第7話「死病、そして屍」

 私は夢を見た。深い水の中に沈む夢を。

 息が苦しいわけでもなく、水の中から天を仰いでいた。

 水面は暗い。夜なのだろうか。

 私と、私の吐いた息の気泡だけが存在する水中。

 ただただ浮遊感に身を任せ、私は水の中を漂っていた。

 徐々に意識がはっきりとしてくるが、夢見心地が続いているのか水の中のような感覚が抜けない。

 大きなあくびをしようとして、吐いた息が泡になって目の前を昇っていく……。

 待て、なにかおかしい。私はカッと目を見開いた。


世のため人のためネクロマンサー

第7話「死病、そして屍」


 私は目をこすり無理やり意識をはっきりさせる。

 視界は新芽の葉のような明るい緑の半透明。私は液体の中、というかガラスの入れ物――カプセルの中に浮いていた。

 というか、よく見たら私は裸じゃないか!

 慌てて声を出そうとして泡をゴボゴボと吐き出した。

 誰かいないかとカプセルの中から辺りを見回す。

 液体の緑がかかっているのでよく見えないが、見覚えのない部屋だった。

 薄暗く、壁にかかっている何本かのロウソクの炎という頼りない明かりだけが寂しげに密室を照らす。

 確かに昨晩、私は寒気と気だるさを感じてはいた。

 しかしいつものように屋根裏のベッドで寝ていたはずだ。

 それが起きたら、なぜこんなところに?

 部屋自体の構造は暗くてよくわからないので、今度は自分が浮いているカプセルの周辺を見渡してみる。

 カプセルは、何かしらの装置の上に固定されているようだ。

 その装置には大掛かりな魔道具によく見られるスイッチやレバーの類いが露出し、操作ができるような構造に見えた。

 装置には私が入ってるものの他にいつくかカプセルが載せられている。

 その中でも、私の目は隣のカプセルに浮いている見覚えのある顔に釘付けになった。

 隣のカプセルに入っていたのは……目を閉じたまま動かない私。

 一体何が起こっているんだ!?


「おっ、目が覚めたか」

 カプセルの外にいるネクラが私の様子を見て、カプセルの脇にあるレバーを倒す。

 するとカプセル内の緑色の液体の水位が下がり、やがて息ができるようになった。

 私は口の中に入っている緑色の液体を吐き出そうとして、ゲホゲホと咳をする。

 そのまま裸の状態で怒りに任せ、カプセルのガラスが消えると同時にネクラに跳びかかり襟元を引っ掴んだ。

「この変態! 服剥ぎ! 死体愛好家! それからえっと、ロリコン!」

 ガクガクとネクラを揺さぶりながら、私は思いつく限りの罵倒をネクラにぶつけた。

「ま、待て待て! 最後のロリコンは適当に言っただろ! 話を聞け! 服を着ろ!」

 飛びかかられたのが意外だったとばかりに、部屋の隅の方に置かれた私の着替えを指差して抵抗するネクラ。

 私はネクラを突き飛ばし、恥ずかしさに赤面しながら自分の服を拾い上げる。

「あっち向いてて!!」

 そうネクラに釘を差して私は服を身に付ける。

 あーもー……裸を見られた、お嫁に行けない……。

 そんなことを思いながらカプセルにプカプカと浮かぶもう一つの私を見あげた。

 カプセルの中の私は、目を閉じているが確かに鏡で見たことのある私の顔だった。

 

「……あれは何なんですか? 説明してください」

「あれは、って言ったって見たまんまお前だよ」

 ネクラが私に掴まれ形が崩れた襟を正しながら言った。

「でも、私はここにいますよ?」

 そう、私は確かに私なのだ。哲学とかじゃなくて私がここにいるのにもう一人私がいる。

 ますます混乱する私は、説明をネクラに強く要求する。

「お前さー……浮いてる方の格好をみて、何かわからないか?」

 ネクラにそう言われて、改めてカプセルの中の自分を観察してみる。

 髪とか顔は確かに鏡で見慣れた私だし、身体は五体満足。服は――

 私は気づいた。あれ昨日寝た時の私の服装だ。

「ケイ、お前ね……疫病にかかってたんだよ。しかも死病」

「疫……病……?」

 ぽかんと口を開ける私に、ネクラは説明を始めた。

「そう。アークノー人の若い女性がかかる流行り病。その初期症状が出てたから、お前の魂をそのスペアボディに移して、疫病にかかった身体は病期の進行を遅らせる薬品につけつつ観察中。命救ってやったんだからちったあ感謝して欲しいなぁ」

 髪の毛をガシガシと掻きながらめんどくさそうに話すネクラの言葉を、私は頭の中でゆっくり整頓していく

 えっと、私が疫病にかかって……今の私はスペアボディで浮いているのが元の身体……?

