第五章 すきだから

「れーけんれーけんれーけんれーけんれーけんだああああああああああれーけん会いたかったよすごく会いたかったれーけんれーけんれーけんれーけんれーけんれーけんれーけんれーけん!れーけんだいすきだよおおおおお」

自分の名前を連呼して愛の言葉まで大衆の前で叫ばれる。とても幸運な状況のはずなのに零賢は一ミリもうれしくなかった。それどころか恐怖で体がすくんで動けなくなっていた。

「逃げろレーケン! こいつはやばい!」

友里の持つ大人の象でも串刺しにしてバーベキューに出来るほど巨大な円錐形の槍に体を貫かれてなお、動こうとしないジョージのおかげで友里は動きを止めていた。胴体の半分は槍で貫かれて臓器どころか筋肉も骨も砕け散っているだろう。二本の足で大地を踏みしめ、槍を掴んだまま離さず、声を発せるのはジョージの高い生命力だから出来る事であった。

「邪魔なんだよお前ええええええ! どけええええええええ! れーけんが! だいすきなれーけんがそこにいるのに愛せない! れーけんといっぱいあいしあうのおおおおおおお」

「ゆ、ユッコどうしちゃったんだよ……」

「待っててねれーけん! すぐに愛し合おう? れーけんだいすきれーけんだいすきれーけんだいすきれーけんだいすきれーけんだいすきれーけんだいすきれーけんだいすきれーけんだいすき! わたしれーけんのことがだいすきなんだよ! まっててねれーけん! わたしのあいをぜんりょくでうけとってね! れーけーん!」

「クソッ。発情してんのかこのビッチ」

ジョージは友里の足を伝い落ちてくる粘度の高い液体が形成する水たまりを見ながら顔をゆがませた。

「はあああああ? 黙ってろ死にぞこないの蟲野郎! お前邪魔なんだよ零賢を愛せないだろおおおおお! れーけえええええええんまっててねすぐ、すぐにイっちゃうからあああああああ! 大好きだよれーけええええええええん!」

狂気に満ちた愛の言葉を、凶気を孕んだ恋の槍を零賢に届かせまいという一心で肉の盾となって立ちはだかるジョージにも限界が来ていた。巨大な槍が体を貫通しているため今にも体の上下は千切れそうになっている。それでもジョージは槍を抑え込んでいるがそれも時間の問題だった。

零賢の横を一筋のつむじ風が通り抜ける。

「下がってくださいレーケン様!」

刀を持ったアルテンシアが友里に向かってとびかかった。

空中で一回転して速度と威力を上げた斬撃が、魔力で強化した殺人の刃が友里の頭部、白銀の兜を捕らえた。刃は兜には当たったが叩き割るには至らなかった。友里は左腕で飛んでくる刃を握りしめて受け止めた。素顔が露わになって、アルテンシアは顔をゆがめた。

「これが共和国のやり方か……」

ジョージは驚き、目を丸くした。

「こりゃあ、何やってんだ共和国」

零賢は絶望に打ちひしがれた。

「ユッコ……そんな……」

かわいく活発で元気溌剌だったショートカットの女の子、春風友里。運動が得意で部活のキャプテンに選ばれたとぴょんぴょん跳ねながら零賢に話しかけてくれた少女の姿はどこにもなかった。

瞳の色は黒からとげとげしい赤色へと変わり、口からはよだれを垂らし、そこまで目立っていなかった八重歯は鋭く尖って吸血鬼のような牙になっていた。側頭部には銀色の円盤のようなものが取り付けられている。一般兵士や共和国が用意した動物たちにもつけられている、生物を操る機械だ。

「れーけええええええええん!」

友里が吠え、さらに力を入れる。ジョージの体は吹き飛んだ。

「くそ。人間形態もここまでか」

上下に分離した身体が宙を舞い、生肉となって大地に叩きつけられた。吹き飛ばしたジョージなどごみ箱に捨てたチリ紙のように興味を失って、友里はもう一人の敵へと足を向けた。

「で、なんであんたは零賢の側にいるの?」

 友里は明確な殺意と聡明な頭脳を持った状態でアルテンシアに向き合った。

「零賢の側にいていいのは私だけなの。ずーっと、ずーっと私だけが居れるように色々やってきたんだよ。零賢に友達なんていらないの。私だけいればいいの。零賢と仲良くすれば私の下僕が制裁下して零賢の側から人は減らしていたんだよ?」

「何を言っているんだユッコ……」

 友里の言葉に零賢は絶望した。特進クラスで一時期仲良くやっていた元友人たちの言葉がよみがえる。

『お前と付き合ってもメリット無いから』

『身近な奴に気を付けろ』

 この言葉の意味がやっと零賢は理解できた。

「だって特進クラスの男の子達、馴れ馴れしく零賢に近づくんだもん。殺したくなっちゃうよね。他のメスが寄り付かないようにしていたのも私なんだよ。零賢がほかの事で無駄な気を使わなくていいように、ずーっと私が守ってあげてたの」

「嘘だろ……ユッコ」

 女学生からは影口を叩かれているのを零賢は知っていたがその中身までは知らなかったが、その中身が今わかった。

全て友里のせいなのだと。

「だから、どけ」

 巨大な槍を構え直すわけでもなく、切っ先を後方に、傘でも引きずるような形で友里は槍を持ったままアルテンシアに相対した。

「貴様がレーケン様の元恋人だろうと、友人だろうとそんなことは知った事ではない。貴様は、敵だ」

 アルテンシアが明確な殺意を持って魔法陣を無言で展開する。大地からあふれ出た魔方陣の光はアルテンシアを優しく包み込む。最大限の魔力強化を刃と己にかけてアルテンシアは敵対する怪物に備えた。

「あっそ? 私にとってもあなたは敵だよ」

 友里は大地を蹴り、目に見止まらぬ速さでアルテンシアに突っ込んだ。アルテンシアはその突撃を受け流すため右に避けたが速さが足りなかった。友里の突進こそ受け流した。ギリギリのところで避けて背後から切りかかる。しかしその後からやってくる巨大な円錐の槍を避ける事を完全に脳から排除していた。

