第8話「草原を駆ける」

 フェルナと別れ、国境越えた私は草原を一人歩いていた。

 地平線に山が見えない風景なんて見るのは、生まれて初めてだ。

 一面に広がる若草色の絨毯を、私はボーッと見つめる。

 ……どっちに行けばいいんだっけ。

 そう、私は迷っていた。


世のため人のためネクロマンサー

第8話「草原を駆ける」



「この印のあたりに、俺の知り合いが住んでいる。ジョバに入ったら、まずはそこを尋ねろ」

 家を出る前、ネクラが封をしてある手紙を渡すとともに言ったセリフが頭のなかでリピートされる。

 私が極度の方向音痴でなければ、方角といい距離といい、私は今地図の印のところに立っているはずだ。

 だが、周囲をいくら見渡しても、視界に入るのは草、草、草。

 まるで適当に配置されたかのような細い木が一本ずつ生えてる以外は、景色の変化に乏しい空間だ。

 うーむ、困った。ここで手詰まりになるとは。

 日が暮れ始め、草原は若草色から橙色に染まり始める。

 野宿かあ。野宿は嫌だなあ。でも、野宿しかないかなあ。

 私はネクラの知り合いを探すのを諦め髪を結びなおし、カバンを降ろした。


 その時だった。

「ブギギ、ブゴッ」

 不意に、後ろからそんな声が聞こえた。

 私が恐る恐る振り返ると、私の胸くらいの高さほどの大きさのイノシシが目を光らせていた。

 いや、本当にイノシシなのだろうか。顔や体つきは確かにイノシシだが、その額からは枝分かれをした一対の角がニョキンと主張している。

「あの、こんにちは……」

 私は通じるはずもないのに何故かイノシシのような何かに挨拶をした。

 人間、突然理解しかねる出来事に出くわすと混乱するものだ。

「ブギョー!」

 まるで私の挨拶に答えるように、高い声でイノシシもどきはそう鳴くと突然走りだした。

 私は身を捩り、倒れこむようにその突進を回避する。

 何だったんだろうか。あのイノシシもどき。

 まあ気にするまいと立ち上がり、私はカバンに手を――。


 無い。

 さっきそこに置いたはずの私のカバンが無い。

 あれには寝袋、食料、水その他いろいろが入っている。

 草原のまっただ中。更には孤立無援のこの状況でカバンを失うことはすなわち、遭難による餓死や衰弱死など、緩やかな死を意味すると言ってもいい。

 カバンは一体どこに!? 私はキョロキョロと辺りを探す。

 しばらく周囲を探していたが、私はハッと気付いた。

 先ほど走っていったイノシシもどきを見る。

 逆光になっていたためシルエットしか見えなかったが、角の影に繋がるように見覚えのあるカバンの形がプラプラとくっついていた。

「あれだぁぁ!!」

 私は一人で叫びながらイノシシもどきを追いかけた。

 しかし、相手は天然の長距離走者。最初にリードされていた分を差し引いても追いつくのは無理な話である。

 わかってはいても追いかけなければどっちみち苦しい目にあうんだ。

 私とイノシシもどきの草原を舞台にした追いかけっこは、圧倒的大差ながらも数分間は続いた。


「ブギョッキュ」

 そろそろ私の疲れもピークに達しようという時、イノシシもどきは足を止め振り返った。

 私の走りに感動し、カバンを返してくれる気にでもなったのだろうか?

 そんなバカげたメルヘンチックな発想が出てくる辺り、私は相当参っているみたいだ。

 イノシシもどきは右の前足を数回ほど地面をなぞるように動かし、私に向かって突進してきた。

 最初に通りすぎた時とは違い、明らかに私に敵意を持ったような突進攻撃。

 その突進を、私は草原に飛び込むようにしてとっさに回避する。

 イノシシもどきは回避されてもなお、ぐるっと大回りするようなルート取りで再び私に突進を仕掛けようとしている。

 私がしつこく追いかけ回したことが、イノシシもどきの何か逆鱗に触れ、怒りを買ったのではないかと思う。


 このまま回避し続けてもキリがなさそうだ。

 私は右手にプロテクトを張り正面にイノシシもどきを見据え、腰を下ろして受け止める耐性に入る。

 ガキィン!