 スペアボディって何? 私は今どうなってるの? 私はこれからどうなるの?

「まあ良いじゃねえか、助かったんだから」

「良いわけあるかぁぁぁ!!」

 私は再びネクラの襟元を引っ掴んで叫ぶ。

「元に戻してくださいよ!」

「無理だよ!」

「どうして!?」

「元に戻ったらお前の身体、疫病で死ぬぞ!! そんなにスペアボディが嫌なのか!?」

「嫌ですよ! ってそもそもスペアボディって何ですか!!!」

「説明してやるから離せ! いぎぐるじぃー!」

 苦悶の表情に歪むネクラを離してやる。ネクラは二、三回ほど咳き込み、説明を始めた。

「俺がやったのは、数ある死霊術の中でも最上級の秘術だ。死体の骨肉を液体に溶かし、その溶液から『ホムンクルス』と呼ばれる人間の身体を創造する」

「それって、人間を作れるってことですか……?」

「うん……まあそうとも言うかもしれん。さすがに魂は作れないから、全くのゼロから新しい人間は作れないけどな」

 ネクラは地下室を歩きながら、私に説明を続ける。

 その動きはまたいつ掴まれるかと警戒して間合いをとっているようにも思える。

「スペアボディってのは既に存在する人間と、まるっきり同じ肉体を創ることで魂と肉体の紐付けを行ったホムンクルスだ。これによって、魂が肉体から離れた時――要するに死んだ時に自動的に予備の肉体に魂が移動し、擬似的に生き返れる。といっても、ホムンクルスの生成は未だ発展途上の技術でな。……そこにある鏡で、自分の目を見てみろ」

 私はネクラに言われたとおりに、壁にかかっている鏡をのぞき込んだ。

 暗さのせいではっきりとはわからなかったが、元々は茶色かった私の目の色は、輝くような明るい金色になっていた。

「この目の色は……?」

「今の技術だと、なんでか目がこの色になっちまうんだ。数年前までは肌の色も青白くなってたんだが、今は改善されてマシになった」

 金色の目、青白い肌……どこかでこの組み合わせを見たような気がする。うーん、どこだったっけか?

 私はほんの少し考えて思い出した。カクさんだ!

「師匠、もしかしてカクさんも私と同じように……?」

「ん、まあ……そうだな」

 返事は煮えきらなかったが、カクさんも人工的に作られた肉体という予想は当たったようだ。

 どおりで人間にしては不気味な風貌なうえ、死霊術で召喚できるわけだ。

「もうさ、お前は一回死んじまったことにして、その身体で第二の人生でいいじゃん?」

「いいわけないでしょう! こんな死体からできた身体なんかでこの先ずっと生きるのなんて死んでもゴメンです!」

 こんな身体になってしまったら、家族に合わせる顔がない。

 私の必死さが伝わったのか、はたまたただ呆れただけなのか。

 ネクラはわざとらしく大きなため息をつき、渋々という様子で口を開いた。

「強情な奴だなぁ……。そこまで元の身体に戻りたいんだったら、方法はなくはないぞ」

「本当ですか!?」

 おそらく私は、目を輝かせてそう言ったんだろう。

 ネクラの発言で私は希望を抱いた。

 説明は上でやるということで、私はネクラのあとをついていくように部屋の隅にある長いハシゴを登っていった。


 ハシゴの先は、ネクラの家の一階に繋がっていた。

 部屋の隅の床板を外すとさっきの地下室へのハシゴが顔を出す仕組みだ。

「あんた達、どっから出て来てんのよ」

 食卓で優雅に紅茶を飲んでいたフェルナが、床下から出てきた私達に言った。

 私は涙ながらにフェルナに経緯を話す。

「へー、死霊術って便利じゃないの。ケイ、あんた何が不満なの?」

 意外にも、フェルナの反応はネクラ贔屓だった。

「死んでも復活できるなんて、夢みたいじゃない。危険な冒険だってやり放題だし」

「だろーだろー? それなのにこいつ、頑なに元の身体に戻りたいっていうんだぜ?」

 いつの間にか多数決で負けている。

 あれ、これ私がおかしいの?

