第16話 ディー
外来種とはどういった生命体なのか、また、何を目的としているのか。それは未だ人類の与り知らぬところである。人類の領土を侵略してはいるが、戦争宣言が有ったわけではないし、コミュニケーションをとったという人間もいない。稀に、外来種から発信される電磁波を解析したなどと言う者も居るが、そういった話はほとんどが妄想めいていて、眉唾ものだ。
外来種の正体が解らないのは、外来種そのものや、彼らが駆る兵器を鹵獲できないからでもある。現代では白兵戦などというものは存在しないから、生身の外来種と出会いようがなく、また兵器の能力で人類側が劣っているとなれば、降伏させて敵を下らせるということもできない。可能なのは、破壊力に劣る兵器を集結させて外来種の兵器を叩き潰すだけであり、そうすると灰燼一つ残らない。でなければ、外来種に汚染された惑星を、その惑星ごと破壊するしかなく、この場合もやはり外来種の兵器の回収など困難である。
人類が見ているものは外来種の兵器などではなく、外来種そのものなのかもしれない。そんな説もある。戦車や戦艦のような兵器が外来種そのものであり、本当に「外来種」とひと括りにできる生命体などは存在しないのかもしれない。機械にしか見えない生物など、本土の常識で考えればありえないが、惑星脱出速度のままに他の惑星に落着し、その後にも動き続ける兵器などそもそもからして人類の常識外である。
「無敵号は、外来種に似ている」
ディーはそう思う。
無敵号も、やはり人類の常識からすれば、異常だ。
殴打や投石で戦うなどというあまりに原始的な考え方自体、現代の人類の技術の産物とは思えない。さらに不思議なことは、その異常な戦い方で勝利を収めていることだ。
「人間が、外来種を倒せる兵器など作れるのか」
ありえない、とディーは思う。それは人類のこれまでの敗退の歴史を見てみれば解る。正確な時期は不明とはいえ、オングルが戦火に晒され始めた時期から考えると、無敵号は少なくとも八、九十年程度前には存在していたと考えて間違いないだろう。無敵号の力は戦場を限定するとはいえ、これだけの技術が有るならば、人類はもう少し有利に戦争を進められたはずだ。戦争が長引くことで得をする人間もいて、それは例えば軍部なり、兵器商なりであるが、そのような立場の人間の利益を考えたとしても、人類はあまりに負けすぎているのだ。戦争で失った宙域を鑑みれば、人類の無残な敗北が意図的なものではありえないことは、子どもでも理解できる。
「無敵号は、外来種の兵器なのかもしれない」
あるいは、外来種そのものなのかもしれない。
「だとしても」
ああ、だとしても、本土の軍ではなく、折れた槍でもなく、武器も兵器も失ったディーでもなく、無敵号こそがこの星を守る最後の盾なのだ。ならば活用せぬ道は無い。でなければ、生きることはできないのだ。この無骨な異形の兵器こそ、オングルの守護神なのだ。
だが外来種に似た性能を醸し出し、生物とも機械とも取れぬ得体の知れない外見に反し、その中身はといえば女性の空間であった。
胴体右部の眼球と思しき罅割れた赤いレンズから左、人間でいえば左胸に相当するあたりが、まるで三日月を切り取ったかのように抉れている。そこが無敵号の騎手席だ。
最後の盾に敵を示してやる騎手のための座席は、不思議に暖かかった。
「ディーさん、無敵号に乗ってみますか?」
住居の話がひと段落して、改めて無敵号について尋ね始めたディーに、苔桃はそんな提案を投げかけてきた。曰く、外来種が落ちてこなければ、勝手に動いたりはしないので、騎手席に乗っても構わない、ということだった。
「ちょっと昇るのが大変かもしれませんけど」
という言葉通りに、隻腕のディーが無敵号の太い脚を伝い、騎手席に昇るまでには少々苦労を要した。「だらしないなぁ」などと無敵号に昇ることに慣れているのであろう撫子にも言われてしまった。軍人であれば相応に鍛えているという自負はあったが、ずっと寝込んでいたせいで体力は明らかに衰えており、これは鍛え直さねばと決意を新たにする。
