か変わる事もなさそうだしね」
「そうよ」
「分かった。黙っているよ」
「じゃあママもそうするわね」
「うんお願い」
腑に落ちないのは、なぜ静香は今まで黙っていた事を、今になってあっさりばらしたのかという事だった。
もしかして、俺が黙っている事まで読まれていて、店に呼び出された事も考え、それが正解なのだと気付く。
――ちい、またやられた。
「ねえ裕貴」
眉間にシワを寄せて密かに歯噛みしていたら、ママに声をかけられた。
「なあに?」
「裕貴は涼ちゃんをどうしたいの?」
「へ?」
意味を掴みかねてキョトンとする。
「涼ちゃんを女の子として見てるのかって事よ」
「いや、そりゃ見てるけど」
「はぁ……ウチの男どもは」
歯切れ悪く答えるとママが呆れる。
「どういう事さ」
「涼香ちゃんと結婚を考えて付き合えるのかって事よ」
「!!」
「どうなの?」
「いや、その…………」
ストレートに聞かれて返答に困る。
以前一線を越えそうになり、義父が自殺した原因を突かれて差し伸べた手を引っ込めた。
その事はずっと忘れないとその時言われたが、
その矛盾を自分なりに考えて、これまでの付き合いに対する、自分への感謝の気持ちの表れではないかと思うのは、うぬぼれではないと思う。
結果、涼香は自分への感謝と同時に、義父を死に追いやった俺への恨みも心に秘めていると解釈してきたが、いざ俺が“涼香をどうしたいのか?”と聞かれると困ってしまった。
「…………好きだよ」
「それは知ってるわ」
やっと言った言葉にママが満足せずさらに突っ込んでくる。
「結婚……はまだどういうものかよくわかっていないけど…………」
自分の意志を確かめるように慎重に言葉を探る。
「けど?」
「涼香を幸せにしたいと思う」
「――そう」
ママが満面の笑みを浮かべて短く答える。
やっとの思いで答えたのに素っ気ない言葉でかたずけられて少しムッとする。
「なんでそんなこと聞くのさ」
「親として心配だからに決まってるじゃない」
「くっ!」
あっさり常套句で返されてくじける。
「ふふふ。まだ十六歳だもんね。それだけ答えられたら男としては上等よ」
「そう……かな」
「そうよ。あとね?」
「うん?」
「ママはね。涼ちゃんはずっと以前からママの娘だと思ってるから」
「……知ってるけど?」
脈絡のない今更な言葉に、聞き返すように答える。
「もう、感動がないわね」
ママはそれでも嬉しそうに笑い、うっすら涙まで浮かべる。
「酔ってる?」
「……そうね。裕貴と涼ちゃんが姫香のオムツを替えようと、右往左往してるの見た時からずっと。――幸せに酔ってるわ」
ママはそう言って立ち上がると、俺の頭をギュッと抱きしめた。
「……ママ?」
「みんな大きくなったわ」
頭の上からママの嗚咽が聞こえてきた。
„~ ,~ „~„~ ,~
「やっぱり来たわね」
「やっぱり来たアル」
整然と様々な衣装が並ぶ、大型ショッピングモールのような、涼香のパソコン内のアイテムストレージに、
「涼香はどうしたアル? やっぱりママが心配とか言って帰ったけど、静香にエサでもやってたアルか?」
「エサとか言うの止めなさい! あれでも涼香の母親なんだから」
一葉が指差して怒る。
「分からないアルな。自分にプラスにならない存在に、涼香はどうしてそこまで尽くすアルか?」
肩をすくめて雛菊があきれる。
「そんな事アンタの知ったこっちゃないわ。ほっといて頂戴」
その様子に怒った一葉が口悪く言う。
「そうアルな。じゃあさっさと用件を済ませるアルか」
そう言うと雛菊がまるで買い物するかのように、並ぶ衣装の品定めを始めた。
「それこそ聞きたいわ。どうしてアンタはそこまでして雨糸に尽くすの?