 イノシシもどきがプロテクトにぶつかり、大きな音が鳴った。

「ふんぬぬぬ……!」

 私はその衝撃で後ずさりしながらも、なんとかイノシシもどきを受け止める。

 踏みしめた土が徐々にえぐれ、少しずつ押されている。

 押されながら、私は左手でどうにかしてイノシシもどきの角に引っかかっているカバンを取れないか手を伸ばした。

 あと少しで届きそうなのに、ギリギリ腕の長さが足りない。

 この時ばかりは、自分の貧相な身体を恨めしく思った。せっかくスペアボディを創るのなら、ネクラも少しくらい盛ってくれてもいいじゃないか!

 左腕を伸ばそうと必死になり、私は体のバランスを崩してしまった。

 草原に倒れこんでしまい、立ち上がろうとした時にはイノシシもどきが私に急接近していた。万事休す!?


「ブギョッ!?」

 急にイノシシもどきは悲痛そうな声を上げ突進の方向を逸らした。見れば、イノシシもどきの胴に矢が刺さっている。

「ノイカシメ レコモデラクエ!」

 聞いたことのない言葉とともに、視界外から馬に乗り弓矢を構えた男達が数人現れ、イノシシもどきを追い始めた。

 男たちは構えた矢を次々と放ち、イノシシもどきをハリネズミのようにしていく。

 やがて力尽きたのかイノシシもどきは滑りこむように倒れ、動かなくなった。

 私は急いでイノシシもどきの角からカバンを取り返す。

 民族衣装のような格好に身を包み馬に乗った男たちは、私を囲むように馬を止めた。

「え、えっと……助けてくれてありがとうござ――」

 私がお礼を言い切らない辺りで、男たちは怖い顔つきのまま、一斉に私に弓矢を構えた。

「え? え? 私人間ですよ! ワタシ ニンゲン オナジ! ミカタ!」

 何とか敵ではないと主張しようと、身振り手振りを交えながら片言で話しかけてみる。

 しかし男たちは依然として不信者を見るかのような鋭い眼差しのまま私に矢を向け続けていた。

 こんなところであのイノシシもどきのようにハリネズミにされて死ぬのはゴメンだ!

 いや、死んでもスペアボディで生き返れるらしいが、そういう問題ではない!

 私はダメ元で自分のカバンを開き、ネクラが書いた手紙を取り出そうとした。

 あのイノシシもどきが存分にシェイクしてくれたおかげでカバンの中はめちゃくちゃになっていたが、私はやっとのことでビンに押しつぶされてクシャクシャになった手紙を掘り出し、男たちに見せつけた。

 男たちの何人かは、鋭い目つきのまま手紙の表面に書いてある宛名をまじまじと見つめ、読もうとしているようだ。

「ニナアガタッ ノソンオハナンナダ」

 私を囲む男たちの輪の外から、また一人馬に乗った中年くらいの男が現れ言った。

「ゼゼマサ ノコンオハナナアタアノテミカモヲテッルイウヨスデ」

「ミカ? ガテノミトコカ?」

 男の一人が私の持っている手紙を奪うように乱暴に取り上げ、中年の男に手渡した。

 中年の男は封を矢尻をつかって器用に破り、手紙を読み始めた。

 読み終えるのに数秒だったか、それとも数分かかったのか。相変わらず弓矢を向けられた緊張状態のままで時間の感覚が狂いそうになる。

「まさカ、君がネクラ先生のお弟子さンとは。我が部族の者達が失礼しタ」

 中年の男は、手紙を読み終えると片言混じりの現代語で話しかけてきた。

「ど、どうも…」

「私ノ名はゼゼ。ジョバの地に住むヤ族の族長ダ」

 ゼゼはそう言いながら、私を囲む男たちに手で合図のようなものを送る。すると男たちは私に向けていた矢をしまい、弓を背負った。

「私ノ後ろに乗るトいい。我が部族ノ集落まで案内しよウ」

 そう言って手を差し伸べるゼゼ。私はその手を掴み、ゼゼの乗る馬に相乗りさせてもらった。

 周りでは、無数の矢を突き立てられ事切れたイノシシもどきを他の男達が棒に縄で縛り付け、複数人がかりで持ち上げようとしていた。もしかして、あれを持って帰ろうとしているのだろうか。

 ゼゼの掛け声とともに一斉に馬が走りだした。ダカダカという足音が広い草原に響き渡る。私は慣れない馬の上下運動にガクガクと揺さぶられながらゼゼの背中にしがみついていた。


