第三章 勇者と魔王

零賢が帝国に、移動要塞ドーラに来てから二十日が経った。十九日目にドーラは定位置に到着し、移動を終えて現在は下部にある掘削装置を使い資源の確保を行ったり、一か月以上歩かせ続けた脚のメンテナンスを行っている。

零賢の方はどうなっているかというと、軍の選抜は終わって誰がいつ出撃するかという事まで決まった。零賢が注文したモノも出来上がっている。ドワーフの技術力とドーラ内の生産能力があったからこそできた話だが、日本で同じ期間で同じものを作れと言われたら恐らく無理だっただろうと零賢は出来上がりの品を見て感じていた。

零賢自身はどうかと言うと、いい具合に出来上がっていた。

「次! 召喚魔法!」

 ジョージに言われて出来るようになった召喚魔法。今の所出せる最大の生物は小鬼が限度だった。

「あ、オレもう行っていいっすか?」

 作業の途中突然呼び出された小鬼は息を切らして倒れる零賢と仁王立ちになっているジョージを交互に見ておどおどしながら甲高い声を発した。

「すまねえな、行っていいぞ」

「ういっす」

「次ィ! 休んでる暇はありませんよレーケン様!」

 アルテンシアの剣撃が頭上から振ってくる。息切れしている零賢は避ける事をせず、予備動作無しで防壁を張って奇襲を受け流した。

「まあまあだな」

 ジョージがニヤッと笑いながら息切れする零賢に言った。

「魔法は体力食うからな。スタミナつけさせたかったが……それでも十分強くなったよお前は」 

 零賢は息切れしながらもなんとか立ち上がりジョージに向き合った。

「あ、ありがとうございます」

 アルテンシアから水の入ったボトルを受取り、少しずつ飲んでた時だった。訓練場に黒ヤギ先生がやってきた。講堂以外で見る事の無かった黒ヤギ先生がわざわざ別の塔にある訓練施設にまでやって来ることが驚きだったのか、ジョージもアルテンシアも目を丸くして「緊急事態ですか?」「どうかしましたか」と矢継ぎ早に聞いた。

 実際、緊急事態だった。

「レーケン様、ユリウス様がお呼びじゃよ」

 ユリウスの玉座の入口があるフロアまでジョージの逆召喚で飛び、ユリウスの待つ食堂へと零賢一行は走った。

 中に入ると上座に小型化したユリウスが座り、その手前の席に零賢が一度魔王たちの会食の時に目にした黒い球体が浮いていた。黒い球体の反対側の席には零賢がこちら側へ来てから初めて見る、生身の人間が五人いた。真ん中に白髪の男性が。その右隣には金髪の若い女性が。日系の人間も一人いたが残り二人は金髪だった。

「おお、レーケンよ。よくぞ来てくれた。さあ、こちらへ座ってくれ。ジョージ、アルテンシア、先生。皆、ここへ残って話を聞いてくれ」

 人間たちは共和国の人間だと言う。両軍から選出される、『審判者』の代表者。制服が支給されているらしく、全員同じ服を着ている。上着はポンチョの一種らしく、膝の近くまで上着の生地がある。腕を出すためのスリットもついている。白を基調にして金色の刺繍が右肩から足元にかけて伸びている。ドーラ内の気温はフロア毎に違って設定されているがこの居住フロアは二十度から二十三度。共和国の服装だと少し暑いのではないかと零賢は見ていた。

 席に着くなり、共和国の人間は顔をこわばらせた。

 動く大量破壊兵器、大魔皇帝ユリウス・ルシフェルが上座にいるテーブル。反対側には帝国魔王四天王の一人と元第三十七魔王のジョージ・ベルゼブブとその腹心であるアルテンシア。

