第六章 栗塚重蔵

「このまま押せば勝てるな」

 午前八時。戦場に蔓延していた死の風の細菌が全滅した事を確認すると時間前だが栗塚は兵を出撃させた。巨象、ガーネシアンが先頭を走り、それに続いて天宮陸亀も動き出す。

「これより我々は大魔皇帝ユリウス・ルシフェルを撃ち、そのまま帝国に攻め入る」

 共和国内にはもう人語を理解できる人間はほとんどいなかった。数十名の研究員と優秀な兵、および適合者を除いて全員が完全な人型海魔族として覚醒していた。

 海魔族の最大の特徴は一世代で進化が可能な点である。同時に何もしないと一世代で退化する。食料を変えるだけで進化が行われる生物なので餌に人間を使えば人間のような個体が生まれるのは当然の事だ。なぜ魔族も等しく人のように二足歩行で歩き、言葉を理解する脳を有し、発展する社会を形成できるのか。理由は簡単である。二足歩行になると言うところが進化の終着点だからである。生物として顎ではなく腕力で戦う事を覚え、学ぶ脳を有する事は生物として力と頭脳の行きつく終着点である。

 しかし、海魔族は形状だけ真似る事が多いため脳までの進化を促すには数百年という時間がかかる。今回栗塚が行ったのは数日の進化であるため脳はスッカラカンだった。しかしそれを補う術を栗塚は持っている。

 アスタリスクコントローラー。

 搭載した生物は五感を共有し場所を認識し、ネットワークを構成して効率よく動く。その制御は天宮陸亀の都市で栗塚が行えばよい。

 最終日前までは様子見程度で使っていたが、零賢の使った蒸気機関車もとい換装可能な万能蒸気車両のせいで栗塚の予定は大幅に狂っていた。ガーネシアンは最初の七割にまで数を落とし、海魔族に至っては二日目で三割焼かれた。前々から追加投入分を輸送していなかったら戦争に勝ってはいたがこの日にドーラを攻め落とす事が出来なかった可能性が高い。

ガーネシアンと海魔兵は完全にアスタリスクコントローラーの配下に置き完全な体制で最終日に臨んだ。

「れいけえええええん」

 鎖をがしゃんがしゃんと引きずりなんとか外に出ようとする友里を見て栗塚はどうしようもないな、とあきれた。

 本来なら友里を含めた完成個体三体を使ってユリウスを討つつもりでいた。ユリウスの力は最盛期よりも格段に落ちている。魔族は人間よりも丈夫な体構造を持っている。それでも死ぬ場合がある。それは臓器の破壊だ。大量の臓器を一瞬で破壊する。不死の大魔皇帝、ユリウスにもその常識は当然適応される。ただ、破壊する量が多いだけである。栗塚が開発した一発あればガーネシアンですら焼き肉になる威力の魔徹甲榴弾を搭載した『四十一センチ単式短轟砲』。これを使う事で理論上、体内からであれば五発も打ち込めばユリウスの体内はズタズタになってしまう。外殻を壊すのは友里ともう一人の適合者の刀使いに任せる予定だったが友里が完全に零賢というほぼどうでもいい一個人に向いてしまったのが多少問題ではあった。

