十月桜編〈十月桜〉

 さくら達が家に着くと祥焔かがりがリビングに居て、ドローンから荷物を受け取った事を伝えた。だが、リビングには祥焔の吐いた酒臭い空気が充満していて、みんな部屋に入るなり眉を潜め、フローラはエアコンを換気モードに切り替えた。

 そして荷物を見るなり姫香が飛びついた。

「うわあ、コレ?」

 さっそく梱包を解くと、桜色の三日月型の統合型通信機スマートチョーカーが、梱包材の中から出てきた。

「祥焔先生お休みなのにすいません」

 相変わらず休日は下着姿でいる祥焔に、雨糸が苦笑しながらお礼を言った。

「私からも。ありがと祥焔先生」

 さくらもお礼を言い、それを見てようやくテンションMAXだった姫香もお礼を言った。

「あ! いっけない、――先生、荷物を受け取って頂きましてありがとうございました!」

「ああ、構わん。そろそろ起きなきゃと思っていたから、いいきっかけになった」

「昨夜は遅いお帰りだったようでしたが、ずいぶんとお酒を召されたようですね」

 長寝と酒臭い空気を不快に思ったフローラが、諫めるように言う。

「ああ、ちょっと昨夜は“保護者懇談会”が長引いてな。……それより腹が減った。誰か何か作ってくれないか」

 祥焔が悪びれずに大あくびをしながら、しゃあしゃあと言う。

「あ、……わっわたしが」

「いいわ涼香。bathingベイシング ribbonリボンの準備で、昨夜徹夜してくれたでしょう? キカイの事はわからないから私が作るわ。それに姫ちゃんの事はフローラ達に任せて、涼香は上で少し休んでいてたら?」

 さくらが言う。

「でっでも、わっわたしも、わっ……からない……し……」

 自分ひとり休んでいるのが気が引けるのか、涼香も食い下がる。

「いいから。設定のフォローはDOLL私達がするから今は休んでおきなさい。じゃないと帰ってから“もたないわよ”」

「……? うっうん」

 一葉の意味ありげな説得に疑問を持ちながらも、涼香はしぶしぶ納得した。

「私の部屋で休んでいいぞ。今日は本当にありがとう」

 フローラがマニュアルらしきメモリーチップをOKAMEに差しながら、顔を上げて言う。

「……う、どっどういたしま……して。じゃあ、おこ……言葉に甘えて……」

 そう答えながら涼香が上に行き、それをさくらが見送ってから、キッチンに向かう。

 そしてフローラと雨糸がOKAMEの空間投影エアビジョンで画面を開き、仕様書を二人で見始めた。

「ほう、これは凄い。エアビジョンで視界の中に常にアバターが映し出されるのか」

「へえ、それじゃあその電力消費に見合うだけの高性能バッテリも……あれ? 異様に軽いわ ……違う? なになに……“静電気蓄電システム”? って! バッテリーフリーじゃん! 初めて見たわ!」

「実用化がニュースになったのが5年くらい前か。安定した静電気が得られないとかで、立ち消えたテクノロジーかと思っていたが、こんなところで使われていたか」

「ホントねえ。えっと、“人体の周囲に起こる静電気を集め、それを蓄電する事で電源を確保している”、か。……ふうん、でもこんなシステムが普及したらどうなるのかしら?」