 彼らにとっては火薬庫でシガータイムを嗜むくらい危険な事であろう。

「さて、ユートピア共和国の審判者よ。話をしたまえ」

 ユリウスは共和国の審判者を睨み殺すように、鋭い目つきと殺気のこもった言葉を投げかけた。

「は。それでは失礼いたします」

 真ん中に座った白髪の男性が立ち上がる。彼らもまた、流暢な日本語を喋った。

「我らユートピア共和国軍の異世界からの召喚者『勇者』様より提案がございました。両軍の軍提出が終わった後、顔合わせを行いたい、との事です」

「余の軍にメリットはあるのか」

 老人が話し終わると同時に間髪入れずにユリウスは言葉を投げた。

「は。敵を知る事が出来ます」

「何故、今、今年、それをやろうとしているんだ。なぜ、十年前じゃないんだ」

 今度は零賢が疑問を口にした。

「それは我々にも解りかねます」

「今年、異常ガ起キタ。ソレ以外、考エラレナイネ」

 言葉を発したのは黒い球体だった。その場に座っていたユリウス以外の全員が目を丸くして球体を見つめていた。機械音性を発した球体はさらに続けた。

「オドカシテワルカッタネ。僕ハ帝国四天王ノ源十郎ト言ウ者ダ」

 源十郎、と言う帝国では全く耳にしなかった日本の名前を聞いて零賢は驚いた。形状こそ人を捨てているが、この四天王はもしかしたら元人間なのかもしれないと、心が躍った。

「一時期、召喚システムヲ調ベテイタ事ガアル。ソノ時ニ気付イタガ、戦争召喚時ニ二人イジョウノ人間ガ召喚区域ニイタ場合ハ基準ヲ満タシテイレバ、全員ガコチラ側ヘ召喚サレルラシイ。今マデ、少ナクトモココ四十年ハ起キテイナイガ、起キテシマッタンダロウ? ソノ、異常事態ガ」

 ポーカーフェイスを気取っていた共和国の審判者へ零賢が畳みかけた。

「こちらはもう気付いているんですよ。過去四十年間、共和国軍が同じ勇者を召喚し続けている事に。今回はその勇者に加えて誰か一人が入って来たって事でしょう?」

 審判者の老人は失敗した、といいたげな表情をして「その通りです」と答えた。

 そして懐から写真を取り出した。

「今回、我々が勇者として登録するのはこの方です。一対一での会談の場を設けたいと考えております」

 その写真を見て零賢は震えた。

 なぜ、この場でこの顔が出てくるのだ。

 なぜ、この世界にいるのだ。

 なぜ、勇者軍にいるのだ。

 勇者の服なのか。銀の甲冑を身にまとい、兜を脇に抱え、真っ赤なマントをたなびかせて馬に乗る彼女の姿を見て零賢は言葉がうまく出せなくなっていた。

「ユッコ。ここにいたのか」

「両軍の合意がなされた段階で、会談場所として仮設会議室を戦場に用意したのでそちらの方でお話をしていただきたいと思います」

 完全にフリーズして動かない零賢をよそに、審判者の男はユリウスに話しかけた。

「何の話をするのだ」

「それは個人の話です。例えば、召喚者が個人的な知り合いだった場合、戦の前に個人的な話をする場を設けてあげるのはこの世界の住人である我々の責務ではないでしょうか」

 その言葉を聞いて、フリーズする零賢を見てユリウスは目を丸くした。

「そうなのか。レーケンよ」

「……はい。そうです。ユートピア共和国の勇者は、僕の幼馴染です」


 栗塚が友里の異変に気付いたのはつい最近の事だった。起きている時、それも何もしていない時には必ずある一点を見つめている。肉体的には相当変異して、それが脳にまで影響を与えているのは言うまでもない事だったが奇妙すぎる事だったので栗塚は本人に尋ねた。

「何を見ている」

 方角で言うとあるものは天宮陸亀の頭部。そしてそのはるか先にある戦場。戦場を挟んで向こう側には魔王軍の居住地である大魔皇帝ユリウス・ルシフェルの操る移動要塞ドーラがある程度だ。

「れーけん」

 この『れーけん』が何なのか、栗塚は知っていた。刑部零賢。友里の意識がまだまともだった時に『幼馴染である』『頭がとてもいい』『栗塚の務める帝都大に行こうとしている』という情報をもらっていた。

 友里の知り合いならば召喚陣に食われてこちらの世界に召喚されることも十分あり得る話だ。加えて『頭がとてもいい』と言うのならば召喚される条件に合致する。

 こちらの世界に召喚される人間は、パラメーターがどこか一つでも基準値をクリアしなければならない、年齢は十六歳から二十五歳でないといけない、という条件がある。これは途中の戦争で付随された召喚陣の条件であまりにも弱い女子供、頭の固い老人、異世界に飛ばされて発狂する四十代、無能、などがある。どのように召喚魔法に加えたのか、どのように選別しているのかは栗塚は興味が無かったため調べていないが、刑部零賢もこの条件に合致する人間だろうと栗塚は考えた。

