第12話 はさみを持つ事


 友達にドタキャンされた。ブーツを履いて玄関に鍵をかけたらメールが来た。カレシがどうしても会いたいと言って聞かないらしい。めでたい理由である。


 このまま家にひっこむのも、ひとりで遊びに行くのも癪だから、めるこの家のインターホンを鳴らした。ドアを開けてくれたのは小池さんだった。


「おはよう。めるこいる?」

「めるこちゃーん、ココアお姉さんだよ」

「入っていいよ」


 すこし大きめの声でめるこが答えた。小池さんに促され、ブーツから足をひっこぬいてお邪魔する。よその家のにおいがする。めるこはソファの上で体育座りをして、シャツのボタンを付け直していた。


「めるこちゃんはねえ、針を持つと別人になるんだよ」

「やだーめるこカッチョイイ」


 とかなんとか言ってる間にも、ふたつみっつとボタンのゆるみを修繕していく。ホントに目にも止まらぬ速さだ。私が見てるの残像なんじゃないか。


「ココアちゃんごめん、もう終わるよ。どうしたの?」

「これから友達と出掛ける予定だったのにドタキャンされちゃって。買い物したいんだけど、よかったら付き合ってくれない?」

「近場でいいなら行きたいなあ」

「まじで? 矢柄のショッピングモールがいいんだけど」

「じゃあ行く。仕度するからちょっと待ってて」


 そう言ってめるこが立ち上がるのとほぼ同時に、背後からガラガラと引き戸を開ける音がした。私の部屋と同じ間取りのこの部屋に、引き戸はひとつしかない。脱衣所の扉である。


 振り返ると、バスタオルで髪を拭きながら現れたきよみさんと目が合った。あろうことか、彼は上半身裸だった。思わず盛大な悲鳴を上げた。


「あれ、ココアさんいらしてたんですね。これは失礼しました」


 きよみさんはさわやかスマイルを浮かべ、すたすたとこちらに近付いてくる。


「えっ、いや、あの、こちらこそ入浴中にすみません」


 この人、絶対「失礼」だと思ってない。だってファンサービスしてる時の顔してる。カマトトぶって小池さんの背中に隠れたけれど、またとないチャンスなので彼の筋肉や乳首をガン見しておいた。


 きよみさんはめるこからシャツを受け取り、そのまま袖を通した。肌着を着ないでシャツ着ちゃうあたり芸能人っぽい。


「さすが。ハリヤマ興業演劇事業技術部の仕事は違うね」

「このシャツ縫製甘いよ。安物なんじゃないの」

「お前が言うならそうかも知れない」


 兄妹のやりとりを眺めつつ、小池さんの片方の耳を引っ張ってささやく。


「ねえ、なんできよみさんがめるこの部屋でお風呂入ってんの」

「実家のお風呂入ろうとしたら、バスタブの蛇口がね、金色のライオンの口からお湯が出るデザインになっててね、ドン引きしたからこっち来てるんだって」

「何それ見たい」

「僕も」


 時間は夕方5時、窓から見える空の色は清浄な紺色だった。夜が近い。


「ファニー氏はどうする? お留守番?」

「荷物持ちするー」

「小池さんありがとー」

「みんなで出掛けるなら僕も誘えよ」


 ミュージカルスターが言い放った。えっ、ちょっと、なんていうか、マジか。めるこに視線で助けを求めると、苦笑された。


「ココアちゃんが構わないんなら良いんじゃないかな」




 というわけで、歌って踊れて演技もできるイケメン御曹司、その妹で舞台衣装のプロ縫製技師、その抱き枕で強盗を一撃必殺で捻じ伏せる力を持つうさぎ人形、そして国内屈指の歓楽街・水玉町で酸いも甘いも知り尽くした(ということにしたい)キャバクラ嬢の4人でショッピングモールへ向かう。買い物に行くお友達というより、魔王を倒すべく召集されたパーティみたいだ。


 針山兄妹が仕度を終え、マンションのエントランスを出る頃にはすっかり夜だった。風は無いけれど、空気がきんきんに冷えていて寒い。いっそ潔さを感じるぐらいすっきりした温度で、むしろ肌に心地良い気さえする。でもやっぱ寒いもんは寒い。吐く息は白くて、コートのポケットに手をつっこむ。


