第二章 君は勇者だ
零賢が移動要塞ドーラ内にある第一大食堂でぶっ倒れる約二十四時間前、日本のとある場所。陸橋の下、川の隣の土手で部活帰りの友里は奇妙なものを目撃することになる。
「ドーナツドーナツ。あああ、零賢といっしょにディナーだよ。これそのまま零賢にお持ち帰りされちゃうコースかな。どうかな」
零賢の前では決して見せる事が無かった、蕩けるようなだらしない顔を人気の少ない帰り道に妄想に更けた友里は作り出していた。
「あああああ期待で胸がいっぱい……だけど零賢の前では平静装わなきゃ」
両手で頬をパンパンと叩き、駅前で配っていたドーナツチェーン店のチラシをカバンから取り出した。
眺めて新作のドーナツとマフィンをどれだけ食べようか、零賢の財布に死なない程度の大ダメージを与えれる金額を想像しながら部活帰りだった友里は、陸橋の下に歩いていく男性を目撃した。
家の周りを散歩する老人だろうか。住宅街の真ん中、よくある光景ではあったが、男性が陸橋の下に着いた途端、異変が起きた。
地面に光の環がいくつも浮かび上がり、光はフラッシュでも焚いたかのようにまばゆい光を放った。
「な、なにあれ」
ぽかんとして友里はチラシを手から離してしまった。
その間にも男性は光の輪の中で底なし沼に沈むようにずぶずぶと地面に沈んでいった。ただ事ではない。友里の直感が告げる。このままでは危ないと感じて友里は陸橋の下まで走った。その間僅か二秒。土手を飛び降り、ノータイムで体勢を立て直してダッシュする。沈みかけた男性の手を引っ張った。
「大丈夫ですか? 今助けます!」
腕を掴まれた男性は下半身が地面に埋まっている状態で一時停止した。男性は助けてもらった事よりも友里が地面に沈むほんのわずかな時間の間に腕を掴んで止めに来たことの方を驚いていた。
「なんだね君は! 手を離したまえ!」
「え? でもおじさん沈んじゃうよ!」
沈みそうになっている男性を必死で助けようと踏ん張る友里だったが力が出ない。カバンを投げ捨てた。カバンの口は開いていてそこから私物があふれる。
「わたしは大丈夫だから。いいから手を離しておうちへ帰って今の事は忘れるんだ」
下に引っ張られ、上からは友里に腕を引っ張られ、男性の顔は痛みで歪んだ。
「いやだ! ここで諦めておじさんの手を離して沈ませちゃったら後悔するもん! だからおじさんも諦めないで!」
この時友里は完全に勘違いしていた。男性が事故か何かに遭遇して地面に吸い込まれていると。だから助けなくてはいけないと。非常に強い正義感から動いていた友里だが、男性の真の行動までは推測できなかった。
彼は自ら沈みたかったのだ。別世界、マルセルスに向かうために。
「おじさんがんばって……」
自らの足も光の環の中へと沈んでいる事すら気付かないまま、男性の腕を引っ張り上げようとする友里の努力も虚しく、男性と友里は日本から消え去ってしまった。
長い長い光のトンネルを抜けると、そこは大聖堂でした。
友里は男性と一緒にトンネルを抜けている間も意識を失わずに地球からマルセルスへと到達することが出来た。今度は地面から湧き出るように、足から地上に友里と男性は生えてきた。体制を崩し、床の上に寝転ぶように召喚された友里は周囲を見て唖然とした。
野球場のドームほどもある高い天井。周囲には教科書の写真でしか見たことのないギリシャの古代神殿にありそうな太くて白い石柱が円周上に等間隔に並びドームを支えている。天井には見たことのない円を基調とした文字や図形が描かれている。
そして周囲には白い服を着た老人から少年まで、様々な年齢性別の人間が待ち構えていた。フードを被り目元がよく見えないが、日本人等のアジア系の顔ではない。ヨーロッパ系の顔の人間がずらりと百人近く、友里と男性がいる円壇上の周りに並んでいた。
それだけでも状況として呑み込めないのだが、一定間隔のリズムでどしん、どしんと建物や大地を揺らすような振動が下から響いていた。
「お待ちしておりました、栗塚重蔵様。此度も我々に勝利を」
一番手前の老人が召喚された男性、栗塚に跪くとそれに続いて周りの人間も跪いた。
「そんなことはいいから、早く本殿へ行くぞ。準備期間は二十五日しかないのだからな」
跪いた人の中を、草むらでもかき分けるように知った道を歩くように栗塚は歩き出した。
「あ、待ってよおじさん!」
友里も慌てて立ち上がり栗塚の後を追う。
「おじさん! ここどこ!」
アヒルの雛のようにひょこひょこと後ろについて歩いてくる友里を見向きもせず、栗塚はしかめっ面で応えた。
「ここはユートピア共和国。場所は地球外の惑星、とだけ言っておこう」
「え? じゃあなに? 私は知らない星に来ちゃった宇宙飛行士になれたの!」
「そういう考え方もある」
「てかおじさんなんで見知らぬ建物なのになんか知ってる感じなの? ここに何回か来てるの? ねえ?」
友里の質問攻めに耐えかねた栗塚は立ち止まった。
「おじさんではない!」
部屋の端、扉の前でいい加減堪忍袋の緒が切れた栗塚は振り返り、友里を見た。
「わたしは東京帝都大学理工学部教授、栗塚重蔵だ。覚えておきたまえ」
東京帝都大学。友里はその大学の名前だけ知っていた。零賢が目指している大学だ。
「頭いいところの大学の教授さんなんだ! すっごーい!」
「それともう一つ。わたしはここへ何度も来ている。君にさっき手を離せ、と言ったのは君を巻き込むのを防ぐためだったんだが」
「おじさんすっごい優しいのね! ありがと!」
「それとここはマルセルスという土地にあるユートピア共和国だ。君もここに来れた、という事は勇者の素質が、何らかの特化した能力があるのだろう」
「ふぇ?」
栗塚の言っている言葉が理解できないのか、友里は首をかしげたままフリーズした。栗塚が 一歩前に出ると観音開きの扉は自動で開いた。
「ついてきたまえ。この世界を教えよう」
講堂の外はガラス張りの空中回廊になっていた。外は砂嵐で下の様子も見る事は出来ない。
「ここはユートピア共和国が所有する移動都市の上だ。神話生物の天宮陸亀の上に街が乗っていて、ここもその一つだ」
「へぇ~……外の様子よく見えないよ」
「目を凝らしてよく見なさい」
その場で一度立ち止まり、友里は外をじっと見つめた。砂嵐が吹き荒れて一面黄土色の世界。
しかし、その奥には白い建物がたくさん生えていた。東京都内のような背の高い白いビルが砂嵐に負けずに数十本単位で立っている。そのビル同士が空中回廊で繋がっていて蜘蛛の巣のようなネットワークを形成していた。
そのビル群のさらに奥には、地面から生えている丸みを帯びた灰色の太いビルが左右に揺れながら立っていた。
「アレが天宮陸亀の頭だ。まあ、覚えておいて損は無い。ついてきなさい」
栗塚は幼稚園生を引率する先生のような口ぶりで友里に語りかけた。友里も慌てて距離が離れた栗塚に付いていく。
「あ、あのねおじさん。私は春風友里っていうの!」
「そうか。いい名前だ」
「で、ここからどうやっておうちに帰れるのか聞きたいんだけど……」
もじもじしながら友里は栗塚の機嫌を窺うようにそーっと尋ねた。