「なぜおまえにそれがわかる」

 栗塚は友里にこの事を聞いて心の底から後悔した。友里は首を傾げながら頬を紅潮させ、よだれを垂らしながら答えた。

「に・お・い。れーけんのにおい嗅いじゃうとお腹の下のところが、きゅんきゅんするの! 絶対れーけんだよ!」

 肉体の強化と共に理性は失われ、動物的な本能が強化された友里は、その驚くべき嗅覚で十数キロ先にいる意中の男の存在を匂いだけで嗅ぎ取る事に成功していた。

「クソッ」

 栗塚は吐き捨てるようにそう言うと部屋を後にした。刑部零賢という人間がこの世界に来て魔王をやっている事はわかったが、兵器として育て上げたつもりの友里がここにきて壊れてしまった。

「だが、情報は得れた。直接話す事で勝率を上げよう」

 

 底面積が三畳ほど、高さが二メートルほどある防砂用簡易移動籠を作ってもらい、砂嵐の中でも空を飛べるジョージの同類である甲虫悪魔族五人からなる編隊に運んでもらって一時間。

会談の場所として用意された地点に零賢は到着した。

そこは奇しくも五百年前に停戦会議が行われた場所と全く同じだった。プレハブと言うには豪華すぎる存在。白い灯台のような塔が何もない砂漠のど真ん中に立っていた。周囲には誰もいなく、塔の扉も固く閉ざされている。防砂スカーフを口のまわりにしっかりと回してゴーグルで目元をふさいで籠から降りて塔へ向かう。一歩一歩の足取りが非常に重かった。

最初に友里に会って何というべきか、零賢は考えていなかった。

「やあ、元気だった?」

「何しているの?」

「どうしてこの世界に来ていたんだ」

 零賢は必至で脳内でシミュレーションをするがどれも正解ではない気がする。薄暗い階段を一歩一歩零賢は重い足取りで登った。何を聞けばいいのか。何を話せばいいのか。零賢自身はどうしたいのか。

 ユリウスはこう言った。

『勝ちにつながる会談を余は望んでおる』

 勝ちにつながる会談とは何か。零賢なりに考えた。相手に戦意喪失を与える事。言葉によって説得を行い、戦争を勝利に導くことこそが勝つことである。友里を説得し帝国に連れて帰ることが出来れば戦争は終了し、零賢も友里も無事に日本に変える事が出来るはずだ。

 だとしたら最初の言葉はこれで決まりだ。

 零賢は階段の最上階までたどり着くと扉をノックもせずに押し開けた。木製の扉は新品なのか心地よい匂いを放ちながら開いた。

「ユッコ! 帰るぞ。迎えに来た!」

 だが室内にいたのは友里ではなかった。

 しかし、彼の事を零賢は知っていた。

 小さい木製の丸テーブル。その奥の席で単行本を読みながら紅茶を飲むスーツ姿の男性は、この世界に拒絶されるほど違和感の塊に見えた。

「待っていたよ、刑部零賢君。さあ、座りたまえ。君に話がある」

「栗塚、教授? なぜここに」

 可能性は一つしかないが、零賢は信じることが出来なかった。言葉に出せば事実になる。恐怖が零賢の奥底から湧き出てくる。しかし脳は知識欲は口を動かし事実を欲した。

「あなたが、四十年間ユートピア共和国の勇者だったのですか」

「その通りだ」

 栗塚はそういうと読んでいた本を閉じ、零賢の方をじっと見た。

「早く座りたまえ。君に話がある」

「ユッコ……春風友里は、共和国の勇者はどこにいるのですか」

「彼女は病欠だ」

「病欠?」

 こちらに来てから風土病の事を考えたことは無かったが、この世界にも病原菌と言うのは存在するはずだ。抗体を持っていない零賢達日本の人間がかかるのも当然の事だろう。最悪の状態が脳裏を過り、零賢の顔は青くなった。

「落ち着くんだ。別に命に別条があるわけではない。今は私の居城で休ませている。万全の態勢だが、動かすのはよくないと判断した。かねてより彼女は君に会いたがっていたから、私が代理で来たわけだ」