 しかし、昨日の実戦データを見る限り、先に友里一人を突っ走らせて死ぬまで暴れさせれば魔王軍が半壊する以上のダメージを負わせれる可能性が出てきた。

 これならば魔王軍とユリウスの眼が完全に友里に向いている間に攻め込むことが出来る。

「そんなに出たいか。春風友里」

「れいけんがああああああああ、向こう側にいるのにいいいいい」

 春風友里が吠えている方向とドーラの方向、天宮陸亀の進行方向は一致している。つまりそこに刑部零賢がいるとみて間違いは無いと栗塚は踏んだ。

「くれぐれも、捕まるなよ」

 栗塚は鎖を開放した。それと同時に友里は飾られていた鎧を背中の触手で掴みながら器用に着こなし、槍を掴むと外壁を破壊して飛び出した。

「れいけえええええええええん! まっててねえええええええええ」

「……頼むから、壁は壊さないでくれ」

 外の砂嵐を全身で浴びながら栗塚は友里を見送ってマーリンの研究室に戻った。


「ユリウス様。来マシタネ。ケケケケ」

 魔王の制服を着た零賢。彼はドーラの前に一人で仁王立ちして友里を待っていた。

「れいけえええええんあいにきたよおおおおおおお」

 愛する人を貫くほどの狂気と火力を備えた速さで友里は槍を構えて零賢に、その背後にあるドーラに突っ込んできた。

 鎧を着て突っ込んでくる狂気の塊に、零賢は堂々と構えて気味悪いほどの笑みを浮かべた。

「イヤア。馬鹿正直ニ来テクレルトトテモ助カル」

 零賢は魔法障壁を何十にも展開した。その一枚一枚がバリバリと薄氷でも割るように突破されるがその障壁のかけらは友里にまとわりついて次第に動けなくなった。

「れいけええええええええん。いま、今会いに行く、からあああああ」

 それでも尚無理やり体を動かそうとする友里を見て零賢は嘲笑した。

「飽キレルネ。君ノ執念ニハ」

 零賢は前方百メートル地点で止まった友里に対して自分の背後に魔方陣を大量展開してそこからグスタフほどの太さを持つ真っ赤なビームを何十本も発車した。三秒後、ビームが止むとそこに友里の姿は無かった。

「全ク。器用ナ事ヲヤルネ」

 ビームで周囲の魔方陣のかけらを粉砕されて動けるようになった友里はたったコンマ数秒の間に脱出して零賢の直上にまで来ていた。そのまま自由落下の速度と鎧に着いたブースターの力を合わせて零賢の頭頂部めがけて槍を突き下ろす。

「デモ、マダマダダネ」

 槍は空中で止められてそれに伴い友里の動きも止まった。

「お前誰だ! 零賢じゃないな! でも、匂いは零賢……お前が零賢を殺してその肉を被ってるのか!」

「オオ! 発想ガ恐ロシイヨ。全ク。完璧ナ変化。コレハ僕ノ魔法ダ」

 空中で友里をからめとったまま零賢は右手の人差し指を友里に向けた。

「ボクハあばろにあ帝国四天王、源十郎ダ。死ナナイ程度ニ殺セト言ワレテイルカラネ。悪ク思ワナイデクレ」

 零賢、もとい零賢そっくりの源十郎の指先から細いビームが発射され、友里の右腕を肩から破壊した。

「くっそおおおおおおお」

 友里の背中からは鎧をぶちやぶって海魔族の触手が現れた。焼きつぶされた右肩からからも、袋を破られて中から飛び出るイカのように海魔族の触手が生えてくる。触手は源十郎の拘束を受けていないらしく、弾丸のように一直線に源十郎を殺すためだけに伸びてきた。

「コレハ面白ソウダナ」

 全ての触手を魔方陣で捌き、一歩も動かないでそこに立つ源十郎に友里は初めて危機感を覚えた。

「お前を殺して零賢を探しに行く。そのよくわからない零賢もどきの外皮もはがして食べてやる」

「オオ、怖イ恐イ」

 口では怖いと言いながら源十郎は真新しいおもちゃを手に入れた子供のように満面の笑みを浮かべていた。

 その頃、本物の零賢達は戦場からはるか上空にいた。完全に蟲の姿になったジョージが布でぐるぐる巻きになったアルテンシアとジョージを掴んでドーラから飛び上がり、午前六時からずっと空中で待機していた。砂嵐の届かない上空千五百メートル。そこに吹く風に乗りながらゆっくりと移動を開始し、グスタフよりものんびりした速度で移動して二時間。目標が見えてきた。

「今から天宮陸亀に上陸するぞ」

「はい」

「わかりました」

 この戦場の砂嵐の中を唯一飛ぶことのできるジョージと彼が率いる甲虫魔族の航空部隊は再度砂嵐の中へと突入した。天宮陸亀は予想地点よりはるか前方に動いていたため、戦場へ急降下してからは向きを変えて天宮陸亀の背後へ追いつく形になった。動きこそ愚鈍だが巨大な体を持つため、移動速度は意外と早い。アルテンシアが魔法で零賢のマントの持つステルスの範囲と性能を上げて魔力感知にも引っかからず、目にも見えない状態で天宮陸亀の甲羅の上の都市に降り立った。