「それはただ周囲の電気量が足りなくなるだけアル」

「なるほど。それで量産できないって訳なのね」

「そしてそのせいで製造コストもかかると言う訳か」

 などと話しながら、手を動かし続けて雨糸とフローラが準備を進める。

「じゃあつまりはDOLLのアバターが常に視界の中にいて、話しかけたりできるって言う事?」

 傍で聞いていた姫香が聞く。

「ちょっと待って……うんそう。でもそれはトイレとかのプライベート空間でも同じようね」

 仕様書を指先でフリックしながら雨糸が答える。

「そっかあ、じゃあ自分の体はおろか、起きている間の事は全く隠し事ができなくなるんだね?」

「そう言う事だ。どうだ?」

 フローラが確認するように聞く。

「いいわ。そのぐらいの方が仲良くなれるかも。――ねえ、さくらさん」

 姫香がキッチンにいるさくらに向かって、揶揄やゆするように言う。

「ふふ。そうね。相手には自分の全部を知っていてもらった方が、さくらは嬉しいけどね」

 裕貴に見せたさくらの行動への、姫香の、――妹としての軽い嫉妬を平然と受け止めて、さくらが少し誇らしげに言う。

「……は~~あ。お兄ちゃんがだんだん遠くなっちゃうなあ。あんな変態予備軍のお兄ちゃんのどこがいいの? つか、みんなこの際だから詳しく教えてよう」

 その堂々とした態度に、負けを認めた姫香がため息混じりに言う。

「おや? 話した事はなかったか?」

 フローラが言う。

「聞いてないわ。あの時は告白はしないって言っていたから、“馴れ初め”までは聞けなかったのよ」

「そうだったな。――いいぞ。将来の義妹の為だ。喜んで話そう」

「ちょっ! フローラったら!」

「私も居るのよ~~」

 フローラの言葉に雨糸が怒り、さくらが割り込む。

 そうして、4人でワイワイ言いながら、裕貴の魅力について語っていたら、ソファで肘をついて眺めながら聞いていた祥焔が、自分のDOLLに向かってポツリと言った。

「……ふっ、水上が居たら憤死しそうな会話だな。“白雪”、そう思わないか?」

「そうね。あなたも宗旨替えしたくなるんじゃない?」

 以前とは格段に人間臭くなった白雪が、タメ口で祥焔に聞く。

「そうだな。来世はそうなるかもな」

「嘘。あなたは徹底した現実主義者だから、来世なんて信じてないでしょ?」

「……人形のくせに生意気な事を」

「こういう反応が好きだというデータがあるのよ。諦めて頂戴」

「ちっ、緋織め。厄介なキャラをインストールしやがって」

 言葉ほど怒っていない祥焔が笑いながら言う。


 ひとしきり4人の恋バナが終り、いよいよキャラクターをインストールすると言う時、雛菊デイジーが口を開いた。

「――そういえばウイ。そのカチューシャ型ツイン、脳波通信プログラムが試験的にインストールされてるアルよ。インストールする時にちょっと使うがいいアル」

「えっ? 何それ、どんなプログラム?」

「んー。大昔のBluetoothブルートゥースに近いアル。その機能を使えば、ペアリングした周辺機器を、脳波である程度コントロールできるようになるアル」

「分かんないわ。具体的には?」

「キーボード入力とかが思考操作でできるようになるアルな」

「それってすごい事だと思うけど、どうして私に?」

 雨糸が聞き返す。

「秘密を知っているメンツの中で一番ITスキルが高いし、彼女の役に立つだろう――と、緋織が言っていたアル」

「大昔の義手や義足を動かすテクノロジーだな? 今は神経信号を変換するすべが開発されたのと、神経再生医療が発達して消えたと思っていたが」

「さすがはフローラね。よく知っているわ。その通りだけど、これはちょっと違って、さくらを脳波リンクさせていた技術の応用なの」

 一葉が感心してあっけらかんと説明する。

 しかしそれは、ツイン単体では単なる便利機能だが、あらゆるコンピューターや通信機器を、自在にハッキングする事ができる十二単衣Alphaシリーズとのコンビで、無敵の力を発揮する事を意味していた。

 ――そして、その大きな力を持つ事の意味も、雨糸は即座に理解した。


「……てことは、そのシステムを使う事が、“秘密”を知っている私の“代償”なのね?」


 雨糸はその新技術の臨床試験を強制された事を知り、姫香に気を使いながら言葉を選んで雛菊に聞き返した。

「……そう言う事アル。こればっかりはデジーには拒否権はないアル」

 雛菊は暗い真意を悟らせまいと明るく振る舞っていたが、あっけなく雨糸に看破され、すまなそうに雨糸の手に両手を置いてうなだれる。

 そのリアクションで、雨糸は雛菊がその臨床試験に反対した事も見抜く。

「何言ってるの。そんなリスクは百も承知であなたをインストールしたんだから、私は全然かまわないわ。“そんな事”より、そんな顔をするのはデジーらしくないわよ」

 雨糸が反対の手で、雛菊の顎に触れて顔を上げさせると、屈託なく笑い返す。

「……ウイ、大好きアル」

 雛菊が雨糸のその指先に頬ずりで応えて目を閉じた。


 „~  ,~ „~„~  ,~


 裕貴は静香の手配した無人完全自走タクシーに乗り、市内中心部の繁華街の一角、〈ニューダイヤモンドビル〉と書かれた小奇麗な雑居ビルの前で降り、一階の角にある〈十月桜〉とだけ書かれた店の前に立つ。