「何故、あなたが共和国で勇者を……だって、あなたは、東京帝都大学の教授で、アスタリスクコントローラーを作り出して、それで……」

「その通りだ」

 栗塚は椅子の隣、壁に立てかけていた長い杖を手に取りその先端を零賢に向けた。零賢の身体は緊張で固まっていたが謎の力で浮き上がらされ、そのまま椅子に座らされた。

「足が疲れてしまうからな。座れるときに座るといい」

「あ、ありがとうございます」

 魔法。

 帝国に来てから何度も目にした魔法を零賢は結局習得することが出来なかった。だが、目の前の男、栗塚重蔵は軽々と使いこなしていた。四十年という年月の間、彼はどれほど鍛錬を積んだのだろうか。零賢は疑問が募ると同時に覚悟した。

 友里が零賢に会うためのものでは無く、友里をダシに零賢をおびき出すための会談である可能性がある。何が起こるか、零賢は想像もできないが何があってもいいよう、緊張の糸だけは解かなかった。

「何の話から始めればいいかな。……気を楽にしてくれと言いたいが突然の事でそうともいかないか」

 栗塚は微笑みながら杖に手をかけ、空中を一回しすると空中に召喚陣を出現させた。そこからティーセットを召喚すると机の上にそっと着地させ、ティーポットで零賢の前に出したティーカップにお茶を注いだ。

「私がこの世界に召喚されたのは四十年前だ。まだ二十歳になったあたりで、当時の私は大学生だった」

 栗塚は当時の状況、そして杖についてぽつりぽつりと語り出した。

 栗塚が召喚された当初、召喚陣、通称『ゲート』は天宮陸亀の都市のビルには無かった。これは後日栗塚が移植したものである。当時のゲートは共和国で最大の港町であるアルテミという場所の礼拝堂の中だった。

 召喚された学生だった栗塚は、その場で修道士たちに説明を受けて事の三割ほどを理解すると同時に、焦った。

「研究が出来ない。学会の論文に間に合わない」

 そんなことを気にかけてくれるほど共和国にはゆとりがあるわけでもなく、すぐに戦場へ向けての移動が始まった。その際に出会ったのが天宮陸亀である。

 天宮陸亀は世界を支える土台で最下層に位置する巨大な亀であると言われてきていた。そして現在では動く天災として人々に恐れられていた。大きな町なら天宮陸亀は避けて通るが、小さい町なら存在に気付かず踏みつぶして通ってしまう。その後には何も残らない。

天宮陸亀大きさを見て圧巻されると同時に栗塚は天宮陸亀の背に人工物が建っている事に気付き、上陸を提案した。

 天災に近づき、神話生物に乗り込む。当時の共和国の人々はそのような事を一ミリたりとも考えたことが無かったが栗塚の護衛として騎士団の十二人が渋々同行した。ほぼ垂直な天宮陸亀の足をよじ登り、甲羅へと着くと梯子がかけられていた。そこからさらに上へと昇り、都市部へと侵入することに成功する。

都市を探索する中で栗塚はマーリンの研究室を発見し、マーリンの杖を手に入れた。マーリンの杖はマーリンが使っていたと思われる居室、ベッドの上に本人の代わりになるかのように横たわっていた。最初はただの杖だと思っていた栗塚だが、研究施設と居室の位置関係から、研究者が使っていた杖であると推測して研究室の探索を続行。その際に書斎を発見した。そこは五メートルほどの高さを持つ直径三メートルほどの円筒形の部屋だった。地上一メートルほどの高さの所に魔動ディスプレイが部屋の外周に沿って並び。部屋の中央の床には鍵のような穴が開いていた。それを見て栗塚は手に持った杖をそこに刺すものだと瞬時に悟った。直径が下部の先端とほぼ同じだったためだ。

 マーリンの杖を手に入れた栗塚はマーリンの書斎の床に杖を刺すという至極簡単な方法で、都市の再起動に成功する。天宮陸亀の持つ魔力をそのまま電力へ変換する装置が付いていてそれにより都市は蘇り電力から上下水道まで使えるようになった。

 再起動時、書斎の壁面には共和国の古代文字でこのような事が書かれた。

『出来過ぎた科学は魔法である』

 その言葉を見て、栗塚は笑いが止まらなかった。剣と魔法の世界だと思っていたユートピア共和国の歴史ある大魔法使いが、科学という言葉を使った。こんなに滑稽な事があるのか。このことがきっかけで栗塚はユートピア共和国のアバロニア帝国の戦争に対して、単なる暇つぶしという見方からこれ以上無いほどの研究対象というと見方に変わった。