騎手席を目の当たりにしたディーは、守護神の座席として想像していた場と現実との違いに驚いた。
たとえば座席だ。元々はただの凹みだったのだろう。その形状に沿った木造りの座椅子を作り、さらには座布団だの背凭れだのを拵えて何枚も重ねている。使っているうちに擦り切れたのだろう、座布団や背凭れには可愛らしい縫い目でパッチワークが施されている。
たとえば壁面だ。オングルの住民が騎手席を拵えなければ、そこは単に無敵号のやや凹んだ胴体部分だったはずの場所である。そこには辛うじて戦火を免れたのであろう、本土の古い役者か歌手か何某かのポスターだとか、オングルには生息していないからやはり外から持ち込まれたものであろう猫の写真だとか、雑多なものが貼り付けられている。写真やポスターの類は天井や渡された木柱や貼られた皮にまで及んでいた。突き出た部分に作られたフックにはハンガー状の物掛けや籠がぶら下がっており、入っているのは、どうやら小魚の干物のようだ。ドライフルーツもある。空腹になったら齧るのかもしれない。
たとえば床だ。足の踏み場も無いような狭い騎手席の中に、汗を拭うための手拭いが在るのは理解できる。樹皮を編んだ籠が在り、そこに着替えが入っているのも、きっと騎手として戦っているうちに汗をかいて汚れたから、ここに入れたのだろうということが理解できる。だが明らかに肌着と判る薄い布地が落ちているというのは如何なものか。彼女の身体に押し当ててサイズを確認するまでもないが、苔桃のものではないだろう。前に騎手を務めた女のもののはずで、石竹か、はたまたその前の騎手か。恐ろしいことに、先程まで苔桃が騎手席に居たはずなのに、こうした状態だったのだ。つまり、服が脱ぎ散らかされていたり、干物が籠に入って吊られているのが平常ということなのだろう。
「ちょっといつもより散らかっていますが……」と苔桃は言いかけたが、躊躇いがちに言いなおす。「いえ、すみません、嘘ですね。いつもこんな感じです。だいたいみんな、好きな物を持ち込んでいて、好きなように使っているので」
などと頬を赤らめて言うからには、男にこのような場を見せることを気恥ずかしく感じているのかもしれない。騎手席を見せると提案したは良いが、後になってそこが乱雑になっていることを気付いたらしい。少し慌てた様子で、誰とも知れぬ下着を足元の籠に放り込んだ。
この清潔とは程遠い空間に、最初は驚いたディーではあったが、女性しか居ないのだと考えれば納得できるような気がした。いちいち取り繕う相手がいないので、自然体で過ごしているのだろう。軍艦の女性が使う部屋も、こんなものかもしれない。
それより気になったのは、今の体勢だ。ディーは無敵号の騎手席に座らせてもらっている。高い位置に有るので地表からはよく見えなかったが、存外に中の空間は広く、大柄なディーでも座っている分には苦労しない。撫子が腿の上に座り、ディーの胸に背中を預けていて、それは彼女の定位置のようなものなので、もはや気にしない。
問題は苔桃で、彼女もディーに跨るようにして、膝のやや上の辺りに乗っていた。撫子の頭越しに向き合った状態で、しぜんその瞳の動きや唇の色がよく分かる。着膨れして見えるオングルの外套越しにも太腿の柔らかさを感じる。吐息の暖かささえこそばゆい。
ディーは苔桃から視線を引き剥がし、別のことに言葉を向けた。騎手席にあるべきはずのものがないことである。
「どうやって、えっと……」
と言いかけて、言葉が思いつかない。
苔桃は僅かに首を傾げたものの、すぐさま「ああ」とディーの戸惑いを合点したようである。彼女は僅かに腰を持ち上げて、撫子と同じようにディーに背中を向けた。そうして指し示したのは、騎手席の座椅子に座ると、ちょうど両膝の間辺りに存在することになる、正四面体の突起だった。
「これを握ってぐいぐい押したり、ぐっと握ったり、そういうことで動きます」