 アルテンシアに当たった手ごたえを感じると友里は槍を適当にぶん回して手あたり次第に破壊した。大地をえぐり、砂をまき散らし、そしてアルテンシアにもそれは当たった。刀で防ぐが音が出る。ある程度の場所を把握した友里は方向を変えて再びアルテンシアに突撃した。今度は槍を槌でも振りかぶるかのように持って。

 アルテンシアはその隙を捕らえた。

 音を超える速度で間合いを詰めて、がら空きになっている懐、腹部を切断する勢いで切り付けた。

「はああああ!」

 分厚い装甲に加えて魔力防壁による共和国最高硬度を持っていたと思われる鎧も貫通し、友里の腹は半分切れたように見えた。だが友里は倒れず、振りかぶった槍をハンマーのように思いっきり振り下ろした。

「その程度? その程度で殺せると思ったの豚女。覚悟が足りないよ。覚悟が。気合が。愛が。何もかも足りないよ足りない足りない愛が足りないあんたよりも私の方が零賢を愛しているのにいいいいいいい愛が足りないの! もっと! もっと! もっと愛さないと! 愛が無いなんてただの豚よ!」

「ぐっ」

 大地に埋め込まれるように倒れたアルテンシアに、鈍器として使用された槍の追撃が入る。

「死ね。零賢の側にいると家畜の臭いが移っちゃうでしょ、この豚が」

「や、やめろ……」

 たった二十日。

 されど二十日。

 この時間で零賢がアルテンシアと、ジョージと、そして他の魔族と築いた絆はけして弱いものでは無かった。その絆が、今、物理的に壊されようとしている。零賢は力の限り叫んだ。

「やめてくれユッコ!」

「大丈夫だよ零賢。あなたの目を覚ましてあげる」

 いつものように無邪気な笑みを浮かべて友里は零賢の方を見た。その時零賢は気付いた。これはたちの悪い悪夢なのだと。そうでもない限り友里がここまで壊れて、零賢の中で最強だったジョージもアルテンシアも殺されるはずが無いんだと。

 しかしたちの悪い悪夢に出てきた少女は明確な殺意を顔に浮かべて地面で潰れているアルテンシアを見下した。

「この世に微塵も生かしておかない。生きていていい理由なんて無い。殺して挽肉にして焼き殺して、焼いて、潰して、殺してやる!」

 一撃毎に地面が抉れ、血が飛び、肉が飛散し、アルテンシアの声が聞こえなくなる。

「やめてくれ……ゆり……」

 全く無能だった零賢に剣術をゼロから教えてくれたアルテンシアが、結局使うところは無かったが今後の人生で役に立つだろう、と少しでもいいから剣術を教えてくれたアルテンシアが、危なくなったら剣を握るより逃げる方が先だと教えてくれたアルテンシアが、まな板の上の挽肉のようにこねられ潰され、豚の餌になろうとしていた。

「ゆりいいいいいいいい」

「あ、れーけんもこれ、たべる?」

 首をかしげてぐるりと零賢の方を向いた友里の口の端には血が付いていた。ガムでも食べているように口を動かしている。飛散した肉片を食べていた。攻撃がその間止み、死んだと思われていたアルテンシアが必死の声を上げた。

「にげて……レーケン様」

「うるさい。だまれ。ヒトの言葉をしゃべるな。家畜が」

 友里は槍に付いた駆動装置を起動させた。槍がドリルのように回転しだす。その側面部分を大地の上で横たわりほぼ原形を止めていないアルテンシアに当てた。

「あああああああああああ」

 アルテンシアの悲鳴に混ざり、友里の笑い声が響く。

「ははははははははははははは」

 アルテンシアが顔面部分だけ残されて他がミンチになり切断され、百グラム何円で売られているような挽肉になるのを零賢は見ている事しかできなかった。

恐怖で足がすくみ、腰から下が動かない。だがアルテンシアの言葉が脳内にこびりついて取れなかった。

『にげて』

 どうやって逃げればいいのかすら零賢にはわからなかった。

「あんたが零賢の側にいるのが悪いんだ! 零賢の側にいなければこんなおいしそうな挽肉になる事も無かったんだよ? あ、そうだ。あとで腐ってなかったら塩と胡椒で味付けしてハンバーグにして魔王軍の生き残り兵にふるまってあげるうううううう! わたし料理作るの得意なんだよ!」

 そしてひとしきり終わったのか、槍の駆動音が止んだ時、友里は腹に刺さった刀を抜いて放り捨てながら零賢に向き合った。

「れーけんはわたしがたべてあげるから安心してね! 大好きだよ零賢!」

足だけでなんとか後ずさりするも、戦争中の本拠地であるドーラの足の外壁へ背中が着き、もう逃げ場が無くなった。

 一歩一歩近づいてくる友里を零賢は友人とか幼馴染として認識できなかった。

 歩く恐怖が、動く絶望が、近づいてくる。返り血を浴びたままにこやかな笑顔を作り、愛の言葉を放ち、自らを食べようとする生物が恐ろしかった。

「く、くそ。僕もこれまでなのか……」

大魔皇帝ユリウス・ルシフェルは零賢に誓った。アルテンシアとジョージという帝国トップクラスの戦闘力を持つ二人を従属官にすることで、零賢を守り抜かせて生きて返すと。

しかし、今零賢は死に瀕していた。

日本で、この戦争に巻き込まれる前、ずっと長い間親友だと思っていた春風友里によって。

壁にもたれて動けない零賢の頭上に槍を突き刺し、動きを封じる。

「れーけんあいしてるよれーけん!ずっと会いたかったよ!でもこの戦争に勝たなきゃいけないから私が勝って、れーけんをすくってあげる」

「おちつけユッコ! どうしたんだ!」

鎧を脱ぎ捨てる友里を止めようとするも、零賢の言葉は友里には届かない。股間からあふれ出た液体でびしゃびしゃになった下半身の装甲も外し、投げ捨てる。

「れーけんをたべて、わたしたちひとつになるの!あ、でもそのまえにれーけんとこどもつくらなきゃ!」

上半身の鎧も脱ぎ捨て、下着姿の友里が現れる。レース生地で透けて見える黒いブラとショーツ。何度か見かけた物だが、友里の体は零賢の知っているモノではなくなっていた。

柔らかそうな双丘はそのままだが、赤い線が体中に触手でもまとわりついたかのように描かれている。肩や膝、肘と言った主要な関節には黒いインクで魔方陣が描かれている。目は血走り、瞳も赤く、口は狼のように開き、餌を前にしてよだれをたらしているようだ。筋肉の付き方も以前より増しているように見える。