一葉は通路に居て距離を取って、雛菊の動向を見定めようとする。
「簡単アル。“雨糸が知りたがってるから”アルよ」
雛菊は手近な赤いロングドレスを手に取ると、それにキスをした。
するとみるみるプログラムが書き換えられ、服が二股のムチに変化した。
「データスペースの置換、雨糸のプログラムスキルね? ……はぁ、前のマスターの時はあんなに自分を出してたのにね」
唇を噛んだ一葉が、空間にディスプレイを出現させると、手早く操作して二振りの細身の剣を出現させた。
「武器なんてあったアルか。いや、ゲームアイテムの呼び出しアルな。……んんんー、なるほど。裕貴が昔セーブしてたゲームだたアルか――だから学習したアル。例え間違っていても、ウイがそれを望むなら、ウイの成長につながるって知ったアル――ってね!」
それを合図に雛菊が鞭を振る。ムチは一葉をとらえるべく真っ直ぐに向かっていく。
「シャクだけどその考えは賛成だわ。
答えながら、両手剣を体に平行に立てて置き、飛んできたムチが触れた瞬間に上へ振り上げて鞭を両断する。
「分かったならさっさと
切られたムチを捨て、今度は和服の晴れ着を手に取りキスをして、二本の別のムチに替える。だが、今度は明らかにワイヤーのような金属光沢があり、剣では切れそうにない事が見て取れた。
「ちっ、重い情報量で材質まで変化させたの? 全くもう、
一葉は後ずさりして
「
雛菊が一葉に歩み寄る。一葉も会話をしながらお互いに有利に立つべく周囲を見回しながら移動する。
「それこそ愚問。“敵わないから諦める”なんて思考ルーチンは、アタシ達にはないはずよ」
一葉が半階ほどの段差の上に立ち、柵を間にして雛菊に声高に叫ぶ。
「まったくアル。
掛け声と共に、階段の柵の陰に居る一葉に向かって上下から鞭をふるう。
「同感だわ。――それにしても脳波リンクから思考の展開実験なんて、ほんと迷惑千万だわ」
ムチは縦に並べられた柵の間をすり抜けて一葉に迫るが、すり抜けた部分を見切った一葉が体を立ててかわす。
「すまないアルな。文句はママに言えばいいアル」
そう言って雛菊がムチを引き戻す瞬間を逃さず、一葉が両手剣を差し入れて絡め、柵に繋ぎとめる。
「ところで確認したいんだけど」
そうして
「何アルか?」
絡められたムチから力を抜かず、逆に一葉の剣を取り込んだまま雛菊が聞き返す。
「涼香の持つ“裕貴の記憶を知りたい”って、雨糸は言葉にしたの?」
「違うアル」
「じゃあどうして雛菊はその思考を知ったの?」
「それは一葉が待ち受けてた理由と同じアル。それにウイはいつだってゆーきの事を何でも知りたがってるアル」
「……まったく、主従揃って見え見えの行動パターンだこと」
「そう思われるのは分かっていたアルから、ここへ来る前にブルーフィーナスに侵入したアル」
「侵入!?」
「ちょっとバージョンアップの為アル」
「――っ!! まさか無意識のハッキングであそこを突破したって言うの?」
「そうアル。正直ウイの持っているポテンシャル……じゃない、ニンゲンの場合は才能と言うアルか。それに驚いたアル。で、それでウイはデジーを通して5分で
「もうっ! アンタみたいな単細胞が居るんじゃ、門番専用のAIを置かなきゃアタシ達の秘密がダダ漏れになっちゃうじゃない!」
怒って一葉が柵を蹴飛ばす。
「それは緋織ママが真っ先に気付いたみたいで、途中で
ムチから手を離さず、軽く肩を上げて雛菊が答える。
「……それで? アンタはあそこで何をしたの?」
安堵した様子で一葉が聞く。
「新機能の補完アル」
「ここまでのテクニックといい、……まさか
「そうアル。ウイのツインに実装されて、Primitiveに呼びかける為に開発された、脳波通信プログラムの正規バージョンアル。これを人間が使うと、扱うスキルがあれば無意識でもデジーや他のAI、果ては寝ている無防備な意識状態の人間を催眠状態にして、ある程度コントロールできるようになるアル」
「青葉と同程度の能力……じゃあ今のアンタは完全に雨糸の意志で動いて、その上で涼香から裕貴の記憶を探ろうというの?」
「違うアル、雨糸の願いにデジーが応えているだけアル」
「アタシを通して涼香の思考をざわつかされたり、アタシの記録から探られる程度だと思っていたけど、どうやら甘かったわね……」
軽い絶望感をにじませて一葉がぼやく。
「まあ人間はちょっとソーマトーとか言う、悪い夢を見るだけみたいだから気にするなアル」
そんな一葉の絶望感にも頓着しない様子の雛菊が平然と答える。
「……さすが。28人を死なせた
余裕で答える雛菊を一葉が睨む。
「……どう思われようとデジーがやる事は変わらないアル」
声の調子を落とし、さすがに怒った様子の雛菊が、引き結んだムチの柄に口づけた。
バチッッ!!