 休日の夜、駅を目指して大通りを歩く私たちはかなり浮いている。この統一感ゼロの人種が一同に会しているのがシュールすぎる。私の今日のコーディネートは控えめにしたつもりだ。髪の毛はシュシュを使って耳の下でまとめて、メイクは仕事の時より薄めにした。ただし、つけまは必須である。グレーのニットワンピにカーキのトレンチコートを合わせて、肌色のストッキングの上から網タイツを重ねた。黒のロングブーツはお気に入りだけどちょっとムレやすい。


 めるこはブラウン系のパッチワークなロングスカートを履いていた。小池さんのつぎはぎとお揃いっぽくてかわいい。寒いのが苦手らしく、ベージュ色の厚手のダッフルコートのボタンを全部とめて、もふもふのイヤーマフを装着し、もふもふのミトンで両手を覆い完全防備だ。ぺたんこでヒールの薄っぺらいパンプスを履いているけれど、タイツの上から靴下を被せているのでぬかりない。


 きよみさんは黒いシンプルなPコートに、真っ赤なテーパードパンツを合わせていた。足が長いしイケメンなので何を着ても似合う。それから、なんか高そうな革靴を履いてなんか高そうな腕時計を巻いてなんか高そうなキャスケットを被り、私のコートのポケットから拝借したサングラスをかけていた。


 小池さん? 相変わらず全裸だよ。


 道中、めること小池さんはずっと手をつなぎ、他愛のない会話をしていた。ふたりとも声に覇気が無くて、どっちがどっちの声なのか時々わからなくなった。前を歩くふたりが離れないものだから、必然的にきよみさんと並んで歩くことになる。


「……あの、きよみさんは今後どのような活動を」

「記者みたいなことを訊きますね」

「すみません。記者じゃないけど、人の話を聞くのが仕事だから」

「冗談ですよ。オファーはたくさん来てるけど、しばらく休みます。今度、ココアさんのお店に行こうかな」

「えええ、すっぱ抜かれてスポーツ新聞の一面記事にされますよ」

「それがね、女性を連れて歩いても撮られたことがないんですよ。オーラが無いのかも」

「このメンツだと目立つ撮られかねませんよ! 私ちょっとビビってますし」


 きよみさんは終始、俯きがちに口元に笑みを浮かべていた。歩いているから仕方ないかもしれないけれど、一度も顔を合わせてくれなかった。なんとなしに私も視線を下に向けると、小池さんの右足の内側、くるぶしのあたりに板ガムサイズの錆びた金色のプレートが貼り付いていることに気付いた。なにか横文字が彫られているように見える。きよみさんはそれを凝視しているようだった。


 電車に乗って川を越えれば、すぐに矢柄駅に着く。ショッピングモールは駅に直結していてる、特別に珍しいことはないフツーのショッピングモールだ。やたらと広い土地に鎮座する吹き抜けの建築物。誰もが知ってる雑貨店やファッションブランドにフードコート。映画館も併設されている。


「ココアちゃん、どのお店見たい?」


 ここに来てようやくめるこの隣に並ぶ権利を得た。きよみさんの隣にいる間は、彼に気付いて声をかけてきた人に「事務所通してください!」って言って立ちはだかる練習を脳内でしまくってた。SPは小池さんに任せよう。


「どこのショップもセール中だし、適当に見よ」


 レディースブランドが密集するフロアは、はっきり言って阿鼻叫喚だった。脚立に乗った女性店員がメガホン片手にガラガラの声で「店内最大70%オフ!」と絶叫し、人気店や面積の狭い店は列を作って入場制限。まともに歩けないというほどでは無いにしても、人が多くて少し暑い。こんな庶民感溢れるところにきよみさんを連れてきて良かったんだろうか。いや、めるこも社長令嬢なんだけどね。


 他の店より落ち着いているように見えたので、ユニセックスブランドのショップに入った。セール対象外の商品も多く、店内も広めでゆったりしている。


「あんまりめるこの趣味ではないよね」

「うん、ちょっとカジュアルすぎるかも。ココアちゃんっぽい」


 最初のうちはめること並んでセール品を物色していたのに、ジャケットを吟味しはじめた私に店員が話しかけてきた瞬間にめるこは側を離れた。そんなに服屋の店員が苦手か。きよみさんは小池さんにダウンコートを着せて遊んでいた。丈が合わなくてつんつくてんである。


