第17話 石竹
オングルの夜は冷える。
夜というのはもちろん自転速度にあわせたもので、つまりは三日連続する昼の日の後に続く夜の三日間のことである。
冷えるのは、電磁波の形式での太陽からのエネルギー供給が無いためだ。惑星は熱を持っており、その熱は大気圏外へと逃げていく。だから太陽光という形で外からの供給が無ければ、惑星はすぐに冷たくなってしまう。
そんなオングルの暗黒と極寒の時間だが、何もやることがないわけではない。太陽がなくとも月明かりや星明りはあり、また必要な箇所には縄が張り巡らされ、吹雪さえ吹かなければ、燭台なしにも歩けるようになっている。それでも好き好んで零下の屋外に出ようという者はおらず、基本的に仕事は家の中でやるものが多くなる。気象観測装置の整備保守をする苔桃や犬の世話をする一華ならともかく、たとえば狩りを生業とする綿菅であれば外に狩りに出るのは止めて、昼の間に狩った獲物を解体したり、保存食作りを手伝ったりすることに集中する。とはいえ全く外に出る機会が無いわけではない。便所は外に在るし、食事をするにも最低、一日に一度は集会場に行って料理を取ってくる必要があるのだから。
夜の間は同じ村とはいえ、他人との接触の機会が減るため、その分会ったときに纏めて情報のやり取りをするようになる。特に集会場で一同に会するときなどは、非常に姦しい。そういったときにはいつもできないような話なども飛び出てしまい、たとえばそれが重要な話題だったりすると、議論にまで発展する。
この週もそれは同じだった。夜の間に交わされた会話は発展し、翌週の昼の一日目になって本格的な話し合いをすることになった。場所は集会場ある。全員が集まれる場所といったら、この場所以外にはない。ディーと撫子以外の全員がその場に集まっている。彼がオングルにやって来てから、約一ヶ月が経った日のことであった。女たちは囲炉裏を囲んで、思い思いの位置に座布団を敷いていた。
「ディーさんは?」と囲炉裏の灯りでなにやら計算をしながら苔桃が問う。
「撫子を遊びにつれていってもらった。犬を見に行くんだって」
犬でも見に行ってはどうか、と彼に提案したのは、実をいえば石竹である。というのも、今回の議題に彼が関連しているからで、ここに来られては邪魔だからだ。
議題はふたつある。ひとつは、彼の住む場所に関してだ。ディーが石竹の家を出て、冬の終わりにもなると使われていない資材倉庫に住むという話が当の本人から齎されていた。彼が倉庫の備蓄状況など知っているはずがないので、誰か入れ知恵したのだろうと思っていたが、どうやら苔桃が助言をしたらしい。
だが苔桃が口を挟まずとも、ディーが家を出て行くと申し出ずとも、いつかは彼は石竹の家を出て行くことになっていただろう。
「石竹さんばかり、ずるいです」
それが少女らの主張だからだ。石竹ばかりディーと一緒に居られて羨ましいと、そう論を張るからだ。
主張していたのは、石竹から見ると少女といえる年頃の中でも、比較的年齢が上の、十八歳前後のグループであった。
石竹からすれば、なにがずるいのか、だ。ずるいとは、なんだ。何が言いたいのだ。
助けを求めて年長組の友を見れば、ディーの話題にあまり積極的な様子を見せぬ綿菅は、我関せずといった様子。苔桃はといえば、にこにこと楽しむかのようにこちらを見ているのだから頼りにならない。
「だって、ねぇ」
と石竹の言葉に応じて少女たちは囁き合う。その曖昧な視線な意味は、明言されずとも石竹にも解った。彼女らは、石竹とディーとの間に何かしらのいかがわしい関係があるのではないかと考えているのだ。ディーを石竹が独占しているかのように感じているのだろう。
なるほどそれは解る。きっと自分が少女らの立場でも、同じように勘繰ったかもしれない。だが石竹がディーを家に泊めているのは、彼が怪我をしていたからで、それ以上の理由はない。
「でも、もう怪我は治ったのでしょう」
治ったというわけではない。ひとりで出歩ける程度に傷は癒え、狩りに同行できる程度に体力が戻ったというだけだ。隻腕までは治らない。慣れぬ衣服、慣れぬ食器、慣れぬ生活様式の上に、隻腕になったばかりということもあって、ディーは日常生活に不便を抱いていることだろう。