 どれだけの距離を馬で走ったのだろうか。馬に乗り代わり映えのしない草原を走り続けると、ようやく景色に変化が現れた。

 地平線の奥に見える白いテントのような建物群。あれがゼゼたちの住む集落なのだろうか。

 集落に到着した頃には既に日は完全に落ちきっており、空にはたくさんの星々がばらまかれたガラス片のようにキラキラと輝いていた。

 月明かりとたいまつの炎に照らされた集落の中で、私はゼゼの手を借りて馬を降りた。

「あ、あの……。手紙には何と書いてあったんですか?」

 言葉の通じない集落に置かれ、私は不安になりゼゼに話しかけた。

「あア。ネクラ先生ノ弟子である君ヲ、ドラニノルの国境まデ運んで欲しい、と書いてあったんダ。しかし、今日はもう遅い時間。今夜はこの集落に泊まっていきなさい」

 ゼゼが白い建物の奥を歩いていた女の子を、手で招き寄せた。

「父ウえ、呼ビましたか」

 集落の男たちが着ているものと、同じ民族衣装を身に着けている女の子は私の前に歩いてきてペコリと頭を下げた。

 歳は私と同じくらいか、ちょっと下くらいか。私は自分よりも少し身長の低い彼女に頭を下げ返す。

「ルルゥ、彼女……ケイは私ノ客人だ。イノシカの処理ガ終わるまで集落を案内してあげなサい」

「わかりまシた、父ウえ」

 ゼゼはそう言って、集落まで運ばれてきたイノシシもどき――イノシカのもとへと走っていった。

「案内すル、付いてキて」

 ルルゥはそう言い、振り返りながら長く黒い髪をひらりと浮かせた。

「えっと、ルルゥちゃん? あなたも私の言葉がわかるのね」

 歩きながら話題に困った私は、当り障りのない疑問を投げかけた。

「町言葉、覚えないト長の娘トして務まらない」

「町言葉?」

「そうダ、町でみんナが話している言葉。だから町言葉っテ言う」

 ルルゥの集落の人たちが訪れる町では、共用語が使われているらしい。

 この集落で作ったり、狩りで取れるものだけでは生活はできない。

 なのでそれらを時折町に運び、物々交換をすることで必要な物資を手に入れる。

 ……と歩きながらルルゥは私に教えてくれた。

 私たちは白いテント――ルルゥ曰く、ゲルと呼ぶらしい――のひとつに案内された。

 中には衣服が入った箱がたくさん置いてある。

「ケイが着れル大きさのあるかナ……?」

 ルルゥはたくさんある服をブツブツつぶやきながら漁っている。

 そして、ルルゥは一着の服を持ってきて私に向けて広げた。

 ルルゥが着ているものと同じ、民族衣装チックな服だ。

 チックというか、ジョバの地に住む民族の衣装なんだからきっと民族衣装なんだろうけど。

「これ、ケイに」

 にっこりと笑って差し出すルルゥから、私は服を受け取る。

「これを、私に?」

「この後、ケイの歓迎すル。これを着ていケば喜ばれル」

 正直な話、今着ている服でも十分なのであるが、ルルゥの笑顔に圧されて私はこの民族衣装を着ることにした。

 マントを外し、制服を脱ぐ。

 ルルゥが渡した服は下半身がズボンのような形になっていた。これならスカート履いたままでも着れたなあと、私は下着姿で思った。

「どう……かな?」

「ケイ、すごク似合ってル!」

 民族衣装を身につけた私を見て、ルルゥが嬉しそうに拍手をした。

 あまりにも大げさに褒めるので、私は思わず照れくさくなってしまった。


『では、我が友ネクラの弟子。ケイの来訪を祝い、乾杯!』

 私はルルゥに引っ張られるようにして、集落の中心にあった大きなゲルの中へと案内された。

 ゼゼと、集落に住んでいる人たちが、料理の並んだ中央のスペースを囲むように環状に座っており、私は予め用意されてたであろう空いている席に座った。

 ゼゼが陶器のカップを掲げ、ジョバの言葉で乾杯の音頭をとる。

 それに続いて、集落の人たちも「ンカイパー!」とカップを掲げた。


 せっかくの歓迎の場なので、目の前に並んでいる料理をつまむことにした。

 目の前の皿に盛ってあるのは肉混じりの緑黄色野菜のサラダ。サラダに入っている肉は、ルルゥ曰く集落で家畜として飼育している羊の肉らしい。

 その横の皿には厚めのステーキ肉が乗っている。

「ルルゥ、これも羊肉なの?」

 私が訊くと、ルルゥは首を横に振って中央の大皿を指差した。

 中央の大皿には、あの憎っくきイノシシもどき……じゃない、イノシカの頭が鎮座していた。

 もしかして、アレの肉なのか……。

 私は先程の恨みを晴らすがごとく、イノシカのステーキにおもいっきりかぶりついた。中から肉汁が染み出してきて熱かったが、油の乗ってた肉と癖になるような歯ごたえはとても美味しかった。