つまりはこれが無敵号を操る操縦桿ということか。にわかに信じ難いのは、つまりこのような単純すぎる機構以外には何ら入力機構が存在していないということだった。もちろん現存している車両や航空機の中には、こうした一見単純な機構に見える圧力感応型のパネルやスティックで操作するものは存在している。しかしそれは、あくまで方向を指示したりだとか、出力をコントロールしたりだとかにはそういった機構が都合が良いというだけで、他の用途、たとえばディスプレイの表示を切り替えたりだとか、任意の目的地を地図から選択したりだとかといった目的にはこうした入力部分の少ないものは使えない。行動すべき内容が多い多脚戦車に関してはなおさらである。
だのにこれだけの単純な機構でなぜ戦えるのかと問うと、まさしく方向を指し示すことしか無敵号の騎手は行わないからだということだった。
「だいたい方向を教えてあげれば、勝手に走って行ってぶん殴ってくれますから、ええ、何も問題はありません」
こういう感じですね、と実際に椅子に座り、三角錐の操縦桿の上の空間で両の手を握ってみせる。実際に触れないのは、基本的には外来種がいなければ動かないとはいえ、誤作動を招かぬようにということだろう。彼女の仕草を見ながら、跨ったまま、股の間の突起を握るというのはなんだか卑猥だなと思わずにはいられなかった。
「どうしたの?」
と問うたのは撫子であったが、苔桃も急に黙ってしまったディーに疑惑の眼差しを投げかけていた。こういうとき、言葉が碌々話せないというのは、もともと口が達者な部類ではないディーにはありがたい。
まさか股を見ていたなどとは言えず、ディーは少し考えてから、なぜ苔桃はこんなところで仕事をしていたのか、ということを訊いてみた。こんなところ、とは失礼な言い方かもしれないが、べつだん他意はなく、単に苔桃の天気予報の仕事が屋外で行う必要が無いように感じられたからである。先ほどは、都合が良いだとか言っていたか。
「ここ、暖かいでしょう?」
というのが苔桃の返答であった。
確かにその通りだ。はじめディーは、女性と密着しているがゆえの興奮と羞恥で熱さを感じているのではと思っていた。しかしそうではなく、いや、それもあるかもしれないが、兎に角、騎手席は外気に晒されているはずなのに、火がついた囲炉裏のある家の中のように暖かいのだ。
苔桃曰く、無敵号はいつでもそうなのだという。燃料補給すらせずに、ただひたすらに戦うこの兵器は、まるで恒温動物のように、常に熱を発しており、それがこの祠の周辺の雪を融かしているらしい。
「戦闘中は、こんなもんじゃないですけどね。燃えてるみたいに暑いんです」
と苔桃は説明した。そういえば、昨日、無敵号から降りてきたときの石竹はやけに薄着だった。燃えているように、という表現は、冷たいオングルで育った苔桃たちにとっては過剰な表現ではないのだろう。
「それに、今日はわたしが騎手なんです」
と苔桃は付け添えた。騎手ということは、有事の際は彼女が戦わなくてはいけないということか。にしては、彼女の表情は平静だ。
「みんな、騎手のときは、ここにいるんですか?」
「そういうわけでもないです。わたしみたいに、仕事の場所を選ばないわけじゃないですから……。それにみんなは、無敵号のことはあんまり好きではありませんから……上手く付き合おうとはしているんですけどね」
その言葉の理由を推し量ることはできる。
無敵号はこの集落を守ってきたのだろう。この星で戦い続けてきたのだろう。
だが同時に、その戦闘で多くの人命を失わせてきたのだろう。
オングルの人間は、無敵号の当番の日に、己の命が消えるかもしれないという恐怖に直面するのだ。その恐怖を媒介する無敵号は、恐れられて当然だ。恐れないとすれば、恐怖を乗り越えた人間か、でなければただ強いものに憧れる子どもだけだ。無敵号の過剰ともいえる内装は、恐れを克服するための装飾なのかもしれない。
「苔桃さんは、好きですか?」
「そうですね……。わたしの場合は、おじいちゃんが無敵号の騎手だったんです」
とそんなふうに答えたとき、苔桃の表情には僅かに憂いの色が見えた。理由は簡単に察せる。彼女のおじいちゃんなる人物は、おそらくは騎手として死んだのだろう。言葉が出てこなくなってしまった。
