第37話 闇鍋

「アルミスタン羊って知ってる?」

 小さく切った肉を叩きながら彼女が言う。

「アル……何?」

「アルミスタン羊」

 だん、だん、だん。

 規則的に包丁を上下させる彼女は無表情だ。

「さあ……食用羊のブランド名とか?」

 ちらと、台所からこちらに視線を向けてきた。

 なんだろう。待ってて、と言ったのは彼女の方だが、何か手伝ってほしいことでもあるのだろうか。

「ニュース、みてる?」

 一人暮らし用の小さなテレビからは、行方不明の女性についての情報が垂れ流されていた。割とこの近所に住んでいる人らしい。

「いや、みてないよ」

 スマホをヒラヒラさせながら返答すると、彼女は視線を肉に戻した。

「じゃ、消すかチャンネル変えて」

 彼女の言葉に従って、テレビを消す。

 代わりに適当な曲を流して、スマホをいじりながら彼女が夕飯を完成させるのを待つ。


「好きなの? チェンソーマン」

「ん? ああ、まあ」

 コタツに置いた鍋敷きの上に熱々の鍋を乗せる彼女。

 努力、未来、A Beautiful Star。

 ほわりと、食欲をそそる優しい香りが部屋に充満する。

「あれ、結構グロイでしょ?」

 茶碗に盛った白米と箸を俺の前に置き、彼女は空の椀に鍋の中身をバランスよく入れていく。

「あー、まあ確かに」

 白菜、シイタケ、ニンジン、エノキ……。

「グロイの平気なんだ?」

「いや、まあグロイって言っても、あれアニメだし」

 ツミレ、ツミレ、ツミレ、ツミレ……。

「でも、人を食べたりとか」

「うん? まあ、人を食べる悪魔もいたか……?」

「平気なんだ?」

「まあ、そうゆうアニメだし」

 差し出された椀には、野菜よりも彼女お手製のツミレがたくさん入っている。

「お、今日もうまそう」

「たんと召し上がれ」


 彼女の前にはご飯も鍋の中身も箸すら置いていない。

 いつものことだけど、俺は一応尋ねる。

「食べないの?」

「うん」

「お腹空いてない?」

「空いてないというか、これはあなたの分だから」

「いやいや、材料買ってきて調理したのお前だろ? 一緒に食おうよ」

「私は鍋の気分じゃないの。あなたが全部食べて」

 これ以上食い下がっても無駄なのは経験上知っている。彼女が機嫌を悪くする前に潔く引くことにした。

「いつも悪いな。助かってるよ」

「いいえ、私も助かってる」

 彼女はにっこりと笑う。

 滅多に表情を変えない彼女だが、俺が彼女の料理を食べている時だけはなぜか笑顔になる。

「おいしい?」

「もちろん。特にこのツミレは絶品だな。鶏肉……ではないよね、これ」

「違うよ」

 言いながら、帰り支度を始める。

 彼女はいつも、作った料理を俺が食べるのを見ると、用事は済んだとばかりにさっさと帰ってしまう。

「何肉? 牛?」

 少しでも引き止められないかと質問を投げてみる。

 靴をはきながら彼女は少し考えるそぶりを見せて、笑った。

「……あえて言うなら、メス豚かな」

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