「三十日」
「へ?」
「三十日は戦争のため帰れない」
「えええええええええ」
零賢との食事の約束はどうなるのか。友里の頭の中はそれだけしか考えていなかった。栗塚は友里を部屋へと案内し、友里の後ろにぞろぞろと付いてきていた白いフードの人間も部屋の中へと招き入れた。
部屋は円筒形になっていて、中央には人を磔にできる手枷と足枷が付属した、黒い石板のようなものが立っていた。
「ここユートピア共和国はアバロニア帝国と五百年前から特殊な戦争を行っていてな」
栗塚は友里を石板の前へ立たせ、手枷と足枷を白フードの男たちに付けさせた。
「あ、あのこれは……」
「健康診断の一種だ」
友里はその言葉を信じなかった。
かけられた右手の手枷のベルトを外し、足枷を付けようとしているフードの男たちの顔面を蹴り飛ばす。並みの人間以上の脚力を持つ友里の蹴りを食らった男は、出入り口の扉の所まで蹴り飛ばされた。そのまま近くの白フードの男を踏み台にして周囲に円を描くように蹴り飛ばした。最後に天使が地上に降りるような滑らかな着地をして友里は栗塚に向かい合った。
「帰らせてもらいます」
「なるほど。君はその筋力で選ばれたらしいな」
栗塚は身の丈ほどある木製の太い杖を手にしていた。上の方には赤、青、緑の丸い宝石が等間隔に並んで付いている。
友里は本能で栗塚に接近した。最初に栗塚を助けようとしたときよりも早く。右側から弧を描くように接近し、飛び上がり杖を蹴り飛ばそうと全身を回しながら右足を杖と栗塚のこめかみめがけて大きく蹴り出した。
だが見えない壁に阻まれ、友里は弾き飛ばされた。
「まあ、拘束されている間暇だろうから話でも聞いていてくれ」
しりもちを着く暇も与えられず、友里は見えない力で宙に浮かされ、身動きが取れなくなった。何者かの拘束を解こうともがくも、空中でじたばたするだけにとどまった。
「くそ! なんだコレ!」
「魔法と言うやつだ。けがをしたくないならおとなしくしていなさい」
栗塚は優しい言葉こそかけるが冷めた目で友里を見ていた。再び黒い石板の元へと戻され、今度はしっかり両手両足を拘束された。
「我々は召喚魔法という物を使いこの国に召喚された人間だ。十年ごとに戦争が行われ、その際に日本のあの高架橋の下周辺にいる一定の能力を持った一定の年齢以下の人間をこの地に召喚する、というルールだ。わたしは特例で四十年前に勝ってからこっちへ出入り自由になっているけどね」
拘束具で縛り付けられた友里は餓えた野獣のような眼で栗塚を睨み付けていた。
「で、今回は君が選ばれたらしいね。偶然もいいところだ。召喚にかかる時間はおよそ五秒。その間で少し離れた場所にいた女子学生が出来る事と言えば携帯電話を取り出し写真に収めること程度。だが君は写真を撮らずに私を助け出した。正直、想定外だったよ。あそこまで素早く動ける人間がいる事にね」
石板はぐるぐると回りだした。加えて天井からは金属製のアームが何本も伸びてきた。その先端は平らなスキャン装置を備えていて友里の身体へ光を照射しながら観察を続けた。
「ここユートピア共和国では召喚された異世界人を『勇者様』と言って崇め奉るそうだ。君も今日からその仲間入りだ。過去十数年、そして今後日本でただのんびりと生活していたらできないであろう贅沢が今後二十五日の間待っている」
先ほど友里に蹴り飛ばされた白フードの集団が再び石板の周りにぞろぞろと集まってきて、そのまま頭を垂れるように跪いた。
「わたしがこちらへ来てからは他の者が戦争に参加しないようにこの時期になると先に共和国に入って召喚陣に蓋をしていたんだが、五百年前のシステムだ。不備もあるだろう」
一通りの測定が終わって、天井から生えていたアームは天井へと帰って行った。そして天井からは石を斬るような鋭い摩耗音と回転刃の音が聞こえだした。
「そして、この戦争だ。ルールは簡単でそれぞれ召喚した異世界の者を軍師として教育し、二十五日後に戦を行う。戦力を均等にするべくユートピア共和国とアバロニア帝国はそれぞれ州軍を一つのみ使用するという制約に加え、参加できる生物の量も制限している」
続いて天井からは鉄板を叩くようなカンカンという甲高い音も鳴りはじめた。
「私に言わせればもはやゲームだ。それをユートピア共和国の元老院共は五百年も続けているという。帝国はなぜだか知らぬが総攻撃をしてこない。だったら、私の手でこのくだらないゲームを終わらせようと思ったのだ」
音が鳴りやみしばらくすると再び天井が開いた。中からはマネキンに着せられた白銀に輝く鎧が出てきた。胸のふくらみ腹回りのサイズ、背の高さなど友里に合わせて作られたオーダーメイド品だ。
「この能無し国家を私が導いて戦争に勝たせてやろうと言うのだ。過去三回にわたるデータは取れ、必要なものも揃い、そして追加で勇者が来た」
天井からは再びアームが生えて来て石板に拘束されている友里に着せ始めた。
「この勝負、我々の勝ちだ。君の望みはなんだ? 春風友里」
鎧を兜まで装着させられた友里は拘束を解かれて石板の前に降り立った。友里の拘束を解除した石板は床に収納され、アームは天井に収納された。
鎧姿の友里を見て白フードの男たちは「おお、勇者様」とさらに頭を低く下げた。
「私の望みは、帰る事」
言葉で人を殺しかねないような鋭い声で友里は答えた。
「すぐには無理だ。最低でも三十日はこちらに居なければならない。だが君の望みがそれだと言うのならば最速で帰れるように手配はする。次だ。物質的に何か欲しいものは無いか? 例えば、金。例えば、男。例えば、家。例えば、不老不死の薬」
栗塚の喋り方は人を完全に見下した物の言い方だった。
適当なモノを与えればいいだろう、程度しか見ていない、個人を見ずに財布だけを見ていた。だからこそ友里は無理難題を押し付けた。
「零賢」
「なんだそれは」
「刑部零賢がほしい」
くっくっくと栗塚は大笑いしたいのを堪えるように声を出した。
「なるほど。意中の男を仕留める物が欲しいか。媚薬でも恋薬でも作ってやろう」
「あ、え。ちょっとそういう事じゃ……」
曲解されて一人で話を進めた栗塚は奥の自室へと向かっていった。それを引き留めようとする友里だったが白フードの男たちに阻まれた。
「勇者ユリ様。ユリ様のお部屋はこちらになります」
振り払う事も出来たが栗塚は暴れそうな友里に釘を刺した。
「その鎧は拘束具の意味合いもある。まあ暴れないでくれよ友里君。夕食の時にまた会おう」
栗塚が廊下へ入ると、廊下の入口の上からシャッターのように自動扉が降ってきて入口を固めてしまった。
「な……助けなきゃ良かった」
後悔先に立たず。
友里は項垂れながら白フードの男たちに連行されて己の運命を受け入れた。
「り、りんご!」
幸せな気分で眠りにつき、夢の中でも食卓に並んだ果物を貪り食ってた零賢が目を覚ましてまず放った言葉は果物の名前だった。
「ハッ。こちらに」
アルテンシアがすかさず跪いて切った果物の乗った盆を零賢に差し出す。
「いやちげーよ。果物より前にいう事あるしそれは林檎じゃない」