 何より切られたはずの腹は無傷である。

「でもれーけんもおいしそう……たまたまはきりとってあとで人工授精させればいいかあああ!」

餓えた肉食獣の檻の中に入れられた生肉の気持ちを零賢は体感した。

食われる。

「ユッコ! やめてくれ! 僕はまだ死にたくない!」

「だめだよれーけん。れーけんはしなないよ。わたしのなかで生き続けるんだよ!」

ブラに挟んでいたナイフを逆手に持つと、その右手で零賢の頬を切り裂いた。

「ぐっ」

避けたものの、かすってしまい切り口から血があふれだす。その切り口に友里は口を付けて蛇口から水でも飲むかのようにして血を啜った。

「ああああああああれーけんの味いいいいいおいしいいいい」

「なんなんだよ、どうしちまったんだよユッコおおおおお」

 零賢は友里の肩を掴み、揺さぶりながら友里の顔を見た。友里はおいしそうな食事が目の前にあるようなうっとりとした目で零賢を見つめて、そして血だらけの口をそっと開いた。

「おちついてきいて、れーけん。わたしがれーけんをたべるでしょ? そのお肉はわたしのなかで吸収されるの。それって、わたしとれーけんが一心同体になるって事じゃない?」

完全に人の話を聞いていない。それどころか目がイカれている。脳がやられている。焦点がそもそもあっていない。これが気の狂った人間だと言うのか。麻薬中毒者とは話が通じないという事を零賢は聞いて知っていたがこれが似たような状況なのかもしれない。

「イカれてやがる……どうしたんだよユッコ……」

「どうしたのれーけん! しっかりしてよ! しっかりしてわたしにたべられて! れーけんの血おいしいんだからあ」

零賢の首と肩をがっつり抑えて首を少し曲げる。零賢は抵抗しようにも全身を友里の万力のような力で押さえつけられて一ミリたりとも動けなくなった。

「ねえ、れーけんは生肉たべたことある? とってもね、とってもおいしいの。歯ごたえがあって、ぐにゃんってするけど焼いたら味わえない、理想郷のようなおいしさが口の中であふれるの。血もとっても甘くて鉄の味がして漏らしちゃいそうなくらい美味しいし、精液はのどごしはあんまりよくないけど癖になるにおいがたまらないの! でもね、でもね、れーけんのは今まで食べた誰のよりももーっとおいしいとおもうの! あ、でもれーけんの精液のみつくしたらこどもつくれないから、余ったら飲むね。れーけんは骨の髄までたべてあげるううううう」

露わになった首元めがけてユッコはかぶりついた。血管諸共肉ごと食いちぎり、零賢の耳元で咀嚼する。

「がああああああああああああ」

あまりの痛さに感覚が麻痺することなく、零賢は純粋な痛みに襲われてもがいた。だが友里が全力で体を押さえつけているため身動きが取れない。

「れいけんおいしいよう。れいけんのおにくとってもおいしいいいいいい」

零賢の耳元で音をあまり立てないように咀嚼している友里だが、少しは音がきこえてしまう。

ねちゃ、ねちゃというしっかりとかみ砕く音。そしてジュース代わりに零賢からあふれ出る血を飲みながら、友里は口の中の零賢の肉を体内に流し込んだ。

「はあああああ。零賢のカラダ、おいしいいいいよおおお」

頬を桜色に染めて、顔を返り血で彩り、股間を愛液で濡らしながら友里は零賢の首元の傷口に口を直接付けて血を呑みだした。献血で血を抜かれる以上に、傷口から友里に吸われる速度も相まって零賢の体からは急激に血が抜かれていった。

「や、やめろ、ゆっこ。まだ、しにたく……」

「れーけんは私の中で生き続けるの! 大丈夫だよれーけん!」

零賢の傷口から顔を離し、零賢の顔を両手で抱きかかえるようにしながら友里が零賢と顔を合わせた時だった。

友里の身体も零賢からすこし離れたのを見計らってか、背後から一刺しされた。先ほどアルテンシアが持っていた刀だ。刀はすぐに動き出し、友里の腹を真ん中から右へと切り裂いた。だが友里はその刀の刃を右手で掴み、それ以上の動きを止めた。

「……なにこれ」

意識が朦朧とする中、零賢は友里の背後に立つ黒い生物を見た。

それが何かは判断できない。人間が虫のような恰好をしているのか、虫が人型サイズにまで巨大化したらこうなるのか、それとも虫に人の遺伝子を組み込んで成長させればそうなるのか。そう思わせるほど虫のような頭部があり、羽が生え、黒く硬そうな外皮を持った生物だった。

「なによあんた。わたしとれーけんの愛の営みをジャマするのおおお?」

友里は立ち上がり、腹の傷など気にする様子もなく壁に突き刺した槍を右手で取った。普通の少女が片手で扱えるような、両手でも扱えるかどうかわからないほど重い槍を片手で持ち、左手で腹に刺さった刀を抜き捨て、構えようと友里が零賢から距離を取った時だった。