 ネクラの弟子だということで、次々と集落の人たちが私に話しかけてくる。

 といっても、私には聞き取ることのできないジョバの言葉なので、隣に座っているルルゥが通訳した内容を聞きながら一人で会話できているフリをしているだけだ。

『いやあ、こんな女の子がネクロマンサーやっているとはねぇ!』

『イノシカとスモウをとったんだって!? ネクロマンサーはすごいねぇ!』

『矢を向けて悪かったねぇ! 君が他部族の刺客ではないかと思っていたんだ!』

 矢継ぎ早に好き勝手なことを言ってくる集落の人たち。

 私はネクロマンサーになる気はないし、イノシカと押し合いをしたのも生命線であるカバンを取り返したかったからであってスモウとやらをしたかったわけではない。


 私への質問ラッシュが終わったので、今度はこちらのターンだ。

 私はルルゥの通訳を介して、この集落についての情報を得ることにした。

 とりあえず得られた情報をまとめると、この集落の人たちは、ヤ族という遊牧の民だそうだ。

 ジョバの地は農耕に不適当な立地らしく、定期的に家畜を連れて時折テント――ゲルごと拠点を移動するらしい。

 私が地図の場所に行ってももぬけの殻だったのはそういうわけだったのか。ちくしょうネクラめ。


 気がつくと私の歓迎会だったはずの食事の席は、酒を飲んだ大人達による酔っぱらい会へと移行しつつあった。

 集落の人たちが一人ずつ、持ち芸を披露し始めた。

 宴の中の隠し芸大会ってどこでもやるものなんだなー。

 ある者は犬の鳴きマネをし、ある者は歌を歌う。

 食事の場は、一転して愉快で微笑ましい空間となった。

「ケイ、君モ何かしないカ!」

 向かいの席からゼゼが私に叫ぶ。

 急に振られても困るんだけど……。

 しかし一宿一飯の恩義もあるし、無視するわけにもいかないか。

 私は立ち上がり、黒ずんだミスリルの珠を握りしめる。

「魂亡き骸よ、魔の力を依代に立ち上がれ……『アウェイク』!」

 私の手から放たれた魔力が、大皿に乗ったイノシカの頭に当たる。

 すると周囲の皿から骨が集まり、やがて頭以外が骨になったイノシカが立ち上がった。

「「おおー!」」

 周囲から感嘆のコーラスが響き渡る。私ができる見栄えのする芸といえば、これくらいだ。

 暴れださないうちにイノシカを『エクソ』で骨に戻し、私は席に座った。

 なんとか満足されたようで安心する。

 先程の会話から、この集落の人たちは死霊術に対して好意的だと判断したが当たりだったようだ。

 それがネクラに対しての妙な評価の高さに繋がっているのだろうか。

 次の人の芸が始まったあたりで、私は酒臭いゲルから逃げ出すように外に出た。


 外は涼しい風が吹き、熱気でほてった身体を優しく冷やしてくれた。

「ケイ、どうしタ?」

 私を追ってきたのか、ルルゥもゲルから出てきた。

「ちょっと、外の空気が吸いたくてね」

「大人っテ騒ぐの大好きだかラ。気持ちわカるよ」

 私とルルゥは、並ぶようにして草の上に座り込んだ。空には大きな月が浮かんでいる。今日は満月だ。

「ケイ、さっキの死霊術カッコよかっタ!  ケイってやっパりネクロマンサーなんダ!」

 輝くような眼差しで私を褒めるルルゥ。

「私は、ネクロマンサーになるつもりはないんだけどね…」

「どうしテ? せっかくできるのニもったいナい」

 もったいない……か。

 今まで思ってもみなかったな。

 今まで卒業のためと割り切って死霊術を学び、使っていた。思えば、学校で習った黒魔法はプロテクトを除いて全部身につけることができなかった。

 対して、ネクラに教えてもらった『アウェイク』や『エクソ』といった死霊術は割とすんなりと修得できたという事実がある。

 認めたくはないけど、私には死霊術の才能が有るのかもしれない。


 私がそんなことを俯いて考えていると、ルルゥが立ち上がり夜空を見上げた。

「ジョバの民、子供でモできることをやっテ、みんなの役に立ツ。そして大人にナったらみんな選ブ。ヤ族に残るか、やりタいこと目指すカ」

「やりたいこと……?」

「私、夢あル。町に出ていロいろな景色を見たイ。その夢のたメに、働きながら町言葉を勉強してル。私はケイにウソついタ。さっきケイに言っタ、私が町言葉話せル理由。あれウソだ……」