アルテンシアの隣に立っていたジョージがぺちんとアルテンシアの頭を軽くはたく。
「よっ。レーケン。気分はどうだ?」
零賢は落ち着いて周囲を見渡した。最初に目を覚ました居室だ。今はアルテンシアとジョージしかいないがたぶん黒ヤギ先生が往診してくれたんだろうと推測する。
「あ……食べ物のどに詰まらせて……」
「そうだよ。しっかりしてくれよ魔王様。食事を喉に詰まらせて死亡とかシャレにならねえからな」
ジョージは豪快に笑ってはいたものの、顔からは冷え汗を流していた。
「で、これからどうすれば」
魔王になって戦争を指揮すると大魔皇帝ユリウス・ルシフェルに報告したはいいもの、そこから急に食堂へ飛ばされ、周囲の魔王たちと会話をしてその後は倒れて自室に運ばれていた。
つまり、何もしていない。
「ボスン所行くぞ。まずはそれからだ」
ユリウスの玉座に入る際、今度はジョージもアルテンシアも一緒だった。
「おお、レーケンよ。目を覚まして何より。食料はたっぷりあるからゆっくり食べてくれて構わんのだよ」
ユリウスはよかったよかったと玉座の間全体が揺れるほどの声で笑った。
「時にレーケンよ。そなたは今後三十日間は魔王軍として働いてもらう。その際、体力や魔力と言ったものを一時的に上昇させた方が効率がいいと余は考えている」
「三十日間体力勝負って事ですか?」
「そうだ。今回のように倒れられては困る。今回は食べ物がのどに詰まる、という事故だったが例えばこちらにはあるが日本にはない病にかかった時、我々では手の施しようがない可能性もある。そのため吾輩と契約を結んでもらいたい」
「契約?」
「余の魔力の一部をそなたに分けて、身体能力の向上を図る。その代わりに魔王軍、強いては帝国に対して不利益を働かないという契約だ」
なるほどな、と零賢は思った。妙な力を手に入れて客人として招いた人間に反旗を翻されて魔王軍壊滅、という事態になったらたまったものではないだろう。
「なるほど。契約を破ると?」
「そなたの魔力を全部奪い取る。そなたの魔力量はもう測定済みだ」
隣にいるアルテンシアから一枚の紙を渡された。黄ばんでいて厚みもある。折りたたんだら割れそうな、初期のパピルスに似ていた。そこには黒いインクで契約の条文、内容などが事細かに書かれていて最後に零賢の名前とユリウスの名前、そして『担保:魔力量八五二M』と書いてあった。
「余がそなたに与える魔力量はその十倍だ。それだけ増えればどうなるかと言うと、睡眠時間が短くなり、臓器不全が治り、筋力が増し、所謂健康的な状態が常に維持される。欠点は消費カロリーが増える事だ。だが先ほども言ったが食料の心配はする必要が無い」
一見するととてもいい契約だ。断る理由はどこにもない。だが、一つだけ零賢は聞いておきたかった。
「魔力が無くなるとどうなるのです」
「死ぬ」
大魔皇帝ユリウス・ルシフェルは今までのどの問答よりも早く、冷酷で、冷めきった答えを巨体から放った。
「余に、帝国に歯向かったものには死が待っている。だがレーケンよ。そなたは案ずることは無い。余と契約を交わし、帝国のために働くというのであれば、そなたは我らが家族も同然。帝国を敵に回すことなど考え付くまい」
この時初めて、零賢はユリウス・ルシフェルという人間性に恐怖した。始めてみたときは生物として恐れたが、ただの巨人が何百年も皇帝として帝国に君臨し続けている意味がようやく理解できた。魔族の国が何故帝国を名乗るのかも、理解できた。
唯一絶対の最高にして最強の支配者、ユリウス・ルシフェルは異常なまでの愛国心で国を治めていた。零賢はここにきて断ることが出来ない事を全身で感じた。零賢の全身よりも巨大な眼が零賢を見つめている。
「どうする。零賢よ。断る事も、出来るぞ」
ユリウスの言葉が全身に重くのしかかる。生きて帰る最善の方法は何か。零賢は前を向き、ユリウスに向かい合った。
「この契約、謹んでお受けします」
その瞬間、玉座の重苦しい空気が解けた。ユリウスはそのまま零賢を食い殺そうかというほどの真顔から晴れ晴れしい太陽のような笑顔を作っていた。
アルテンシアの指示に従い、契約書の裏面に手形を押した。隣にはユリウスの小型化したときの手形が載っているが、それに比べても零賢の手は小さかった。
「レーケン新魔王よ。我らの勝利のため、邁進してくれたまえ」
零賢はその言葉を素直にうれしく受け取れなかった。
冷水に入ったと思ったら丁度いい温度のお湯だった。そんな気味の悪さをユリウスから全身で受け取った零賢は新魔王としてすぐに教育が施された。
契約から五分後、零賢が倒れて目を覚ましてから十分後の事である。
「まずは筋力だ! 魔王と言えど、異世界からの客人と言えど容赦はしないぞレーケン様!」
訓練場へと飛ばされてアルテンシアと一対一での剣術の練習。日本の剣道場を模して造られていて板張りの床に上座に飾られている掛け軸には書道の達人が書いたのか『武士道』という字が荒々しく書かれている。
「待った! 聞いた話と違うよ。軍師じゃなかったの? なんで戦闘訓練!」
アルテンシアは木刀を投げて零賢に渡した。
「いざとなったら身を守るのは己の技量。ルシフェル様の魔力強化で通常の人間より死ににくい体になってはいますが所詮その程度です。仮に流れ弾ならぬ流れ岩が降ってきても切れるだけの力量を付けていただきます!」
「むちゃくちゃだよ!」
剣の持ち方から振り方という超基礎から、筋トレという名目で移動要塞ドーラの最外殻通路を走らされ、最後は実戦訓練という事でアルテンシアの攻撃を受け流し、カラーボールのようなインク入り魔弾を避け続けるという訓練も行った。動きが素早いアルテンシアの剣術を受け流すことなど無理に等しく、それに加えて同時に襲撃してくる魔弾を避ける事など神のみぞ可能な技だった。
全身痣だらけになりながら零賢は三十秒後にはインクまみれで生物か置物かわからなくなっていた。
「その程度でへばるとは情けない!」
「い…………いや…………もった…………ほう」
息も切れ切れ、全身の血圧も相当上がってへとへとになった零賢は道場の外の壁にもたれかかって休んでいた。アルテンシアはインクまみれで汚くなった零賢にホースで水をかけて生物として認めてもらえる程度まできれいにしようとしていた。
かけてもらった水を時折口に入れてなんとか生存しようとしている零賢とは違い、訓練を積んできていたアルテンシアの方は褐色の肌を汗で濡らした程度で特に疲れている様子は無かった。
「風呂に入ったら次は座学だ」
「はい」
死んだ魚が腐ったような眼をしながら零賢は答えた。
座学と言っても戦争のルール説明をしっかり受けるだけの話だった。講師として選ばれたのは黒ヤギ先生だった。
「まあ私も結構長い間生きてきたからね。初代の戦いなんていうのも見ているわけだよ」
そこから映像機器と過去の書物を使っての黒ヤギ先生の講義が始まった。場所はドーラ内部の講堂の一室。三百人以上は入りそうな半円状の講堂の最前列に零賢が座り、五メートルほど離れた黒板の前に黒ヤギ先生が立つ形で講義はスタートした。
