二、波乱の旅路に男手求む Men Wanted for Hazardous Journey
第12話 石竹
『親愛なるリリヤへ。
ここのところ、いろいろなことがありすぎて手紙が書けなかった。この手紙で、これまでに起こった出来事をすべてきみに伝える自信が無い。
この前説明した、ぼくが乗っていた船……、『耐え忍ぶ槍』号は、墜落してしまった。ぼくの仲間たちは、みな死んでしまった。ワースリー伍長も、マッキルロイ一等兵も、ハドソン少尉も、みんな。みんな。
できればきみにも、彼らの冥福を祈ってもらえるとありがたい。特にワースリー伍長は、きみのことを綺麗だと、ぼくには勿体無いと、そう褒めてくれていたから、きみが祈ってくれれば、きっと喜んでくれると思う。
不幸中の幸いで、ぼくは無事だ。少し怪我はしたけれど、現地の人々に助けてもらった。軍部の見立て通り、オングルにはまだ人が残っていたんだ。たった二十七人だけれど、彼らはこの過酷な環境の中で、必死に生きている。
ぼくは今、
きみは以前、日本人の名前は何かしらの意味が込められていたり、何かの由来を取って名づけられるものだと言っていたね? ぼくには漢字がわからないから、石竹さんの名前がどういう意味なのかはわからないけれど、きみには解るのだろうか。
石竹さんの家には小さな子がいて、
さて、今日、ぼくは衝撃的な事実を知った。オングルを守る存在、軍部が求めて止まない兵器に関する事実を。
オングルを守り続けている兵器は、ある意味では見立ては正しく、高機動戦車だった。ただその戦車は、とても特殊なものだったんだ。人が乗り込んで戦う、二足歩行の非武装人型戦車だ。さすが日本人の血を受け継ぐ集落だと、ぼくはそう思ったよ。
その戦車の名は、
無敵号という名前の、号、というのは、戦車だとか戦艦だとか、そういった乗り物に対してつける符丁のようなものだから、正しくは、無敵が名前ということになるのかな。無敵という言葉の意味は、凄く強い、ということらしい。いや、誰よりも強い、かな。言葉の細かいニュアンスが、いまいちまだよく解らないんだけど、強い、という意味の名前だ。
まだぼくは、無敵号が実際に戦うさまを見ていない。ただ、石竹さんが無敵号に乗り、戦いに赴いて、そして無事に帰還した姿を見ただけだ。だけれど、無敵号の姿には、なんといえば良いのか、得体の知れない力強さのようなものを感じた。動くことさえとても信じられないような兵器だというのに、目の前にしてみると、外来種の強靭な機体を打ち倒したというのが不思議と信じられるような気がしたんだ。
今は、この無敵号のことが気になる。この兵器を作り上げた技術とは、いったいなんなのか。人類の技術とは思えない。無敵号は百年近く前から存在していたらしいけど、そんな昔から人類がこれを作ることができたのならば、今頃こんなふうに苦戦していなかったはずだから。
じゃあ外来種の技術なのかといえば、これも疑問だ。無敵号は自律した意思を持っているらしくて、外来種の兵器ならば、人類に手を貸してくれるとも思えない。よく解らない。
兎に角、ぼくは無事だ。この手紙と一緒に、ぼくは帰るよ。必ず、帰る。だから、もう少しだけ、待っていてくれ。
きみのディーより』
***
***
「無敵号です」
どうだといわんばかりに胸を張り、身体を反らしてみたものの、ディーの反応は薄かった。無敵、という単語の意味がわかっていないかもしれない。むてきごうです、でひとつの単語だと思って、その単語がどういう意味なのかと思案しているのかもしれない。戦闘直後で興奮し、早口になってしまっていた石竹の言葉が聞き取れなかったのかもしれない。
なんにせよ、石竹の言葉が理解されなかったことは明らかだ。
となると、急に格好つけたのが恥ずかしくなる。