「成る程、これがほんとの片手落ち、ってね」
と苔桃が要らぬことを言う。石竹は無視した。
少女らは、つまりはディーと恋がしたいのだろう。石竹はそう解釈した。だがそれは無理というものだ。何しろディーには恋人がいるのだ。
石竹は少女らに、ディーが持っていたペンダントの中身について教えてやった。リリヤとかいう名の、プラチナブロンドの髪の恋人のことを。オングルの女とは肌の色も、手の汚れ具合も、踵の皮膚の厚さも、何もかもが全く違う恋人のことを。
石竹たちは、恋人に、なれない。
「いいえ、そんなことはありません」
そう言ったのは
どういうことか、と尋ねると、少女はこう言い募った。
「だいたい、恋人がいるというのは聞いたことがありません」
曰く、話す機会は何度もあったが、恋人の話など一度も出てこなかったと、恋人の写真が入った首飾りなど見当たらなかったと、だからきっと石竹の勘違いなのだと、それが葉薊の主張であった。若い少女たちのリーダー格であるだけに、他の若い女たちも同調するように首を縦に振った。
しかしディーは自分のことを積極的に話すというよりは、オングルの(本土育ちの彼にとっては)珍しい道具だとか、生き物だとかに興味を示していたように思う。女から話し掛けられたとて、自分の恋人の話を喜々としてしたりはしないだろう。あるいは単に、拙い言葉では恋人の魅力を表現できないからと、何も言わなかったのかもしれない。
ところが少女らのほうではそうは思わぬらしい。あくまで、そんな女はいない、いや、石竹が見たというペンダントが確かにあって、尚且つそこに女の写真が入っていたとしても、きっときょうだいか何かなのだ。恋人ではないのだ、と一歩も譲らなかった。
「それに、いたとしても………」
言いかけた葉薊の服の袖を、近くに座っていた少女、
言葉にならなかったその先が、いったいどんな言葉だったのか、石竹には簡単に予想がついた。
本土に恋人がいたとしても、どうせディーは帰ることができない。
オングルは絶望に支配されているというわけではなかったが、重力には他聞に漏れず支配されている。重力を振りきり、惑星の引力圏から逃げ切るための第二宇宙速度は、翼を持たぬ石竹たちには余りに速過ぎる。
外からの救援があったとて、それは外来種の妨害に阻まれる。ちょうどディーのように。そもそも本土とオングルの距離は光の速度で駆け抜けても何年も何十年もかかるような隔たりがあり、ディーたちが乗ってきた船は時空間を捻じ曲げて半年で到達することができたそうだが、そういった航法はいつでも使えるというわけではない。
「兎に角、わたしが言いたいのは」
と気まずそうな表情から己を取り戻して葉薊が言った言葉は、ずるい、だった。ずるい、ずるいです。最初の主張に戻るのだ。石竹さんばかりずるいです、と。
結果として、話し合いはディーにひとりで暮らしてもらうということで纏まらせざるをえなかった。
石竹は当初、隻腕を不如意に感じているであろうディーをこの慣れぬオングルの地でひとりで暮らさせることには不安があったが、それよりも若い女たちの反感が気になり、後半はむしろディーにひとりで暮らしてもらう方向に、他の女たちを説得していた。風紀も考えれば、そのほうが良い。
冬場は使っていない高床の木材備蓄倉庫のひとつを人が住めるように改造するという方向でディーの住居についての話は結論を見た。問題はもうひとつの議題で、それはディーが無敵号の騎手を申し出ているということであった。
「もともと男の人のほうが適性があるんだけどね」
と若い少女らは知らぬ事実を教えるのは苔桃である。年長組である石竹や苔桃は、男が戦うさまをその目で見て知っている。
その理由までは不確かであるが、これまでに騎手を務めてきた人間の記録を調べると、男性のほうがひとり当たりの平均の騎手を務める回数は多い。騎手を務められなくなったということは死んだということになるので、平均の騎手回数は生存率の高さを示している。男性の生存率は、女性の約十一倍だ。
「苔桃さんは、ディーさんに騎手をやってもらったほうが良いっていうんですか?」と葉薊。