 ――時間は午後五時半。夏の強い西日が北側の道路を未だに照らしている。

 周辺は日曜日と言う事もあって、ネオンや看板も電気が消えている店が多かった。

 レトロな四角い窓のような彫刻の施された、木製の重々しい引き戸を開き、中に入る。

 中はレンガ調の壁や年季の入った木の、重厚なカウンターがあり、BOX席が5つほどあるレトロなヨーロピアン調の店だった。

 置かれている酒はウイスキーやブランデーなどの洋酒がほとんどだったが、地酒も名札が掛かったものが置かれていた。

「あら~~♪ いらっしゃ~~い、裕貴君」

 いかにもな商売用トークで迎える静香は、黒く薄手で、ショルダーレスのフリルの少なめな、マーメイドラインのドレスを着ていた。

 肩がむき出しで、バストからウエスト、ヒップから大腿部のラインまでをシビアに見せるこのドレスを、難なく着こなすアラフォー前半の元モデルに、怒りとも感嘆とも嫌悪ともつかない感情で、上から下まで不躾にジロジロ見つめる。

 そして、思い出せないくらい久しぶりに名で呼ばれ、軽い悪寒を感じつつも平静を装って答える。

「……来たぞ」

「まあ座って頂戴。今日は店は休みだから裕貴君の貸し切りよ? でも飲み屋のルールは守ってね?」

 奥まで進もうとして、手で制されて入り口で止められる。

「飲み屋のルール?」

「そう。酔った姿は誰しも記録されたくないから、DOLLは入り口脇の待機所へ置いておく決まりなのよ~~?」

 まずい。知らなかった!