だいたい、いまの格好からして、格好をつけるのに適正とは言い難い。上半身などは肩も腕も露出して、ほとんど下着姿に近いのだ。この格好で無敵号の出ると、寒いのだ。汗が冷え、凍って素肌に張り付くのだ。こうなってしまうのも、無敵号の中がとても暑いからなのだが、ディーに説明しても、解ってもらえる気がしない。
乗れば誰しもが感じる事実、それは無敵号の中が暖かいということだ。特に戦闘中ともなると、防寒服を着たままでは、舌が出てくるほどである。でなくとも、無敵号の騎手として、弾丸荒れ狂う中で無敵号に進路を示し続けていれば、自然と心と身体が熱くなるものだ。
オングルの防寒具は、
「何が、最後の矛にして盾、だ」
そう言ったのは綿菅である。彼女は呆れた様子で石竹に手拭いを投げて寄越した。上着を羽織らせられる。
「う、五月蝿いな」
言葉を返しつつ、石竹は手拭いで顔を拭いた。激しい戦闘軌道の中で巻き上げられた砂を浴びただけではなく、無敵号が破壊した外来種の細かな破片も浴びたため、小さな擦過傷からは血も出ていた。これくらいは、仕方が無い。命があっただけありがたいというものだ。
ちらとディーに視線を向ければ、海色の瞳は石竹には向いてはいなかった。呆然とした表情で、橙と黒という、どぎつい警戒色の無敵号を見上げていた。その巨躯が異様なものとしてしか見えないのだろう。生まれたときからその存在に慣れ親しんでいる石竹にしても、やはり無敵号という存在は特異なものとして映るのだから、初めてオングルにやってきた彼が奇矯に奇妙に思ってしまうのも仕方がないことだろう。
無敵号。
誰が最初にそう呼んだのかは判らないが、その名はかつて、外来種の戦火に晒されていたオングルにそれがやってきたときに名づけられたという。
無敵号は空から降ってきた。星空を越え、大気層を越え、まるで外来種のように地面に突き刺さり、それでも身体を振って悠然と立ち上がり、外来種の戦車や戦闘機を破壊したという。
何処からやってきたのか、誰が作ったのか、何故オングルにやってきたのか。何もかもが不明の兵器だったが、オングルの住人にとって重要なのはその兵器が如何なる物なのかではなく、有用かどうかであった。
あらゆる攻撃に耐える装甲と、あらゆる装甲を破壊する膂力。ふたつを兼ね備えたその兵器は、無敵号という、まさしくその名に相応しい働きを見せた。周辺惑星が外来種の勢力圏に塗り替えられるに従って、徐々に南へ南へと撤退を強いられはしたものの、百年近い間、外来種の襲来を防ぎ続けられたのは、無敵号のおかげといって間違いない。
だがその特殊さゆえに、オングルの人口は減り続けた。無敵号は確かに無敵の存在であったが、中に乗る騎手はそうではなかったのだ。
ともあれ、外来種を撃退した今、重要なのは無敵号ではない。ディーである。
ちょうど暇な時間帯だったからか、戦いを終えた無敵号を出迎えるために、オングルの住人の多くが集まっていた。そして彼女らの視線は外来種を退けた無敵号でも、今日の騎手である石竹でもなく、本土からやってきた男、ディーに向いていた。一華や綿菅のような一部の女たちを除けば、女たちは興味津々な様子を隠していない。
「かっこいいね」
若い娘の囁きが耳に入る。熱い視線が交わされる。それもそのはずである。ディーのような若い、自分たちと同年代ほどの男性を見たのは、石竹らオングルの住民にとっては久しぶりのことなのだから。
遠巻きに視線を送るだけではなく、勇気を出してディーに声をかけようとする者もいた。たとえば、馴鹿の世話をする
「ちょっと待って」
と石竹がふたりを止めようとしたとき、背後から抱きついて、その行動を妨害する者があった。
「竹ちゃん、おつかれさま」と肩に頬を押し付けてきたのは、
「どうって、べつに………」
「あれが例のディーさんだね? 金髪で青い目ってのは、初めて見るね。素敵だね、王子だね、格好良いね」
