第22話 エド
話を聞いた段階では信じられなかった士官でしたが、こうも実物を見せ付けられては疑う気も霧散するというものでした。
目の前にあるのは円柱の中は液体で満たされています。飲料用の水を貯めておく貯水タンクではございません。その証拠に、中には人間が浮いております。
「それは実験体ですよ」
と当の管理者が否定してくれたので、円柱の中に浮いている女が
これで脳だけが円柱型のシリンダの中にぷかぷか浮いている、とかならまだわかるな、と士官は思いました。しばしば見る状況です。見るとはいっても、実体験でではなく、サイエンス・フィクションの小説などで、ですが。
でなければ、全裸で浮いているべきだろう、とさらに士官は思います。だというのに、目の前の女は寝巻きを着ているというのは、どうしたことだろう、と。
全裸が希望だ、というわけではありません。目の前の女は、少女といってもいい年齢で、彼に幼女趣味はないのです。
円柱の中で浮いている姿は、まるで眠っているかのようでした。じっさい、眠らされているのかもしれません。
「採集時のままで保存しておくことが大事ですので」
などと応じる日本人技術者のことを、まるで外来種のようだ、と士官は思いました。人間たちに紛れ込み、人類の研究をしているのでは、と。だから捕らえてきた人間をそのままの形で保存しているのでは、と。
「記憶の連続性を損なわないようにするためなんです」と技術者は説明しました。「以前に説明しましたように、無敵号の強さの根本は、人間が魂を懸ける力です。これを発揮させるためには、あくまで人間は人間のままで戦わなくてはならない。槍だの鎧だのは使っても良いですが、戦車のような兵器であってはいけない。魂の力に頼ろうとして、脳髄をそのまま通常の兵器に乗せては意味がないわけです。あくまで身体の延長でなければいけない。しかし、だからといって、もちろん身一つで外来種に対抗できるはずもありません。既存の兵器を鎧の延長として扱わなければいけない。
では兵器を鎧の、身体の延長とするにはどうすれば良いか? 単純に合成する、融合するというのではいけません。なぜならそんなことをしても、その兵器の部分があるという認識があるため、その部分に頼ってしまうからです。これがたとえば義肢や義眼、人工臓器といったものなら、おそらくは問題ないでしょう。元々あったものですし、仮に産まれた頃から腕だとか脚だとかがない人間でも、周囲がみなそのような人間でなければ、それらが身体に付属するものであるというものを、経験として知っています。つまり、重要なのは連続性なんですね。
連続した経験というのは非常に大事で、たとえばわたしたちは睡眠を取ると意識が途切れますが、次に目覚めたときに己が誰か解らなくなるということがない。これはかつての経験を持っているからです。記憶と言い換えてもいいでしょう。寝たときの記憶を持っていて、起きたときと連続しているから、意識が一度途切れたとしても、己を失ったりはしない」
じゃあ酔って前後不覚のまま眠ってしまったら、次に目覚めたときには自己を失ってしまうというのか。士官はそう思ったものの、口には出しませんでした。
「では酔い潰れてしまったら、次に起きたときには自分が誰か解らなくなってしまうのか、とそう思われるかもしれません」と日本人技術者は、士官の考えを読むかのように先回りして説明します。「現実にそうならないのは、人間が記憶というか、脳だけで生きているわけではないからでしょう。脳が一時的に連続した記憶を失っても、身体は記憶を失ってはいない。
たとえば昔からある命題に、『人が蝙蝠になったらどうなるか?』というものがあります。これは、いってみれば、人の脳を蝙蝠に移植したらどういった事態になるか、という意味です。勿論この場合、脳のサイズが違いすぎる、だとか免疫拒絶反応ですぐに死んでしまう、などという回答は期待されていません。そういった問題を越えて、人間の脳と蝙蝠の身体を繋いだら、蝙蝠のように自在に空を飛び回ったり、エコロケーションで暗闇をも自在に見通すことができるか、という意味で、べつに蝙蝠である必要はなく、海豚だとか、犬だとかでも良いのですが。
結論から言ってしまえば、その人間は何もできないでしょう。免疫の拒絶反応のことを差し置いても、呼吸さえできないかもしれません。というのは、生物の身体の構造というものは複雑ながら、その動作自体は非常に単純であり、その単純な現象を理解しなければ、複雑な機構を動かすことができないからです。生物の身体を司っているのは生物電流で、微小な電流が神経を流れ、筋肉を動かし、思考をしています。この生物電流を理解するのが、経験だとか記憶というものなのです。経験というのは、コンピュータに喩えれば、ドライバです。ソフトウェアとハードウェアがあって、その間を取り持つものです。ご存知の通り、ドライバがなければソフトは動きません。もっとも現代では、たいていのソフトウェアはハードに対応するドライバが一緒になっていますから、その存在を一般のユーザーが認識することはありませんが。
そういうわけで、蝙蝠のドライバを持たない人間の脳を蝙蝠に移植しても、生物電流を理解することができないわけで、だから何もできないわけです。