「そういうわけじゃないよ。そういう事実はあるにはあるね、ってだけ」苔桃は大袈裟に両手を持ち上げ、降参のポーズ。「問題は、無理矢理やる、って言って騎手席に着かれたら、たぶんわたしひとりじゃ止められないよ。だって、いくら相手が片腕とはいっても、大人と子どもくらい体格差があるんだよ? この前は止められたけどさ、今度もそう上手くいくかどうかはわからない」
「だから意見を統一しておいて、ちゃんと止められるように、って?」と綿菅が苔桃の言葉を引き継ぐ。
そういうこと、と頷く苔桃。
で、と言葉を重ねたのは綿菅である。「全体の意見としては、みんなあいつが騎手をやることには反対なのか?」
「綿ちゃんは、違うの?」
「違う、とまでは言わない」綿菅は肩を竦める。「が、べつに反対はせん。本人がやりたいと言っているのだから、やらせきゃあ良いだろう」
「でも、騎手は危険ではないですか」と若い少女の中から蓚が言った。
「だから、ありがたい、ってこと」
議論を耳に流しながら、石竹は子どもの頃のことを思い出していた。
今となっては男はみな死してしまったものの、石竹が幼かった頃にはまだ同い年の男の子がいた。
男女の成長の速度の差があったためであろう、歳は同じなのに石竹よりも身体が小さくて、そのくせ態度が尊大で、少し威張っていて、乱暴な子だった。
(可愛かったな)
嫌いではなかった。
彼も無敵号に乗って、死んでしまった。
まだ十かそこらの歳だった。そんな若い少年が無敵号を駆らなければいけないほどに、オングルの人口は減っていたのだ。だが彼は無敵号に乗らなければいけない立場を厭うわけではなく、むしろ喜んでいるようだった。怖くはないよと言っていた。無敵号に乗れば、その間だけでも無敵になれるから。おまえのことを守れるから、と。
好きだった。
ああ、改めて思い返してみれば、そう、自分はあの少年のことが好きだった。好きだったのだ。死んでほしくなかったし、守ってくれなくても良かった。
当時は石竹の知る限り、最も混迷を極めた時代だった。
苔桃の伯父が死んだ。歴代最強と称された無敵号の騎手は、やはり最後までその称号に恥じぬ戦いぶりを見せた。彼は外敵の脅威に晒され弾丸に貫かれたわけでも、無敵号の操作を誤って高速機動する物体から冷たい氷の上に放り出されたわけでもなく、村の他の男によって殺された。親であるところの男に嬲られていた少女を助けようとして、彼は死んだのだ。そのときの出来事を覚えているのは、いまや集落では最年長組の石竹と苔桃、綿菅だけだろう。
無敵号の騎手をただひとりの男に頼るようになっていたがために、彼を失ってからの戦闘は大変だった。伝聞でしか操作方法を聞いていないような人間が騎手となるのだ。苔桃の伯父が騎手になる以前、つまり今と同様、当番制で騎手を回していたときと比べても高い死亡率となった。騎手は男がなるものと決まっていた。男の多くが死んだ。騎手としての死のために、男女の人数格差が大きく開いていることに気付いたときには遅く、男は僅かな幼い子どもを残すのみとなっていた。その子らは、戦火に巻き込まれ、あるいは病に倒れ、やはり死した。女だけとなった。そうなったら、もっと人が死んだ。
あの小さな男の子も、その混乱に巻き込まれたひとりだった。
いま思い出してみれば、怖かったのだろう。ああ、そうだ。喜んでいたなどというのは、まやかしだ。目尻に涙を溜め、顔は赤く紅潮し、それでも、大丈夫だよと、おれが守ってやるからな、と、そんなふうに強がっていたのだ。
彼は身を挺して女を守れば、きっと好いてくれると信じていたのだろう。子どもらしい、単純な考え方で。が、それは間違いだ。
「馬鹿なのだ」
あれは馬鹿だった。あの少年は馬鹿だったのだ。こちらの気持ちも考えぬほど。
馬鹿め。彼は気付いていなかった。守ろうとなんてしなくても、自分はあの少年のことが好きだった。守ろうとなどせずにとも、死に急がずとも、好きだった。だから彼の考え方は間違いだ。好きになったから、すべてを捧げなくてはいけないという道理はないのだ。だから。
「だから、駄目」
男に女を守らせるだなんて、駄目だ。
ディーと出会って、石竹は幼い頃の恋心を思い出した。自分が好きなのはその少年で、ディーではない。それがいま、解った。気付かされた。