「ひ、ひどいフライトだった……」

 口の中の水分を全て奪われて死にそうになっていた零賢は、アルテンシアから水の入った革袋を受取り、ごくごくと飲んだ。

「まあ、慣れてなきゃそうなるな」

 敵陣に入り臨戦態勢を解かないジョージは、最も戦闘に適した形状である虫人形態になっていた。全身を甲虫の甲羅のような硬い皮膚で守り、純粋な攻撃力を上げる形態。これでなんとか友里クラスの改造人間が現れても戦うことが出来る。

「ジョージさん。アルテンシアさん。今から、栗塚重蔵を討ちます」

 零賢は見ていた。友里の頭部に付けられた銀色の機械を。ガーネシアンの頭部にちょこんとついた銀色の機械を。刺客たちが頭部に付けていた銀色の機械を。

 零賢は知っていた。頭部に着ける銀色の機械の正体を。

 零賢は熟知していた。その機械の事を。

「共和国軍兵士が共通してつけている装備品にアスタリスクコントローラーという物があります。これは互いの五感を共有して司令塔が指示を出したように生物を動かすことが出来る代物です」

 前日、二日目の夜に零賢はユリウスの玉座で一対一でユリウスに向かい合い、話をしていた。

「続けたまえ」

 ユリウスは興味津々に零賢を見て、話を聞いていた。

「これは我々の世界で、マーリンの後継者事である栗塚重蔵の発明品です。論文も出されていて僕はそのことを熟知しています。また、魔王軍の弱点である死の風の発生源も栗塚であると推測されます」

「そのことで、余は一つ疑問に思っておる。以前、マーリンは死の風を発動させて死んだ。しかし偵察部隊の話では共和国軍は健在である。それに決死の攻撃ならば使うタイミングが違う。危機的状態で使うべきだ。今回、連中は優位な状態で魔王軍が不利な状態で使い全滅させようという魂胆が見えておる」

「それについてですが、僕は死の風に使用制限がなくなった、と考えています」

 ユリウスは目を閉じて「やはりな」と呟いた。

「栗塚は四十年前から共和国に入り、死神という名前で帝国に戦いを挑んできていました。過去四十年間では使えなかったが今では連発して使用できる技術が確立されたと見ていいと思います」

 当時の零賢はそこまで考えていなかった。ただ単に、ユリウスの不安をあおり、共和国の本拠地である天宮陸亀に上陸する事だけを考えていた。

 友里を無事に回収するのは無理があると知っていた。もうあそこまで暴走していれば零賢の声など届かないどころか声が聞こえただけで襲って文字通り食べられる危険性まである。しかし友里はジョージと殴り合って臓物を引き抜かれても生きているほどの強靭な肉体を手に入れているという。

 今必要な事は、戦争に勝った上で友里の身体を元に戻して日本に帰る事とゲートを塞ぐ事だけだった。そのためには元凶でもあり全てを知る栗塚に会う必要がある。そのために零賢の頭はフルパワーで回っていた。

「加えて栗塚はこう言っていました。この戦争で帝国を落とすと。つまり、戦争を終えた後の事まで見越している。初日は様子見、二日目は実機投入でどこまで戦えるかのデータ収集。最終日はルールなんてぶっ壊して全力で攻めてくるはずです」

「そして、そなたはどう動くのだ?」

「……ジョージさんとアルテンシアさん、そして僕の三人で共和国の移動都市天宮陸亀に乗り込んで奇襲を仕掛けたいと思っています。奇襲を行い、死の風の発生を止めて、アスタリスクコントローラーの大本を破壊して共和国軍を無効化してきます。そしてその間お願いがあるのですが……」

「申してみよ」

「友里は僕を狙ってきますが僕が安全に奇襲をするためにルシフェル様、どうにかしてダミーを作ってドーラに置いていてください」

 むちゃくちゃな要求をしたが、ユリウスは要求を呑み、最強の魔法使い、マーリンの再来ともいわれた元召喚魔王、元四天王の源十郎が零賢の代わりとして戦う事になった。

 それに伴いドーラに源十郎の魔王軍も召喚していつでも戦えるような体制を作った。源十郎の兵は使い捨てのホムンクルス兵が数万と源十郎を筆頭に五百人のエリート魔法使いの集団である。そもそも源十郎の魔王軍をフリーにしていたユリウスは当初の予定からいつでも死の風さえ無効化できれば共和国軍を滅ぼす算段があったらしい。