ではドライバはどのようにして作られるのか? まぁ簡単にいえば、慣れ、ですね。ハードに対する慣れが、ドライバを作り出すのです。
たとえば人間の目が解り易いでしょう。人間の目は反射光を網膜で光刺激として受け取り、それを電流に変換することで認識していますが、映り込むその像は、眼球のレンズに相当する部分を通過していますので、反転しています。われわれはこの反転像を、実際に触れたりしてみることで……勿論この触覚に関しても経験的に理解するわけですが、長年の経験によって、正立した像を認識できるわけですね。
単純な光刺激を像として理解することも驚異的ですが、生物の柔軟性はさらに驚くべきことがあります。物がすべて倒立して見える、逆さ眼鏡というものがあるのですが、これを身に着けるとどうなるでしょう? 網膜に入る像は眼鏡で倒立し、水晶体でもう一度倒立するわけで、網膜に入るときには正立した像が見えます。しかし視覚を司るドライバは反転像を見るようにできているので、全ての世界は逆さに見えてしまいます。そうでなきゃ、おかしいですよね。ですがこの逆さ眼鏡をつけて、丸一日、二日、一週間と生活してみるとどうなるでしょう? 答えは……おそらく予想できているでしょうが、正立した像が、つまり世界が逆さ眼鏡をかける以前と同様に見えるようになります。経験によってドライバが己の性能を更新したというわけです。こうなると、逆さ眼鏡を外したときに、世界が反転しているように見えてしまいます。また日を置けば治りますが。
話が逸れましたが、つまり重要なのは脳というソフトウェアと身体や神経といったハードウェアを繋ぐドライバであり、それを形成するのは経験であるということです。ならば、蝙蝠としての経験を積んだことのない人間が、そのドライバを持っていないのは当たり前のことでしょう。しかし経験的に新しくドライバを取得することはできます。もちろんそれまで生きていられれば、ですが。しかしドライバを新しく取得するということは、そのハードウェアに対する経験を積むということです。新たな記憶を得るということです。もしドライバまでも、つまり記憶までも、完全に置き換わったら、そこにあるのはただの新たな蝙蝠が生まれるだけのことになってしまいます」
ぼくの兵器に関しても同じなのです、と日本人技術者が言ったので、士官はようやく話が元の軌道に戻ってきたことを知りました。ほっとしたところで、お話はさらに続きます。
「これまで魂の力が発見されていなかったのは、連続性の問題なわけですね。つまり、単に人間をロボットに乗せたり、脳を組み込んだりするだけでは、あくまで乗っている自分、としか考えられない。重要なのは、不連続を纏わずに兵器を自分と感じることなのです。人間の脳髄を無敵号に接続してしまったら、その脳髄はだんだんとそのハードウェア、つまり兵器である無敵号に馴化していくでしょう。そして完全に一体化してしまったら、それは巨大な鎧を纏った人間ではなく、人間型の兵器がひとつ存在しているでしかないことになります。それでは、いけない。魂の力が扱えない。人間が人間の心を、経験を、記憶を保ったままで無敵号と一体化させなくてはいけない。そのためには、できるだけそのままの状態を保つ必要がある。下手に動かして薬を使ったりすると記憶や脳髄に影響が起きる可能性があります。下手に衝撃を与えたりすると、記憶に不連続点が生じてしまう。その不連続点が残り続けると、己の存在意義を疑うことになってしまう。自分が人間であると思わせたまま、戦わせなくてはなりません。まぁ最終的に必要になるのは中身で、徐々に外側は溶かしてほかの部品に入れ替えていく予定ですが」
日本人の開発者は事も無げに言いましたが、話の内容は凄惨でした。
士官は心臓の鼓動を整えながら、ようはこの日本人が言いたいのはこういうことだろう、と己の頭の中で組み立てなおすことで冷静を保とうとしました。兵器の完成には、人間の身体が必要だ、だから人体実験だろうがなんだろうが、兵器に組み込ませろ、と。本来であれば、横面のひとつでも引っ叩いてやりたいところでしたが、実際にその力を見せ付けられては、彼の言う「魂の力」を信じざるを得なくなってしまっていました。
人類が最新鋭の兵器を集中させてようやく破壊した外来種、その破片のサンプルから推定した、一般の外来種の装甲と同程度の強度のある平板を重ねたものを、日本人技術者が作り上げた兵器は簡単にぶち抜いたのです。
「これが新技術の、人間の、魂の力です」
あるいはそのような力はやはりただの妄想であり、目の前の兵器が外来種に劣らぬ力を発揮しているのは、ひとえに目の前の男の技術力の賜物なのかもしれません。単にこの男が妄想を抱いているだけで。
しかし士官にはある種の確信がありました。つまりはこういうことです。この兵器の力が、人間の魂によるものでも、この技術者の巧の技によるものだとしても、どちらにせよ、人類が外来種に対抗するためには、この悪魔のような技術に頼るしかないのだ、と。
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