 マーリンは現代日本でも通じるような技術を開発していた。長期保存に向く記憶媒体としてクリスタルを用いる事、インプラント手術を行う事で古の時代より生きて天災と恐れられた天宮陸亀を自由に制御出来るようになった事、共和国に見られない発電から電力供給までを行う設備を持っている事など、天宮陸亀の上の都市ではユートピア共和国では片鱗すら見られない技術が山のように眠っていた。

 オーバーテクノロジーを山のように見つけた栗塚は戦争期間に入ると同時に様々な事を始めた。それは後の世で『アスタリスクコントローラー』と呼ばれる対生物自在制御装置の開発にもつながる。天宮陸亀はインプラントにより『大きな町を破壊しない』『一定の速度で起きている間は歩き続ける』の二つがプログラミングされていたが自在に操るという事とはほど遠かった。それを栗塚は自分の知識とマーリンの遺産を組み合わせる事でハンドル一つで自由に動かせる移動要塞ドーラにも負けない、移動都市天宮陸亀を使えるようにした。

 すぐに栗塚は共和国軍を天宮陸亀へと移し、天宮陸亀ごと戦場へと移動を開始した。栗塚は見つけたマーリンの研究施設を使い、兵士の強化という物を行った。

「それが四十年前の戦だ。それで私は勝つことが出来た。騎士団の強化。人間の形状を保ったまま、ゴリラ並みの筋力を熟練の騎士団に与えればどうなるか。巨鬼の軍勢にすら勝つことだってできる」

 零賢はぽかんとして栗塚の話を聞いていた。

 歴史上の人物というより伝説の人物として時々話を聞いていた、大魔法使いマーリン。

 彼は実在の人間だった上に、オーバーテクノロジーを生み出すほどの頭脳を持って、それを栗塚が引き継いでさらに研究を続けている事に驚いて言葉も出なかった。

「じゃ、じゃあアスタリスクコントローラーは……」

「小型化、高度なプログラムこそ私がやったがアレはマーリンの研究成果だ。私のではない。ただ、日本で生活する上で金が必要になる事があるからな。特許はってあるというだけだ」

 栗塚は優雅にティーカップを持って口に運んだ。

「冷めると味が落ちるぞ」

「え、遠慮しておきます」

「そうか。……ところで刑部君。君はこの戦争に違和感を覚えたことは無いか?」

「違和感……」

 それは零賢が一番最初に感じ、そして解決していた問題でもあった。黒ヤギ先生は言っていた。この戦争を続けるメリットは、異文化を知り我が物にするためだと。

「戦争が終わった後、この世界はどうなると思う?」

「それは……戦勝国による統治が行われ、戦争はないけどゲリラ戦がある世界……とか?」

 零賢の言葉に「それはそれで現実味があるが惜しい」と栗塚は笑いながら言った。

「現実は違う。占領する領土の無くなった国は、新たな占領地を求めて戦う。地球では大国の一強占領という形がとれぬほど、各国が力を持ちすぎている。仮に地球でも世界統一がされた暁には新天地を、侵略対象を求めて我々人間は宇宙へ飛び出すだろうな……話が飛んだな。帝国の、共和国の、この世界の話だ」

 零賢の顔に冷え汗が流れ、背中に悪寒が走る。うっすら気付いていたが真向から否定されたことで考えないようにしていた事だ。零賢の様子を見ながら栗塚は小さい子供にわかりやすく教える教師のような声を出して、ゆっくり言った。

「この場合ならば遠くて近い隣国。帝国は日本へ侵攻してくる」

「……まさか……証拠でも……」

「共和国の元老院はそのつもりだったらしいぞ」

 栗塚は杖で床を一回ドンと突いた。すると杖の先端についている宝石類が光を放ち、テーブルの上にホログラム映像を映し出した。頭部に髪の無いぶくぶくと太った男性がそこにはいた。