「当初、この戦争は互いの生物的な戦力を平等にするために行われたのじゃ」
テキストならぬ五百年前の古文書には挿絵も入って当時の様子が書かれている。文字に関しては辞書があるのでそれに対応して読んでいくという形だ。
黒ヤギ先生の話を聞きながら零賢は書物を読み進めた。
事の始まりは互いに領土拡大を図っていたアバロニア帝国とユートピア共和国がとある土地で衝突したこと。その戦いも数年単位で続いた挙句、ユートピア共和国の大魔法使い『マーリン』が謎の魔法を使ったことで魔王軍が壊滅的なダメージを受け、危機感を覚えたユリウスが己の力を最大限に発揮して大地ごと共和国軍を削り取って今のような砂塵吹き荒れる荒野になったと書かれていた。
「当時、マーリンの魔法の影響は強烈で気が付いたころには魔王軍は全滅。ユリウス様は現在もその影響で下半身不随なんじゃよ」
一体どんな魔法を使われたか見当もつかないが、資料を読み黒ヤギ先生の話を聞く限り帝国側も把握しきれていないようだ。
互いに大破壊がもたらすのは両軍の死だという事実をマーリンとユリウスの衝突によって学んだ帝国と共和国は新たに条約を結ぶ。それが五百年前からずっと続く戦争条約だ。
生物種として弱い日本人を互いの軍で召喚。それを一か月で鍛え上げて一騎打ちさせるのが最初の戦争だった。これが明るみに出れば政治団体が黙っちゃいないが、どこにどう抗議してどういう形で賠償請求をするのか見当がつかないというのが零賢の見解だった。
それから十年に一度一騎打ちの戦争が開催され、勝った方はこの荒野の中心点から百メートル前進し、荒野の端に着いた段階で戦争は終了するという決まりになった。
このルールが適応されてから二百年が経ったころ、帝国側が武士の少年を召喚した時があった。彼は当時八歳。しかしまっすぐな目で『私は勝ちます』と宣言し訓練も受けて子供の中では優秀な部類になった。
しかし共和国側が召喚した人間は辻斬りを行い生活を行う、浪人だった。それも成人し齢は四十。熟練した腕前に女子供を切り殺す事すらためらわない神経、そこに魔力強化が入れば少年の武士に勝ち目は無かった。それでもルールなので二十五日目に帝国は少年を決闘場へと送り出した。そして開戦し、少年が殺されそうになった時に歴史は動いた。
少年を守るために教官だった魔族の男が戦場に飛び出し、目にもとまらぬ速さで浪人を叩き切った。
その行動に共和国側も帝国側も、目を丸くして全員が止まったという。その数秒後、ルール違反だと共和国側の兵士が競技場へなだれ込み、それらから魔族の教官と武士の少年を守るために魔王軍もなだれ込み混戦になった事がきっかけで一騎打ち形式は廃止された。
「その後提唱されたのが軍師として異世界の人間を使用する形式じゃ」
だがそのままだとルシフェルのような生物として規格外の奴が戦場を蹂躙して終わってしまう。これについて共和国はとても反感を持っていた。ルシフェルの方針としては下手に強攻策に出て共和国からの手痛い反撃を受ける事を避けたかったため、共和国が提案した『戦力を平等にした戦』という案に乗った。
「魔族の種は五百年前のマーリンの大魔法の時にほぼ絶滅したのだ。わしは羊頭種と言うのだが、わしが死んだらもう他にはいないのだよ」
種の存続と繁栄を考えた結果、生物種としては大いに勝る魔族が人間の共和国相手に『戦力を平等にした戦』を行う事になった。
人間という生物の戦力を一として、ダークエルフ種ならば三、人間の魔法使いならば千、ダークエルフの魔法使いなら三千、という具合に種族と能力ごとに種族数値を与えた。最終的に戦力を五万以下に抑えるように軍隊を編成し戦うのが今の戦争である。
「ルシフェル様をお借りするのはいいのですか?」
「ルシフェル様は一人で百万の数値を付けられているので無理じゃ」
魔族ではスライム種が百リットルで一という基準が最小で種族数は多く選び放題だが共和国の方は人間、馬、象くらいしか選択肢が無く多様性という点では帝国側がまだ勝っていたのは事実だ。
「でもこれじゃあ日本人必要ない気がします」
「そういうのも致し方ない。しかし、わしらは欲しかったのじゃ。日本からもたらされる新たな文化を。日本の民は何もないところから何かを生み出す力を持っていた。異世界に来てその辺にあるもので道場を建てた者もいたし、教育に力を入れているというのも興味深かった。庶民でも字の読み書きができるように教育するというのは魔族には無い風習だったのう」
「それでも傲慢過ぎでは。他人の人生を蹂躙するのですよ」
零賢は冷たく黒ヤギ先生に言い放ったが先生は「ふぉっふぉっふぉ」と笑い、蓄えた白いひげをなでながら零賢に優しく告げた。
「申し訳ないのう。これでもわしらは帝国民。帝国以外の全てを飲み込み、受け入れ、巨大化する組織なのじゃ」
傲慢だがこの感じを零賢はどうも嫌悪することが出来なかった。外から見れば恐怖の象徴だろうが中に入ればこうも暖かい。これが、帝国。これがユリウスの力なのだと全身で感じ取った。
「この後百年近い間は帝国側が押していた。少しずつ前進し、あと五十年も勝ち続ければ戦争は終わりそうになっていたんじゃよ」
そして四十年前に、共和国軍にとある勇者が現れたことで状況は一変した、と黒ヤギ先生は黒板に書くイラストを止めて零賢に向き直った。
「名前はわからぬが我々は奴をこう呼んでいる。『死神』と」
魔族が人間を死神と呼ぶ事に、死よりも恐ろしい大魔皇帝ユリウスがいる帝国民がただの人間を死神と呼び恐れる事に零賢は強い違和感を覚えた。
「奴が現れてから、共和国軍の戦い方が一変したのじゃ」
そして敗北の三戦について黒ヤギ先生はゆっくりと語ってくれた。
初めの一戦は僅差で負けたそうだ。
一部の人間が驚異的な力を身に着けて巨鬼の軍勢すらなぎ倒された。軍師の機転の悪さから生じた敗北だった。
二戦目は想定外の生物を持ち出してきた。象の群れを連れ出して帝国軍は戦ってきた。一頭の武装した象に兵士が三人から四人乗り、象の騎兵として攻め込んできた。騎兵という考え方が無かった魔王軍は今までは純粋に個の力で騎兵を圧倒していた。馬に乗った兵が来れば巨鬼が殴り殺す。その程度の対策でどうにかなっていたが象の前ではただの巨鬼は勝ち目が無かった。当時の魔王が考案した地雷、爆弾、連発の銃でどうにか迎撃することに成功したが軍の士気は落ちて負けてしまった。
三戦目もこれまた想定外の生物が外部から襲ってきたという。
象に引き続きカバの騎兵も連れ出した共和国軍に対抗するために帝国軍も虫騎兵を使用。魔王の指揮もあり優勢だったが魔王軍の拠点、攻め込む方向とは逆方向から海魔族が攻め込んできた。
「海魔族とはなんなのですか」
手元にある本には何の記述も無いが時折聞くその生物種に零賢は疑問を持っていた。黒ヤギ先生は零賢の質問に答えるべく黒板に向かって絵をかきだした。
「海魔族とは北極海を主な住処とする水生生物……だと思われていた生き物だ。クラゲやイカ、タコ、ヒトデなど、君たちの世界でいう多足類がそれにあたる」
そう言いながら黒ヤギ先生が描いたのはただの触手の塊だった。