 いやいや、周りに流されてどうする。もっと心を強く持たねば。

「と、とにかく! 元の身体に戻る方法教えてください!!」

「ちっ……しゃあねぇなぁ」

 ネクラは嫌そうな顔をして、本棚から分厚い本を一冊取り出し、パラパラとページをめくりだした。そして折り目のついているページを開き、食卓の上に本を乗せる。

「要するに、お前の本体がかかっている疫病を何とかすればいいんだ。簡単な話、治療のための特効薬を打ち込んでしまえばいい。…………といっても、一般に出回ってる薬は競争率が激しすぎて、まず手に入らないだろうから…………作るしかねえだろうなあ」

 ネクラが頭をかきながら説明した。

「作るって……そんなことできるの?」

「当たり前だろ、俺を誰だと思ってる」

 フェルナに訊かれ、したり顔で応えるネクラ。

 とりあえずその原料は何なのか。私は待ちきれず、本をのぞき込んで読み上げた。

「ヨク菊の葉とゲンキ草の根……それからドラゴンの爪?」

「葉っぱと根っこは倉庫に備蓄があったはずだ。あとはドラゴンの爪さえあれば、特効薬ができる」

「ドラゴンの爪……」

 漠然と言われてもイメージが全く湧かない。

 十六年生きてこのかた、ドラゴンと呼べそうな生き物といえば、帝国軍の竜騎兵が乗る飛竜くらいしか見たことがないからだ。

 しかも遠目で飛んでいるのを眺めたくらいで間近で見たことはない。

 そもそも飛竜とドラゴンは別の生き物でもある。

 私にとってはドラゴンという存在は生物図鑑に載っている未知の生き物という感覚だ。

「そのドラゴンの爪はどこで手に入るんですか?」

「そりゃあ、ドラゴンから取ってくるんだよ」

 ネクラは本棚から大陸地図を取り出し、食卓の上いっぱいに広げた。私達の住むヨクヴァル大陸の地図を見るのは、中等学校の社会の授業以来だ。

 ネクラは大陸地図の南西の大きなブロックをペンで指し示す。

「ここが、俺達が住んでるアークノー帝国。この家から北にずーっと行くとジョバの民が住む平原がある」

 ネクラがペンを滑らせるように動かし、帝国の北にある区域で止めた。

「そこから西に行く。すると大陸で唯一、野生のドラゴンが生息するドラニノル公国へとたどり着く。ドラゴンの爪が欲しければここに行かなきゃ無理だろうな」

「ジョバとかいうのを通らずに、直接北西に行くのはダメなの?」

 フェルナがスタート地点から北西にまっすぐの線を指で示しながらネクラに訊いた。

「ドラニノル公国は国境沿いを高い山脈に囲まれた国だぞ。まあ、そのおかげで国外に野良ドラゴンが逃げ出さないようになってるんだが。飛竜に乗れるならともかく陸路で登山は無謀だ。唯一、ジョバに面する国境には一つだけ山脈を貫くトンネルがある。だからこのルートじゃないと陸路じゃ厳しいな」