『ああ。ニホンか。あの国は落としやすそうだ。魔法も使えぬ下等種族が住んでいるというしのう』

 映像は別の人間に切り替わる。紫色の髪をぐるぐる巻きにした老婆が映し出された。

『いままで召喚した勇者だってロクな奴がいなかったしねぇ。まあ、早いところ『マーリンの風』の使い方を解明しないには勝利にはつながらないけどねぇ』

 さらに別の人間に切り替わる。今度は白い長髪を持つ老人だ。

『ああ。いい加減魔王軍を全滅させるほどの勇者は現れないかのう。わしが生きている間に日本を侵略したいが』

「これが現在の元老院。元老院議長と副議長、書記と他五名からなる枢密院の会話の一部だ。見てわかっただろう。言葉の響きから温和そうに見えるユートピア共和国でさえ、日本を侵略対象やバカ国家と思っているんだ。アルバニア帝国が侵略対象として見ないわけがない」

「な……でもルシフェル様は……」

 ユリウスから、直接攻めないという言葉を聞いていない事にこの時初めて零賢は気付いた。気にしていたが答えを遠くに置き去りにして、日々を辛い訓練があっても、異世界という慣れない環境でも楽しく過ごしていた。

 友里の事すら忘れかけていた零賢に、現実は重くのしかかる。

「あの生物は狡猾だぞ。私が調べた限りでは千年以上前に全魔族を統一し帝国を作り上げ、現在の魔王軍のシステムを作り出した。あの男は、狡猾だ。頭がいい。力だけでは帝国を支配することはできていない。魔族と言えど、人型の種族は多い。つまり、知能指数が高い個体はいるはずだ。そう言った連中に奴が捨て駒として使われていないあたり、奴の能力の高さが見える」

「う、嘘だ……ルシフェル様がそんな」

「刑部君。君がやつの事をルシフェル様と呼んでいる事にそもそも違和感がある。もう君は奴の術中にいるのだよ」

「それは、常識で……」

「……まあいい」

 栗塚は杖を持って立ち上がった。

「君に来る気が無いのならばそれでかまわない。開戦後、三十分間は待とう。その間に降伏宣言をするのだ」

 栗塚は零賢の背後に回ってそう言った。

「そうすれば、殺さず、無事に日本に返すと約束しよう。降伏しない場合、君を直接攻撃してゲームエンドに持ち込む準備がこちらにはあるとだけ言っておくよ」

 零賢の死と戦争の敗北、ゲームエンド。これがどうつながるか察しこそ着いたが零賢自身は納得できなかった。

 ユリウスは言った。死なせはしないと。

「どういうことだよ! それ!」

「どうもこうもない。王が取られればゲームエンド。それは将棋だろうとチェスだろうと、戦争に於いてはどこの世界でもどこの時代でも共通のルールだ。なぜ、それが解らない」

 馬鹿な生徒を見る教師の目というより、下等生物。それもアリなどを見るような蔑みよりも哀れみの強い視線を栗塚は零賢に向けた。

「そ、それは……」

「まあいい。降伏する気があれば、したまえ。約束通り三十分は待つ」

 栗塚が塔を後にし、零賢はしばらくした後に塔を降りた。すぐにユリウスに会い、事の真相を聞くために玉座の間を訪れた。いつもならばジョージやアルテンシアが付き添うのだが、甲虫魔族に送り届けてもらってすぐに向かったため一人だった。

「ルシフェル様。この戦争、魔王である僕が死んだら負けと言うのは本当ですか!」

「左様。召喚者が殺されれば戦争に敗北する」

 こうなる事を見通していたかのように、ユリウスはゆったり構えて自分の足の親指ほどの大きさの零賢をまじまじと見つめた。焦り、怒り、不安。それらが入り混じった混沌とした顔をしているとユリウスは思った。

「しかし、従属官の存在を忘れるでないぞ、レーケンよ。我らは配属できる限り最強の生物である第三十七魔王ジョージ・ベルゼブブと、優秀な軍人を数多く輩出している貴族、ドグノフスキー家の血族にして魔法と剣の達人であるアルテンシア・ドグノフスキーをそなたに付けておる。この意味が、解るか?」

「……そのことが、魔王が死なないという意味ですね」

「左様。我々は最大限のサポートを行う。それで死なないように努める努力を行った。だからそなたは安心して戦場に出ればよい」

 力のある言葉。堂々たる振る舞い。巨大だが威圧感の無い、包み込むような安心感を与える喋り方。そのすべてが零賢の精神を安定させ、顔から怒りと不安と焦りが混じった色を抜いた。

「……ルシフェル様。最後に一つ、お聞かせください。我々は、僕は、共和国の勇者である春風友里を殺さねばならないのですか?」

「余はそなたが会談で何を話し合ったのか、聞く気は無い。だが、そなたが共和国の勇者を説得することが出来れば、もしくはこちらで捕らえて捕虜にすることが出来ればそれで戦争は終わる」

