第36話 冬ごもり

 意外なことに、完全な暗闇ではなかった。

 うすぼんやりと、灰の色が浮かんで見える。

 光源はどこだろう?

 私は両手を前に突き出して恐る恐る足を運ぶ。

 足場は悪かった。ごつごつとしたものを足裏に感じながら、転ばぬように注意を払う。

 広くはないだろうと高を括っていたのだが、なかなか行き止まりに到達しない。壁を求めて私の両手はゆらゆらと虚空をかき回し続ける。

 焦れてきた。

 ここから出ようという意思はない。ただ、しばらく過ごすことになるこの場のことが知りたいだけなのに。

 私の手は何の情報も拾わない。私の目はこの場を観測しない。

 音も匂いも味も、特に無いしその情報では私の知りたいことはわからない。わからないが、目と手が使い物になっていない今、頼れるのは耳くらいのものだった。

 私は声を上げてみた。高い声、低い声、笑い声、怒鳴り声。

 声は跳ね返り反響し増幅し、届いた。

 それは犬だった。

 犬は耳がいい。高く低く波のように響く音の正体にもすぐに気が付いた。

 しかし、犬は音の出所に顔を向けるのみで何の行動も起こさない。不思議そうな、困惑するような様子で小さく呟くように一つ鳴いて、どこかへ行ってしまう。もちろん私は、そんなことには気が付かない。


 私は自分の声の洪水に飽きてしまい、黙り込んだ。

 再び訪れた静寂をぼんやりと堪能していたけれども、ふと思いついてしゃがみ込む。

 足元をそろりと撫でると、手のひらに収まるサイズの固い何かに触れ——おそらく石、を拾い、思いっきり投げてみた。

 石は私の手を離れ、宙を高く舞い、壁に当たってコツンと泣く。落下して地面に当たりもう一度コツンと泣いて、石は動かなくなる。

 私は二度の音がした方角と距離を頭の中でイメージしてから、また石を拾って投げる。拾う、投げる。拾う、投げる。

 何回目かの投石で、石は泣かなくなった。

 理由のわからない私はじっと耳を澄まし続けるが、石は壁に当たらず穴に入り込み、閉じた空間から脱出して、たまたま昼寝していた猫に当たったのだった。

 猫はチラリと飛んできた石に視線を走らせ、迷惑そうに尻尾を揺らして起き上がる。

 大あくびをして顔を洗い、石に邪魔されず快適に昼寝が出来る場所を求めて歩き去った。

 それらすべてを、鳥が屋根の上から見つめている。


 鳥は人間の子どもが冬ごもりしたのを見た。

 犬がフラフラとしているのも見たし、猫が不機嫌に去って行くのも見た。

 もうすぐ雨が降りそうな気配も見ている。そして、冬ごもりした人間の子どもが雨水に溺れてしまうのも見えている。あの空間はそう広くはないから、雨が降り出せば、あっという間に水没してしまうだろう。それは犬も猫も鳥も、みんなが知っていることだ。あの人間の子どもを除いては、みんな知っている。

 鳥は仲間に雨がくると知らせるため、大きく鋭く鳴いた。


 鳥の鳴き声は、澄ませていた私の耳にも届いた。

 私はいよいよ冬ごもりが始まるのだと、浮足立った。

 

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