第5話 ヤブ医者ごっこ

 ピンクの長髪は三つ編みにして、ぱっつん前髪も綺麗に線を描くように整える。睫毛をつけてカラコンも入れたし、苺味のリップも塗った。


 今日は肩ががっつり開いたレモンイエローのワンピースに、黄緑と水色のボーダータイツ。ラメッラメのギラッギラのゴールドに輝く8センチヒールを履いて、駄菓子屋で買った星型のサングラスをかければ完璧。


 放送前には人とはちょっと違う声帯のチェックは欠かさない。実は、今日はこの時に喉がおかしいなって気付いた。でもこんな微々たる変化なんて私しか気付かないだろうし、そんなにやばそうなかんじでも無かったのでそのまま本番に入り、何事もなく放送を終えた。


 ラジオ局を出たところで、携帯電話がメールを受信した。件名に「来い」と一言、本文は真っ白のメール。送り主の名前を見て何度か咳払いをすると、食べてもいない魚の小骨が喉に刺さった気がした。




 来いと言われたからには行かなければならない。電車に乗って薄紫ひまわりの大群を越えて、市松町で降りる。


 繁華街から外れた小路の、猫ぐらいしか通らないであろう建物と建物の隙間。この通路と言えない通路をカニ歩きでめちゃくちゃに進み続ければ、不思議と目的地に着いてしまうのだ。


 光が漏れ出す方向に向かっていくと、四方を灰色のコンクリートで囲まれた空間に出た。この前来たときは南国の浜辺だったのに。場所は変われど、彼がいるところは陽の光が眩しくて少し暑い。いつもの木造家屋は、変わらない姿で敷地の中央に佇んでいた。


 地面には市松模様の小さな造花が、びっしりと生い茂っていて、踏み潰すたびに安っぽい悲鳴をあげる。私よりも悪趣味だと思う。


 耳がきんきんするそれをなるべく聴かなくて済むように、大股歩きで家屋の玄関まで向かった。


「ノックをしてから入れと何度」


 自動販売機を横に倒した大きさの水槽の前に、フラン先生は立っていた。ぶうううん、とフィルターの稼動音が響いている。天窓から射す光が、室内で揺れている。


 フラン先生は水槽の中の何匹ものピラニアを眺めている……ように見える。フラン先生には目がない。だからどこを向いているのか分からない。

 フラン先生の頭は、紫陽花とか春先に街で見かけるフラワーボールみたいだ。人間の頭より少し大きくて、小さな花がびよびよと覆いつくしている。あんまり鮮やかではない。


 花畑の頭を支えるのは、樹枝を思わせる首。人間のものよりずっと細い。シャツワンピースのように羽織った白衣の裾からは、首と同じかそれより細い足が伸びている。手足の指は猛禽の鉤爪に似ていて、フラン先生は手足を合計して24本の指を持っていた。


「少し待ってろ」


 水槽のすぐそばにある錆びたパイプ椅子に座る。フラン先生は、部屋の奥半分をカーテンで仕切っただけの診察室でいつもの準備をはじめた。


 こちら側には巨大水槽と3脚のパイプ椅子、その時によって位置が変わっているテーブル、小さな冷蔵庫、床屋の赤青白のぐるぐるするアレが置いてある。一応ここは待合室で、ピラニアは先生の趣味で飼育されている。床屋のぐるぐるについてはよく知らない。


 少し前までは物置みたいにごちゃごちゃしていたけど、だいぶすっきりした。例えばどこだかの先住民族から貰ったという謎の魔除けグッズとか、奏法不明の楽器とか、怪しげなアイテムで溢れていた。それはそれで面白かったけど。


 フラン先生に話しかけようと息を吸い込んだ途端、何かに引っ掻かれたような痛みと痒さを喉に感じた。唐辛子の粒子が喉の中で弾けている気がする。水が欲しい。薄い床は駆ける足音を大袈裟にした。冷蔵庫の取っ手に手をかけたところで、メロンソーダしか入ってないのを思い出す。ああ、最悪だ。最悪だ。