「今でこそ、みんなで持ち回りで騎手をやっていますけれど、わたしが子どもの頃は違ったんですよ。ええ、おじいちゃんだけが騎手だったんです。それはもう、強くて格好良かったんです」
と僅かに見せた憂いの色は何処へやら、すぐさまにっこり微笑む苔桃の様子は、まるで恋に恋焦がれる少女である。もともと、笑うことの多い女性のようだとは感じていた。が、これまでのそれは、意地悪めいた、人をからかうようなものであり、今見せているような晴れやかな笑顔ではなかった。どうやら彼女にとって、その「おじいちゃん」なる人物はとても大事な人物だったようだ。
「おじいちゃんがいなかったら、たぶん、今頃はもう誰も生き残ってなかったと思います。本当に、誰にも負けなしで、優しくて、素敵で………」
だからわたし、おじいちゃんの守ってきた人たちを守りたいんです。今はひとりが騎手を専任することはできなくなっちゃったけど、できるだけ無敵号と一緒に居たくて、だから騎手のときも、そうじゃないときも、ここにはよく来るんです。
彼女がそう言ったとき、急に目覚まし時計の鈴音のような音が地上、無敵号の足元から鳴り響いた。どうやら無敵号の足元に設置されている機械が鳴っているらしい。
あ、と苔桃は小さく口を開く。
「敵襲ですね」
ということは、機械が鳴ったのは外来種の機体が落着した振動でも感知したからか。
「二日連続なんて、まったく……。まぁ夜になる前で良かったかな」
と、あくまで苔桃の口調は軽い。さぁ、撫子、下りて、などと言っている。
撫子は一動作で騎手席の外に飛び出ると、そのまま無敵号の腰や足を伝うようにして降りていってしまった。
「さぁ、ディーさんも」
と股座をディーの太腿から離して苔桃が言う。彼を降ろした後に、自分は無敵号に乗って戦うつもりだろう。なにせ彼女は、騎手だ。
だが、とディーは彼女の手を取るのを迷った。彼女を戦わせるべきなのか。苔桃は、女性だ。もちろん女性だからといって、軍人がいないわけではないし、そもそも人間が戦場に出る機会が減った時代ではある。しかしディーは、女性は男が守るだという信念を持っていた。
なにより、自分は軍人だ。経緯はだいぶん変わってしまったが、彼女らを助けるという命を帯びてこの星にやってきた。だのに、守られてどうする。守れずにどうする。
確かに自分は隻腕になってしまった。船も無く、技術も無い。だがそれでも、少なくとも肉体的には彼女らよりは強いだろう。幸いこの無敵号は、操作が複雑というわけではないらしい。自分でも、戦える。否、無敵号が兵器ならば、軍人である自分のほうが彼女らより優秀かもしれない。
ディーは苔桃の肩を掴む。
苔桃はきょとんとした表情で首を傾げる。どうしたんですか、ディーさん、ひとりじゃあ降りられませんか、大丈夫ですよ、下までわたしがついていってあげますから、と。
「おれが乗ることはできませんか」
「は?」
「おれが、代わりに……」
ええと、言葉が出てこない。頭が混乱する。なぜ自分は苔桃の肩に手を置いているのだろう。服越しとはいえ、体温が伝わってくる。熱い。いや、無敵号の熱さか。
「おれは、あなたを守るために来ました」
だから、守りたいんです。ディーは無我夢中でそう言った。
正確には、あなたたちを、だろうか。混乱のあまり、間違えてしまった。それでも意味は伝わったらしい。苔桃は息を呑み、ディーの手を両手で握った。
「ディーさん、かっこいいです」
それはそれとして、良い子だから降りてくださいね、と苔桃は言って、無理矢理にディーを無敵号から降ろしにかかった。ほとんど落ちるようにして地上に着地する。
「じゃあ、ディーさん、撫子と一緒に家に戻って、大人しくしててくださいね。撫子、ちゃんと家に帰るんだよ」
「わかってるぅ!」
撫子に手を引かれ、ディーは脇に退く。無敵号、前へ。発進。出撃。
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