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 予定よりも二日遅れてヴィスコットに到着したアルナーたちの表情には、それぞれ多少なりとも疲労が浮かんでいた。特に初めて旅をするクラルスは顔に出すまいとしているが、疲労を隠しきれていない。その主な原因は、二度にわたる山賊との遭遇にあった―――。

 夜がすぐそこまで来ている夕暮れ、アルナーたちは百人以上の山賊に遭遇した。身なりのいいアルナーとそれを護衛する騎士が付いていれば、山賊たちの標的にされることは避けきれない。スクローレンが一人ならば立ち向かっていくだろうが、アルナーを守りながら、しかも暗くなり始めた土地勘のない場所では不利であることは明白だ。故に戦わずに逃げることを選択した四人は、ただ山賊を撒くために馬を走らせた。

 それから、しばらくして喧騒が聞こえなくなると、各々自分の周囲に仲間がいないことに気が付いた。

 そんな中で一番に合流できたのは、セルゲレンとスクローレンだった。旅の経験がある二人は土地勘のない場所でも、馬の足跡などで相手がどの方角に向かったかそれなりに把握することが出来る。

 そしてスクローレンがセルゲレンを見つけた時、その隣にアルナーの姿がないことに気が付いた瞬間の慌てようは、戦士としての矜持をどこかに捨ててきてしまったのではないかと思うほどだった、とセルゲレンは合流した後に語っていた。

 血眼で探し始めたスクローレンがアルナーを見つけ、四人が合流できたのはそれから半刻ほどしてからだった。

 その後、ヴィスコットに到着するまでスクローレンは一時たりともアルナーから離れようとしなかった。過保護さに磨きのかかったスクローレンにセルゲレンは呆れて何も言わず、アルナーですら困り顔をしていた。

 道中そのようなことがあり、無事ヴィスコットに到着した四人は馬を預けると、アルナーとスクローレン、セルゲレン、クラルスと三組に分かれた。セルゲレンは宿の手配、クラルスは食料の補充、アルナーとスクローレンは街の視察。

 セルゲレンの住んでいたカルフェイトとはまた違う街の雰囲気に、アルナーは目を輝かせていた。


「殿下、何か見て回りたいものはございますか?」

「そうだな・・・、もし私が王になったときのことも考えて、市井の暮らしについていろいろと知っておきたい」

「わかりました。時間はありますので、ゆっくりと見て回りましょう。この街は栄えていますので、王都の繁栄にはいい手本になるかと存じます」

「案内よろしく頼む」

「はっ」


 一方、アルナーたちと別れたセルゲレンは図書館で調べ物をしていた。できるだけ魔族について多くの情報を有していたいからだ。

 魔族が神族の創り出した兵器ならば、それがどれだけの力なのか。また、神族にはどのような力があるのかを知っておかなければならない。

 アルナーが神族として覚醒した時のためにも。その時に自分たちが的確な対処をするためにも。


「どの本も大した情報がないな」


机の上には何冊もの本が積み上げられているが、セルゲレンの求めるような情報は得られていなかった。

 顔には出ていないが、焦りと疲れが確実に溜まっている。セルゲレンは榻背とうはいにもたれ掛かると眉間をほぐした。


「聖剣を手に入れることを考えるべきか」


吐息と一緒に吐き出された言葉には重みがあった。

 セルゲレンの言った聖剣とは、かつて神族が有したと言われている「聖剣アクティナ」のことだ。

 強大な力が秘められていると言われている聖剣は「死の谷」と呼ばれる樹海にある。

 聖剣を手に入れよと試みたものは何千、何万人といたと言われている。その中には、元トスカル国王も含まれていると言い伝えがある。

 樹海の闇は深く年中霧が漂い鼻先すら見えない。そしてこの世の生き物とは思えない魔物が住んでいると言われている。その魔物を見たものは石となるやら、燃え尽きて死ぬやら、どれが本当かわからない言い伝えが多くある。そんな場所に行けば、国を取り戻すどころか生きて帰ってくることもできないかもしれない。

 しかし、アルナーが神族である故に、セルゲレンは危険な賭けに出るか迷わされていた。


「先が見えたと思ったが、まだまだだったか」


アルナーの正体を知り、魔族の存在理由を知り、ようやくこの世の真相にたどり着けるかと思ったが、そう簡単にすべてを知ることは出来そうになかった。

 魔族が具体的にどのような力をもっているのか。神族であるアルナーが持つ対抗する術は何なのか。ソルージエの先祖である神に仕えた男は、全てを知っているわけではなかった。

 遥か昔に神族は人間と共存していたことは、ソルージエたちが人間であることからわかる。ならどうして神族の最後が明白とならないのか。一度滅ぼされたはずの人間がなぜ神族について知っているのか。もっと具体的なことが知りたいが、今ある情報以上の事は何も得られそうにない。