「これが原生種の海魔族」
続いて描いたのはクジラの頭部を持ち下半身が触手の生物に、イルカやジュゴンのような小型の海洋哺乳類の上半身にイカの下半身を持つ生物。
「原生種が海の生き物に寄生し、そのまま種を増やして進化した姿がこれだ。
続いて人間身体だが頭部から職種を生やしたような生き物を書いた。
「これが海魔族の王。生物の進化の最終形態である二足歩行と自由な腕を手に入れた状態である。魔王軍四天王の一人、ナイル・グッド・ホープ様がこれに当たる」
零賢は食事会の時にルシフェルの近くに召喚された触手頭の男の事を思い出した。
「彼らはそこまで強いのですか?」
「まず彼らは死なぬのだ。強靭な生命力を持っている。切っても再生する。潰しても再生する。脅威そのものだ。そして力も強い。触手だらけの足で地上を歩くのだ。筋肉の塊で数百キロある体重を骨のない足だけで支える事もある」
そして彼らの触手の危険性を黒ヤギ先生は語った。伸縮自在でとんでもないスピードで襲い掛かる。加えて力もあるのでもはや歩く刃物殺人機械と言っても過言ではない。種の繁殖力も強く、原生種に寄生されたら自我を失い死ぬときには自身の体を苗床に海魔族の進化した種が体内を食い破って孵化するという。
当時上陸して魔王軍に襲い掛かったのは蟲に寄生したタイプで甲虫の硬さと海魔族の筋力を掛け合わせたようなバケモノに襲われつつ魔王軍は共和国軍と戦ったそうだ。
「この時も何とか撃退に成功していてな。海魔族を調理して食うと美味いと当時の魔王が言ったのだ」
「……なるほど」
なるほど。たこやきだ。零賢は直感でそう思った。悪魔の魚と恐れられるタコですら日本で食べる文化がある。タコの一種という話を聞いて食おうとした奴がいてもおかしくは無い。
「現在海魔族は四天王ナイル軍が絶滅に追い込もうと戦闘中じゃ」
当時の魔王が奮闘したが、最終的に海魔族殲滅に力を使いすぎたために戦争には負けてしまった。
最後に十年前、帝国軍は人間の軍隊に本当の意味で負けたと黒ヤギ先生は語った。
「ユリウス様はことある度に仰っていたのじゃ。人間を舐めてはならぬ、と。我々魔族は生れてからの能力差が激しい種族だが、人間はそれが無い。故に、考え、一世代で急激に成長する種族だ、とね」
遠距離砲撃としての迫撃砲や、対地砲、チャリオットではない現代兵器としての戦車に酷似したものが登場したのがこの時だ。今までそのような変化は一度も見せなかった共和国軍が突然進歩したのである。
海魔族を土台にしてそこに重装甲の部屋を作る。中から外に砲台を設置して造られた海魔族式戦車が戦場で猛威を振るった。遠くの敵は砲撃で。近くの敵は海魔族が殺す。魔王軍の多くがこの戦車との戦いで死んでいった。途中、人間を食べだす海魔族が出たおかげでなんとか巻き返すことが出来たが過去最大の死傷者を出して事実上の完全敗北だった。
ユリウスを除く帝国の魔王や軍関係者は人間を甘く見過ぎていた。口酸っぱくユリウスから危険だと教育されても、その脅威を目の当たりにするまでそれが本当だと信じる事が出来なかった。
帝国側は人間に完全敗北するという歴史に刻まねばならぬ敗北を味わった。これ以上の連敗は帝国としてあってはならぬ。それが大魔皇帝ユリウスを始め魔王であるジョージからも感じ取れた焦りなのだろう。ここで勝たないと帝国の士気にかかわってくる話だ。
「まあ、こんなわけでレーケン魔王にはこの戦いで勝ってもらわないといけないんでよろしくお願いしますよ」
細かいルールも説明された。両軍のトップである異世界からの召喚者の他に従属官として二名までを五万以下の戦力に加えて参戦することが可能である事。この二名は戦闘に立って戦ってはいけなくて軍師の防衛に徹する事しかできないという。
「ルシフェル様が仰っている『死なせない』というのは魔王軍でもトップクラスの戦力であるジョージ様とアルテンシア様を護衛に付けると言う意味じゃ」
彼らがどのくらい強いのか零賢には解らないが、とりあえずは信用できる戦力であることは理解している。
「ちなみにルシフェル様を……」
言いかけたところで黒ヤギ先生はあきれたように即答した。
「無理だ」
「ですよね」
その後は魔族の全種族に与えられた『戦力値』を事細かに教え込まれた。零賢は途中、過去の魔王たちがどのような戦いをしたのか見たいと言い出して映像記録装置を出してもらった。映写機に似ているが、光を当てるのではなく魔力を流し込んで映像をホログラムとして映し出すものだった。
「全部見ていると時間がかかってしまうからね。わしはもう休ませてもらうよ」
気が付いたら時計は夜の九時を指している。六時間以上黒ヤギ先生は零賢に付き合って話をしていた。のんびりと歩いて講堂を後にする黒ヤギ先生に対し、零賢は立ち上がり礼をした。
「ありがとうございました」
その後は映像を見ながら零賢は戦いを分析した。過去三回の戦いを重点的に、それよりも昔の見ながら。約三万の人間と馬一万の馬、百程度の魔法使いをベースにした騎兵と歩兵というのが共和国側のベーシックな軍だ。
それに手を入れ始めたのが四十年前。象という扱いにくい生物を投入し、二十年前には海魔族にも手を出しはじめ、十年前には海魔族を不完全ながらも手懐けていた。これは脅威とも言える。なんども映像を早送りで見る中で、零賢は一つの事実に気付いた。
「……こいつら、なんで車に乗らないんだろう」
ぼそりと呟いたところで講堂の闇の中からアルテンシアが沸きだすように現れた。
「レーケン様。そろそろ睡眠の時間です。これ以上は体に毒ですよ」
「その前に一つだけ教えて、アルテンシア。この国に、この世界に蒸気機関はあるの?」
「じょ……なんですかそれは」
呆けて首をかしげるアルテンシアの間抜けな顔を見て零賢は勝ちを確信した。
翌朝、目が覚めてから全てのスケジュールをぶっ壊して零賢はルシフェルに協力を仰いだ。
「すいじょう、きかん、とな?」
ルシフェルも最初は首をかしげたがそれが戦力に直結するとわかるとすぐに技師を呼び寄せて作成に入った。零賢が幼いころに読んだ本の知識を基に、蒸気機関の雛形が作られるのに五日も要さなかった。技師として呼ばれたドワーフ族達はドーラ内部の工房で喜々としながら初めて見る蒸気機関を作り上げた。
「水と熱だけでくるっくる回転しやがる!」
技術部長であるグラートは剥げた頭をぺちんと叩きながら魔法を介さない回転機を感動しながら見ていた。
「こっちじゃ魔力駆動の機械しか無かったからな。それに今までの食客魔王たちもこんな技術を持ってきた事は無ぇ! これは斬新だ面白い!」
「じゃあもっと面白いものを作ってほしいんだけど」
さすがの零賢も蒸気機関の知識はあっても応用して使う事は知らなかった。きっかけと発想だけ与え、零賢は種族の把握と戦の訓練、肉体の鍛錬に努めた。
訓練開始から七日目。零賢の剣術が、運動神経が壊滅的な事にようやく気付いたアルテンシアは方針を変えて反射神経を鍛える方向で訓練を再開した。何があっても避け続ける。逃げ続ける。そしてどこかで反撃する。