 ドラゴンの爪を手に入れるには、かなりの遠出を覚悟しなければならなさそうだ。

 しかし、自分の身体を取り戻すためには避けては通れぬ旅。


「よし、じゃあ早速ドラニノル公国に向かいましょう!」

「は? 俺は行かねーぞ」

 ネクラの冷たい反応に固まる私。完全に私はネクラの馬車を使う前提で考えていた。

「元はといえばお前のワガママが原因だぞ。準備の手伝いくらいはしてやるが、一緒に行く義理なんてない」

「ケチ! 弟子が可愛そうだと思わないんですか!」

「お前、日頃から散々嫌がっておいてこういう時だけ愛弟子ヅラするんじゃねぇ!」

 チッ……薄情な師匠だ。こういうことなら日頃から愛想を振りまいておくべきだったかもしれない。


 今月はさしたる事件もなく、このまま穏やかに過ぎていくだろうと踏んでいたのだが、考えが甘かった。

 月の約半分が経過してから一気に平和な生活のツケを払わされるように、こんな一大事――と思っているのは私だけのようだが――─に見舞われるとは。

 この家に来るときに持ってきた、大きめのカバンに旅用の道具を入れていく。

 野宿用に寝袋。あると便利だという小さめのナイフ。それから地図と財布と、死霊術を使うための黒ずんだミスリルの小さな珠をいくつか。

 それからネクラが書いたという手紙。これはジョバに住むネクラの知り合いに宛てたものらしい。

 道具のほとんどはネクラが用意してくれたものだ。

 準備の手伝い“だけ”はしてくれるというのは嘘ではなかった。

 思えば、今の私の身体もネクラから借りてるようなものなんだよなぁ。


「国境近くまでなら、馬車で一緒に行ってあげてもいいわよ」

 移動手段を講じていたところで、フェルナが私に話を持ちかけてきた。

「……おいくら万アーク?」

「やぁねー、あんたから金は取らないわよ。あんた金持ってないし」

 金を持っていたら取る気はあったのか。

 金を持っていない、というのは事実だがちょっとムカつく。

 まぁ私の所持金といえばネクラの手伝いの報酬としてちょこちょこ貰ってるお駄賃くらいで、数十万単位のお金を日常的にやり取りしているフェルナから見れば無いに等しいだろうが。