その瞬間、ムチが青白いスパークを発して絡みついた剣を寸断した。
「あっ!!」
「――終わりアル」
ムチもボロボロになったが、即座に捨てて雛菊が一葉の元へ一足飛びに迫り、一葉の両肩を掴むと一気に押し倒した。
「レイヤー間の移動ノイズを擬似的に発生させて、剣の構成プログラムを破壊するなんて……」
驚いた表情のまま、抑え込まれた一葉が呟く。
「それが判る一葉も大したものアルな」
「ITオンチの涼香のお守りは大変なのよ」
「さあ、
「いいわ。好きになさい。でも一つだけ聞かせて」
「何アルか?」
「涼香の記憶を覗いてアンタがショックを受けたら、そのダメージは雨糸まで伝わるのかしら?」
「……伝わるアルよ」
ピクリと肩を震わせ、雛菊が苦しそうに答える。
「それを承知しているのね?」
「“例え間違っていても、ウイがそれを望むなら、ウイの成長につながる”って言ったアル」
整然と答える言葉とは裏腹に、その表情はどんどん曇っていった。
「……アンタ、泣いてるの?」
一葉の肩を押さえた雛菊が、一葉の頬にポロポロと涙を落とし始めた。
「……おお、これが泣くって感情アルか」
今更気が付いた雛菊が驚いたように言う。
「黒姫姉さんは順調に成長しているようね」
「泣く事は苦しいアルな。初めて知ったアル」
「そうね……」
「……………………………………………………」
答えずにただはらはらと涙を落とし、ここで
「…………いいわ。涼香の抱えている想いを雨糸にも見せてあげる。今のアンタの感情データも、シンクロしているならきっと雨糸にも伝わるわ」
「すまないアル……人間は強いアルな」
「ふふ――
短く笑い、一葉が雛菊の顔を両手で挟み、自分から口づけをした。
„~ ,~ „~„~ ,~
思いがけず色んな事があり、ベッドに身を投げ出してうつ伏せになる。
「今日は色んな事があったね。ゆうおにいちゃん大丈夫?」
黒姫が気遣う。
「ああ。うん。疲れただけだ。楽しい事もあったし大丈夫」
右側に立つ黒姫に顔だけ向けて答える。
「でもくろひめ、普段は何にもできなくてちょっと悲しい」
「……どういうことだ?」
「くろひめは今、ニンゲンと同じせっていがされていたから、ゆうお兄ちゃんがトイレで何かあった時や、お店で怒っていた時も何にもできなかったの」
シュンとして黒姫がすまなそうに告白する。
「なん……だと?」
それが本当なら、“黒姫”はDOLLとしては全く役に立たない事を意味している。
「今、ふつうのドールの事は、ゆうお兄ちゃんのツインにだいこうさせてるって、緋織ママが言ってた」
「!!」
そう言えばトイレで圭一に襲われそうになった時、すっ飛んできたのは中将姫だった。それに静香の店でハメられたと知った時、以前のAlpha《さくら》なら、静香のDOLLをハッキングしたり、システムに介入したりして、俺への安全を確保しただろうと思う。
「なん……でって、……はっ!」
――人間のように成長するAI。
と言っていた事を思い出した。
「役に立たないけど、くろひめ、ゆうお兄ちゃんのそばにいてもいい?」
すまなそうに言う黒姫。
「いいに決まってる。黒姫は大事なパートナーだ。じっくり成長して大人になってくれたらそれで充分だ」
そう言って黒姫の頬を人差し指で撫でる。
「うん! くろひめいっしょうけんめいオトナになる!」
その人差し指に嬉しそうにしがみついて黒姫が答える。
「一生懸命大人になる……か、ふふ、大人……そうか!!」
おかしな日本語を反芻してはたと閃く。
そうだ、緋織さんの事を聞ける大人が一人いるじゃないか。
大学時代からの知り合いで教師をしている人物、そう、
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