「別に反撃は剣術じゃなくてもいい。小細工を使え!」
「使える小細工すらないんですけど!」
悲鳴を上げながらアルテンシアの剣を避け続けた零賢に次なる力が与えられた。魔法だ。
「魔法は俺が教えるよ」
そう言ってジョージに連れられ、たどり着いたのは石造りのドームだった。内部にはろうそくで壁の周囲がほんのりと明るい程度。ほとんど暗くて前がまともに見えない状態だ。
「さて、この鍛錬所で魔法の訓練だ」
ベルゼブブの姿が人型からナニカに変わるのを零賢は感じた。
「いいか。魔法のコツはただ一つ。明確な殺意だ」
「あ、はい」
魔法も習得するのは無理だと零賢は心の底から感じた。
その後あまりにも教えるのが下手すぎるという理由で万能型のアルテンシアが講師になったのは言うまでもない。翌日からアルテンシアの事も考慮し、肉体鍛錬の方をジョージが、魔法の方をアルテンシアが受け持って教育が再スタートした。
それらが終わった後に待っているのは戦術の勉強だ。
帝国で昔から読まれている戦術書を読みながら、実践と称して黒ヤギ先生とボードゲームを行う。駒の種類は大小百。それを決められた重さ分だけ取り、盤上に並べてスタートする。最初の駒を自分で選ぶタイプのチェスに似ていた。
「まず君には負けを学んでほしいんじゃ」
黒ヤギ先生は盤上の駒を動かしながら言った。零賢は開始十分、十二手目の段階で詰みになっていた。将棋やチェスならば部活で強い人間とやりあう程度の実力はあったが、所詮そこまで。頭がいいのと戦慣れしているのとでは話が違う。
「君は、思っている以上に傲慢だ。敗北を知らない。戦争に負ける前のわしら帝国によく似ている。だからこそここで負かして成長させたい」
「……降参です」
ゲームが終わった後は種族の勉強を行う。実際の兵士を招き、どの種族が何をすることが出来て、どのような環境に弱く、何に強いのかという事を徹底的に頭に入れなければならない。
「軍を選出し終えたら二十三日目に両軍から選出された軍が規定の種族値以内に収まっているかどうかを、両軍から選ばれた審判員によって審査する。それまでがタイムリミットじゃ。自分の動かしやすい軍を見極めるんじゃ、レーケン魔王」
魔法使いで固めた軍で戦うのが最善だ。
零賢はそう考えていたが、それが誤りだという事を黒ヤギ先生とのボードゲームと過去の映像データから学んだ。人間側の魔法使いに比べて帝国側のダークエルフ、エルフ族の魔法使いは潜在魔力量が百倍から千倍ほど違うという。そのため種族値に大きな差が開き、帝国軍を全員エルフ系統の魔法使いで組んだ場合数で圧倒的に不利になってしまう。百年近く前にその戦い方で挑んだ魔王がいたが、勝ちはしたものの魔法使い達の大半が疲弊して過労で倒れるという事態が発生していた。この戦い方を今の共和国軍相手に行った場合、負けるのは明白だった。
遠距離砲撃、召喚魔法による瞬間大量移動、防衛。どれをとっても外せないのが魔法使いでその有用性について零賢も十分な理解はしていた。
「魔法を打ち消す魔法というのも存在するの?」
魔法の訓練中、アルテンシアの魔弾を魔力防壁を張って走って逃げながら零賢は聞いた。
「当然!」
零賢が必死になって覚えた魔力防壁。今まではそれで魔力弾を防いでいたが次の弾が当たった瞬間に魔力防壁が消滅して直に魔力弾が零賢に当たった。
「いったー」
足に直撃して痛さのあまり転んでしまった零賢にアルテンシアが寄ってきた。
「このように、防衛側より強い攻撃魔法を与える事で防壁はいとも簡単に壊れてしまう。逆にいくら多くの攻撃魔法を行っても瞬間最大魔力量を攻撃側が上回ることが出来なければ魔力防壁は生き残り続ける。このため魔法使い同士の戦闘では魔族の方が有利だ。帝国軍の魔法使い達は召喚魔法による輸送の仕事がメインになる」
「魔法って、もう少し頭使うもんだと思ってたけど意外とパワーゲーなんだ……」
「まあ、今のはおおざっぱな説明です。強化魔方陣を通せば魔法の力は底上げ可能ですよ」
アルテンシアは右手の平を前に突き出し、零賢に当てるようなカラーボール状の魔力弾を形成した。その周りに幾重にも魔方陣を展開すると球体だった魔力弾は形を変化させて人間の串刺しを作れるほど巨大な剣になった。それを壁に向かって射出すると爆発音とともに魔法鍛錬所が半分吹き飛んだ。
零賢は何が起きたか理解できずに目を丸くしてフリーズし、アルテンシアは勝ち誇ったような満足げな表情を浮かべ、外にいたジョージは飽きれて声が出せなくなっていた。
「これが魔法の強化です。覚えますか?」
「アルテンシアてめえ! 俺がせっかく作った鍛錬所をぶっ壊しやがったなあああああああ」
「黙ってろハエ野郎! 今はレーケン様のお勉強の時間だ!」
「まずはお前に常識を教育する必要がありそうだなああああ」
乱戦に巻き込まれる前に零賢はそーっとその場を立ち去り、別のフロアにあるドワーフたちの工房へ向かった。
「見てくれよレーケン!」
この頃には彼らが零賢を呼ぶときは旧知の仲のように呼び捨てになっていた。
「どうしたんだい親方」
親方と呼ばれた長老ドワーフは零賢を別の出口から工房の外に連れ出した。裏手に当たるそこには零賢も実際に見るのが初めてなものがあった。
ユリウスを横に倒したような黒く巨大なそれに零賢は言葉を失った。
「動きは、動きはどうだ!」
「ばっちりでぃ。足さえ変えてやりゃあ荒野だろうとどこでも走れるぜ」
零賢は背の低いドワーフの親方に向き直り、しゃがんでお礼を言った。
「ありがとう。これで勝てるぞ。あとは馬力と燃料の問題だが……」
「レーケンが言ってた燃える石って奴はドーラの燃料で使ってるから余ってますぜ。馬力は、要はスピードとパワーだろ? どのくれえ欲しいんだ?」
零賢は立ち上がり巨体を見た。
どれくらいの力があれば勝てるのか。どれくらいの力があれば軍を動かすことが出来るのか。零賢は無茶を前提で言ってみた。
「これが五台あればドーラを引きずる事ができるくらいに、パワーが欲しい。あと、四台の完成品が欲しい」
親方は一瞬硬直した。そんなことできるはずが無い。ドーラのサイズは山一つ分と言っても過言ではない。それほどの重さの物を動かすのは無理に近かった。
だが零賢はその場でノーと言わせなかった。親方の方を向き、にこやかな笑顔で付け加えた。
「短期間でこれだけすごいものを作っちゃうドワーフ族だから、それくらい……出来るのかな。どうだろう。やっぱり無理?」
「いいぜ。やってやる!」
親方はドンと胸を張って言い切った。
ドワーフ族は現在主に三つの班に分かれて動いている。
機械の動力部分を作る班。
外装を作る班。
そして最後が銃を作る班だ。
共和国軍が三十年前から使いだした兵器、銃。これを持てばただの人間も低級魔法使いレベルの戦力にはなれる。銃そのものは昔から共和国、帝国共にあったが技術的な進化が見られなかった。最大の理由は魔法を使った方が楽だからという理由。五人に一人は魔法使いなので魔法の使い手も結構な数がいるため、生活も不便ではないし遠距離攻撃で弾や火薬、矢を消費するより体力がなくなるだけの魔法使いに任せ、戦闘後は休ませておけば資材も減らないといういいこと尽くめである。