 そのなけなしのお金を全額はたいて、帝都で辻馬車にでも乗り込もうかと考えていたので提案自体は非常にありがたい。

「でも、どうして国境近くまでなの?」

「最近、とある国境近くの村が戦闘に巻き込まれたらしいのよ。それで、復興事業が可能かどうか下見に行くってわけ。ケイを運ぶのはそのついで」

 ついでと言われるのは癪だが、私に何か無理難題を押し付けようとか恩を着せようとかそういう理由じゃなさそうで何より。

 ここは素直に甘えさせてもらおう。


 準備を終えて家から出ると、小さな“普通の”馬車が停まっていた。

 聞けばフェルナがよくチャーターしている馬車らしい。

 黒いシルクハットを被った御者ぎょしゃ(馬車を運転する人)が帽子を外して私に会釈した。

「さあ、乗ってのって!」

 先に乗り込んでいたフェルナに急かされ、私は馬車の荷台に荷物を放り込んで乗った。

「おみやげよろしく~」

「スリや泥棒には気をつけてくださいね」

 見送りに来てくれたスケさんとカクさんが手を振りながら言った。

 一応この二人にも同行を頼んでみたのだが、スケさんはネクラから定期的にエナルグを貰わないといけないためネクラなしの長旅にはついて来れないらしい。

 カクさんはネクラの家の家事全般をやらなくてはならないため家を空けるとネクラが困るということで反対された。

「ケイ、もしも旅先で死んでもスペアボディはまだあるから安心しろー」

 最後にネクラがとんでもないことを言うが、死んでたまるもんか。私は生きてドラゴンの爪を持って帰るんだ。

「さあ、そろそろ出してちょうだい」

「かしこまりました」

 御者が手綱を引っ張ると、馬車が走りだした。

 ネクラの家が少しずつ遠くへと離れていく。

 外観は不気味だが、すっかりあの家にも慣れてしまったものだ。

 初めてあの家を訪れた時はスケさんを見て腰を抜かしたっけかなあ。

 しばらく帰らないと思うと、なんだかノスタルジックな気分になる。


 風を切るように馬車は疾走している。

 過ぎ去っていく風景は、まるで流れの速い河のように目まぐるしくその姿を変えていくようだった。

 私は荷台の後方に置いてある椅子に腰かけ、時折開け放たれた後ろを振り返りながら風景を楽しむ。

 馬車を通り過ぎる空気の流れで私の赤い髪がゆらゆらとなびく。

 ドクンドクン音のない馬車がこんなに快適だったなんて。私はその心地よさで胸がいっぱいだった。

「……ほーんとに、眼の色以外はそのまんまなのねえ」

 向かい側に座って私の顔をじっと見つめていたフェルナが、呟くように言った。

 私はカバンから手鏡を取り出し、自分の眼を改めて見る。

 瞳の色はやっぱり輝くような金色で、瞳孔は前よりも小さく見える。

 ――人工的に生み出された肉体。やはり嫌悪感はある。

 身体を動かすことに関しても違和感は全くない。むしろまっさらな肉体だからか、日頃の疲れというものが残っていない分、元の身体より元気かもしれない。

 とはいえ、この身体の原材料は確か液体に溶かした無数の死体。すごく遠回しだがゾンビのようなものだ。

 そう考えると、なんとしても元の身体を治療しなければ。


 しばらく馬車に揺られつつ、私はふとフェルナが一人で出てきたというのが気になった。

「ねぇフェルナ。元山賊さんたちは連れてこなかったの?」

「連れてくるわけないじゃない」

 何を当たり前のことを、とでも言いたげな人を小馬鹿にしたような態度でフェルナが言い放った。

「あのねぇ、教育したとはいえアイツラは山賊。臭いしブサいし汚いのよ」

 部下である元山賊達に対し、本当とはいえ酷い言いようである。

「もしも下見先の村がそこまでひどくない状態だったと考えてもみなさい。あんな連中を予告無しでゾロゾロと連れて行った日には……もうひどい目にあったわ!」

「……やらかしたんだ?」

「もう最悪よ! その村に駐留していた衛兵に囲まれてた上、槍を向けられて危うく殺されるところだったわ」

 フェルナが話す、彼女にしては珍しい失敗談に私は思わず笑みがこぼれそうになる。

「で、どうやってそのピンチを脱したの?」

 私が身体を前に乗り出して訊くと、フェルナは手のひらを上に向け、親指と人差し指を曲げて丸を作った。

「……穴?」

「賄賂よ、ワ・イ・ロ! 衛兵のリーダー格に札束握らせたら、すぐに納得して解放してくれたわ」

 予想外の方法……いや、フェルナらしいといえばらしい方法かもしれない。常々思うが元王女らしさが皆無だ。

 私も世間体を気にせずに、フェルナのように図太く生きられれば楽なんだろうなあ。


 ゴトン。

「うわっぷ!?」

 話に花を咲かせていた最中、急に馬車が停止した。油断していた私は勢いで座っていた場所から前のめりに転げ落ちてしまった。

「急に止まるなら言いなさいよ!」

「ももも、申し訳ございません!」

 御者が必死にフェルナにペコペコと頭を下げて謝罪する。

「で、何で止まったの? まだ目的地じゃないはずよ」

「それが、野生の狼が街道で倒れておりまして……」

「狼ぃ?」

 怪訝しく、フェルナが荷台から飛び降りて馬車の前に向かった。

 私も気になるのでその後を追う。


「クゥーン……」

 御者の言ったとおり、街道のど真ん中に弱々しく狼が倒れていた。

 やや緑がかかった黒い体毛は、野生にしては毛並みがいいようにも見える。

「どうしよう。この狼、邪魔だしとっととどかす?」

「いやいや、かわいそうでしょ!」

 狼に対し冷たいフェルナに対し私は異議を唱える。

 別段とくに動物が好きというわけではないが、目の前で弱っている動物を問答無用で排除するほど私は人の道を踏み外したくない。

 キュルルル。という妙な音が狼の腹あたりから聞こえてきた。

「お腹、空いてるのかな?」

 私は馬車に戻り、カバンから非常用の干し肉を取り出して狼の前に戻る。手に持っている干し肉を見た途端、狼の目がキラキラと輝いたように見えた。

 恐る恐る、そーっと狼の口元に干し肉を差し出す。

 狼はクンクンと2,3回ほど匂いを嗅いだ後、私の手に口がつかないように慎重にゆっくりと干し肉にかぶりついた。

 私に配慮しているのを見る限り、おとなしい狼なのかもしれない。

 腹が満たされて立ち上がった狼を撫でようと、私は狼の頭に手を伸ばした。

 しかし、狼は私を無視してフェルナに近づき、フェルナの足に擦り寄った。

 ……恩を感じてもくれないのか。私はガックリ肩を落としながら馬車に戻った。

「ちょっと、邪魔よ! どきなさい!」

 外からフェルナが狼にじゃれつかれているのだろうか、それっぽい嫌がる声が聞こえてくる。

 数分くらい、フェルナが馬車のまわりを走り回ったあと飛び乗るように馬車の荷台に滑り込んできた。

「出してっ! 早く!」

「は、はいぃ!」

 勢い良く発進する馬車。

 その後ろをさっきの狼が追いかけてきていたが、馬車の速度にはかなわず、やがて引き離されて見えなくなった。

「ったく、狼なんか助けるからムダに時間を食っちゃったじゃない!」

「でも、かわいそうだったし……」

 私の行為に、フェルナは納得していないようだった。

 恩知らずな狼め。私は心のなかで悪態をついた。

 何で干し肉をあげた私じゃなくてフェルナにじゃれついたんだ。

 顔か、顔がいかんのか!