 現在、歩き続ける天宮陸亀に上陸した零賢達三人はその巨大さに驚かされていた。ドーラも巨大だが、背にドーラを丸ごと乗せたような巨大な都市と摩天楼が広がっていた。つまり天宮陸亀も含めた大きさで言えばこちらの方がドーラよりも一回り大きい。

「おい、レーケン。これのどこを探すんだ?」

 ジョージは冷えをかきながら全体を見渡した。

「それはアルテンシアさんが探し出してくれます」

 魔力感知。これほど広い都市でも探す対象はただ一人。脅威的な魔法使い、マーリンの遺産を手に入れてマーリン並みの魔法使いになった栗塚だ。膨大な魔力を持っているに違いないと零賢は踏んでいた。

「……レーケン様。非常に申し訳ないのですが、巨大な魔力反応は見当たりません」

 零賢は今までにないほど口をあんぐりと開けて絶望した。頼りにしていた物が、ない。予想が大幅に外れて立ち直れないほどのショックを受けた。自信満々に『奇襲を成功させます』と言っておいて、肝心の心臓部分を見つけれないどころか迷子直行コースまであるのは非常にまずい。生きて日本に帰れないという話までありそうだった。だが、アルテンシアはその程度で終わる程度の女ではなかった。

「……しかし妙です。ほとんど魔力反応がなくて一か所に集中しています。これじゃあまるでここはもぬけの殻……」

「そこだ! 急ぐぞ!」

 ジョージを先頭にゆっくりとマントのステルス範囲を維持したまま集団は前進した。砂嵐が吹きすさび、ビル風も相まって天宮陸亀の上部は外を歩くのに適した環境とは言えない。しかし、甲虫魔族が零賢やアルテンシアの壁になるように進むことでただの人間である零賢は体力の消耗を抑えることが出来た。そして対象の塔へとたどり着いた。そこは天宮陸亀の甲羅のど真ん中に位置していて、見た目こそ他の塔とは違わないが、全方向へ合計八本の空中回廊をつないでいる。他の塔は多くても三本だったが、明らかに中央管制塔、総本部である事を示唆している。

「行くぞ」

 入口らしき場所から右に百メートルずれた地点を前にジョージは全体に呼びかけた。右手に力を入れて握りこぶしを作り、ジョージは壁を殴った。それと同時に零賢はマントのステルスを一斉に解除した。天宮陸亀の都市についているセンサーが一斉に反応して異常を知らせる。だがしかし、それよりも大きな問題が塔には発生していた。大きな振動と揺れる塔、一階フロアの壁には大きな風穴があいた。

「GO! GO! GO!」

 ジョージがは甲虫魔族騎士団を内部へと誘導し、零賢とアルテンシアもそれに続いた。

「皆殺しだ。繰り返す。皆殺しだ。誰も生かして返すな。繰り返す。皆殺しにしろ」

 零賢の命令は冷酷かつ単純でどうしようもなかった。何故皆殺しか。どうせ甲虫魔族には栗塚を殺せないだろうという考えがあったからだ。場所を特定して零賢とジョージ、アルテンシアの三人で奇襲を仕掛けて無力化を行い、マーリンの杖を手に入れる事が大事だと零賢は判断した。

 甲虫魔族騎士団はものすごい勢いでフロアを制圧していった。一階から二階へ。強化人間兵はうじゃうじゃ、と言うほど多くは無かったがいる事にはいた。それ以上にただの人間が多かった。人間は白いフードを被り、殺される直前に「やめてくれぇ」「俺たちは戦闘員じゃない」などと言いながら命乞いをしたがそんな事関係なく、甲虫魔族騎士団の持つ槍で頭部を貫かれて殺されていった。