そんな共和国の銃や大砲の威力は倍以上に増して、大砲を使えば巨鬼族でも殺す程度の威力を持っている。砂嵐の中でも性格な砲撃をすることが出来る大砲は脅威だがそれと同時に帝国興味の的でもあった。十年前に鹵獲した兵器を解剖、分析することでその構造を理解したドワーフ族は十年に渡りその強化を続けてきた。今では一撃で海魔族を粉砕するような弾も開発してこれを戦争で投入できれば勝ちにつながると言うほどだった。
そこに突如現れた零賢。彼の入れ知恵で兵器は凶悪化の一途を辿った。
「例のアレの開発は?」
また別のドワーフの元を訪れた零賢はほぼ完成品のそれを見せられて笑みが零れた。とたんの倉庫の中でソレは宙吊りにされて最終点検のフェイズに入っていた。中ではドワーフたちがひしめくように動き回って点検作業を行い、また別のグループは完成品の複製に勤しんでいた。
「素晴らしい。射程は?」
「戦場。これ一本で戦場を丸々カバーできます」
比較的若いドワーフで構成されている部隊だが、ドワーフ特有の老け顔のため倉庫内は暑苦しかった。
だがそんな中でも零賢は涼しい顔をして勝ち誇ったように呟いた。
「共和国に勝てるぞ」
映像を見るうち、零賢は一つの仮定を持った。これは黒ヤギ先生を始め多くの魔族が考えている事でもあった。
過去四十年間、同じ勇者が指揮を執って戦っている、という仮定。
しかも頭は相当良い。兵器開発を一人で出来るだけの技術も持っている。動物を意のままに操るどころか海魔族すら操る技術もある。
こんな人間が指揮する軍隊、軍勢に勝つには今までの魔王が行ってきていたパワーだけのゴリ押し戦法じゃ勝つことが出来ないのは火を見るよりも明らかだ。だが、魔族の持つ純粋な力に人間が持つ技術力を合わせればどうなるのか。
零賢はスライム族のたまり場に来た。
「よし。全員揃ったな」
ドーラ最下部には柱があまりないだだっ広いスペースがある。戦時中は兵士の駐機スペースになっていつでも出発できるために開けてある。一番広いスペースだ。そこにドーラ内にいるすべてのスライム族を集めた。遠くから見るとカラフルを通り越し使い終わった絵具を洗った時の水のような色になって見える。
「それじゃあ……『整列』!」
零賢の号令に合わせて今までうねうね自由に動いていたスライム族が縦横升目状に並んだ。体の大きい者は零賢の決めた基準の大きさになるように体を切り分け、小さいものはそれを吸収して同じ大きさになる。
「いいね。整列にかかったのは二秒だ。次は……『整列硬化』!」
並んだスライム達はレンガのような直方体になって、各列一列の巨大な線を作り出した。それぞれの列の間は五メートルで等間隔になっている。
「これは五秒かかるか。まあいい。……なおれ!」
スライム達は元のとろんとした形状になった。
「いいか。戦場ではお前たちがすべてだ。気を抜くな。お前たちの上を全ての軍が走る。それを心得ろ!」
スライム達は各々声を出そうと頑張った結果、へなへなした「ぽー」というかわいらしい声を上げた。
黒ヤギ先生とのボードゲームも駒の使い方に案れてきたのか、いい線まで攻めれるようになた。今までは即決即答で駒を動かしていた黒ヤギ先生も少し悩むようになってきた。
「レーケン魔王。なかなかうまくなってきたじゃないか」
黒ヤギ先生は右手でひげを触りながら鋭い眼差しで零賢を見つめた。
「だがまだまだじゃな」
一手一手、ゆっくりと零賢は攻められた。最初の威勢の良い攻め方が仇になり最終的に零賢が負けてしまった。
「攻めるなら、徹底的にじゃ。相手が何もできないうちに攻め滅ぼす。これが大切じゃな。もしくは最後まで奥の手を取っておくか。奥の手というのも使うタイミングが重要で、負けそうなときに使うのはダメじゃ。勝ちそうな時、畳みかけるように使う。これが、重要じゃ」
日に日に零賢は戦術を身に着け、戦場で逃げ回る術を身に着け、ある程度の魔法も使えるようになった。最たるものは召喚魔法の習得だ。
「いいか。召喚魔法というのは便利だがそれ以上に危険なものだ。魔力の出力が不安定な者が使用すると、こうなる」
そう言いったジョージが見せた写真は胴体が上下真っ二つに切れた生物や、顔半分を失って召喚された共和国の使者など。しまいには両腕失った状態で倒れているジョージの姿もあった。
「召喚魔法は別々の空間を安定的に繋げる必要がある。少しでも失敗するとこうやって死ぬからな」
「ジョージさんは生きてるじゃないですか」
「俺は特異体質だからな。それに腕だったし。生えてくる」
腕が生えてくるという感覚が解らないが、ジョージにはそれが普通らしい。とりあえず失敗すれば死ぬ事がわかった。
「実際にやってみるぞ。まずは小動物から!」
力技でゴリ押すアルテンシアでは召喚魔法の教育が務まらないと判断した黒ヤギ先生がジョージを講師として召喚魔法の教育が始まった。やり方を覚え、最初の召喚はネズミのような小動物だった。ただ哺乳類のような柔らかい体を持っているが、蜘蛛のような足が四対ある不気味な生物だった。
これを魔法でマーキングして召喚地点へ召喚する。召喚地点では地面に魔方陣が描かれて発光しながらマーキングした対象物が湧き出てくる、というもの。サイズが小さくただの召喚ならば初歩の初歩だ。この訓練を積み、徐々に対象物の大きさを大きくして最終的には自身を別の地点へ召喚する移動方法『逆召喚』を習得することが今回の目的だ。
三時間に渡る特訓の末、残ったのは小動物の残骸だけだった。
零賢が寝ている間、食堂では各教官や整備担当者が大魔皇帝ユリウス・ルシフェルに報告する会議が行われていた。
「レーケン様の学習速度は早いですぞ、ユリウス様。現在は軍の選抜を行う段階に入っております」
黒ヤギ先生が報告を始めたのを皮切りに、ジョージやアルテンシアも続いた。
「魔法は微妙だな。才能が無いっていうレベルだ。とりあえずこれ以降の魔法の授業を全部召喚魔法の逆召喚に費やして生存率を上げた方がいいと俺は思うぜ。ボス」
「私も同様の見解です、ユリウス様。剣術の腕は最悪レベル。一騎打ちに持ち込まれたら勝ち目はありません。辛うじて防衛魔法は使えるようにしましたが、防げるのは流れ弾程度です」
「ふむ。今まで来た者よりも強化が弱いのか。使いこなせていないのか。だが軍師の能力はありそうだな」
小型化したユリウスは腕を組み、ふむと首を傾げた。今のところの良い報告は黒ヤギ先生からのものだけだ。軍師としては優秀。これは魔王軍を指揮する魔王として戦ってもらう上で一番重要な事だ。しかし、ユリウスの表情は曇っている。
「過去四回。敗北の最大の理由は魔王を直接殺された事だ。一回目は従属官ごと薙ぎ払われ、二回目は遠距離狙撃で死に、三回目は海魔族に食われ、四回目は敵の勇者が従属官を引き連れて突撃してきた。今回もそれが無いとは言い切れない」
ユリウスは一つだけ、零賢に黙っていたルールがあった。これを話せば恐れ、怯え、震え、項垂れ、魔王として使い物にならなくなるのは目に見えていたからだ。