「ありがとうございます」

 残された起源は丸四日。時間はあまりない。零賢はすぐに魔王軍内の部族長とジョージ、アルテンシアを呼び集めて会議を開いた。

 栗塚との会合の事を要点だけまとめて話し、それをベースに本丸の布陣を修正した。

 しかし、零賢は二つの事を話さなかった。

 マーリンの事と、日本の事だ。マーリンは五百年前に魔族を滅ぼした大魔法使いだと言う。これは重大な事実なので戦勝した暁にはユリウスと交渉する際の交渉材料になると零賢は踏んでいた。そんな零賢の思惑など露知らず、魔王軍内の会議は続く。

直接何らかの攻撃が零賢に与えられることを前提に徹底した守りの陣に変更された。

与えられた三十分についてはいろいろ意見が飛び交った。さすがに三十分もまたない。死神ならばあり得る話だ。三十分で全軍で攻め入るべきだ。しかし、零賢の考えは固まっていた。

「三十分与えられた。その間に僕たちは戦場を整える」

 新兵器を走らせるために零賢が考えていたことを三十分かけてやってもらうというのだ。

「当初は先発部隊に時間稼ぎしてもらいながらやる予定だったけど三十分ももらえれば大丈夫」

 そしてドワーフ族長から各種新兵器の説明がなされ、巨鬼族長からは兵士の紹介と防具、武器による攻撃性能と防御性能の紹介。ジョージからは虫騎兵の紹介がされて零賢は再度案を練り直した。

 その間にも肉体と魔法の訓練は行い、力をほんの少しだが付けた。

 ジョージもアルテンシアも零賢の成長を見て手放しに喜んでくれた。

「あのひょろっひょろがここまでどうにかなるとはな。すごいぞ」

「さすがです! レーケン様!」

 喜ぶ二人の顔を見て、零賢は栗塚の言葉を思い出す。

『帝国は日本へ侵攻してくる』

 この事は魔族に言わなかった。言ったらそれで場の空気が悪くなり、戦争間近にして団結力が弱まる可能性があった。決断力を失うのは非常にまずい。臨時の上司として君臨している零賢に対して第三十七魔王軍の面々は曲がりなりにも忠誠心を示している。ドワーフ族に至っては過労レベルを超えて付いてきてくれている。アルテンシアやジョージ、黒ヤギ先生は自分の時間を犠牲にしてまで異世界の人間に教育を施している。そんな彼らに『お前らは僕の祖国を滅ぼす可能性があるんだ』と言えるほど、零賢は図々しくも礼儀知らずでも無かった。

「忘れよう」

 零賢は誰もいないトイレの洗面台前の鏡に映る自分に言い聞かせた。

 ここに来た、帝国に召喚された当初の自分とはもう違う。零賢は多くの魔族とふれあい、学び、戦い、技術を提供し、モノを作らせ、帝国の一員になっていた。日本へ侵攻してくるという共和国の考えは頷ける。黒ヤギ先生の言う通り、『欲しいものがあるから、侵攻するから帝国』という考え方も理解できる。だが、疑問を持ったまま戦えば明日の命も危ぶまれる。

 負けたら、待っているのは死のみだ。

 栗塚は言っていた。直接攻撃を仕掛けると。

 自分自身では身を守れるかどうか不安でしかない。しかし、帝国の魔族の仲間たちを信頼して身をゆだねる事に零賢は決めた。疑惑は今だけ忘れる。

 全ては勝った後に。

 勇者として共和国にいる友里を回収した後に決めようと、この時決心した。

 トイレの洗面所での零賢の様子を見ていた者が一匹だけいる。宙を舞う、チリごみサイズの小蟲。何十対もの羽を持ち天井付近をゆったり旋回しながら零賢を監視していた。その視界を通してジョージは零賢を見て、玉座にてユリウスに報告してた。

「なんとか大丈夫そうですよボス。戦が終わるまでは持ちそうです。レーケンの精神」

「そうか」

 へらへらした笑みを浮かべるジョージの向こう側で、大魔皇帝ユリウス・ルシフェルは微笑んだ。

「帝国に、勝利があらんことを」

 笑った口からは車を貫くほど巨大な牙がニッと現れた。

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