「休みなんだろ? つか、聞かれちゃまずい話でもするのか?」

 ハメられた動揺を隠しつつ言い張ってみる。

「残念だけど~~、店が休みでも、裕貴君が未成年でも、キープボトルの名札とかお客さんの個人情報があるから、店の責任者のDOLL以外は中を映せない決まりなのよう」

 静香が勝ち誇ったように言う。

「そうなのか?」

 黒姫を見て聞く。

「うん。なんかそういう“ほーりつ”があるみたい」

「ちっ、そうだったか」

 この場を強引に黒姫のスキルで押し通す事は出来るだろうが、“黒姫が特別”と言う事は出来る限り隠しておきたい。

 それに今朝の一葉の静香に対する対応を見る限り、特殊能力を使っている素振りは見せなかったし、反発はしても自身の真のプロファイルは隠しているように思えた。

「どうする~?」

「……はぁ、仕方ない。待っててくれ」

「うん。分かった」

 そう答えると、左側に置かれていたキャビネットに黒姫が飛び移って、中に置かれていた充電クレードルに座った。

「うん。いい子ねえん。さ、それじゃあこっちへ来て座って」

「……」

 警戒心を今度こそ隠せず。不愛想にカウンターの席に座る。

「何を飲む? 酎ハイ? ワイン?」

 レディ・ヤンDOLLが居るのにもかかわらず、平然と未成年に酒を勧めてくる。

「俺は未成年だ。そのDOLLの設定狂ってるんじゃねえのか?」

「やあねえん。飲み屋でこれしきのジョークでイチイチDOLLが反応してたら、お客さんなんて来ないわよおん」

「じゃあどう言う時に反応するんだ?」

「責任者の言葉か、お客さんのツインがマスターの危険信号を発した時ねえん」

「なにいぃ!」


 ――育児放棄ネグレクトを受けていた涼香に対し、静香のDOLLがどうして反応しなかったのか? 長い間の疑問が解けた。

 通常のDOLLであれば、マスターのみならず、周辺の人間の危機管理も主人格キャラクターマスクに含まれており、通報などは当事者に近い順からなされる。

 当然DOLLを持たない16歳未満の子供には、直近のDOLLが即座に反応し、それがために自分は涼香の義父――静香の前夫を自分は自殺に追いやってしまったのだ。

「この資格を取るの大変だったのよおん。今じゃその資格が無きゃ店を持てないし、お給金も上げてもらえないんだからあ」

 ……静香がどんな暴言を吐こうが、最初っからそれには反応しない設定になっていたのかよ。

 自慢げに話す静香から見えないテーブルの下で、爪が食い込むほどこぶしを握り締めた。

 ……静香に誘いこまれた。

 命の危険はないだろうが、涼香の将来に関わるらしい予感がひしひしと伝わってくる。

 そして女性に対し、ここまでの悪意を覚えてしまう自分に驚き、置かれた状況を認識して愕然とする。

 それを知ってか知らずか、静香は上機嫌で背を向け、何やら飲み物を用意し始めた。


 ~~~~♪


 …………??

 BGMのスイッチを入れたらしく、古めかしい雑音混じりの洋楽が流れ始めた。

「さてと。それじゃあ裕貴君にはライムジュースにして、私はシンガポールスリングを貰おうかしらね」

 静香がそう言うと、俺には大き目の筒形のグラスのライムジュースを差し出し、自分はチューリップの形をしたグラスに、レモン、パイナップル、サクランボの乗った紅色のカクテルを用意した。

「……」

 それをだまって受け取って口に運ぶと静香が制した。

「ああん。だめよう。こういうとこに来たらまずは乾杯よ~う?」

 ――チン。

 そう言うと止めたグラスに軽く当ててきた。

 すでに主導権イニシアティブを取られているせいか、抗う事ができない。

「……で、何が聞きたい?」

 こうなったら長居は無用と思い、切り出してみる。

「うんもう。せっかちねえ。そんなんじゃウチの涼香ちゃんに嫌われちゃうわよう?」

「そんな事はあんたの知った事じゃないし、関係ない。俺がどうだろうが、涼香は俺を簡単に嫌ったりしない」

 そう言うと静香は眩しそうに目を細めた。

「うふふ、しょうがないわねえん。じゃあ単刀直入に聞くけど、“霞さくら”はどうしてこっちに居るの?」

「どうして? …………あ!」


 ――モデル名が志津しずカオリ。ビーナスプロダクション。


 今朝の情報を思い出す。

 さくらは知らないと言っていたが、だからと言って静香の方まで知らないという事ではない。

「……そう。その顔は私がブルーフィーナスに居たって事を知ったのね?」

「ああ。モデルや舞台女優だったんだろ?」

「それだけじゃないけどね。でも今は私が聞いているの。――答えて」

 猫なで声を止め、通常モードで真剣な顔で静香が聞いてくる。

「知ってどうする? “さくら”があんたに何の関係がある?」

 そう言った途端、静香が憤怒の形相になった。

「いいからとっとと喋りなさい! じゃなきゃ涼香は明日からこの店の手伝いをする事になるわよ!」

「くっ!」