 確かにフェルナは王族だけあってすごく綺麗な顔をしているし、身体のスタイルもすごくいい。

 対して私は顔も身体も庶民で凡人だ。確かに勝ち目がないとはいえ、狼ごとき畜生に容姿で選ばれなかったと思うと無性に腹が立つ。


「到着しました」

 小さな森の入り口で、馬車が止まった。

「ご苦労様。さあケイ、ここからは歩きよ」

「えっ?」

 私はフェルナの発言を聞いて目を丸くした。

「まさか、タダで馬車に乗せてもらえるだなんて甘い考えはしてないでしょうね」

 言っていることはごもっともである。フェルナが拝金主義に染まっていることを失念していた。

 金は取らないといえど、その分身体で払え――つまり働いてもらうってことだろう。

 恩を踏み倒し、逆らったら何をされるかわからないので私は素直に従うことにした。

 たとえ友人といえど力と金のある存在に喧嘩を売ってもいいことはないのだ。


 フェルナが先導する形で私たちは森を往く。

 馬車が通れないとはいえ、そこまで獣道ということもなく人が歩くには困らない程度の細さの道がずーっと続いている。

 この森の先にフェルナが目指している廃村があるらしい。

 黙々と木々の間を歩いていると、奥から白いローブをまとった人間が歩いてきた。

「あら?」

 その人物――声は女性だった――は私たちの存在に小さく反応し、足を止めた。

「あなたたち、この先に行くの?」

 フードをすっぽりと被っているため、唯一見える女性の口が私たちに尋ねた。

「ええ、そうよ。それが?」

「フフ……引き返したほうがいいわよ。あの村、今ヤバイから」

 小さな笑いを含みながら白いローブの女性はそう言った。

 どうして私達が村を目指していることに気付いたのだろうか。

 それにヤバイってどういうことだろうか。

「ご忠告ありがとう。でもあたしは先に行かないといけないの。

 ここまで来たお金がムダになるからね」

「そう。じゃあくれぐれも気をつけてね」

 そう言って、白いローブの女性は去っていった。

 あの女性の言い方、心からは私達を心配しているようには思えない。

 まあ、見ず知らずの旅人の無事を心から祈るような人がそこまでいるかというと甚だ微妙ではあるが。


 女性と別れてからしばらく進むと、視界が開けていくつか建物が見えてきた。

 ここが目的地の廃村のようだ。

「変ねえ……」

 村の外観を見て、フェルナがポツリと言った。

「何が?」

「廃村になったにしては、建物が綺麗すぎるわ」

 確かに。戦いに巻き込まれたり、山賊に襲われたのなら多少なり壁や扉が壊されたり荒らされたりしているはずだ。

 しかし私達の前に広がる村の姿は、まるである時から住民が一斉に消えってしまったような、そんな不自然さを感じる。

 それに、人の気配が全くしない。いったいなにが起こったのだろうか。

 私は村の中央にある枯れた噴水に腰掛け、辺りを見回した。

 噴水の前には村の規模に対しては大きい教会があった。

 教会の扉の上にはすすけたステンドグラスが怪しげな輝きを放っている。

「不気味ね……、こういう雰囲気苦手なのよ」

 異常な村の状態に、フェルナが言った。

 怖いもの知らずに見えるフェルナも、ホラーなシチュエーションは苦手なようだ。

 私はネクラの家にいたからか、感覚が麻痺していてあまり怖さは感じない。

「少なくとも、こんなに建物が綺麗に残っているのならあたしの仕事はなさそうね。

 早く馬車のところまで戻りま――」

 そこまで言いかけて、フェルナの表情が固まった。

「どうしたの?」

「ケ、ケイ……あれ……!」

 フェルナが震えた手で指差した先に私は視線を向ける。

 建物の影からヒタ、ヒタと湿ったような音を立てながら人影が歩いてきていた。

 よく目を凝らすと……人影の身体は腐っており変色している。

「ぞ、ゾンビだぁぁ!!」

 フェルナが震え上がり、叫んだ。

 見回すと、ゾンビは私達を囲むようにジリジリと近づいてきている。