「『異界からの召喚者を殺されれば敗北』。このルールにより負けないためには、レーケンには逃げて隠れて戦ってもらわねばならぬ。そしてジョージ、アルテンシアよ」
「はい!」
「はっ!」
ジョージとアルテンシアは声を上げて姿勢を正した。
「そなたらには戦当日、死んでもレーケンを守ってもらう。それこそ、そなたらが死してもレーケンが生きていればまだ勝ち目はある。その命、帝国に捧げれるか」
「当然です。ボス」
「捧げます。この命」
「よろしい。では、頼んだぞ。続いてそなたらの話も聞こう」
ユリウスはジョージ、アルテンシア、黒ヤギ先生より奥に座る背の低いドワーフ族の長老と、椅子にしがみついている黒いコウモリに語り掛けた。まずはドワーフ族の長老が立ち上がり、話し始めた。
「現在、レーケン魔王の指示の元兵器を作っています。レーケン魔王曰く、『魔法使いにも匹敵するモノだ』との事です。巨大な鋼鉄の荷車を想像してもらえればいいかと。加えて若手の者を集めて、以前より作っていた長距離大砲を可動式にしようとしております。先ほど話した鉄製の荷車に積んでどこからでも打てるようにしたいとの事です」
その話を聞いてユリウスを始め黒ヤギ先生、ジョージ、アルテンシアは目を丸くした。授業が無いときはふらっとどこかへ消えていた零賢が、ドワーフたちと共謀して兵器開発をしているなど考えてもいなかったからだ。
「かーっ。俺たちの授業の合間どっか行ってると思ったらドワーフン所かよ」
「まさかレーケン様が兵器を。だからあのような戦い方を。なるほど。合点がいくのう」
「あれだけ動き回った後にドワーフ族との打ち合わせ……レーケン様! ご立派です」
最後にコウモリが喋った。人間の子供ほどあるコウモリで顔は人間の物と似た構造をしていたため、人間の頭部を持たない種族よりクリアな音声がユリウスにまで届いた。
「は。わたくしめが見てきたレーケン様をお話しします。まず、レーケン様は時間の概念を気にされて最初の数日は図書室にも通っておりました。戦争期間中の時間の概念は日本と同じになっている事を理解されて予定を立てたようです。
続いて、現在砲台や荷車を作っている山ドワーフ達とは別で、地下ドワーフ族に火薬や弾薬の製造を依頼しています。長距離砲に使うための物でしょう。そして訓練している部隊もあります。小鬼の居住地へ赴き、手先の器用な者、大砲の扱いを見たことがあるものを筆頭にドワーフの元へ連れていき、長距離砲の使い方を学ばせております。現在六百体の小鬼が又聞き含めて長距離砲を扱う知識を得ています。最後に、スライム族も動員しております。全員に硬化の魔法が使えるようにエルフの魔法使いに教育を依頼し、硬化、整列、解除を短時間で行う訓練を行っております。形状からして荷車を走らせる道を大量のスライム族で作らせようとしているのでしょう」
零賢が消えている間の緻密な行動に全員が息をのみ、感動し、驚愕し、勝ちを確信する中、ユリウスだけが驚愕した後に零賢の潜在能力に恐怖を抱いた。
「今の話を聞いてわかったであろう」
ユリウスは威圧するような低い声でテーブルに座る全員に戒めるように語り掛けた。
「人間は、恐ろしい種族だと。少し前までただの少年だった者が少しの魔力を与えただけで魔法を使えるようになり、人材を与えただけで我々の知識には無い、発想にはない、魔法使いに匹敵するほどの兵器を作ろうとしている。人間の恐れるべきところはそこだ。彼らは何にでもなる事が出来る。知恵を付け、力を蓄え、自らより強い者と戦い勝つ方法を知っている。今までの戦いで我々が勝利し続けてきたのは偶然に過ぎない事を、今一度自覚せよ」
全員が無言で頷いた。
「此度の戦い、大敗する事は無いだろう。しかし、勝った後に戦いが待っていることを忘れるではない。そのために、そなた達は学ぶのだ。零賢から、人間という物を。そなた達は決してただの教師として彼に物を教えるのではない。彼から、学ぶのだ」
一人一人の顔を、目を見ながらユリウスは各自に言い聞かせた。
「ゆくゆくは、かの地も制圧するために学ぶのだ」
「出来上がりはどうだ?」
共和国軍、移動都市天宮のとあるビルにある栗塚の研究室を改装した部屋は現在友里の部屋として与えられていた。部屋の中はだだっ広いホールのようになっていて中央ではたくさんの管につながれた友里が裸のまま円筒状の水槽に入っていた。水槽は天井から床まで貫かれている。中の友里は目をつむり膝を抱えた状態で浮遊していた。寝ているようで全く動かない。水槽の周りには血だらけの白い服や、肉がまだついている骨などが散乱していた。大きさからして、人間の物である。
「そ、それが。このありさまで」
白フードの男は困惑した様子で周囲の骨を指さした。部屋の隅に立つフードの男たちも怯えている。
「素手でやったのか」
「いえ、その、触手で……」
怯えた様子で震えながら声を出したのをを聞いて、栗塚はにやりと笑った。
「水槽から出せ」
周りの男たちに命ずるも、動こうとする者は誰もいない。
「いいから早くしろ!」
栗塚の活に白フードたちは慌ただしく動き始めた。水槽の裏手へと回り操作盤をいじる者。友里の暴走に備えて武器を持ってくる者。準備はすぐに整い水槽から液体が抜かれ、友里から管が抜かれ、水槽のガラスは床に収納された。床の上にうずくまった友里が現れた。
「調子はどうだい、春風君」
栗塚は淡々と横たわる友里に語り掛けた。反応が見られないので少し近寄ろうと一歩踏み出した時だ。
友里のいた所から黒い触手が栗塚の方へ一直線に伸びてきた。突き殺す意思を持ったそれは弾丸のような速度で栗塚の心臓を狙っていた。間一髪、栗塚は全方位魔法障壁を展開して触手の軌道をずらした。右隣に控えていた白フードの男に触手が当たり、体が張り裂け血を流しながら男は倒れた。
「なぁんだ。オジサマ殺そうと思ったのにぃ」
全裸のまま友里は立ち上がった。背中から黒い触手を何本も生やし、殺した白フードの男を解体して肉と骨に分けている。友里は満面の笑みで生肉になっていく男を見ていた。
「彼らは君のおもちゃじゃでもなければ、食料でもないんだがね」
「じゃあどうすればいいの?」
友里はかわいらしく首を傾げた。その背後では背中に生えた触手の隙間にできた口から先ほど殺した男の肉を摂取している。室内にぐちゃ、ぐちゃという音が聞こえ、それを見ていた白フードの男の何人かは嘔吐し、逃げ出した。
「殺すな。こいつらは私が手塩にかけて育てた優秀な手下だ。餌の人間は用意する」
「わかったぁ。で、今日は何をするの?」
食事が終わり冷静さを取り戻して服を着ていないことを思い出したのか、友里は二本の触手で胸と局部を隠した。
「一人前の戦士にする。ただ、それだけだ」
「はぁい……はやくれーけんに会いたいよぅ。れーけんもおいしいのかなぁ。戦場で真っ先にたべてあげるからね、れーけん!」
残った触手を尻尾のようにぶんぶんと振り回し、友里は奥にある訓練場へと向かった。
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