 この脅迫は俺にだけ通用するもので、“母親の店を子供が手伝う”という、至極まっとうな主張であり、飲酒や勤務時間さえ守れば何の違法性もない。

「…………………………分かった。話す」


 そうして脳波リンクシステムや軍事機密、恋愛シュミレーションの適正の事は隠しつつ言葉を選び、DOLLからのモニタリングと性格適性検査により、“俺が選ばれ、覚醒後のフォロワーに任命された” という事を語った。


「…………という事だ」

「そう……………………」

 話し終え、静香は黙り込んで何事かを考え込んでいるが、その表情からは何も読み取れず、静香のリアクションを待つ。


「…………ふう、隠している事がまだありそうだけど、とりあえずわかったわ」

 ようやくそれだけを言うと、また黙り込んでしまったので、最初から気になっていた事を聞いてみる。

「なんでそんな事を知りたがるんだ?」

「それで昇平は霞さくらに会ってどうしたの?」

「ちっ。……泣いて喜んださ」

 どうしてここでお父が? とか聞いた事を答えろよ! という言葉をグッと飲み込んで答える。

「それだけ?」

「はぁ……。なんかいずれ生歌を聞かせてくれって言って、歌う約束をしたみたいだな」

「ふっ、……らしいわね」

 静香が思い出したように笑いながら、胴に腕を回して考え込む。

「どうしてさくらの事を知りたがるんだ?」

 再び聞いてみる。

「……霞さくらを遠ざけたいだけよ」

 すると、一転して不機嫌に答えた。

「どうして遠ざけたいんだよ」

「そんなの決まってるわ。霞さくらが嫌い――いえ、憎いからよ」

「憎い? どうして憎いんだよ。さくらの何を知っているって言うんだよ!」

 反応の悪い相手を刺激しないようにと思って聞いていたが、そこまで言われるとさすがに声に感情が出てしまった。

「私がブルーフィーナスに在籍していたって事は知っているのよね?」

「ああ。今朝あんたが載っていた古いファッション雑誌を見た」

 同じ質問をされ、今度は情報源の方を答えた。

「その程度? 大島護や緋織達から何も聞いていないの?」

 ……脳波リンクシステムによる霞さくらの覚醒計画は、緋織さんが大学を卒業してからの事で、およそ6年前のはずだ。静香が在籍していたのは霞さくらが眠る前とその前後。知るはずがない。

 そこまで考え、うかつなことを言えずに聞き返してみる。

「どうして緋織さんの名前を……」

「ふふふ、なあんだ。裕貴は何も知らないのね。――いいわ。教えてあげる。私は大島護の婚約者で結婚して妻だったわ。緋織はその時養女にしたのよ」

 情報で優位に立っていることを確信した静香が誇らしげに言う。

「何だって?」

「でも変ね。緋織も霞さくらを憎んでいてもおかしくないのに、どうして大島は霞さくらを覚醒させたのかしら?」

「憎い? ってなんだよ。緋織さんはさくらを目覚めさせた計画のトップだぞ?」

「……そんなはずないわ。あの子の生い立ちを聞いた事は無いの?」

 お互い知らない部分を持っているのを確信し、少しずつ探る様に問答をする。

「いいや、知らないし聞いた事はない」

「じゃあ教えてあげる。あの子――緋織は霞さくらに似ていたおかげで、子供の頃は実の父親に利用されてて、挙句に他人に体を売られそうになって、それを拒否したら父親にレイプされて、その直後に父親を刺し殺したのよ」

「なっ! ――」

「だから緋織が霞さくらの存在を許容するはずはないのよ」

 それが事実なら確かにその通りだと思うが、実際は霞さくらの覚醒に尽力して未だにフォローを惜しまないでいてくれる。

 そんな激烈な修羅場を経験した緋織さんに一体何があって今があるのか?

 そもそもどうして護さんはそんな彼女を養女にしたのか?

 静香はなぜ霞さくらを憎むのか?

 ――様々な疑問で思考がループに陥り、頭を抱える。

「どうして緋織が霞さくらの後押しをするのは分からないけど、そんな過去があってこれからも霞さくらの味方でいるとは考えにくいわよね」

「だけど……」

 不覚にも納得してしまう部分があって否定しきれない。

「だから霞さくらなんて大島護の元へ追い返して、裕貴はかき回された今の自分を立て直しなさいな」

 静香が今まで見せた事の無い、本音と思しき口調で、俯いた俺の頭に触れて声をかける。

 いつもなら薄気味悪く感じたであろうその手を払いのける事も出来ず、自分の思考に沈む。

 ……どうする? こんな事強烈すぎて緋織さんにも聞けないし、ましてやフローラや雨糸にも相談できない。DOLL達は、過去の人間関係は一切インプットされてないって言っていたし、つか事実だけなら今聞いた以上の事はわからない。そもそも知りたいのは緋織さんと護さんの真意だ。こればかりはエスパーじゃあるまいし、本人の口からしか聞けない。

 そんな事を考え、ふと最初の疑問を思い出す。

「一つ聞いていいか?」

「なあに?」