「いまだボス!」

黒い生物、ジョージ・ベルゼブブは移動要塞ドーラに向かって叫んだ。ドーラの足の一本、零賢が背にしていた部分が仕掛け扉のように急に開き、零賢を掃除機で吸い込むように中に収容した。

「あ、れーけん!」

消えた零賢に気を取られて振り返った友里に、ジョージの無言の攻撃が入る。目にも止まらぬ速さで繰り出された黒い鉄拳が友里の腹を捕らえる。傷口をえぐるように入った拳は無防備な友里にヒットし、腸を引きずり出して友里を吹き飛ばした。

「ってぇえなああああああ」

ドーラの足に叩きつけられるも、何事も無かったかのように友里は立ち上がった。抉られた腹からは海魔族の持つような黒い触手が何本も出て来て、それらが腸を回収し、傷口もふさいで元の人間の体に戻した。白い肌は傷など最初からなかったように滑らかになった。

「なんだその身体……てめぇホントに人間か?」

「黙れ。れーけんをぜんりょくで愛するんだからそんなことは関係ない。お前、さっきつぶした奴と同じ匂いがする」

「人間形態じゃ戦えなくてね。本当の姿はブ男になっちまうから嫌いなんだよ」

友里の動体視力に追いつかないほどの速度で間合いを詰め、股から上を蹴り割く勢いでジョージは蹴り上げた。しかし、友里は上に飛び跳ね、ドーラの足を駆け上った。ほぼ垂直だが勢いだけで数メートル登り、そこから重力と自らの脚力で槍をジョージに刺すべくとびかかる。

ジョージは一瞬にして友里が消えたと錯覚し、振り返って探していた。それが過ちだった。

頭上から降ってくる狂気に気付く事無く、凶悪な銀の槍がジョージの体に直撃した。

「……まだしんでないね蟲野郎! れーけんについてる悪い虫はわたしが全部取り除かなきゃ!」

友里がジョージに追撃しようと槍を抜いてもう一度突き刺そうとした時だった。

ドーラの砲門が開き、大砲が顔を覗かせた。それと同時に小型の生物を狩るために試験的に作られた機銃が十門、友里を狙う。十年前から作り続けていた改良型の遠距離砲。それが三門開きジョージごと友里を砲撃した。

爆音と爆風、砂塵と熱が着弾地点の周囲を襲う。衝撃波は戦場の中ほどにまで広がった。

超近距離砲での砲撃もあったためドーラの足は無事では済まなかった。だが、ユリウスはそれでも撃った。そうでもしないと危険だと判断したからだ。魔族の中でも相当強いジョージとアルテンシアを手玉に取るただの人間。いままで生物的に優位に立てていたがそれすらも無くなってしまった事にユリウスは深く恐怖した。

「ってぇ……ボスもやってくれるなあ」

 九十度曲がった首をゴキンと大きな音を立ててもとに戻しながらほぼ無傷なジョージは立ち上がった。黒いボディには傷一つついていない。

「って、あいつはどこに行ったんだ」

「れええええええけええええええええん!」

 あの砲撃の雨嵐の中、生き延びただけではなく無傷で走り抜けるほどの体力も温存していた友里は、傷ついたドーラの足に特攻を仕掛けていた。

 槍を大きく振りかぶりホームランでも放つようにひびの入った箇所に打ち付けて穴をあける。そこから中に侵入した。ほぼ垂直に立っているドーラの足の内部は登るのが困難なほど何もなかった。

しかしその程度、友里の障害にならない。

 友里の背中から鎧を突き破って海魔族の触手が十数本伸びてきた。長さにして一本当たり五メートル強。吸盤を持つ触手が壁にぺたりぺたりと張り付き友里は登っていく。

 地上に出たタコのようにゆっくりと動くのならばユリウスも対策が打てただろう。しかし友里は地上のチーター以上の速度でドーラの足を上り、ドーラ内部に侵入した。

 ドーラの外部塔の廊下は非常用防火扉で区切られていて友里でも軽々しく突破する事は難しくなっていた。だがそれでも友里は槍を構えて突進した。

「れいけえええええん」

 叫び声が力となり、力が速さとなり、速さと重さが破壊力となり分厚い防火扉をチーズのように貫いた。

 だがその少し先にも鋼鉄製の防火扉が待ち構えている。

「くそっ」

 友里は顔を歪ませいらだちを見せた。その間にも友里が破ったぐちゃぐちゃになった防火扉は生命体のように形状を戻し、一枚の防火扉に戻っていった。

「なんなんだよここは」

「ようこそ。移動要塞ドーラへ。歓迎しよう。共和国の勇者よ」

 どこからともなく、全方向から聞こえてくる声に友里は背中の触手を全開にして警戒を強めた。たった七メートル四方の空間。理性を失い動物的な本能に従い動いている友里は感じ取った。ここは建物ではない。生物の体内、胃の中だと。

「それともこう言おうか。我らが第三十七魔王、レーケン・オサカベの友人、ユリ・ハルカゼ」

 友里の目の前に煙のように現れた黒い生物、大魔皇帝ユリウス・ルシフェルは友里を見て顔をしかめた。

「このような事があるのか。海魔族を寄生させ肉体の強化を行うなど……惨い」

「はああああああああ」

 友里は突然現れたユリウスに槍を突き立てた。だが槍が触れるか触れないかのタイミングでユリウスの身体は霧散すると同時に、友里の背後で

「無駄だ。余は死なぬ」

「はああああ? 槍で貫けば死ぬんだよおおおおお! おとなしく死ねええええええ」

 槍を振り回して霧散しては別の所で出現するユリウスを殺そうとするも、徐々に友里の動きは鈍っていった。

「はぁ、はぁ、はぁ……くそ。なんで、息が……」

「すまぬ。共和国の勇者よ。我々魔族は弱い。そなたのように強靭な力を持っていなければ、そなたを使う者ほど狡猾な頭脳を持っているわけではない。だから、余は少しズルをした」