 言った理由というのは、『長の娘だから言葉を話せるようになった』ということだっけ。

「私は、全然気にしてないけれど……」

「本当か? ケイは優しいナ……。ケイのお師匠さんも、優しい人だっタ」

 そういえば、なぜネクラがゼゼと知り合いで、ヤ族の人に持ち上げられているかまだ知らなかったな。

 私がネクラについて訊くと、ルルゥは再び草の上に座って、遠くを見つめるように少し上を向いてから話し始めた。

「まだ私が小サい時。ヤ族の長老ダったババ様が、突然大地に還っタ。ババ様の知識、ヤ族にトって生命のようなモの。父ウえは、ババ様から知識を受け取ルすぐ前だっタ」


 大地に還った……というのは、亡くなったということだろうか。

 ババ様と言われてたくらいだから、お年を召していたのだろうか。

「そんな時ニ、ネクラさんが来タ。旅の途中だと、あの人は言っタ。ネクラさん、困っテいるヤ族の話を聞いテ、助けてくれタ。ババ様の魂を降ろシて、伝えられなかっタ知識……父ウえに伝えさせてくれタ。今ヤ族があルの、ネクラさんのおかゲ。だから父ウえは、ネクラさんと友達」

「そういうことがあったんだ……」

 知識を後世に伝える前に亡くなった老婆の声を、ゼゼに伝える。

 死霊術で、ネクラはこの集落の人たちを救ったんだ。


『俺は君が思うほど立派な人間じゃない』

 私が初めてネクラに会った日に、ネクラが言った言葉だ。

 何が立派じゃない、だ。話を聞いている限り、ネクラは立派な魔術師じゃないか。

 思えば、私もネクラが助けてくれなければ今頃……疫病で死んでいたかもしれない。

 スペアボディを嫌ってこの旅に出たけれど、私もまた死霊術によって生命を救われた人間の一人だった。

『できることをやってみんなの役に立つ』

『大人になったらみんな選ぶ。ヤ族に残るか、やりたいこと目指すか』

 先ほどルルゥが言った言葉を思い返す。

 私が今できること。大人になったらやりたいこと。


 確かに、私は死霊術が嫌いだ。

 死体を道具にして、魂を弄くって、人間を創りだす。

 やっていることだけ並べれば、物語に出てくる悪い魔術師だ。

 けれど、その一見悪者が使いような力でネクラは沢山の人を救っている。

 夫を亡くした母とその子、ヤ族の人たち、そして私……。

 もしも、その力で私に何かができるとしたら……。

 まだ迷っているけれど……少しだけ私の未来について考えることができたかもしれない。


「ありがとう、ルルゥ」

 私は、素直な感謝の言葉をルルゥに伝えた。

「どうシてケイ、感謝すル? 私は何もしていナい」

「ううん、そうじゃないの。 私、迷ってたんだ……。でも、ルルゥの話を聞いて、迷いがすこし晴れたかもしれない。それの『ありがとう』よ」

 私がそう言うと、ルルゥは嬉しそうにニッコリと微笑んだ。

 そして、そこら辺に生えている草の葉を一枚ちぎり、唇に当てた。

 プィー! ルルゥが持つ葉っぱから、綺麗な高い音が鳴った。

「一緒に草笛吹くノ、ジョバだと友情の証。ケイもやってみテ」

 ルルゥにそう勧められ、マネをして草の葉をちぎり、唇に当てて息を吹き込む。

 プ……プビッ……。

 何とも言いがたい音がなってしまう。

 その音を聞いて、ルルゥはクスクスと笑った。

「ケイ、息吹きすギ。もっと力を抜いて、軽メに吹くといいヨ」

 ルルゥのアドバイスを受け、再び草に息を吹き込む。

 プ……ププ…………プー。

 ルルゥのほど綺麗ではなかったが、それなりに聞ける音が出た。

 プィー!

