おやについて、おもうこと

1.『離婚をする』というリスクについて。


 私の話に目を通してくれたなら、『離婚のリスク』について、うっすらと考えが及んだのではないかと思う。

 当然、離婚はしない方がいい。

 当人達にはやむを得ない事情というのがあるのかもしれないが、離婚をしない方がいいと思う理由はいくつもある。


 まず大きなものとして、離婚をした当人達には、その履歴がつく。

 バツイチなど言葉もできているくらいだ。社会的に見ても男女ともにいい顔はされないだろう。

 とくに、女性の場合は結婚に伴い苗字も変わる場合が多い。結婚に合わせて苗字を変更した銀行の手帳や保険証、免許証、資格証明書など、苗字を戻す、という作業が待っているのだ。これがなかなかに手間と時間がかかり面倒くさい。役所仕事は三度通えとはよく言ったもので、三度ではすまないことの方がしばしばだろう。

 加えて、車や家などの大きな財産があった場合、事はもっと面倒になると思われる。

 手間暇、そして世間体。それらを考えれば離婚が歓迎されないのは当然だ。

 私は『親』ではないし、今後親というものになるつもりもないので、離婚というものの正確な把握は難しいが、上記した事柄は外れていないように思う。

 そして、当人達がそれらのリスクを互いに話し合い覚悟したとして、さらに大きな問題がある。

 そう、『子供』である。

 子供がいない場合は、上記したことをきちんとすればそれ以上お互いを意識せずにすむかもしれないが、ここでは私という子供を踏まえ、離婚した夫婦に子供がいた場合の話をしたいと思う。


 離婚をした『親』の立場として考えれば、まず第一に、

 人に限らず生き物が育つには食べ物を食べなくてはならないし、身体からだが大きくなれば洋服も靴も新しいものがいる。加えて人間は学ぶ生き物である。学校や習い事、塾など、お金は湯水のように消えていくことだろう。

 離婚するということは、片方の親に子供が引き取られるということ。

 さらに付け加えると、日本では離婚した場合、子供は母親が引き取ることが多い。なぜか? 普段から子供の面倒を見るのが母親で、親子の繋がりが強いのが母と子であることが圧倒的に多いからである。私の場合もこれに当てはまるだろう。

 加えて日本では、父親でも母親でも、離婚して子供を引き取らなかった親の方の『教育費の未払い』がとても多い。

 離婚しても自分の子供であることに変わりはないのだが、日本人にはそういった認識が薄いようだ。きちんと手続きをすれば強制的に支払わせるということもできるものの、裁判所などでの手続きがなかなか大変らしい。この辺りのことは離婚前にしっかりと話し合い、のちにトラブルがないようにしたいところだ。

 話が逸れてしまったが、そういうわけで、離婚後、離婚した相手からの教育費は支払われないケースが圧倒的に多いという現実を踏まえると、イコール、子供を引き取ったものの親にはお金がない、足りない、ということが現実問題として待っている。これは避けようがない現実で、そして、切実な問題だ。

 そして、第二の問題として、愛情があげられる。

 片親として子供を育てていくことになった親には、必然的に、労働がつきものだ。お金がなければ子供を育てていくことはできないし、自分が暮らしていくこともできない。働かねばお金は得られず、そしてその間、どうしても子供からは離れてしまうことになる。その間、子供は親の愛情を受け取れないし、心細い思いをすることになるだろう。

 労働を終えて帰宅したとしても、親は仕事で疲れているだろう。本来子供が受け取るべき無条件の愛情を注ぐ余裕などはきっとない。仕事でストレスを感じイライラしていたら、むしろ子供に八つ当たりすることもありうる。

 どちらかといえば私もその口で、些細なことで親に当たられたこともある。これが原因で部屋に飛んで帰って泣いたこともある。

 こういった些細なことでも子供の心は深く傷つく。与えられるべき愛情を求めたつもりが、逆のものを与えられるのだから、子供の心とその成長に悪影響を与えることは言うまでもない。



 私の場合は祖父母がいて、家賃のかからない家があり、母親も働きに出ていたものの、それでもお金はなかった。

 母子家庭ということで医療などは援助を受けられたが、子供は私と妹の二人。母親の稼ぎだけで子供二人の学費と家族の食費、日用品その他を補うには無理があったろう。そこは祖父母も手を貸してくれ、なんとか回っていたのではないか、と思う。

 ほどなくして母親に恋人ができ、子育ての援助としてお金を入れてくれるようになったということもあり、私の家庭は貧困するほど困ったことはなかった。

 だが、これは幸運な例だろう。母子家庭父子家庭にも色々なものがあると思う。両親の援助を受けることもできず片親一人で子供を育てなくてはならない場合も多いだろうし、それでいて賃貸のアパートなどを借りていれば、家計は常に火の車。私の周りには片親だけの家庭はなかったので、自分の場合と比べようもないのだが。想像するに恐ろしい話だ。

 働き子供を育てていくことを選んだ親はもちろん大変だが、何よりも余波が行くのは子供の方である。

 親は子供を作るか作らないか、選ぶことができる。究極な話、子供なんていらないと思えば命を中絶することもできる。親には選択権がある。だが、子供にはそれがない。

 離婚に関していえば、子供は被害者だと私は思っている。たとえ離婚の理由が『子供』にあったとしても、その子供を作ったのは親当人達だ。そしてそこには意思を挟む機会も猶予もあった。選択肢があった。それでも子供を理由にして離婚するというのは、酷い話だな、と思う。無責任だな、とも思う。自分達が生まれさせた命に責任を持てないなんて、親として失格だとも思う。

 離婚、片親育ちの私から言わせてもらえば、離婚は子供にとって不幸であり不遇だ。どうしようもない不幸だ。どんなに変えたいと願っても、子供にはどうすることもできない不幸。


 周りの家は両親がいて、新しい服を買ってもらい、新しい筆箱を自慢するのに、私はいつまでも同じ服で、くたびれた筆箱を使っている。

 両親の話が出ると、私は何も言えない。父親はおらず、母親は仕事で夜にしか会わない。仕事で疲れているせいか会話をした記憶も少ない。友達に話せるようなことが何もない。

 みんなが流行りのゲームを買ってもらったと言う。一緒に遊ぼうと言う。けれど、私は買ってもらえない。お金がないからだ。誕生日かクリスマスでもなければゲームなんて買ってもらえないのが私の家計だ。

 そうやって日々小さく降り積もっていく、みんなと違う自分。その不遇。その不幸。それはやがて山となって私を覆い尽くし、みんなと自分を遮る壁となる。


 子供への愛情も足りないし、お金も足りない。それが片親の家庭の現実であると思う。

 親である方には色々と言い分があるかもしれないが、私は子供だ。子供としての意見を述べさせてもらう。

 子供が自力で幸せを得られるようになるまで育て慈しむのは親の役目であると思う。

 子供が飛び立てるまで、その幸せを保障するのは親の責任であると思う。

 昨今、この最低限の責任や役目を果たせない親が数多い。

 愛せないなら子供を作るべきではないと思うし、幸せに育てる自信がないのなら、子供を得るべきでないと思う。

 子供は親のおもちゃではないし、人形でもない。ペットでもない。ご飯だけ与えていればいい動物ではない。『人間をこの世に誕生させる』、そのことについて覚悟や意識のない親があまりにも多いのではないかと思う。


 愛せないなら、子供を作らないでほしい。

 幸せにできないなら、子供を作らないでほしい。


 愛を得られず、幸せに生きることもできなかった私は、心から、怨みを感じるほどにそう思っている。



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