 これが、あの女性が言っていた『ヤバイ』なのだろうか。

「ガァァァ!」

「しまっ……!?」

 いつの間にかすぐ後ろまで迫ってきたゾンビが唸り声を上げながら両手をあげていた。手の先には鋭い爪が見える。

「危ないっ!!」

 聞き覚えのない男の声が耳に入ったと同時に、ゾンビが横に倒れた。

 倒れたゾンビの背後には、フェルナと同い年くらいに見える少年が剣を持って立っていた。

「外は危険だ。えーと……教会に逃げ込もう!」

 少年はそう言って、私の手を強く引っ張った。引っ張られるままに、私は大きな教会に入る。後を追うようにしてフェルナも教会に滑り込み、扉の錠を降ろした。

 ドン、ドンとゾンビが扉を叩く音が聞こえるが、ゾンビの力が足りないのか扉が丈夫なのか定かではないが、しばらくは破られる心配はなさそうだ。


「おやおや。あなた達はいけない人ですね」

 安心し胸を撫で下ろそうかとした矢先、教会の奥から声が聞こえてきた。

 声のする方を見ると壁際の壇上に一人、神父のような格好をした男が立っていた。

「その言い草……お前があのゾンビを操っているのか!」

 少年が剣を構え、神父に凄む。しかし神父の視線は少年ではなく、私に向けられている。

「金色の瞳……神の意に反した存在だ。生かしてはいけない」

 私の目のことを言っているのだろうか?

 神の意に反した、というのはホムンクルスの事を言っているのか?

 なんにせよ敵意があるのは間違いはなさそうだ。私たちは戦闘態勢を取る。

「神の下僕達よ、彼らの魂を解放してあげなさい」

 神父が手を振り上げ、降ろすと同時に上から人影が2人降りてきた。

 ゾンビかと思ったが、ぜんぜん違う。

背中から2対の羽を生やした兵士風の格好をした男たちだ。

 その手には白い剣がにぎられている。

「天使……?」

 フェルナが羽の生えた男たちを見て言った。

 確かに、この男たちは物語とかに出てくる天使に見えなくもない。

「油断するな、来るぞ!」

 少年がそう言うと同時に二人の天使は翼を広げ剣を振り上げながら飛びかかってきた。

 私はプロテクトで剣を防御し、フェルナは持っていた鉄の槍を横にして剣を受け止める。

「あの神父さえ倒せば!」

 少年はそう叫びながら教会の中央の道を走り、一気に神父へと距離を詰める。

 神父は少年を近づかせまいと雷属性の黒魔法を放つが、少年はそれをジャンプでかわし、神父の前の机に着地した。

 すごい身のこなしだ。と見とれている場合ではない。

 天使が飛び上がり、プロテクトの範囲を回りこむようにして攻撃を仕掛けてきた。

 プロテクトの耐久も凌ぎきれなさそうなので、一旦中断して前に飛び込むように私は剣撃をかわした。

 外した天使の剣は教会のイスに当たったようで、バキバキとイスを破壊する音が聞こえてくる。

 ひえー! あんなの喰らったらおしまいだ!

 フェルナの方を見ると、天使の剣攻撃を手に持った槍でうまくいなしている。

 戦闘スキルは私より遥かにフェルナのほうが高いが、それでもあの天使と同等なのか。

 私はプロテクトを再び張り、天使の攻撃に備える。

 バサッという羽音が聞こえたので、その方向にプロテクトを向けるとちょうど天使が剣を振り下ろそうとしているところだったようだ。ガキンという音とともに剣がプロテクトに止められる。

 隙があればプロテクトドリルで反撃できるのだが……。

 私は剣を受け止めたまま、プロテクトごしに少年の方を見た。

 少年は神父に対し剣を振るうが、神父は無言のまま剣を受けている。

「なんで死なねえんだ……!?」

「フフ、フ……私は神に選ばれた存在なのです」

「わけのわからないことを!」

 再び少年が神父を斬るが、神父はまるで剣が効いていないかのように平然としている。


 待てよ……天使の存在はさておき、どうしてゾンビしかいない村で一人神父がいるのだろうか。

 それに、神父の姿をしておきながら神聖魔法を使わないのも妙だ。

 私はここで、ひとつの仮説を立てた。

 もしかしてあの神父は……!