「そう?」
思わず石竹はそう反応してしまった。ディーのことは素敵だとは思うが、それを声に出して言うのは憚られる。
「あれ、そう思わない?」苔桃はにっこりと笑う。「そう思ったから、竹ちゃん、あの人のこと独占しようとしているんだと思ったんだけどな」
「そんなこと、ない」
「格好良いよねぇ。素敵だよねぇ」解るなぁ、と苔桃は勝手に言う。「好きになって、他の子を近づけまいとする気持ちは。だから今まで面会謝絶とか言ってたんだよねぇ。独占欲の強い乙女だなぁ」
石竹と苔桃は幼馴染だ。だから彼女がディーをみれば、こんなふうにからかってくるというのは予想できていた。
あのね、わたしが言いたいのは、と石竹は言ってやる。「わたしが言いたいのはっ、ディーさん、まだ傷が癒えてないし、言葉も不慣れなんだから……、あんまりちょっかいかけると、可哀想でしょ、ってこと。助けてあげないと……」
「あ、そう」苔桃は肩を竦める。「でも竹ちゃんが行かなくても、もう華ちゃんが行ったよ?」
「え?」
視線を苔桃からディーへと戻してみると、村のほとんどの女性に囲まれるディーに近づく、海豹皮のフードを被ったひとりの小柄な少女の姿があった。
「ディーさん、まだ目が覚めたばかりで疲れてます。それに、喋るのも得意じゃないみたいです」
だから、やめてください。一華はそう言った。
一華の年齢は十四歳。子どものときから犬の世話をしてきたが、仕事として犬の世話の係を任ぜられたのはつい最近のことで、無敵号の騎手の当番に加えられたばかり。つまり大人になったばかりだ。二十七人いる女の中では、僅か六歳の撫子を除けば最も若い。
オングルでは年齢が絶対的に序列を決定するわけではないが、それでも年下は年上を敬うべきだという風潮が集落内には存在している。おまけに、基本的に一華という少女は内気で、あまり人と会話せず、犬とばかり一緒にいるような、物静かな、悪く言えば暗いタイプの人間である。
そんな少女が、ディーを他の女たちから遠ざけようと必死で声を張り上げたこと、みな唖然とした。もちろん石竹も。
「竹ちゃんも華ちゃんも、みんなあの人の心を射止めようと、必死って感じだね」
唯一、平時と変わらぬ、人をおちょくった態度を保っていたのは苔桃である。
「わたしはべつに………」
「じゃあ、この場は華ちゃんに任せてもいいんじゃない? ほら、なんとかしてくれそうだよ。ディーさん助けに行くときもそうだったけど、華ちゃんみたいな、いつもは静かな子が大きい声出すと、みんな気圧されちゃうんだよね」
確かに一華はディーから女たちを引き離すことに成功しつつあった。内気な少女の説得の甲斐もあったのだろうが、ディーの体力が未だ快復していないこと、言葉が達者ではないことに女たちのほうから気付いたということもあったのかもしれない。
一華はディーの手を取ると、人を退けるほどの言葉を発した恥ずかしさのためか、あるいは男の手を握るという興奮のためか、小さな耳まで真っ赤に染め上げ、大きな瞳には涙を潤ませて、石竹のほうへと早足で歩み寄ってきた。
「石竹さんっ」
一華は上擦った声で石竹の名を呼ぶと、握ったディーの手を差し出した。まるで獲物を取ってきた猫のようである。いや、獲物を見せびらかしているわけではなく、取ってきた獲物を差し出しているわけだから、どちらかといえば群れのボスに対する部下の犬の行動か。犬は兎も角、猫は図鑑などでしか見たことがないので、その生態はよくは知らないが。
「ありがとう」
石竹は一華から、ディーの身柄を受け取った。「ご苦労」だとか、「よくやった」と言うよりは適切だったと思う。
「はいっ」
ではっ、と勢い良く言うと、一華は走り去っていってしまった。背中をも羞恥で赤く染め上げているからには、どんなにか彼女が勇気を出したかが理解できた。