「……こいつらは研究者だな」

 零賢は遺体の血が付着しないように、その辺に落ちていた棒で遺体を突っつき、遺留物を漁っていた。

「カードキーを持っている奴もいれば、ボールペンとノートを持っている奴もいる。戦闘員じゃないとなれば研究員だろう。こんなところに事務員なんていない」

 実際、ドーラには事務員はいない。一般兵士が事務仕事を行っている。これは天宮陸亀にも同じことが言えるだろうと零賢は踏んだ。手に入れたカードキーで時代はずれな古風な建物内に付けられたカードキーリーダーを読み取らせて中に入る。だたの部屋の事もあれば、書類保管庫だったこともあった。四階に来たとき、あたりを引き当てた。

 巨大な発射装置のようなものが一つと巨大な円筒状の水槽がいくつもはあった。細菌を培養するような無菌設備も備えられていて、ロケットの発射台のようなものを無理やり小さくして屋内に押し込めたようなものもあった。そして、それらは全て部屋の壁一面に並んだ巨大な円筒状の水槽に太い管でつながっていた。水槽の中には緑色の液体が詰められ、その中には人間が膝を抱えて眠るように漂っていた。

 その光景を見て零賢は言葉を失った。

「こ、これはなんだ」

「人間……もとい生物を使った魔力電池です」

 アルテンシアは唇をかみしめながら水槽を睨み付けていた。

「人型の生物は他の生物に比べて魔力を多く持っています。生産魔力量が極端に多いのが魔法使い。ですがただの人間にも魔力を生成する能力はあります。魔力電池は生かさず殺さず、生物を休眠状態にして死ぬまで魔力を抽出する、もしくは即死級の魔力を吸い取る装置です。帝国でも考案されましたが理論のみ。人道的な理由から使用されたことはありませんでした。なのに……こんな……父様……」

 ジョージも零賢もアルテンシアの泣きそうな声を聴いて驚いた。

「え?」

 アルテンシアはひとつの水槽の隣に立ち、人を紹介するように零賢とジョージの方を見て水槽を手で指した。

「先代の、ドグノフスキー家の当主、ドラゴ・ドグノフスキーです」

 その水槽の中には赤い鱗を持ち、竜のような角を生やし、太くて長い尾を持つダークエルフのような尖った耳を持った男性がうずくまっていた。動かない。魔力を吸い取られて死んでいるのだろう。

「……アルテンシアさん……」

 帝国との戦争で勇者に殺されたと思っていた父が、生け捕りにされて電池にされていた事を知ってアルテンシアはどう思ったのか。零賢にそれを考えるだけの、人を思いやるだけの思考回路は持ち合わせていなかった。故に無言を貫き、死んだドラゴ・ドグノフスキーに頭を垂れた。

「アルテンシア。感傷に浸りたいのはわかる。だが今は時間が無い。急ごう」

 ジョージの鶴の一声でアルテンシアは再び動き出した。部屋の中をくまなく探索した。零賢は部屋の一角にある研究室らしきプレハブ小屋の中に入ってデータを漁っていた。栗塚はここにパソコンを持ち込んだ形跡は無く、代わりに元からあった情報記録システムを使っていた。クリスタルに貯めた情報を専用ディスプレイとタッチ式の魔感パネルで操作するというものだった。一通り調べてとんでもない事が出てきた。

「ジョージさん。アルテンシアさん。これ、破壊してください」

 部屋の中央にあった発射装置は、死の風を撃つ発射装置。研究室では死の風の細菌を作り出し、培養し、安定かつ簡単に輸送する研究が行われていた。その培養と発射には多くの魔力が必要で一人で行うと死に至る事も書いてあった。マーリンが死んだのは死の風を作る段階で魔力を大量に消費してしまったためであると栗塚のメモは決めつけていた。最終的に球状に固めた細菌を放り投げると言うとても原始的な方法が採用されたのはなぜだかわからない。その話を聞いてジョージは装置と研究スペースを破壊。魔力電池はそのまま放置した。