 部屋の隅の八か所には小さな穴が開いてそこから空気が入れられていた。毒の混じった空気。人間を殺す毒ガスだ。それがどれほど友里に効くのかはわからないが人間をベースにしている以上、神経毒は有効だったらしい。

「さすがは黒ヤギ先生だな。薬学の知識が帝国一番なだけある」

 友里は立つことすらままならなくなって、槍を床に突き刺してそれにもたれかかるように床に倒れた。

「れい……けん……」

 友里はなんとか動かせた口で意中の男の名を呼び、そのまま意識を失った。

「意識を失う前に意中の異性の名を言うとは、その執念、称賛に値する。素晴らしいぞ人間。だが、そなたは危険だ。眠りについたまま、緩やかな死を迎えよ」

 そのまま毒ガスにより友里は死ぬ。それをユリウスが見届けた後に処分班が来て友里を処分するというとても簡単な手順のはずだった。

「む」

 ユリウスはドーラの外から急速接近する二つの物体を察知した。機銃と長距離砲で迎撃するが当たらない。これは魔王レーケンを狙った攻撃ではなくドーラに対する攻撃だと気付くのにそう時間はかからなかった。

 友里の横たわる廊下が外側から破られた。

 三メートルはある小型化したユリウスすら一刀両断に出来るほど巨大な刀でドーラの外壁を切り裂いてきた。ユリウスの身体も真っ二つに切られるが、すぐに霧散して別の場所で再構成される。アルテンシアが扱う刀よりさらに強く湾曲したそれは一刀目で外壁諸共中にいるユリウスを切り裂き、二刀目で外壁をV字に切り裂き侵入口を開けた。

 外部から二人の黒いローブを纏った人間がやってきた。どちらも目元以外を黒いローブと布で隠している。胸部はふっくらとした盛り上がりがある事から女性だとすぐに判断が出来た。二人とも目は友里と同じように赤くなっていた。一人は刀を持ち、一人は大砲を背負っていた。どちらも人間が扱えるほど軽そうなものでは無い。極限まで肉体強化した結果、友里と同等の力を得た人間だと言う事をユリウスは瞬時に理解して

「逃がさんぞ人間」

 ユリウスは急速にドーラの外壁を回復させる。見る見るうちに二重、三重の壁が形成されて完全な密室が形成される。

「我々を舐めない事だ。大魔皇帝ユリウスよ」

 刀を持った方が友里を担ぎ、大砲を持った方はそれを治ったばかりの外壁めがけて発射した。死者すら叩き起こすほどの轟音が鳴り響く。一発、二発。帝国で作らせて零賢が運用した『列車砲』を彷彿させる発砲音。弾はカードリッジ式でカードリッジが尽きるまで連発出来る事が黒服の持ってきた大砲の強みだった。常人ならば肩が外れるどころか腕が吹き飛び生命活動を維持できないレベルの反動の攻撃にも平然と耐えて大砲を撃ち続ける少女の前に、強化された移動要塞ドーラの外壁はついに吹き飛んだ。

 爆風と同時に外の砂嵐がドーラ内部に入り込み、煙と共に黒服の少女たちは友里を連れて猛スピードで共和国側へと帰っていった。

「……なぜあの武器でドーラを狙わない」

 ドーラの外壁を修復しながらユリウスは違和感と共に悪寒を覚えた。戦場を見ると魔王軍の方が共和国を押している。突撃列車グスタフとその道を作る小鬼のコンビネーションに加えて長距離砲の攻撃も効いている。神象ガーネシアンをベースとした騎馬も二割ほど潰すことに成功していた・

 ここで引いたら共和国は一気に攻め入られて負けてしまう。それなのにもかかわらず、戦場に出ている海魔族を寄生させられた人間兵は徐々にベースキャンプである天宮陸亀へと戻っていく。ただの人間兵はガーネシアンを従え戦線を維持し、その他の野獣たちも戻る様子を見せない。海魔族が寄生した兵だけが引いている。

 ユリウスは悪寒の正体に気付き、ドーラを通じて全軍に呼びかけた。

「全軍! 撤収せよ! 繰り返す。全軍、撤収せよ! グスタフの一番から五番は全ての客車を開けて兵を収容せよ。急ぐのだ! 弾薬はその場に捨てよ。そのスペースを兵の収容に使うのだ。急げ!」

 ユリウスの怒声が戦場を駆け巡る。動いていたグスタフは全てが停車し先頭を走る小鬼をはじめとした最前線で戦っている巨鬼の群れや人狼部隊を次々に収容した。空いたスペースには臨時レールとして地面に埋まっていたスライム族が液状化して床や天井に張り付いた。

 だがそれでも全軍を収容はできない。

「走れ走れ! 根性を見せろお前ら!」

 挽肉のようになって死にかけていたアルテンシアを緊急治療室へと搬送したジョージは姿を大きく変えて戦場の空を飛びまわっていた。ユリウスほどとまではいかないが友里の槍で貫くには少々骨が折れるほど巨大化した虫。それがジョージの本来の姿だった。黒く硬い羽を羽ばたかせ、砂嵐で飛べる生物がほとんどいない戦場の空を飛びまわる。足は四対ありそれぞれがドラゴンのような硬い爪を持ち、頭部に付いた複眼は戦場の全てを見渡した。真っ黒な影が声を発するのを見て魔王軍の面々はさらに急いだ。

「ジョージ様が人間形態を解いたぞ。これはヤバイ。急げ!」

「ジョージ様あ! ブ男になるからやらないとか言ってたじゃないですかあ」

「うっせえ。黙って走れ!」


「気付いたか。でも、遅かったな」

 友里を含む強化人類三人が天宮陸亀の総本部内に帰還したことを確認すると栗塚は杖に魔力を込めて装置を起動させた。


 その瞬間、天宮陸亀の背中から一つの弾が発射された。完全な球体で大きさは人間四人ほどを中に詰め込めれるほど。ある程度の高さまで上がるとそれは徐々に自由落下を始め、戦場のドーラ側に落ちた。