一華がディーを女たちの囲いから連れ出したとはいえ、未だに彼女らは好奇の目でディーを見ている。この場にいては、またディーを取り囲んで座談会か圧迫面接が始まりかねない。家に帰らなくては。
「ディーさん、まだ歩けますか?」
石竹はまずそう尋ねた。彼は隻腕に杖を突いていて、長距離を歩くのは辛そうに見える。もし歩けないなら、二メートル近くある巨体の彼を運ぶのは、人手を借りても大変な労働だ。
ディーは呆然と、一華の去っていった方向を見つめていて、石竹の言葉が聞こえていないように見えた。もう一度尋ねる。歩けますか、大丈夫ですか、ディーさん、と。
「はい」
遅れてディーが頷いたが、石竹の話を訊いておらず、とりあえず返事をしておこうという調子で相槌を打ったのは明らかだ。
「そうですか………」
ディーが一華の後姿を見送っていたことが気になりつつも、この場を離れることを優先させることにした。周囲の女たちの視線が気になる。一華に制されて一度は距離を置き、固まって何やら話し合っているのだが、その集団が徐々に塊のまま移動しているように見える。まるで
集団に接近される前に、石竹はディーの肘までしかない右腕を取って、家のほうまで誘導する。さすがに少女らは追ってこない。代わりについてきたのは家に帰るのだということを察知した撫子と、それに、何故か苔桃も。
「なんでついてくるの?」
「え? 駄目?」にこにことして苔桃は返す。「何か理由があるの?」
「いや、そういうわけじゃないけど………」
石竹としては、綿菅についてきて欲しかった。彼女は男性に対して嫌悪感に近いものを抱いているが、いざというときにはディーの身体を支えるにも、ぶつくさ言いながら手伝ってくれるだろう。
逆に苔桃はというと、はっきりとディーへの興味を示してくる。しかもその示し方が、明らかに石竹にそれとわかるようにしてくるのだから、始末が悪い。おまけに彼女は石竹よりも小柄なのだから、ディーが動けなくなったときには、たぶん役に立たない。
ディーは苔桃と会うのは初めてのはずだ。ディーは彼女に対して軽く手を挙げ、口を開きかけ、しかし言葉が見つからなかったのか、しばらく考える表情をする。
苔桃は歩きながら、彼の隻腕を恭しく両の手で握ると、「お初にお目にかかります、ディーさん。苔桃と申します」といつもより一オクターブ高い声で言った。
大柄な男と並んだために、より小柄なことが強調される苔桃の様子を見下ろして、ディーは明らかな狼狽を見せた。苔桃の言葉が難しくて解らなかったのか、でなければ、手を握られたからだろうか。
「あの、ディーさん」と石竹は苔桃の手をディーから引き剥がしつつ、言ってやる。「彼女の名前は、苔桃です。苔桃」
「苔桃、さん」
はい、と苔桃はにっこり笑って頷く。「よしなにお願いします」
「よしなに?」
わざとディーに理解しにくい単語を使っているのであろう、ディーをからかうのだから苔桃は本当に手に負えない。
「ディーさん。苔桃のことは気にしないでください」
「あら酷い」苔桃はまたディーの腕を握り、身体を押し付ける。「ねぇ、酷いと思いませんか、ディーさん」
「あ、ええ……?」ディーは曖昧な様子で微笑む。
「竹ちゃん、聞いた? ええ、だって。酷いって思われてるよ」
「ディーさん、ほんと、この子のことは気にしないでください」ええ、無視してくださって構いませんから、いないものとして扱ってください、お願いします、と石竹は呆れつつ言うと、苔桃に向き直って言う。「ディーさん、ほんとに疲れてるんだから、ちょっとは静かにね」
「ここでわたしが静かになったら会話が途切れちゃうと思って、いつもは静かなわたしが必死に話題を考えているっていうのにこの仕打ち……、あんまりだわ」
「五月蝿いよ」