「彼らは死んでいます。後でお墓でも」

 アルテンシアは小声で「ありがとう」と呟いた。

 甲虫魔族騎士団は次々に部屋を陥落し、最後に残されたのは最上階の部屋だけになった。殺した人間、五百。その中に栗塚はいなかったという。

「この部屋だけどの鍵でも開かなくて」

 騎士団の一人はそう言った。零賢には見慣れたカメラ付きインターホンが扉の横についていた。これを押せという事なのだろうか。零賢が何をするのか気になったジョージとアルテンシアは零賢の後ろにぴったりくっついていた。零賢は後ろの圧迫感を覚えながらもインターホンを押した。それと同時に扉が開き、中から巨大な触手が飛んできた。ユリウスの腕よりも太い巨大な触手が一本、また一本と次々に扉の中から飛び出してくる。零賢は即座にマントのステルスを発動させてジョージとアルテンシアを対象範囲内に引きずり込んだ。

 甲虫魔族騎士団はあっという間に触手にかすめ取られ、触手についた複数の口でバリバリと堅い殻ごと食べられていた。魔力防壁を張った者は魔力防壁の上から巨大な触手で包み込まれてそのまま部屋へと引きずり込まれ、反撃した者は武器諸共口でバリバリと食べられてしまった。触手を切ろうと試みた者もいたが、切り口が口に変化してそのまま刀剣類を腕ごと食べられて触手の餌食になるばかりだった。悲鳴を上げる余裕も与えられずに、騎士団は全滅。ジョージとアルテンシアはその様子を茫然と見ている事しかできなかった。

「上出来だな」

 中からは巨象、ガーネシアンほどある四足歩行の生物。扉を壊し、壁を破り、中から出てきたその生物は鼻先が十本ほどの触手に変わり、足先も各々二、三本の触手へと変貌していた。しかし真っ赤な皮膚に黒い体毛が胴体部分に残っているのと頭部に生えた巨大な牙は明らかにガーネシアンの物だった。

「神話生物も所詮は生き物。改造はできたな。……下の階の掃除もしてこい」

 ガーネシアンだったらしい海魔族は、鼻だった触手を床に這わせて床に穴をこじ開け、下のフロアへと降りて行った。

「栗塚さん!」

 脅威が去ったことを確認し零賢はアルテンシアにマントを押し付けてステルス範囲外へと飛び出した。あまりにも唐突だったため、ジョージも反応が遅れた。

「なんだい。君か。……まだアリが生きているとはね。驚きだ」

 しかし栗塚に攻撃の意思は見られない。何かあってからでも十分間に合う位置にいるためアルテンシアとジョージは息を殺してマントのステルス範囲内から零賢を見守った。

「ここに何の用だ。三十分の期限は丸二日過ぎているぞ」

「戦争を止めに来ました」

 無表情で、それこそごみを見る目で栗塚は構えていた。三メートルほど離れた所に零賢が立っているためか、危機を感じていない様にも見える。腕を組み、スーツ姿で、同郷の少年を見る姿はまさに大学教授だった。

「止める。か。ダメだな。停戦で終わらせてはいけない。この戦いは、私が率いる共和国が帝国軍を、魔王軍を打ち破って帝国を滅ぼすことで終わるのだ」

「日本が攻められるからですか」

「君は明日、自分の庭が土足で踏み荒らされるのを黙ってみているのか?」

「それは明日かもしれないが十年後、二十年後、もっと言うと百年後かもしれない。その頃、あなたも僕も死んでいて、今の『日本』という形は無くなっているかもしれない。それでもですか」

「ああ。嫌だね」

 人として当然の答えが返ってきた。そもそもここで折れるようなら零賢どころか帝国側も苦労していないはずだ。栗塚は歪んだ笑みを浮かべてさらに続けた。

「この私が、手塩にかけて育てた共和国だ。無能なアリ共を一掃して国の態勢を変えてやったんだ! 四十年もかけて。そして私はマーリンの後継者として生き延びて彼の研究を引き継がなければならないんだよ!」

 栗塚が右手を体の横に伸ばして何もない空間を握ると、手の中には栗塚がいつも使っている杖、マーリンの杖が出現した。

「戦争は終わりだ。私の勝ちでな」

 杖の先端、宝石が着いた部分が零賢に向けられるが零賢は微動だにしなかった。銃口を突きつけられているのとまったく同じ状況なのにも関わらず、だ。

「……最後に。何故、友里を改造したのですか。どうやったら戻すことが出来るのですか」

「彼女はただ単に強かったからだよ。適合しやすかったんだ。だから、改造した。治し方なんて知らないね。そもそもあの程度のアリはいくらでもいる。今回、回収する母数が少なかっただけで別の場所へ行けばあんなのたくさんいるだろう」

