第18話 神隠し

「あの、すみません」


 とても気分が良かったから。

 青空の下、私はのんびり歩いていた。

 ゆうらりとしっぽを揺らして、私の前を猫も歩いて行く。


「ちょっといいですか? あの、これ……」


 時々思うのだけれど、私がいままで歩いてきた道のほとんどは、私ではない誰が歩いてきた道であって、それはつまり私のための道ではなかった、ということなのかもしれない。

 そんな風に考えると、ではあの日見かけた猫のしっぽだって、揺れるたびに二本あるように見えたのは錯覚ではなかったのかもしれない、なんて脈絡なく思ってしまう。

 だったら、あの時とても気分が良かったのも、実は都合の悪い現実を見ないようにするための、ただの誤魔化しだったりするのかもしれない、なんて。


「これって、一体なんの行列なんですか?」


 取り返しがつかないと思ったのは確かだ。どこかへ行ってしまいたいと願いながら、どこへ行くこともできないと確信しながらフラフラとしていた、ような気がする。そこへ、見知らぬ道へ入っていく猫を見かけた。だから、何も考えず、考えられずになんとなく後を追っていた。


「違うんです」


 やりたいことが、他にいくらでもあったはずだった。行きたいところが、見たいものが、知りたいことが、私にはたくさんあった、はずだった。

 だけど今更そんなことを言っても、もう遅い。もう取り返しのつかないところまで来てしまったのだから。もう、それらがなんだったのかさえ、思い出せないのだから。


 一体いつから、私はこんなことになってしまっていたんだろう?


 右も左も、見渡す限り太い木々の幹ばかり。

 前と後ろには延々と並ぶ、行列の人、人。……本当に、人間?

 上にはさわやかな青空が。下にはふかふかの腐葉土が。

「私、違うんです」

 声が聞こえる。

 私の声が、違うんですと言うのが聞こえる。

 それから、間延びした猫の鳴き声も。

「私、別に並んでるわけじゃなくて……」

 前が進む。後ろも進む。押し出されるようにして、私も進む。

 

 道はあった。あったはずだった。何かしらの道が。

 ただひたすらに周囲に流され押し出されてさえいなければ、きっと別の道を見つけられたはずだった。取り返しは、いくらでもついたはずだったのに。


「すみません、ここ、どこなんですか?」


 空の色が刻々と変化する。

 青、赤、黒。朝焼け、青空、夕焼け、夜空。

 行列は果てなく続いている。

「抜けさせてください」

 声を張ると木霊が生まれた。

 抜けさせてください、ぬけさせてください、ヌケサセテクダサイ……。

 木々の間を、私の声が虚しく通り抜けていく。

「私、帰りますから。帰りたいんです」

 もう一度声を張ると、今度は嘲笑が生まれた。

 帰る? かえる? カエリタイ?

 ――どうせまた、こことは違う行列の中に入り込むだけに決まっているのに?

 三度目に声を張ろうとして、はたと、その必要がないことに気がつく。

 あちこちから聞こえてくる声は、そのどれもがまるっきり私の声だったから。


「私は……」


 どこまでもどこまでも果てなく続く行列。

 絶え間なく問い掛けてくる声、声。私の、声。

 カエリタイノ? ヌケタイノ?

 ――この行列が行き着く先も知らないのに?


「わ、ワタシ、ハ……」


 空の色が刻々と変化する。

 青、赤、黒。赤、青、赤、黒……。



 間延びした猫の鳴き声が聞こえた。


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