3.日本の『少子高齢化』、つまり、『子供』について。
ここで、昨今の『子供』全体のことについて言及したいと思う。
現在の日本の人口層をご存知だろうか。新聞やニュースなどで誰もが目にしたことがあるのではないかと思う。
そう、逆三角形をしている。見事なまでに子供が少なく、高齢者が多い、そういう社会となっているのである。
『少子高齢化社会』
このままの勢いで出生率が減少し続ければ、三十~五十年後には日本の人口は一億を割るだろうと予想されている。
今は元気な老人も、三十年後にはいなくなっている。そして、現在の日本は高齢化社会。高齢者が多いのだ。一定年齢層のご老人がごっそりと減れば、それだけ人口が減少するのは当然だと言える。
しかし、以前から目に見えているこの問題に、日本政府が有効な策を打ち出したことはない。
『子ども手当』なる支給、小手先だけ、形だけの対策はあったようだが、せいぜい五千円から一万円という、はっきり言ってあってもなくても変わらないような金額しか支給されない。全くもって形のみの、『とりあえず取り組みました』感のある対策である。
はっきり言うが、そんな場当たり的な対策で子供が増えるわけがない。誰が考えたって分かるというものだ。
今はまだ具体的な問題にはならず、数字やグラフでしか把握できないかもしれない。学校へ行けば子供はいるし、街を歩けば若者を見かける。しかし目に見えて子供がいないような社会になったら、すでに日本は手遅れの状態と言える。
一時期、フランスも出生率の低下を味わったことがある。
しかし、1995年、出生率が過去最低の1.65人に低下した時点で、フランスは各種の福祉制度や出産・育児優遇の税制まで整備した。法的な措置まであって、フランスの出生率は2.01人にまで回復したのである。
日本の出生率は1.2人を割ろうとしている。
数字にすると認識しづらくしっくりこないが、1.65人の時点でフランスは法的措置を取ってまで出生率を回復させようとした、ということを思ってもらえれば、一目瞭然。日本は本当に少子高齢化社会に対してなんの対策もしていない国であることが分かるだろう。
このままの日本で子供を増やすなど、若者の立場の一人として言わせてもらうと、はっきり言って、無理だ。
フランスはたくさんのことをしてようやく子供の数を確保した。
収入に関係なく支給される『家族手当』、子供を育てながら働きたいという女性の願いを可能としている『産休期間の延長』、日本よりも遥かに多く細部にまで適用される『子供手当て』の充実、『高校までの国公立教育費の無料化』、『不妊治療の完全無料化』、厳しい労働と少子化の関係を考えた末の『労働者の権利の強化』、『毎週放送される出産&子育てドキュメンタリー』で、生命の誕生や喜び、感動を伝え、子育てにプラスのイメージを持ってもらうなど…。
比べてしまえば、日本はすべてにおいてフランスを見習うべきだ、としか言うことがない。ここまでしなければ子供が増えることはない……フランスはその実例を示してくれているのだから。
少し難しい話になってしまったが、日本の『子供』の現状は、本当に憂うべきものであると思う。
それに対して国は本気で向き合おうともせず、若者は自分を襲う荒波に溺れないようもがくことで手いっぱいで、とてもではないが、自分の子供、などという考えには及ばない。
私には妹がいるのだが、今年の秋、結婚する。それはそれでめでたい話なので、ここでもおめでとうと言っておくのだが、しかし、子供はといえば、予定していないそうだ。
まず、妹と彼は現在共働きだ。どちらも正社員。月曜から金曜までたっぷり拘束される。子供を産んだとして、育てる時間がない。
収入イコール生活に関係してくることなので、仕事には復帰しなくてはならない。仕事に復帰すれば、子供の面倒を見る時間などはなくなる。
妹は、『働くのに子供は邪魔だ』と言った。
なるほど、確かにその通り。共働きで家計が回っている現状を考えれば、働くのに子供が有利となることは絶対にない。それが今の日本。そうして労働しなくてはならないことを考えれば、労働して回っている生活を考えれば、子供が生まれてくる余地などないわけだ。