 私も店員にすすめられるまま色違いのライダースジャケットを何着か羽織り、ワイン色のやつを買うことにした。あんまり悩むのめんどくさい。


 お預かりしておきますね、とわざとらしいぐらいの営業スマイルを浮かべる店員から離れ、みんなのところにもどる。めるこが両手にマフラーをのせて、じっとりと見つめていた。


「ねえココアちゃん、コレとコレどっちがいいかな。きよ兄は白って言うけど、ファニー氏はからし色がいいって」

「もう、嫁姑で揉めないでよ」

「めるこちゃん旦那さんなの?」

「からし色は野暮ったいよ」

「でも白だと汚れるじゃん。どうしよココアちゃん」

「めるこって優柔不断なんだね。かしてみ」


 どっちも手触りのいいカシミアのマフラーで、セール品ではなかった。値札を見ると、まあ、うん、それなりのお値段だ。


「私も白かな。でも確かに汚れる色だよね、くすみそう。からしも似合うだろうし、あとはめるこの好みでしょ」


 むう、と首をかしげてめるこが黙りこむ。店内に流れる軽妙なジャズをぼんやり聴きながらめるこの決断を待っていると、出し抜けにきよみさんが言った。


「仕方ないな、優しいお兄ちゃんがふたつ買ってやろう」

「もっと早く言ってよー」

「めるこちゃんすねかじりだ」

「うるさい」

「はい」


 お会計を済ませて店を出た。マフラーは値札を切ってもらって、めるこが白、小池さんがからし色のやつを装着した。めるこは雪国から来た感が増し、小池さんは全裸にシルクハットでマフラーで、こういう雪だるま見たことあるなって思った。私のジャケットは小池さんが持ってくれた。


 そのあとは気になる店を適当にウィンドウショッピングして回った。私はジャケットに合わせるフレアスカートを買って、薔薇のモチーフとラインストーンが使われた指輪をめること色違いで買った。めるこがアンティークゴールドで、私がシルバー。誰かとおなじものを手にするのなんて、久しかった。一応言っておくとめるこはちゃんと自分で払った。


「すみません! 人違いだったら申し訳ないです、その、えっと、もしかして針山きよみさんですか?」


 2人組の女の子が緊張した様子で声をかけてきたのは、これからどうしよっか、とちょっと立ち止まって話していた時だった。私は露骨にびっくりして、目を泳がせながらプライベートがー、事務所がー、とかなんとか口ごもった。しかし、女の子たちはきよみさんしか見ていない。めること小池さんはすごくなんでも無さそうに様子を眺めている。


「よく分かりましたね」


 その返答に、女の子たちは顔を真っ赤にして、耳をつんざくような黄色い声を上げた。周囲の人たちの視線が一斉にこちらへ注がれる。やばい。私がドキドキしてどうすんだ。


「あっ、あの、ファンです! できたらサインと写真お願いしてもいいですか!」

「もちろん。でも、ここじゃ目立つからちょっと移動しようか」

「はい! ありがとうございます!」


 ファンの従順な返事にきよみさんはにっこりと微笑み、満足げに頷いた。ちょーカッコイイ。


「私たち! ほんとにきよみさんが大好きで! 凱旋公演のために海外遠征もしたんです! ね!」

「ほんとに? 遠くまでありがとう」


 フロアの隅っこに向かいながら、ひとりの女の子はキラキラした目できよみさんに熱心に話しかけ、もうひとりの子は鼻を垂らして号泣し、きよみさんに頭をぽんぽんされてもっと激しく泣きはじめた。きよみさんは相変わらずにこにこしている。


 きよみさんはおもむろに上着のポケットに手をつっこみ、金色でラメラメの油性ペンを握ってサインに応じた。なんでそんなにスッとペンが出てくるんだろう。スター七つ道具のひとつなのだろうか。


 そして、せっかく声をかけてくれたのだからとサングラスをはずした。ファン2人組はなんかもう神に対面してしまったような顔をしている。きよみさんが真ん中に立って2人の肩を抱いた。めるこはファンの子のケータイを手に、バストアップで一枚撮影したのち、立て膝をついて全身が写るようにもう一枚撮った。この兄妹、手馴れている。