 私は天使の攻撃をプロテクトで受け止めるのではなく回避し、一直線に神父の元へと走りだした。

 私の仮説が正しければ、神父は剣では倒せない。

「おい、お前……後ろ! ちっ!」

 少年が舌打ちをしながら私とすれ違うように走り、私を追っていた天使に斬りかかっていった。

 私が策を見出したのを察してくれたのだろうか、それとも無鉄砲なやつだと思ったのか。

 定かではないが、今はありがたい。

 私は壇を駆け上がり、神父に肉薄する。

 神父は何度も切られたからか、表情こそ苦しさは感じられないがそのボロボロの身体はふらついている。

 私は仮設が正しいかどうか証明するため、呪文を唱えた。

「生命無き骸よ、汝の真の姿へ帰せよ、『エクソ』!」

 私から魔力が放たれ、神父に命中する。

「ぐ……ぐああ……!?」

 すると神父は苦しみだし、手の先から肉が剥がれ落ち骨が露出していく。

 やっぱり、この神父はアンデットだ。

 アンデットは神聖魔法と対をなす死霊術によって生まれた存在。そのため、自身の弱点である神聖魔法を使うことができないのだ。

 私は苦しむ神父に対し、『エクソ』をひたすら連射する。

 『エクソ』は弱い死霊術にしか効かない解呪魔法であるが、短時間に何度も撃ちこめば効果を強めることができる。


 何発の『エクソ』を放っただろうか。神父は身体が崩れ、完全に骨になり動かなくなった。

「待ちやがれ、逃げるのか!」

 神父がやられたのを察したのか、天使は少年の叫びに耳を傾けること無く翼を広げ、ニ階の窓から飛び去っていった。

 広い教会の中を、沈黙が包み込む。

「たす……かった……?」

 フェルナが座り込んで、呟いた。


 いつの間にかゾンビが叩く音のしなくなった教会の扉を、私たちは慎重に押し開ける。

 扉の前には、あのゾンビたちのものだったのだろうか、人骨が無数に散らばっていた。

 おそらく、あの神父はゾンビたちの司令塔だったのだろう。

 神父が倒れたことで、ゾンビたちは目的を失いここで朽ち果てた……。

 今の私に想像できるのは、それくらいだった。

「ありがとう、おかげで助かったわ」

 フェルナが少年に向けて言った。

 美人のフェルナにお礼を言われたからか、少年は嬉しそうに鼻の下を伸ばしている。

「お、俺……ギースっていうんだ! 君は?」

「あたしはフェルナ、こっちはケイ」

 フェイに紹介され私は軽く頭を下げるが、ギースは全く目もくれずフェルナの顔を見続けている。

「っと、もうこんな時間か。それじゃあな、フェルナちゃん! また会いたいぜ!」

 ギースはフェルナに手を振り、急ぐように村の外へと走っていった。

 あいつはいったい何だったんだろうか。

 颯爽と現れて私達を助けてくれたが、いつからこの村にいたのか、なぜいいタイミングで駆けつけてくれたのか。

 謎は多いが、尋ねる相手はもういない。


 結局私は最後まで無視か。哀しいなあ。

「それにしても、何だったのかしらね」

 フェルナが教会を見上げて言った。

 確かに、助かったとはいえ今日のこのゾンビ騒動は不可解なところが多い。

 なぜ村人はゾンビになったのか。

 アンデットとなりゾンビを率いていた神父。

 襲いかかってきた天使のような姿の男たち。

 神父と天使、結びつけるとしたら『神』という存在が浮かび上がるが、だから何だというのだろうか。

 それに、村に来る途中ですれ違った白ローブの女性の存在も気になる。 なぜ、これだけの大事になっていると知っていながら『ヤバイ』の一言で追い返そうとしたのか。

 しばらく二人で考えたが、答えは出なかった。

 うーん、今日の事件は謎だらけだ。


「じゃあ、あたしが連れてこれるのはここまでね」

 アークノーとジョバの国境付近でフェルナが言った。

 あの後、私たちは森を出て馬車に戻り、そのまま国境近くまで揺られてきた。

 馬車で国境を超えるのはいろいろと面倒らしいので、流石にジョバまでは乗せてもらえないらしい。

「今日は手伝ってくれてありがとう。ドラゴンの爪、手に入れられるといいわね」

 親指を立てながらそう言って馬車に乗り帰っていくフェルナを、私は手を振って見送った。

 そして身体を反対に向け、目の前に広がる草原を見据える。

 この先が草原の大地、ジョバ。

 ここからは一人旅だ。

 私は勇気を出して、国境を踏み越えた。

 ドラゴンの爪を求める旅は、片道分だけでもまだ3分の1だ。

 私は手鏡で自分の金色の瞳を見つめ、必ず元の身体を取り戻すと意気込み、広大な草原へと駆け出した。

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