 私の出す拙い音に合わせて、ルルゥも草笛を重ねる。

 月明かりが照らす草原での、静かな二重奏。

 妨げる物のあまりない草原に、私達の音が響き渡った。


 ――翌朝。

 ルルゥと一緒のゲルで一晩を明かした私はゼゼに別れの挨拶をした。

「短い間でしたが、お世話になりました」

「君も、ルルゥとお話ヲしてくれテありがとウ。

 ルルゥがあんナに楽しそうな顔をしたノを私は初めて見たヨ」

 私は楽しそうに話すルルゥしか見ていなかったが、あの子は普段はあんな表情をしないのか。

「それデは、約束通り……イタタタ」

「だ、大丈夫ですか?」

 急に頭を抑えて痛がるゼゼ。思わず私は心配してしまう。

「いヤ、昨日少し飲み過ぎタみたいダ。

 ハハハ、でも友の頼みハ最後まで果たすヨ」

 そう言いながらも、フラフラと馬に向かうゼゼ。

 全然大丈夫そうに見えないけど、そのコンディションで馬に乗れるのだろうか。


「父ウえ、そんな状態じゃ馬乗るノ危ない!」

 フラつくゼゼを止めるように、ルルゥが手を広げて立ちはだかった。

「しかしだな、ルルゥ……」

「私がケイを運ブ。父ウえは休んでテ!」

 首を縦に振るまで動かないぞいいたげなルルゥの気迫に、ゼゼも困惑しているようだ。

「じゃあ、ルルゥにお願いするわ」

 このままだといつまでたっても出発できそうにないので、私はルルゥの馬に乗せてもらうことを了承した。

 ルルゥとは昨日語り合った仲だし、安心感もある。

「ふム、ケイがそう言うのデあれば……。ではルルゥ、ドラニノルの国境まで頼んだゾ」

「はい、父ウえ!」

 ゼゼと別れ、私はルルゥの馬に乗った。ルルゥの馬は彼女の体格に合わせてか少し小さめな栗毛の馬だった。

 二人でその馬に乗り込み、私は前に座ったルルゥの腰にしがみつく。

「ハッ!」

 ルルゥが強い叫びとともに馬にムチを打つと、馬は勢い良く走りだした。


 あっという間に集落が後ろに消え、代わり映えのしない草原の景色だけが視界を包み込んだ。

 昨日ゼゼの馬に乗せてもらい慣れたからかこの馬が自分の体格にあっているのか、上下の揺れはさほど気にならずむしろ吹き抜ける風を楽しむ余裕すらある。

「これナら、お昼ニはドラニノルに着けそう」

 馬を巧みに操りながら、ルルゥが言った。

 風を切って疾走する馬は、長距離移動ではこんなにも頼もしいものなのか。

 今までは馬車という形で馬を使って移動していたが、なかなか馬に直接乗っての移動というのも良いものかもしれない。


 ドッドッドッド。

 私達の進行方向から、馬の走る音とは違う低い音が聞こえてきた。

「何の音?」

「わカらない。でモ何か変な気配がすル」

 私の位置からだと顔は見えないが、ルルゥの声の調子から不安な気持ちになっているのがほんのり読み取れる。


 私たちはやがて、その音の正体を知ることになった。

 地平線の向こうから徐々に姿を現す巨大な影。

 5頭ほどイノシカの群れ――しかもうち一頭は、昨日私を襲ったものと比べるまでもない巨体をしていた。

 巨大な個体の周りを走るイノシカと比べても、高さだけでも目測で3倍くらいはある。

「何ダ、あのイノシカは!? 見たことガない大きさダ!」

「あの方向って、集落のある方じゃないの!?」

 イノシカの群れは私達と綺麗にすれ違った。

 それは、ヤ族の集落の方向に向かっているということだ。

「父ウえ達が危ない……!でも、ケイを送らないトいけないし……!」

 ルルゥは馬を止め、使命を優先するか集落を助けるかで迷っているようだった。

 別に私は急いでいるわけではない。なので迷うルルゥの背中を押してあげた。

「集落が危ないんだったら、迷う必要なんてないじゃない!あのイノシカを、止めましょう!」

 私がそう言うと、ルルゥは私の顔を見てから強く頷き、手綱を引っ張った。