 この時零賢は気付いてしまった。

 栗塚がアリと呼ぶモノが、人間を指す事に。だからあのような魔力電池の開発や、人間の兵士を、友里を魔法的に改造して海魔族を寄生させて身体能力の向上を図ると言ったことが出来てしまう。技術の問題ではなく、人格の問題として。

「あなたは、友里を、人間をなんだと思っているんですか」

「無価値な命だよ。それに私が価値を与えた。ただそれだけだ」

 零賢は焦った。このままだと殺されてしまう。何故杖を構えた段階でジョージは出てこないんだ。このままでは栗塚に殺されてしまう。

「もう一つだけ。先日の会談で、僕と友里を家に帰すと言う保証。アレは本当だったのですか」

「嘘に決まっているだろ」

 栗塚の持つ杖の先端からどす白い帯が発射されて零賢めがけて飛んできた。これが当たったら死ぬ。そう思ったと同時にジョージが割って出て来ていた。

「おいおっさん。無防備な小僧相手に使っていいもんじゃねえだろ」

 魔力障壁で白い帯の攻撃をジョージはしっかりと受け止めた。しかし、白い帯はただの攻撃ではなかった。止められたところからあふれ出るように白い粒子が分散し、ジョージの身体を包み込む。

「蟲族だな。ステルス装置持ちで入ってきていたのはわかっていた。それは攻撃呪文じゃない。捕縛呪文を使わせてもらったよ」

 虫かごで飼っている虫にカビが生えて死ぬかのように、ジョージの体の表面に白が侵食してきた。

「くそ。動けねえ」

 魔力障壁など無いかのように浸透し、拡散し、表面を広がる。ジョージは動いて一矢報いようとするも足元と肩の関節はすでに石膏のように白く固まり動けない。

 ふと、窓も無い場所なのに風が吹いた。

「全方位魔力障壁と対物魔力防壁の同時展開。素晴らしいですね」

 アルテンシアがステルスを解いて零賢の隣に現れた。零賢は目を丸くした。何故、このタイミングで、ここに出てくるんだと。目で必死で訴えかけて何馬鹿な事をやっているんだと言いたかったが、アルテンシアの眼は栗塚だけを見ていた。

「まだいたのか」

「動くな」

 腕を動かして杖をアルテンシアに向けようとした栗塚はピタリと動きを止めた。

「術者を中心に球状の防壁展開は素晴らしい。でも、右後方に隙がありましたよ」

「何の話だ」

 栗塚は首を傾げた。

「アルテンシア・ドグノフスキー。あなたが殺した名もなきアリの娘です。お忘れないように」

 右に傾けた栗塚の頭部はそのままスライドするように滑り落ち、床に落ちてどちゃ、という汚らしい音を出した。残された胴体は首の切断面から血を放出しながら仰向けになるように倒れた。

 剣の達人による、目にもとまらぬ速さでの居合。それに加えて刃が紙のように薄い暗殺専用の刀。アルテンシアの技量とステルスマントをもって、攻めどころの無かったマーリンの能力を継承する栗塚はいとも簡単に死んだ。ひとえにアルテンシアが積み上げ続けてきた剣の技量のおかげである。これが、栗塚が仮に武人だったら、首の皮が切られた段階で気付き、肉体に強化をかけることが出来たかもしれない。切られた繊維はきれいなままなので首が落ちる前に修復することが出来たかもしれない。しかし、栗塚は研究者であって武人ではないためそれ気付く事無く首を切られて絶命した。

「勝った、のか」

 零賢は倒れる栗塚を見てへたり込んでしまった。

 下の階で暴れていた海魔族が倒れた衝撃音が聞こえる。ジョージの身体からは白い拘束魔法が徐々に溶けだし動けるようになった。

「勝ったんだよ! 零賢。お前の策で!」

「でも、二人が居なかったら何もできなかったですよ」

 零賢は勝っただけでは終わりでないと知っていた。ここからが本番であると。帝国軍に勘付かれる前に、ユリウスに悟られる前に、アルテンシアとジョージに気付かれる前に栗塚の研究資料を全て閲覧しないといけない。