 着弾地点を中心に衝撃波と振動が広がり、逃げている魔王軍と追撃する帝国軍を襲う。球体は静かに霧散し、微粒子となって衝撃波と共に風に乗って戦場に広がった。

 ユリウスは遠隔操作でグスタフの全車両の通気口と扉を完全に閉じ、ドーラの入口も閉めた。

「っとおお」

 ジョージはなんとかその辺で走っていた魔王軍の仲間数十人を鷲掴みにして飛行ユニット発着場へと滑り込んだ。だが、ジョージに掴まれなかった者や、直前でドーラの出入り口が閉められた者は外に締め出された。

「おーい。開けてくれよ」

 呑気な声でドアをノックする。だがドーラはびくともしない。

「開けてくれえええええ」

 外で大量の人間兵から銃弾を浴びせられ、巨鬼族は一人、また一人と倒れていく。だがグスタフの扉は開かない。

「くそっ。開かねえ!」

 同乗していたドワーフ族が中から開けようとするが、グスタフの非常用装置はびくともしない。完全に外部からの信号のみを受け付けているため、ドワーフ族の奮闘も空しく、外では仲間たちが一人ひとり死んでいくのを聞いているしかなかった。

 しかし、その死が急激に変わる。

 強化ガラスの外側で、魔王軍の兵たちはもがき苦しみだした。

「か、かゆいいいい」

 全身の皮膚がはがれはじめ、肉が露わになる。皮膚が溶けるかのようにぼろぼろと地面に零れ落ち、体液をまき散らしながら肉も溶けて次第に動かなくなった。そのような症状が外では広がっていた。

 その光景を初めて目にする兵士たちは息をのみ、目を丸くし、言葉を発することが出来なくなっていた。外にいたスライム族でさえ、液体になったまま二度と動くことは無かった。外は腐った肉と骨、そしてそれを見て勝ち誇ったように奇声を上げる共和国軍兵士であふれかえっていた。

 共和国の兵士も無事では済んでいなかった。体に海魔族を寄生させた強化兵士も同様に体の表面をぼろぼろにしながら戦い、そして腐るように溶けて骨と服だけになった。

「これは、死の風か」

 ユリウスは己のカンが当たった事以上に同じ手段を使われることに驚いた。

「何故だ」

 死屍累々。魔界と呼ばれた帝国よりも、地獄と呼ばれたマグマあふれる活火山地帯よりも、今、この戦場が一番魔界に近く地獄に近かった。

「何故、ソレをそなたらが使えるんだ共和国!」

 玉座の間でユリウスは拳をひじ掛けに振り下ろした。ひじ掛けはドーラ内に響き渡るほど大きな音を立てて崩れ落ち、その落下音もドーラ内に反響した。

 事の起こりから三時間後。夜になり共和国軍が完全に撤収してから、ようやくグスタフは五台とも動き始め最初に作っていた線路を通りドーラへ帰還した。外部を徹底的に洗浄した後に中に乗っていた魔王軍の兵士たちをドーラ内部に下した。戦意を喪失した者。トラウマを受けて喋れなくなったもの。大事な仲間を守れずに泣きわめく者がグスタフから降りてきた。

 その者たちをユリウスは笑顔で迎えた。

「ありがとう。そなたらが生きていて余はうれしいぞ」

 その言葉が彼らに届こうが届くまいが関係ない。小型化したユリウスはドーラの停留スペースへ赴き、兵士一人ひとりと向き合い、感謝の言葉を述べた。

 その頃、もう一体の小型化したユリウスは目を覚ました零賢と黒ヤギ先生、人間形態に戻ったジョージ、そして四天王の黒い球体、國繁源十郎と共に食堂で席についていた。

「まずは食事だ。レーケンよ。食べねば、生きてはいけぬ」

「わかりました」

 零賢は意識こそしっかりしているが表情は暗く落ち込んでいた。零賢の身体は肉が足りないのと血が足りない上に帝国では魔族の肉や血のストックしかなかった。そのため生命力を極限まで高める魔法を使いながら外科手術を行う事で一命をとりとめ、動けるようにまで回復した。

 侍女によりステーキとパンが運ばれてくる中、ユリウスはテーブルに着く全員に向けて話を始めた。

「この度、五百年前に使われたのとまったく同じ大魔法が使われた。我々は、『死の風』と呼んでいる。あの惨事を目にして生きのこっているのは余と黒ヤギ先生だけだ。それ以降、時間をかけて共和国の天宮陸亀へスパイを五百年に渡り三百人近く送り込んで大魔法死の風について探りを入れてきた。しかし、帰って来たのはわずか十数人だ。彼らが口をそろえて言うのは同族のスパイがどこを探してもいないという事だけだった。我々はあの大魔法に怯えるがあまり強硬手段を使う事が出来ず五百年もずるずると戦争を引きずってきていた」

 零賢は「だからか」と小声でつぶやいた。

 本来なら戦力的に圧倒的に優位なのは魔王軍である。最初、均衡が保てていたのは大魔法使いマーリンの存在だ。それがマーリンが死んだのにも関わらず攻め込んで帝国を滅ぼさなかったのは魔王軍の数が極端に減っていたから。それが回復した二百年前の段階でも攻めなかったのは大魔法の正体が掴めなかったから。そしてドーラと言う移動要塞を作った最大の理由は機会さえあればこれで帝国に攻め込むためだ、と零賢は確信した。

「だがわしにもあの死の風がどのような魔法か、昔はわからなかったんじゃ。だが、今のではっきりしたことがある」

 零賢は食卓に並ぶ前に死んでいった魔王軍の面々を見て一つの事に気付いた。ここまで極端ではないが似たような症状を零賢は知っている。

「細菌兵器?」

「正解じゃ」

 黒ヤギ先生が静かな目で零賢を見つめた。

「風に乗って拡散された微生物が魔族の肉を食べて侵食する事こそが、死の風の正体じゃ」

 黒ヤギ先生は全員に書類を配って渡した。死の風の細菌を捕獲して調べた結果が載っていた。魔族の身体を構成する『魔素コンドリア』を持つ細胞を狙って食べるため魔族が食べられること。増殖能力は持っていないため、死んだらそこまでである事。寿命は八時間程度である事。個々の活動範囲は広いが生殖能力や増殖能力が無い事。そして人間その他、魔族以外の生物も食べる事が記載されていた。