 冷蔵庫の開閉を繰り返して不快感を紛らわしていたら、フラン先生にスリッパで叩かれた。その瞬間に喉の中で暴れていたものが大人しくなる。何となく腑に落ちないなと感じながら、促されるまま診察室に移動した。


 廃業した歯医者から盗んできたという診察台に仰向けになり、歯の治療ではありえない角度まで頭を下げられる。血がのぼってしょうがないのだけれど、受診するにあたってフラン先生の行動には一言も文句をつけてはいけない。そういう誓約書を書かされた。それに、診察台に上がっている頃にはいつも声を出せないほどに症状が悪化している。


 だから、今フラン先生が刷毛を使って私の首に塗りたくったぬるぬるの正体を聞けない。こうやって予告もなしにさくさくと喉を切り開かれる恐怖についてとか何も言えない。説明されないし角度的に見えないし見たくもないけれど、大した痛みもないので何をされているのかあまりよく理解していない。正規の医者だったら大問題だ。


「昨日イバラギが来た。市松町に引っ越したってのは聞いてるだろ、同じマンションに住んでる女に惚れて浮っついてたんだが、なんでも最近変な奴に出くわして怯えてるらしい」

 フラン先生の話に相槌を打ちたくても、声が出ないのでどうしようもない。喉から何かを出したり詰めたりされてるような圧力を感じる。声帯の調整は着々と進んでいるようだ。


「それと言うのがうさぎのつぎはぎ人形らしい」


 意地悪く私の視界に先生の頭が現れて、大きな口を三日月に裂いて笑った。世界に存在するどんな刃物よりも、切れ味が良さそうな牙が並んでいる。腐りかけた花のあまいにおいが、脳味噌を浮遊しはじめる。


「そんなうさぎの人形はあいつひとりしか知らないな。あいつとはだいぶ会ってないが、なかなか面白い奴だ」


 白い煙が溶けるのが見えて、花のにおいを温い鉄が掻き消していく。はんだごてを握ったフラン先生の手が視界を横切った。


「あまり取り沙汰してやるな。お前が思ってるより俺は友人思いだぞ」


 言葉の代わりに、口の端から涎がだらだら流れる。唾液の吸引機も盗んでくればよかったのに。備えあれば憂いなしって言うじゃん。


 そんなことを思っていると喉を裂く時のように予告なく、がきんがきんと頭の角度を元に戻された。


「起きろ、終わったぞ」


 上半身を起こすと頭がくらくらした。開かれたであろうあたりを撫でてみても、綺麗な皮膚の感触がする。鏡も見るだけ無駄だ。いつだって手術をしたような痕は何も残らない。


「今日はもう帰るんだな、日が暮れる」


 診察台から降りて靴を履いた瞬間に、フラン先生が言った。細い手指に背中を押され、されるがままに造花畑に追い出される。つんのめって地面に手をつくと、潰れた花々が喚いた。


「せ、先生! またね!」

 花に負けじと声を張り上げながら玄関を振り向いたけれど、既に扉は閉められていた。大抵の場合、こうやってすぐに放り出される。だから、フラン先生とあまり渡り合えない。というのは言い訳で、フラン先生に気圧されてるだけなんじゃないかと思う。私は私が思っている以上に、平凡な神経をしているのかもしれない。


「私はつまらない子じゃない! ただの女の子じゃない! うわあああ! 畜生!」


 悔しいほどに良く通った。これが私のものなんだ。何度壊れてもちゃんと治る、優秀なスピーカーなんだ。そんな逸品を持て余してどうしろっていうの。気が済むまで、私の知らない誰かの耳へとの声を飛ばしてやる。




「レッディースアンドジェントルメン! ライオットラジオの時間だよ! いつでも徹夜テンションだけど毎日8時間睡眠のラズベリーちゃんがお送りします! よろしくねー!


実は昨日、ちょぉおっと調子が悪くて声のトーンが低めだったんだけど、気付いた人いるかな? いないよね? デキる女は何があっても任務を遂行するのよ……ラズベリーさんまじかっけー! 今日はもう喉さんすっかり元気です。なんでかって? 秘密です! ミステリアスキャリアウーマン! かっけー!


ではでは曲いきます、先月メジャーデビューを果たした……」



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