 写真を撮り終えると、きよみさんはサングラスをかけなおして2人と握手をした。至れり尽くせりだ。私と小池さんがめるこのスカートについた汚れを掃っていると、2人がめるこに話しかけてきた。


「あの、きよみさんの妹さんですよね。ほんとにそっくり、うらやましいです」

「衣装作ってらっしゃるんですよね。兄妹で演劇のお仕事してるなんて、本当にすてきですね」

「……そんなことないです、ありがとうございます」


 めるこは口元にしわを寄せて、ぎこちなく笑った。満ち足りた表情で手を振る2人を見送りながら、一息つくような、すこし呆れたような、短くて浅いため息を吐いた。純粋なあこがれが、鬱陶しいのかもしれない。


 きよみファンと別れ、特に目ぼしいものも無いので帰ることになった。電車に乗る前に煙草を吸いたくなったので、副流煙でもくもくの喫煙室にきよみさんと入った。


「吸うんですね。いいんですか、喉」


 勤務先の店名が印刷されたマッチ箱を取り出すと、お、シブいですね、と喜ばれた。火を分ける。


「たしなむ程度にね。演者でも歌手でも、吸う人は吸いますよ」


 細い煙を吐くきよみさんは、すこしくたびれて見える。イケメンスマイルも省エネモードだ。


「兄妹仲が良いんですね」

「そう思う?」

「めるこにちょっと棘がある気もしますね」

「でしょう」

「でも、仲が良いからこそ、ああいう態度取れるんじゃないですか。私ひとりっこですけど、キョウダイってそういうものなんじゃないですか」

「だと良いですね」


 ガラス張りの向こうでは、めるこがフードコートで買ったカスタードクリームのたいやきをかじっている。隣につっ立っている小池さんは微動だにせず、こちらに顔を向けていた。声が筒抜けるわけがないと思いつつも、全部聞かれている気がしてしまう。


「昔はね、寝相の悪いめるこに蹴り飛ばされるのも、手を引いて歩くのも、僕の役目だったんですよ」


 無節操に苦い臭いが充満する中で、きよみさんから香水の甘いかおりがした。たくさんの銘柄の煙と絡み合って、毒みたいに香った。


「きよみさん、わりとシスコンですか」

「否定できませんね」

「大丈夫ですよ、ちゃんと仲良しですよ」

「ありがとう。めるこが楽しいんだったらそれでいいです。諫早さんも仲良くしてくれてますし」


 突然本名を呼ばれて勢いよく煙を吸い込んでしまい、派手にむせた。


「教えましたっけ」

「ご丁寧に表札に書いてあるじゃないですか」

「ああ、そっか」


 きよみさんは悪びれずに笑って、灰皿に吸殻を押しつける。


「まあ、ローレンさんには妬けますね」

「無理もないです」


 正直なところ、針山兄妹の空気感は異質だと思う。小池さんも私も、懐柔することができないだろう。詮索すると罰が当たりそうだ。それぐらい厳粛で、ふたりにしかわからないルールがあるに違いない。見せびらかさず、隠しもせず、張りつめているような、緩んでいるような。縛られていなければいいなと、こっそり願った。


「シスコンのカウンセリングをありがとうございました。良い一服でした」


 少しだけサングラスを持ち上げて、通常運転の笑顔を見せる。気だるい雰囲気がリセットされていて、彼はやはり演技のプロなのだなあと感じた。


「お待たせー」

「わあ、ふたりとも煙草くさい」

「仕方ないだろ」

「私おなかすいたよ」

「じゃあ市松町でなんか食べてく?」

「きよ兄にたかっていいなら、ココアちゃんのお店行ってみたいな。みんな明日も休みでしょ」

「まじか」

「よし行くか」

「まじか」

「うさぎの人形は入れるの?」

「いいけど、なんも飲み食いしなくてもチャージ料取るよ」

「よし行こう」

「やったあ、私ピンクのシャンパン飲みたい」

「ちょっと待って店長に電話する!」


 後日、スポーツ新聞の一面に大勢のキャバ嬢をはべらせたきよみさんの写真がでかでかと載り『針山 キャバクラで大盤振る舞い』という見出しが躍ったとか。きよみさんは記者のインタビューにも気さくに応じたとか。お前が針山きよみを連れてきたお陰で客が増えたとかで、他の子に内緒で店長からボーナスもらったとか。


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