「人間も食べる?」

「そうじゃ。発動段階でガーネシアンは一割ほど、人間兵は半分ほどが戦場に出ていた。天宮陸亀も無事では済まぬだろう。あれらが全て戦場に残されたまま食われた場合、戦力の差は五分五分じゃ」

「だが連中には海魔兵がたくさんおる」

 ユリウスの顔色は晴れない。

「一般の兵士じゃ歯が立たないのは火を見るより明らか。レーケンが作らせた突撃列車グスタフと遠距離砲があって戦える程度だ。加えて我々はもう一つ、懸念せねばならない」

 ユリウスは共和国軍の勇者である友里の事、城内に侵入した二人の人間の事を話した。

「友里が、海魔族に……」

「まだあんなに強い奴がいるのかよ」

 零賢は絶句し、ジョージはもうあんなのと戦いたくないと首を振った。

「間近で見た余だからわかる。結論から言うと、アレはマーリンの兵だ」

ジョージも黒ヤギ先生も目を丸くしてユリウスを見た。零賢もそれに続くが一瞬だけ行動が送れた。大魔法使いマーリン。彼は五百年前の戦いで魔王軍に対して大魔法『死の風』を発動させて死んだはず、とされている。しかし栗塚はマーリンの力を手に入れたと言っていた。

『わたしはこの戦争で必ず勝つことが出来る。それだけの戦術があり、戦力があり、魔王軍が思いつかないようなレベルの兵器も持っている。君は考えたまえ』

 去り際に栗塚が放った言葉が零賢の脳内で反響する。

 死の風と強化海魔人兵士。これがマーリンの研究室を見つけた

「技術は、継承される」

 ユリウスはゆっくりと言った。

「それが人間の恐るべきところだ。日本の人間にマーリンレベルの魔法使いの素質を持つ者が出現することなど考えていなかったがな」

「だとしたらこの戦争の方法を考え改めるべきです」

 零賢は臆せずユリウスにきっぱりと言った。

「この戦争は戦力の平等化を図るために、日本からこの世界の生物より弱い人間を連れて来て行っているのですよね。その常識が今回覆された。もう日本からの召喚システムは廃止すべきでは……」

「何を言っておるのだ、レーケンよ」

 ユリウスは零賢を黙らせ場の空気を凍らせるほどの威圧を放って言葉を紡いだ。

「余は初めから日本を侵略対象としか見ておらぬぞ。資源がある。人がいる。土地がある。行く手段がある。それだけで余にとっては侵略対象だ。帝国に属するならば、よし。属さぬのならば、死あるのみだ」

「なんの、冗談ですか?」

 零賢はひきつった笑みを浮かべてテーブルに着く全員を見渡した。誰も、笑っていない。

「ボクハ帝国ノヤリ方ガ好キダカラ人間ノ身体ヲ捨テテ魔族ニナッタ。大魔皇帝ユリウス様ハ国民ヲ守リ、来ル物ヲ拒マズ、去ル者ヲ止メズ、歯向カウ者トハ向カイ合イ、侵略対象ハ蹂躙スル。トテモシンプルデ、ワカリヤスイ」

 沈黙を貫いていた源十郎が声を発した。

「ユリウス様ハ、ツマラナイ冗談ナンテ言ワナイ」

「ルシフェル様。あなたも共和国と同じだったのですね」

 零賢は顔を引きつらせ、泣きそうになりながらなんとか言葉を発した。

「共和国でも戦争が終わり次第日本を侵略するという計画があった。お前たちは、そこまでして何を望むんだ!」

「余は、王だ。大魔皇帝だ。元々四十八あった魔族の国をまとめ上げ、アバロニア帝国を作った。余の望みはただ一つ。余の国民たる帝国の民に、富をもたらし生活しやすい国を作る。ただそれだけだ。そのためならば隣国であろうと、遠く離れた異界の地であろうと、はるかかなたの星であろうと余は行くことが出来れば攻め、奪い、我が帝国の富とする、それが王たる者の務めではないのか?」

 正論すぎる正論を前に、零賢は絶句した。

「それとも零賢よ。そなたの国にはそのような王はいないのか?」

 ここ数年の内閣総理大臣たちを零賢は思い出し、過半数が国民の事を考えた政治をやっていなかったことを思い出し、零賢は危うく首を縦にふりかけた。

「こ、この際僕の国の王の話は関係ない。……ルシフェル様、いくつか聞きたいことがあります。この戦いが終わった後、あなた方はすぐにでも日本に攻め込むのですか?」

「戦力は整える。十年後かもしれぬし一か月後かもしれぬ。だが、我々はニホンに行く気はある」

「ボクノ力ヲ使ワズトモ、帝国ノ魔法使イ達ヲ集メレバ『げーと』ノ拡張ナンテ朝飯前サ。全四十八魔王軍ヲ今スグニデモ送ル事ガ出来ル」

 どちらにせよ悠長に構えている暇は無いという事がわかった。このまま勝っても負けても、零賢に待っているのは日本と共に滅亡の道だけだった。だが、希望はある。

 栗塚重蔵だ。

 奴は共和国が日本を侵略しようとしている事に気付き共和国を中から乗っ取った。そして帝国側も同じような事を考えているのではないかという推測を立てていた。それはつまり国塚はゲートを、この世界と、この星と地球をつなぐ召喚魔法のシステムを切る事が出来る方法を知っているのではないかと零賢は思った。

