第17話 ポケットの中の浮気
ポケットの中にはいつでも三つ小瓶が入っていて、それは夫と彼と私だった。
本物の夫はあまり喋らない。
だからかわりに私がたくさん喋る。
すると夫はますます喋らなくなる。
ただ、穏やかに微笑んで私の話に耳を傾けてくれる。
いい人だと思った。でも、いい人過ぎる、とも思った。何を考えているのかわからないし、実は何も考えていないのかもしれない、とも思った。
本物の彼はいつも何かに急かされている。
だから、日々平凡にすごす私を見ると、心底嫌そうな顔をする。
しかし関係を終わらせようという気はないようだった。
毎回必ず、夫の出張中にいきなり家にやって来て、大急ぎで交わって、湿った笑顔を残して帰っていく。
最初の小瓶は彼で、全くもってそんなつもりではなかったのだ。
ただ、彼も夫もいないときの時間つぶしに、こっそりと持っていた彼の一部を小瓶に入れ、どうでもいいことを話しかけていただけで。
彼の一部は小瓶の中で徐々に人の形になり、いつの間にかすっかり彼のミニチュアになってしまった。
小さな彼は、ガラスの中から私を見つけると、微笑む。
本物の彼だったら、絶対にこんな無防備な笑顔を見せたりはしなかった。
二つ目の小瓶は夫で、はじめからそのつもりだった。
彼同様に夫の一部を小瓶に入れて話しかけ続け、夫のミニチュアをつくり上げた。
小さな夫は、熱心に、必死になって何かをまくし立てている。声が小さくて何を言っているのかはわからないけれど、とても大切なことを言っているのかもしれない。それとも案外、たいしたことは言っていないのかもしれない。どうでもよかった。とにかく夫が喋っている、というそれだけでよかった。
三つ目の小瓶は私で、なぜこんなことをしたのかよくわからない。
私の一部を入れた小瓶を二つの小瓶と一緒にポケットに入れ、持ち歩いた。話しかけることはしない。ポケットからも殆ど出さない。
小瓶の中で私の一部は、私の姿にはならずに光の玉に変化していた。
ふわふわと浮かぶ小さな光は、見ていて落ち着かない気分になる。そのくせ、時々無性に眺めたくなった。
思うに、浮気とは、ポケットの中にあるのではないだろうか。
あたたかな笑みをたたえる彼。
何事かを語りかけてくる夫。
どことなく存在感の強い光の玉。
私は満ち足りていた。本物の彼らや私なんかよりも、ポケットの中の彼と夫と私の方が断然愛おしかった。
一つずつ、小瓶をそっとポケットから取り出して、蓋を開ける。
彼も夫も戸惑ったように、ぽかんと穴の開いた頭上を見上げていたけれど、光の玉だけはどうするべきかわかっているようだ。
気後れする様子もなくふわりとガラスの世界から脱出して、まずは夫の小瓶に入り込む。
夫は突然の侵入者に、顔を真っ赤にして抗議した。光は夫の怒りになど頓着せず、いっそう激しく輝き、すっかりミニチュアの夫を飲み込む。
そして迷うことなく、ふわりと次は彼の小瓶へ。
彼は意味不明な物体を前にして、真っ青になり震えている。光は彼の怯えにも全く反応せず、ますます強く発光して、彼も飲み込んだ。
ぴかぴかと陽気に輝く光。
ゆるりと浮かび上がり、最後には私を光の中へと引きずり込んでから、元のようにポケットの中へと潜り込んで、それっきりだ。
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