第6話 ひきこもり日和

 春っていうのは眠くなるものだって相場が決まっている。


「お客さーん、終点ですよー」


 ファニー氏の間延びした声にぼんやりと目を覚ました。そんな古典的な方法には引っ掛かるまい。剥がされた布団三点セット(もちろんタオルケット・毛布・掛け布団のことだ)を被り直し、二度寝を試みる。


「遅刻しちゃうよー」

「今日休みー」

「グーテンモルゲン! ライオットラジオの時間だよー! パーソナリティは勿論!」

「平日しか放送してないし……似てないし」

「……起きてよー」


 声の反対方向に身体の向きを変えても、ファニー氏は私を起こそうと話しかけ続けてくる。いちいち返答しててもしょうがないので無視をして、再び眠りに落ちるのを待った。しばらくするとファニー氏も諦めたのか言葉を発しなくなり、部屋がしんと静かになる。


 ああこれでやっと寝れるなあ……と落ちかけていたところ、ファニー氏がもそもそと頬をくすぐってきた。懲りていなかった。ああもう鬱陶しいな、これ多分私が怒鳴らない限りちょっかい出してくるぞ。そう思って、ファニー氏の手首を掴んで退けようとしたのだけれど。


「あれ」


 掴んだ腕はあっさりと頬から離れた。そして予想していたよりもずっと軽かった。その違和感に目を開けると、私が掴んでいたのはファニー氏の片腕の肘から下だけの部分だった。もげていた。


「ちょっと、えっ?」


 思わず起き上がり、ベッドの側でつっ立っているファニー氏と私が手にしているファニー氏の片腕を見比べた。取れてしまったのは左腕だった。


「どうしたのこれ」

「取れたの」

「それは分かるよ」

「めるこちゃんの寝相のせいだと思う」


 ファニー氏はそう言って肩を竦め、やれやれといったかんじの大仰な手振りを見せた。はっきり言ってうざい。左手も「君には呆れたよ」とでも言いたげに手を振る。分裂しても動くってイカとかタコとかみたいだ。


 それにしても私は、自分で思っているより寝相が悪いらしい。


 幼い頃、あまりの寝相の悪さに、ベッドじゃあ転げ落ちて痣だらけになってしまうと母に言われ、床に布団を敷いて寝ていた。それでも部屋の端から端までごろごろごろごろ夜中の間ずっと転がっていたらしい。私としてはぐっすり眠っていたつもりだった。


 がしかし、あのビーズクッションを与えられた時から私の劣悪なる寝相はだいぶ良くなったのだ。さらさらのビーズを捕まえるように抱きしめて、やわらかい生地に顔をうずめるのが心地良かった。あのクッションには長い間お世話になったなあ……どんな時でも、私を安眠に導いてくれた。ああ、それなのになんて別れ方をしてしまったのだろう。ああなんて事を……ああ、クッションさん……いやしかし眠いな。


「……私の寝相ってそんなに酷い?」

「ひっどいよー、めるこちゃんたまに締め技とかかけてくるもん。いったいどんな夢見てるのさ」

「嘘でしょ」

「ほんとだよー、自覚無いだけで暴れてるよ」


 それを言われてしまっては何も反論できない。私は自覚無く寝室を転げ回り、自覚無くビーズクッションを蹴飛ばし破裂させ、そして自覚無くファニー氏に締め技をかけていたのだ。


「すみませんでした」

「もー」


 眠い。眠いけれどファニー氏の腕を放置して二度寝するのは流石に申し訳ない。ひとまず腕を戻してあげなけば。作業机に置いてある裁縫箱から必要なものを取り出して、ぼんやりと壁掛け時計を見上げると正午をすぎていた。何か食べた方がいいかなと思い、昨夜が賞味期限のさくらもちを皿に乗せて裁縫道具とともにローテーブルに並べる。


 ラジオかテレビを付けようかと思ったけれど、春の休日にメディアが垂れ流す情報なんてたかが知れている。いやそんなのどーだか知らないけど私は今眠いので機嫌は良くない。あー眠い。眠い。ねっむい。


「ヘイ!ラビット!シットダウンオンザディスソファー!」

「どうしたのそのテンション」

「ねむいよー」


 ファニー氏の右手にもげた左腕を支えてもらって縫うことにした。もしズレて変にくっついてもファニー氏のせいにしよう。ファニー氏の左隣に座り、肘の接続部分を適当にまち針でとめる。


「まつり縫いでいいよね? 表からになっちゃうけど」

「僕そういうの詳しくないからまかせるよ」

「じゃあそうするね。ところで、ここ関節だけど単純にくっつけるだけでいいの?」

「大丈夫だよー」


 布と布に針をぐるぐる通し、必要なくなったまち針を抜いていく。思ったよ時間はかからなそうだ。


 手を動かしつつも、視線はファニー氏の身体を縦横無尽に走る縫い目を追う。糸の色も種類も縫い方もばらばらで、私以外の何人もの人々がファニー氏に針を通しているのだと思った。ファニー氏が自分で治した部分もあるのだろうけれど、到底ひとりで全部をやったわけではないだろう。なんだか、縫い目のひとつひとつが縫製者とファニー氏の間柄を紡いでいるような気がしてきた。


 これを縫った時はそんなこと考えたりしなかったな、と腹部のひと際目立つ縫い痕を見てぼんやり思う。私がファニー氏について知っていることは少ない。つぎはぎのうさぎの人形で、刺されても死なないけど寂しいと死ぬらしい。そして今は私の抱き枕をやっている。きっとそれだけ知ってれば充分だ。知ったら知ったでその時だ。


「できたよー」

「わーい」


 さっそく左腕の調子を確かめると、特に問題は無いようだった。


「さあ二度寝しよう」


 伸びをしながら大きくあくびをする。窓から入る春の陽気が眠気を促進する。これだから春というのはけしからん。


「めるこちゃん、これ」


 そう言ってファニー氏がテーブルの上を指した。


「えっ」


 そこには、何本ものまち針が生えるさくらもちがあった。どういうことだ。


「私、こっちの針山にさしてたつもりなんだけど」

「ずっと見てたけどさくらもちにさしてたよ」

「早く言ってよ!」

「だって僕お裁縫詳しくないから、何かそういう作法でもあるのかなって。口出ししたらよくないかなあと思って。茶道みたいなかんじで」

「無いよそんなの!」

「そうじゃなくても感触でわかるでしょうに」

「色が同じなんだもん!」

「へりくつー」

「どっちが!」

「どっちもだねえ」

「……うん、そうだね」


 さくらもちからまち針をひっこぬくと、針はこしあんでべたべたになっていた。穴だらけの不恰好なさくらもち(しかも消費期限は昨夜)を食べる気にもなれず、あくび混じりのため息をつく。全部眠気のせいにしよう。


 ベッドに移動するのも面倒くさくて、その場でファニー氏を押し倒した。ソファーの中のバネがやばげな音で軋む。眠気のせいで狭さは気にならなかった。ただ、ファニー氏の縫い目という縫い目をほどいてしまいたいなあとちょっとだけ、本当にちょっとだけ思った。それも眠気のせいにした。



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