「どうしてあんたはそんなに霞さくらを憎むんだ? さくらが生きていた事まで知っていたのなら、護さんの心が自分にはないって知っていたんじゃないのか?」

「……ねえ、今流れている曲を知っている?」

 どこか遠い目をして俺を見て、またしても答えない静香にあきれつつ、流れているBGMに耳を傾けてみる。

「…………これは、〈アイズ・オン・ミー〉か」

「よく知っていたわね」

「ああ、お父が神ゲーとか言って勧めてきたレトロゲームだ。他のシリーズはプレイしてないけど、ストーリーが面白そうだったから、一周だけプレイした。その主題歌だ」

「そうよ。学生時代に昇平から教わったの」

「ええ? お父からって……同じ大学だったのか? つかあんたが家の隣に来たのは涼香が生まれる前の年だって聞いてたぞ」

「大学は違ったわ。一緒だったのは西園寺君で、同じグラフィックデザイン科を専攻してて、たまたま連れ立って歩いているところで“再会”して、その時に話をしたわ」

「西園寺? あ、雨糸の父ちゃん。……確か同じ町内で知り合いだとか」

「そう。高校の先輩後輩で、東京で違う大学に進んでも連絡を取り合っていたらしいわ」

「そうか、ゲーム会社の社長だって事は、お父はその影響でゲームを……ってまさか!」

「霞さくらの件で引きこもっていた昇平に、ゲームを差し入れたのは西園寺君だったそうね」

 オタクになったのは雨糸の父ちゃんのせいか!!

 先ほどの事とは別な衝撃が脳内に走った。

「裕貴が生まれる前後は、西園寺君と昇平はよくこの店に来て飲んでいたわ」

 そう言って指差したボトルには、〈ZAION&お父〉と書かれた札のウイスキーボトルがあった。

「お父って……痛いな」

「……えっと、霞さくらが憎い理由……だっけ。答えてあげる」

「教えてくれ」

「私の恋路を二度までも邪魔したからよ」

「二度? 一度は護さんだろ? 二度目は誰だ?」

「だから、三度目は邪魔をさせない」

 またしても答えない静香にさすがに疑問を覚え、さっきから空になったカクテルグラスに、手酌で注いでいる酒のボトルを回して見てみる。

 ――ジントニック・アルコール分40度。

 酔っ払いかよ。つか、なんつー強い酒をストレートで飲んでやがんだ。

「……三度目ってなんだよ。あんた、それじゃあ〈アイズ・オン・ミー〉じゃなくて、〈i've never been to me〉の方じゃないのか?」

 あきれ果てて問答する気も失せ、歌姫が密かにしている片想いの歌じゃなく、淫乱だった自分を後悔している歌を引き合いに出してみた。

「……うっふふ。そんな歌を知ってるなんて、裕貴も大人になったもんねえ……おどろいちゃった」

 そう言うと、カウンターの奥から出て来て、俺の隣に座った。

「はあ、大分酔っているようだからもう話はいいだろ? さっき言ってた事は俺が自分で確認する」

「ねえ聞いた?」

「何をだよ……」

「裕貴は赤ん坊の頃、涼香と一緒に私のおっぱいを飲んでいた事があるのよ?」

「ちっ、そんな事が……」

「それでねえ?」

 俺をからかうのが面白くなったのと、酔いがさらに回ってきたせいで、それから30分ほど昔話をマシンガントークで聞かされた。

「……それで、裕貴が生まれる前、さくらが死んだって聞かされて、昇平はこの店でしょっちゅうヤケ酒を飲んで、本当に手を焼かされたわ」

「……ママから聞いた事がある。家が、――当時のアパートは隣同士だったから、あんたが仕事が終わってから、お父を一緒に連れ帰ってきたらしいな」

 ヘンな風にケタケタ笑いながら昔話をする静香に、まともに受け答えをするのもくたびれてきたので、適当に答える。

「そう。だから今度はあんたが代わりに借りを返す番よ」

 そう言うとカウンターに突っ伏して、上機嫌で寝息を立て始めた。

 やれやれ。静かになったはいいけどどうする?

「…………そうだ楊貴妃レディ・ヤン!」

「はい。何でしょう?」

「タクシーを呼んでくれ」

「承知いたしました」

 そうして酔いつぶれた静香を不本意ながら、コツを覚えたお姫様抱っこでタクシーに押し込み、楊貴妃と黒姫とともに涼香の家に帰った。

 先に行って涼香から預かっていた鍵でドアをあけ放ち、中に入ると涼香達はまだ帰っておらず、家の中は真っ暗だった。

 仕方がないので、静香をリビングのソファまで連れて行って寝かせた。

 そうしてドレスのホックだけ外して楽にさせ、毛布を掛けた所で静香が目を覚ました。

「……ああ、なんかいい夢見たわ」

「そりゃよかった。そしたら明日からは一人で店に出勤してくれ」

「ふふ、お礼にもう一つ教えてあげるわ」

「なんだよ」

「大島護と離婚したのは15年前よ」

「そうか。……って、まさか涼香の父親は!」

「護が認知しているわ」


「お…………」

 今日一番の衝撃に言葉を失う。

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