 栗塚の元に行く必要がある。

 すぐにでも行きたいが行きたいと言ってGOサインが出るほど甘いユリウスではないのは百も承知だ。それにまだ零賢には気掛かりだった事がある。

「友里の処遇はどうするのです」

「襲って来れば殺す。襲ってこなければ殺さない。ただそれだけだ」

「待ってください! 殺すのは……お願いだから……」

「零賢よ。そなたは余に、魔王軍に、帝国に死ねと申すのか」

「そういう事では……」

「これは戦争ぞ。ルールの制定から、異世界の者を軍師としたり、両軍の戦力を平等にするところなどを見ればゲームに見えるかもしれぬ。だが、これは戦争ぞ。人が死ぬ。兵士は皆、命がけで戦う。だから命がけで戦う準備をしてきた。兵がそなたの命に容易く従ったのは己の力量だと思ったか? 皆、命が惜しい。勝てる事なら何でもするのが戦争ぞ」

 ぐうの音も出ずにどうすればいいのか迷っている零賢に黒ヤギ先生が助け舟を出した。

「ユリウス様。アレを殺せるとお思いで?」

 ユリウスは黒ヤギ先生の顔を見て友里の驚異的な生命力を思い出した。砲弾の雨あられに当たっても死なない頑丈さ。人間ならば五秒で即死する毒ガスを数分に渡って吸い続けても眠るだけの体構造。ジョージに臓器を捻り出されても即座に修復する回復力。ドーラをぶっ壊すレベルの攻撃力。どれをとってもユリウスに勝ち目があるかどうかは怪しい。

「医者の観点から言わせてもらいますと、今後アレ以上の生物が出てきた時に対処するためにも生け捕りにするのが必然だと思うんじゃ。それこそ、手足を捥いでも」

 黒ヤギ先生は零賢に黙っていろと目で指図した。

 これが、帝国側の出せる最大の譲歩らしい。

「確かにそうだな。我々は知る必要がある。あの改造人間の弱点を」

 ユリウスは零賢に向き直り、言った。

「殺さないという保証はできない。だが生け捕りにするよう努力する。それが余の、帝国の出来る最大の譲歩だ。生け捕りとは生きている状態。腕が無かろうと半身が無かろうと目が無かろうと生きていれば生け捕りだ。それを忘れる出ないぞ零賢よ」

「……わかりました。ありがとうございます。ルシフェル様」

 ルシフェルに向き直った零賢はぎゅっと唇をかみしめ血が出るほど強く拳を握り、力強くそう言った。

「そう硬くなるな。零賢よ。……食事が冷めてしまったな。後でそなたの自室に出来立ての物を運ばせよう。今は、ただ休むといい。そなたも病み上がりであろう」

 救急治療室の隣、入院室へ向かう途中零賢は付き添いでついてきていたジョージに怒りをぶつけ、己の非力に嘆いていた。

「何故だ! 何故ルシフェル様はここまで行った僕に対して接し方を変えない! 本来なら切って捨てるべき癌だろう!」

「ボスが切って捨てるのは裏切り者だけだよ。レーケン。お前はボスを裏切ったか? 魔王軍を負けに導いたか? そんなことやってねえだろ。だったらお前はまだ第三十七魔王だ。魔王には、それ相応の待遇を取らせるのが上司であるボス、大魔皇帝の役割だからな」

 どうしていいかわからず、方向性が見定まっていない零賢の背中をジョージは思いっきり叩いた。

「ボスはやるべきことをやっているだけだ。お前もやるべきことをやるだけでいいんじゃないのか」

「……やるべき事、ですか」

 零賢は冷静に考えた。どちらにせよ、戦争で勝たせる名案を出さなければ死が待っている。ユリウスに殺されるのでなく、ルールに則って栗塚に殺されるリスクだ。向こうは向こうで戦争に勝つためだけではなく完全にユリウスを狙ってきている。つまりこのまま帝国に攻め入る事も考慮に入れているという事だ。

 しかし帝国側は非常に不利な状態だ。死の風がある状態で攻める事は出来ないどころかドーラ外に、グスタフ外に出ることが出来ない。

 零賢はこの事をチャンスだと判断していた。

 零賢は病室の外からノックを三回すると中から声が返ってきた。

「どうぞ」

「失礼します」

 零賢はドアをそっと開けて中に入った。そこにはベッドの脇に立って今しがた着替えを終えたアルテンシアがいた。骨はぐちゃぐちゃ、肉繊維はズタズタ、臓器はボロボロ。そのような状態から生存させた上に数時間で歩けるようになる魔族は驚異的だと度肝を抜かれた。

「もう大丈夫なのですか、アルテンシアさん」

「大丈夫さ。ダークエルフの生命力をなめるなよ」

 全身の魔力強化の跡なのか、褐色の肌の上には血管が浮き出るような場所に白い模様が走っていた。生物と寿命と言うのは生産魔力量に比例すると黒ヤギ先生は言っていた。生まれてこの方死なない大魔皇帝ユリウス・ルシフェルも去ることながら、魔法使いとしても優秀なダークエルフ、エルフ族も生産魔力量が他の生物に比べて桁違いに多い。そのため致命傷さえ回避すれば死ぬ事はまずない。アルテンシアの友里にやられたけがも心臓の破損をはじめとした臓器破損をあらかじめ黒ヤギ先生が作っていたクローンのストックと換装し、残りは自己治癒力で治した。

「もう明日には動けるようになるさ」

「魔法も万全で使えますか?」

 空元気を見抜かれたのか、アルテンシアの顔は少し曇った。

「すまない。たぶん、無理だ。召喚魔法の使用をはじめとした大魔法の使用は無理だ」

「……でも剣は使えますね?」

「無論だ」

「魔力感知は?」

「……レーケン様。私に何をさせるのですか?」

 零賢はまだ負けていないことを確信した。

「病室でなんだけどジョージさん、アルテンシアさん。聞いてほしい事があります。明日、最終日、共和国軍の拠点、天宮陸亀に直接乗り込みます」

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