「だいたいディーさんも、静かにしてたい、なんて思ってないんじゃないの?」猫のような瞳を煌かせて、苔桃は石竹からディーへと視線を移す。「ねぇ、そうでしょう?」
「え?」
「何か聞きたいことがあるのではないですか?」
苔桃は先ほどまでとは一変して、ゆっくりとした聞き取りやすいアクセントで、ディーにそう尋ねた。
ディーは少し考えるような仕草を見せた後、「先ほどの、一華さんなんですが………」
「華ちゃんですか」
と苔桃が相槌を打ったのに対し、「はなちゃん?」とディーが首を傾げる。
「華ちゃんというニックネームなのです。渾名です。解ります?」
「そう呼んでるのは、苔桃だけ」と石竹は言ってやった。
「華ちゃん……」ディーは少し考える様子を見せてから、真面目な顔をして言った。「なぜ、いちげ、という名前なのに、はなちゃん、というニックネームなのですか?」
「え? えっと、それは……」
石竹は返答に戸惑った。それは一華の華という漢字を訓読みしているからだが、そのためには訓読みと音読みの違いについて説明しなければならないし、一華という漢字についても説明する必要が出てくるが、説明したところで理解してもらえるとは思えないし、そもそも説明できそうにない。
「漢字が同じだからじゃん」
と、石竹の言いたかったことをあっさり言ったのは撫子である。
「ぼくでも解るよ」
「漢字……」ああ、なるほど、とディーは手を打つ。
「えっと、今の撫子の説明でわかりましたか?」と石竹は不安を感じつつも尋ねてみた。
「はい。判らないものだ、というのは解りました。おれは、漢字は読めませんが、いろいろな読み方があるということは知っています」
なるほど、それは良かったですね、と言ったのは苔桃である。「それで、華ちゃんのことが気になっていたのはどうしてですか? やっぱり、可愛いからですか? ショートヘアが好きなんですか? それとも小さい子が好きなんですか? わたしも身の丈は華ちゃんと同じくらいなんですが、どうですか?」
「今、思い出したのですが、おれはあの子に助けてもらいました」
「あぁ………」
石竹は頷いた。確かに彼の言うとおり、ディーを助けたのは石竹と一華である。助けた当時、ディーは完全に意識を失っていたわけだが、閾下の記憶が僅かに残っていたようだ。
「さっきまで一緒にいたのに、ありがとう、と言えませんでした」
そう言って遠くに視線をやるディーを見て、石竹の心は痛んだ。
「わたしもディーさんのことを助けたのにぃ、助けただけじゃなくて手当てもしてあげたのにぃ、そんなかしこまってお礼を言われてないなぁ」と言ったのは苔桃であった。ディーが顔を向けると、にっこり笑い、「竹ちゃんがそんなふうに思っています」と勝手なことを言った。
「てきとうなこと言わないように」
「でも、思ってるでしょ」
「思ってません」
「たけちゃんというのも……」
ディーが急に言ったため、石竹も苔桃も言葉を止めた。
「石竹さんのニックネームなんですね」
彼はそう言うと、歯を見せて笑った。眩しい。
石竹は思わず彼から顔を背けた。「そう呼んでるのは苔桃だけなので……、覚えなくて結構です」
「竹ちゃんって呼ばないで、石竹ちゃんって呼んでね、って意味です。これは」
とまた苔桃が余計なことを言う。
ディーは言葉が完全に理解できなかったのか、あるいは返答に迷ったのか、曖昧に頷いて応じた。
石竹は心の中で溜め息を吐く。こんな遣り取りになってしまうのは、苔桃が人をからかうことを楽しみとしている人間だというのもあるが、石竹のほうの問題もある。ディーの前だと、取り繕ってしようとしてしまうから、恥ずかしくなってしまうのだ。ありのままの自分でいられれば、もっと冷静に会話ができるに違いないのに。
そう考えていると、苔桃がまたディーに接近していた。
「ディーさん、気になっているのは華ちゃんのことだけですか?」