こうして労働面、生活面から見ても、子供にプラスのイメージがないのが現状。
加えて、テレビや新聞では子供関係の『いじめ』、『虐待』、『育児ノイローゼ』などなど、マイナスのイメージを連想させる事件や出来事を多く扱っているように思う。
そういったことは事実ではあるのだが、それがさらに子供へのマイナスのイメージを加速させ、『子供はいらない、ほしくない』という考えへと発展させてしまうかもしれない。そして、それが仕方のないことだと黙認されれば、少子高齢化に歯止めがかかるはずもないのだ。
日本は働きすぎな国だ。働きすぎなのに懐に余裕がない。それは日本の社会保障制度、いわゆる年金などで若者から金が搾り取られている現状からもきているのだが、とにかく、若者には余裕がない。
働いても働いても手元に残るお金は暮らしていける程度のもので、少し贅沢をすればなくなってしまう。ここに新たに人間一人を養うだけの余裕などあるはずもない。
経済的に、そして時間的に考えても、今の若者に子供を持てる余力があるとは思えない。
これがおそらく一番の、子供を産まない、産めない理由の一つであると私は思っている。
仮に、経済的に、時間的に無理をして、子供を作ったとして。その家庭に生まれた子供が『幸せ』でなければ私は意味がないと思っている。
場当たり的に子供を作っても、歪は生まれる。
子育てをしながら働けば当然親には負担がかかり、遠からずそれがストレスとなる。
会社では労働時間として長時間拘束され、家に戻っても子育てで時間を取られていく。経済的に、以前より余裕もなくなっている。贅沢の一つもできず、趣味の一つや二つ、我慢しなくてはならないかもしれない。
生まれた子供にはなんの罪もないが『子供がいるから自分はこんなに大変なんだ』、というようなことを思ってしまったら、そのストレスの矛先は子供に向くようになる。
そんな家庭で育った子供が明るく元気で幸せである想像ができるだろうか?
きっと親の機嫌を始終窺い、俯きがちで、愛されるのを待っている、そんなかわいそうな子供しか育たないだろう。
そんな子供が増えてほしいとは私は思わない。だから、そんな子供が増えにくくなっている『少子化』という現状は、ある意味歓迎なのだ。
これ以上かわいそうな子供が、自分は不幸だと泣くような子供が、増える必要はないのだから。
日本の少子高齢化問題は確かに取り組むべき急務なのだが、そこには様々な問題がある。フランスのように大胆な政策をしなければ、このまま日本という国は緩やかになくなっていくだろう。
一口に『子供』が減ると言っても、本当に色々なものが含まれている。経済的な問題、若者の労働状況からの子育てのしにくさ、社会の子育てへの感心の低さ、子育てへの国からの支援の少なさ。すべてからくるストレスが向く矛先である子供が健全に、愛されて育つことの難しさ…。
私は、日本のアニメや漫画、ゲームの文化を愛している。
しかし、それもあと何年続くことなのか、と憂いてもいる。
たとえ子供が増えても、その子供がみんな不安や不満を抱え、不幸だと思っていたら、意味がない。なぜこんな社会に誕生させたのかと自分を憂いているようなら、意味がない。
数字が回復すればいいという問題ではない。人間は動物ではないのだ。餌を与えていればいいペットのような、そんな単純なものとしては扱えない。
生まれてくる子供が、笑って、安心して暮らせる環境と家庭がなければ、意味がない。
それがどれだけ難しいことか。片親に引き取られて育ち、満足に笑うこともできない子供の日々を送ってきた私には、痛いほどに分かる。
おそらく、私が生きているうちに、日本という国は終わるのではないだろうか。
このままなんの対策もせずに『子供』の問題が放置されれば、それは現実のものとなるだろう。
それでも。これから生まれてくる子供が、どうして生まれてきてしまったのかと涙を流す未来よりは、少子高齢化が進む、嘆く子供の少ない未来の方がいいのかもしれない。そう考えてしまうのも事実だ。
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