「……そういえばさっきのバケモノ、どうなったんですか。下で大きな音が聞こえていたけど」

 ジョージははっとした顔でフロアに開いた穴を見てアルテンシアは目を閉じて魔力感知に集中した。

「まだ生きています!」

「よし。行くぞアルちゃん。レーケン。そこを動くなよ!」

 ジョージは穴へ飛び込み、それにアルテンシアも続いた。計画通りとはいかなかったが二人を引き離すことはできた。

「これからだ。これからが僕の戦いだ」

 誰にも聞こえないほど小さな声で零賢はそう言い、栗塚の死体に近づいた。



 同時刻。ドーラ周辺で友里と交戦していた源十郎は瀕死の重傷こそ負っていなかったが決定打が足りなくて困っていた。

「困ッタネ。ナンデ君ハ半分ニ切リ裂イテモ、臓器ヲ潰シテモ、四肢ヲ引キチギッテモスグニ再生スルンダヨ」

「ハハハハハ零賢の偽物おおおおおお! お前は絶対許さない! この手を、この足を、好きに解体していいのは零賢だけなんだからあああああああああ!」

 言っている事は支離滅裂。だが目の前の敵だけを殺す事に関しては戦いなれた魔人ですら手を焼くレベル。もはや友里は動く災害と言っても過言ではないレベルにまで成長していた。鎧を着ているものの、邪魔だったのか兜は投げ捨てて、人の手というより巨鬼の手にも余るレベルの巨大な槍をぶん回しながら友里は再び零賢の恰好をした源十郎に攻め込んだ。

「ソノクセ君、昨日、じょーじサンニ臓物引キズリ出サレテタヨネ」

「あの蟲野郎は後で殺す!」

 槍を構えて身の回りについた源十郎の障壁をほどき、再度突っ込もうとした時だった。

「ぐあああああああああああああ」

 獣のような叫び声をあげて友里は頭を両手で抑えた。

「み、見えない! 聞こえない! なにこれ!」

 源十郎はすぐに異変を察知し、戦場の他の場所も見渡した。交戦中の他の海魔族も動きを止め、うめき声に似た音を発していた。巨象ガーネシアンに至っては完全に動きを止めていた。城の中から防戦一方だった戦場に、逆転のチャンスが訪れた。

「今ダ! 殲滅シロ!」

 ドーラの全砲門が開き、海魔族を焼き払う。

 ドーラ内部、玉座の間では壮絶な戦いが終わりを告げていた。

「ぐあああああああああああ」

 強烈な頭痛と全身の痛みで動けなくなっている改造兵士。銃器を持った者と刀を持った者の二人組でドーラ内部に潜入、数々のトラップを潜り抜けて大魔皇帝ユリウス・ルシフェルを討つためだけに玉座の間へと侵入した。侵入直後、ユリウスの鉄拳により銃器を持った方が頭から潰されて死亡。再生不能レベルだった。刀を持った方は飛び回りながらユリウスに勝ち目の無い戦いを余儀なくされ、撤退するにしても扉は閉ざされ、進むにしろ決定打は無く。そのような状態で三十分以上交戦し続けていた。蚊のように床に、壁に叩きつけられて尚海魔族の再生能力があるため死ぬ事が許されず、ユリウスのおもちゃとして扱われて半死の状態で捕獲された。

「黒ヤギ先生もこれで満足だろう」

 手足は再生可能回数をオーバーしたため元のちゃんとした人間のきれいな形にならず、頭部は痛みで気絶。臓器はむき出しだが海魔族の薄い皮膜があるために出血が抑えられているというなぜ生きているかがわからない状態で生存した個体をユリウスは巨大な手のひらの中に持っていた。

「さて。戦も終わりだな」

 ユリウスはうっすらと影が見えるほどまで接近した天宮陸亀を眺めた。そして勝ったことをかみしめ、笑みをこぼした。

「ここからは侵略ぞ」

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