彼女の言葉を聞き、ディーは少し戸惑うような表情を見せた。
しばらく考えるような間を置いてから、彼は「無敵号のことです」と言った。
「無敵号がどうしたの?」
割り込むように問いを発したのは撫子である。彼女は、無敵号が好きだ。子どもだから、単純に大きいものや、強いものが好きなのだろう。無敵号の話題となれば、食いつかずにはいられないのだろう。
「無敵号は………、ええと」単語を選んでいるのか、ディーは途切れ途切れに言葉を紡ぐ。「あれは、どんなものなのですか?」
「どんなもの……、といいますと?」石竹は返答に詰まった。
「その、ですね」ディーも不慣れな言語に言葉が上手く出てこないようだった。「あれは、どうやって戦うものなのでしょうか?」
「パンチに決まってるじゃん」と言いながら、小さな撫子は腕を突き出す。「無敵号パンチ! 無敵号キック!」
「あとは?」と苔桃が楽しそうな調子で撫子に問いかける。
「あとはね、あとはね、ビームとか」
「それ、どういう技? わたし、出せたことないんだけど」
「叫ぶと出ない?」
「ほぉう」と苔桃はにっこり笑う。「じゃあ今度試してみようかな」
「おう! きっと強いぞ」
ふたりのやり取りを聞いて少々不安になる石竹である。
予想通りに、思案げなディーが次に発したのは、「なにが出るんですか?」という言葉だった。
「なにも出ません」すいません、このふたりの戯言は無視してください、と石竹は言った。恥ずかしくて顔が赤くなる思いである。「武装は特にありません。殴るのと蹴るの……、あとは身体でぶつかるとか、近くの物を投げるとか、その程度しかできません。だから、ほんとに、手と足だけです」
言って、しばらくディーが言葉の意味を考えるように口を噤んだので、石竹は結局手と足とを振るってみせて意図を伝えた。これでは撫子とまるで同じだ。
「それで、どうやって戦うのですか?」とようやく言葉の意味を理解したディーが拙い言葉で応じる。「おれには、なぜあんなもので戦えるのかがわかりません。それに……」
ディーは立ち止まり、背後を振り返る。女たちの集団は追跡を諦めたのか、既に遠くに散見していた。遠くに見える壁の穴に収まった橙と黒色の無敵号の姿は、山に描かれた絵画のようにも見える。
「あなたは無敵号に乗っていました。あれだけ……とても、とても……凄い兵器なら、自分で動くことくらいできるはずです。なのに、あなたはなぜあれに乗っているのですか?」
成る程、と石竹は頷く。
彼が抱くのは当然の疑問かもしれない。産まれてこの方オングルを出たことのない石竹でも、現在の戦争の主流が無人兵器であるということは知っている。
誰だって人が死ぬのは悲しい。戦死者を少なくするためにも、まずは無人自律兵器を戦場に投入する。自律兵器では行動が難しそうな戦場だったとしても、たとえば外部から電波で通信したり、ワイヤーを繋げて外部から有線操縦するという手もある。人が戦場に出るのは、どうしても人間がいなければ達成できないような任務、たとえば偵察や、人命救助の場合だけだ。ディーの場合は、どうやらその特殊な任務に属していたらしいが。
だから人間が搭乗しなければならない兵器の存在が、ディーの目に奇異に映っても仕方がないだろう。しかしこれには理由があるのだ。
「無敵号は、目が見えないんです」
無敵号の右胸に埋め込まれた赤いレンズはひび割れ、砕けている。これは、目だ。無敵号の砕けた目だ。
なぜ目が砕けたのかは、誰も知らない。知っているのは、無敵号が何も見えないということのみ。
ゆえに、誰かがその中に入って進むべき道を、倒すべき敵を教えてやらなければいけないのだ。左胸の騎手席に座し、その役目を達する者――それが騎手だ。
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