 ルルゥの馬が前足を上げ、180度向きを反転させる。そして、打たれたムチと同時にイノシカの群れに向けて走りだした。


 遠くを走っていたイノシカの群れに、徐々に追いついていく。

 ルルゥは馬の速度をイノシカの速さにあわせ、距離を保ちながら背負っていた弓を取り出した。

 そして馬の横に括りつけられた矢筒から矢を取り、弓につがえる。

 ピュン、という風をきる音とともにルルゥの弓から矢が放たれた。

 矢は一直線に飛んでいき、群れの後方を走る通常サイズのイノシカの尻に突き刺さる。

「ブギュピィ!」

 矢の刺さったイノシカが痛そうな鳴き声をあげた。

 その声に呼応するように、他のイノシカは散開するように進行方向を変えた。

「何があったの!?」

「イノシカは誇リ高き草原ノ戦士! 戦いを仕掛けられたラ相手を倒すまデ相手を追い続けル!」

 それを聞いて、私のカバンを引っ掛けたイノシカを思い出す。

 あのイノシカが突然私に攻撃を始めたのは、追いかけ続ける私を敵と認識したからだったのかもしれない。

 ルルゥの馬と並走するように、小型のイノシカが横並びに走る。

 そして、イノシカはドンと横から体当たりを食らわせてきた。

 その反動で私はバランスを崩しそうになるが、何とか持ち直す。

 ルルゥは冷静に並走するイノシカに向けて弓を構え、矢を放った。

 その矢はイノシカの額を横から貫き、致命的なダメージを受けたイノシカは勢いのまま前方に転げ、2,3回ほど回転し動かなくなった。

「まずハひとツ!」

 次に馬の走る方向を変え、別のイノシカの額に的確に矢を射る。

「ふタつ!」

 すごい手際と弓の腕だ。

 まだ子供とはいえ、ルルゥもジョバに生きる民として必要な能力を磨いているのか。


 残った普通サイズのイノシカ2頭がルルゥの馬を挟むように並走し始めた。

 左右から交互に体当たりを受け、馬が悲痛な鳴き声をあげる。

「このまマじゃ、馬がモたない……!」

「だったら……!」

 私は右手をルルゥの腰から離し、プロテクトを唱えた。

 プロテクトのバリアで右側のイノシカの体当たりを力づくで抑える。

「ありがとう、ケイ! これなら!」

 ルルゥはそう言って、左側のイノシカに矢を放つ。矢はイノシカの右目に刺さり、痛みからか馬から離れていく。

 そして、ルルゥは追い打ちかけるように、離れたイノシカに向け3本ほど矢を放った。

 右前足と、胴体あたりに矢が刺さりイノシカは転倒し動かなくなった。

「みっツ!」

 私は三匹目のイノシカが倒れたのを確認した後、プロテクトで右側をキープし続けるイノシカを押しやった。

 急に押されて足がもつれたのか速度を落とすイノシカに向け、ルルゥは馬を右に曲がらせながら身を乗り出し、後方に矢を放った。

 その矢はイノシカの額に見事に突き刺さり、普通サイズのイノシカは全滅した。


 最後に残った、巨大なイノシカ。弱点である額に向けルルゥが矢を放つが、巨大な体躯が相手故か、矢は刺さらずに弾かれるように落ちていく。

 巨大なイノシカは速度を上げ、ルルゥの馬の横にピッタリとくっついた。

 まずい……!

 そう思った時には巨大イノシカは巨体を活かした体当たりをルルゥの馬にぶちかましていた。

「うわっ!!」

「ケイ!」

 体当たりの反動で私は落馬し、草の上をゴロゴロと転がった。

 落ちた時の衝撃で全身が痛むが、草の柔らかさのおかげでそれほどではないのが幸いだ。

 私は痛みをこらえて立ち上がり、巨大イノシカに追われるルルゥを見る。

 あのイノシカを倒すには、普通に矢を放ったところで分厚い皮膚に阻まれ致命傷を与えるには至らないだろう。

 なんとか、不意を付く形であのイノシカに傷をつけることができれば……!

 私は、私が今できることを考えた。

 武器はなし、魔法はプロテクトと、それから……!