だからこそ、ディーに騎手をやらせるわけにはいかない。もし石竹がディーのことを愛しているのならば、彼の考え方を尊重してやるという選択肢もある。だが違う。そうではない。ならば彼の考え方を尊重してやる理由はない。馬鹿めと言って、独りよがりな考えなど踏みつけて、彼を守ってやれば良い。少なくとも、彼が男であるからという理由で騎手の座に着こうとするならば、それを全力で妨害せねばならない。なぜなら、そうするだけの理由が無いからだ。男だからという理由で戦わせる理由は無いからだ。馬鹿だからだ。自由にさせておくわけにはいかないからだ。
「だから、駄目なのだ」
石竹が主張をぶつけると、場は静まり返った。皆、このオングルで生きてきた。産まれたときには既に父親やきょうだいが騎手として戦い、死んでいるという者もいる。
みな、男のことは知らない。
が、幼い少年のことは知っている。
戦いそのものの記憶は曖昧でも、彼らがくだらない理由で戦いに赴き、そして死んだという事実は、撫子のような本当に幼い子どもでなければ、誰もが知っていることだ。彼らが死に、結果的に生き残ったという負い目があるからこそ、反の意を唱えることはできなかった。
静かになった場を切ったのは綿菅の声だった。
「じゃあ、決でもとるか?」
綿菅の提案で、挙手によって決を採ることになった。
ディーが騎手を務めることに反対する人間は二十四。賛成なし。放棄一。車座になっている女たち、この場にいないディーと撫子を除けば全住民の数は二十六人。ひとり足りない。
決に参加せず、権の放棄さえも主張せずにひとり俯いていたのは、この中ではいちばん若年の一華であった。彼女は囲炉裏から少し離れた位置に、ぽつねんとひとりで座っている。
「一華さん?」
その隣に座る綿菅が、何か考え込む様子で静止したままの一華に声をかける。一華さん、どうした、大丈夫か、おおい、と目の前で手を振ったところで、ようやく彼女は顔をあげた。
「あっ、はいっ」
「何か気になることでも?」
えっと、と一華は少し迷うような素振りを見せたものの、「なんでもないです」と首を振ってしまった。
一華は既にして無敵号の騎手となるべき年齢、十四歳には達しているが、まだまだ若い。石竹よりひと回り年下で、そうすると遠慮してしまって言いたいことも言えなかったのかもしれない。実際、こういった会議が終わってから、ああ言い過ぎてしまった、発言しすぎてしまったと、そう後悔することが石竹にはしばしばある。年長であるところの自分が抑えなくては、年下の人間は遠慮してしまうものだ。
そう思って、「どうしたの?」と石竹も身を乗り出して尋ねみたのだが、帰ってきたのは、はい、大丈夫です、すいません、という謝罪の言葉だけだった。
「まぁ、良いじゃない」
意見としてはほぼ大多数が反対なわけだしさ、と石竹と一華の間に割って入ったのは苔桃であった。
それもそうだ、と他の女たちが頷く。会議では多数決ですべてが決まるというわけでもないが、これだけ大勢が決しており、しかも残った者の態度が明確ではないとなれば、覆い返し用もないものだ。石竹は引き下がる。
むしろ気に掛かるのは、意見を纏めようとした苔桃の態度である。彼女は自分にとって有利な意見が場を占めているからといって、その意見をごり押しするような性格ではない。これは公平な議論を望んでいるというわけではなく、単に彼女は相手の意見を聞いた上で、その欠点を指摘し、おちょくり、からかい、口で丸めて混ぜ返すのが好きというだけである。口が上手く頭の回転が速いだけあり、そんな態度でも押し通したい意見があるときは通せる。
だから、こうやって無理矢理にでも意見を纏めたのは、石竹がこれ以上一華に対して食い下がろうとすると、何かしら悪い事態があるというのを予感しているからだろう。座布団の上に座りなおした石竹に向けて、まるで何か意見を伝えようとするかのように一瞥してきたこともあり、長い付き合いである石竹には、彼女が一物腹に抱え込んでいることがわかった。
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