 この方法しかない。

 私はそう思い、呪文を唱えた。

「魂亡き骸よ、魔の力を依代に立ち上がれ……『アウェイク』!」

 かつてネクラがやったように、地面に向けて魔力を放つ。

 するとルルゥによって倒された四頭のイノシカの死骸が生きているかのように立ち上がり、私の指示を待つ体制に入った。

 私はそのうちの一頭にまたがり、他の三頭に巨大イノシカへの突進を指示した。


「ブギョッ!?」

 巨大イノシカが驚いたような声をああげた。

 無理もない。自分の群れを形成していたイノシカが立ち上がり自分に突進攻撃を仕掛けているのだから。

 私は巨大イノシカが混乱している隙に、またがっているイノシカから疾走する巨大イノシカの背後へと飛び移った。

 巨大イノシカの太く、丈夫な体毛はしがみつくには調度良く、私は死に物狂いで巨大イノシカの身体を登っていく。

 何とか額の辺りまで登った私は、手をグーにして呪文を唱えた。

「我に眠る魔法の力よ、大地に眠る大岩の如くなれ……『プロテクト』!」

 拳の先に形成されたプロテクト・ドリルを私は力いっぱい巨大イノシカの額に押し当てる。

 四頭のイノシカを動かしたせいで、既に魔力が限界近い。急がなければ!

 イノシカの肉がえぐれる感触と音がドリルを通して伝わってくる。

「ブギュイィィィ!」

 痛みで首を振り回した巨大イノシカによって私は再び草の上に落下する。

 魔力も尽き果て、立ち上がることすらかなわない。

 私は残る気力を振り絞り、ルルゥに叫んだ。

「ルルゥ! 私が攻撃したところを!」

「わかった!」

 ルルゥは巨大イノシカに追われるような距離感のまま、馬の鞍の上に立ち上がり一瞬で矢を放った。

 ルルゥのはなった矢は、私がドリルでえぐった傷の中心を捉えるように突き刺さった。

「ギュオオオオ!」

 巨大イノシカがすさまじい声を上げるが、まだ倒れない。なんてタフさだ!

「こレで、トドメだ!」

 ルルゥは叫びながら、再び矢を放つ。先ほど放った矢が刺さった、すぐ隣に矢が突き刺さる。

 そして、ついに巨大イノシカはバランスを崩し横に転倒した。

 その衝撃で、離れた位置に倒れている私のところまで地響きが伝わってくる。

 ビクンと最後に体を震わせ、巨大イノシカは動かなくなった。


「やった、やったよ! ケイ!」

 飛び切りの笑顔でルルゥは私のもとへ馬で走り寄り、馬から飛び降りて私に抱きついてきた。

 その勢いで二人でくっついたままゴロゴロと草の上を転がり、喜びをわかちあう。

 というか痛いんだけど。

「ルルゥの弓の腕のおかげよ。私はあんまりなにも……」

「うウん! ケイが死霊術と魔法デ手伝ってクれたから出来た!

 ケイ! 集落を救ってクれてありがとウ!」

 素直な感謝の言葉をぶつけられ、私は嬉しい気持ちで胸が一杯になった。

 昨日の夜にルルゥと話したからか、死霊術を褒められたことにも前ほど嫌悪感は感じない。


「これは……ルルゥ、お前がやったのか!?」

 しばらく草の上に横たわっていると、数人の男たちを引き連れたゼゼが集落の方向から馬に乗って走ってきた。

「父ウえ! ケイが死霊術で助けてくれタ! イノシカを止められたのケイのおかゲ!」

 ルルゥが立ち上がり、ピョンピョン跳ねながらゼゼにそう言った。

「ありガとう……! これだケ巨大なイノシカがモう少し近づいていたら、止められたかワからなかっタ。ケイ、君は我々ヤ族の恩人ダ!」

 真正面からゼゼに感謝の言葉を言われ、私は照れくさくなって自分の顔が赤くなったのを感じた。

 でも、悪くない気分だ。人に感謝されることって、こんなにも気持ちのいいものなんだ。


「ケイ、ここでお別れダ」

 ドラニノル公国へと通じるトンネルの前で、ルルゥが言った。

 あの後、私はもとの目的通りにルルゥの馬で、ドラニノル公国の国境付近まで乗せてもらった。

「ルルゥ、いろいろありがとう」

「ううん。ケイこそありガとう! またいつカ、ジョバの地に会いに来てネ!」

「ええ、絶対に行くわ!」

 私はルルゥにまた会う約束をし、馬に乗って去っていく彼女が見えなくなるまで手を振って見送った。


 周りに誰も居ないのを確認し、私はヤ族の民族衣装からもとの制服へと着替える。

 このトンネルの先がついにドラニノル公国だ。

 ドラゴンの爪を求める旅も、いよいよ佳境となる。

 私は畳んだ民族衣装をカバンに詰め、トンネルへと入っていった。

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