 いま最も可能性があるとすれば、アルナーの眠らされた記憶ぐらいだ。

 もしアルナーが記憶を取り戻せば、消えた歴史を知ることが出来るかもしれない。だがアルナーが記憶を取り戻した時、今のままだとは限らない。

 人間を滅ぼすほどの兵器を作り出す神族の王であったアルナーが、今のような穏やかな性格とはどうしても思えない。人間を一度滅ぼすなどと考えるような思考を持っていたのであれば、どうしても残虐かつ非道な神族だった可能性の方が高い。

 書物には神族の非道な行動は記されていなかったが、その書物がすべてを語っているとは限らない。

 すべて憶測だが、最悪の事態に備えてセルゲレンは頭の隅にこの考えを残しておいた。


「もし、もし、大丈夫ですか?」


突然誰かに声を掛けられてセルゲレンは慌てて目を開くと、声の主を探した。


「どこか具合でも悪いのですか?」


そして見つけたのは、セルゲレンと歳の変わらない女だった。


「あ、ああ、大丈夫だ」

「よかった。ぴくりとも動かれないので、気でも失われているのかと思いましたわ」

「いや、すまない。ところで君は?」

「私はこの図書館の館長の娘ですわ。随分とたくさんの本を読まれたのですね」

「調べ物をしていてな」

「何をお調べになっているのかお聞きしても?」


図書館の館長の娘と名乗った女は、山積みにされた本を見始めた。


「魔族や親族についてだ」

「珍しい調べ物をされてるのですね」

「そうか?」

「ええ、この本を読んでいる人なんて随分と見ていませんわ。だから、そろそろ倉庫にしまおうかと思っていましたのよ」

「倉庫?ここにはまだたくさんの本があるのか?」

「ええ、ありますわ。特に親族や魔族について記されている本は、ほとんど倉庫においていますわ」

「君は全ての本を覚えているのか?」

「え、ええ、ずっとここで働いていますから」


セルゲレンの食いつきように、娘がたじろいだ。


「それを見せてもらえるか?」

「構いませんが、今日はもう日が暮れます。明日出直してもらえますか?」

「わかった。明日としよう」


娘との約束を取り付けると、セルゲレンは本をしまい、図書館を後にして、三人を探し始めた。

 夕暮れに包まれた街で三人を探し始めたセルゲレンは、図書館を出て数分すると大きな荷物を抱えるクラルスと合流することが出来た。


「買い出しは出来たか?」

「はい、頼まれていたものも揃えられました」

「助かった。宿は既にとってあるから、二人を見つけて宿に行こう」

「はい」


二人は周囲を見渡しながら歩くが、二人は中々見つからなかった。


「どこに行ったんだ?あの阿呆と殿下は」


早く宿に戻って体を休めたいセルゲレンは、ため息と一緒に言葉を吐き出した。クラルスもセルゲレンと同意で、密かに頷いた。


「そういえば、セルゲレン様とスクローレン様は昔からのお知り合いなのですか?」

「なぜそう思った?」

「随分と親し気でしたので。それ以外の理由は特にございません」

「俺もあいつも元は王の傍で仕えていたから、その頃から何かと関わることがあってな。まあ、俺もあいつも陛下の反感を買った身だが」


ニヤリと笑うセルゲレンにクラルスはどう反応すればいいのかわからず、頬を引きつらせた。


「では、それからは殿下にお仕えしているのですか?」

「いいや、俺はついこの間初めて会ったな。俺が王宮に仕えていた頃はまだ殿下はおられなかった」


セルゲレンの言葉にクラルスが不思議そうに首を傾げた。


「少しおかしくはありませんか?」

「どこがだ?」

「セルゲレン様は三十歳になられてませんよね?」

「ぎりぎりな」

「殿下は見た感じ私と年齢がそうお変わりにならないのに、殿下を見たことがなかったのですか?」

「それは、殿下の存在自体が関係していたからだろうな。殿下がお披露目されたのは五歳のときで、俺が王宮を追放されたのは二十二歳の時だから、お会いすることはできなかった」

「そうでしたか。セルゲレン様が殿下にお仕えしようと思ったきっかけは何ですか?」


セルゲレンは顎に手を当て、考えるように片目を閉じた。


「面白い王族だと思ってな」

「それだけですか?」

「まあ、一番の理由はな」


いまいち納得のできないクラルスだが、それ以上の追及はしなかった。


「セルゲレン!クラルス!」


 突然名を呼ばれ、二人が声のした方へ振り向くと、大量の荷物をもったスクローレンとアルナーが手を振っていた。


「それはなんだ?無駄金したのではなかろうな」


セルゲレンはスクローレンの腕のなかにある大量の荷物を覗き込んだ。中は食べ物に装飾品とあらゆるものが入っている。


「これらは全て殿下がもらったものだ」

「は?」


セルゲレンとクラルスが全く同じように呆けた表情をした。


「行く店先々で店主たちが殿下に持って行けと押し付けたんだ。殿下は悪いからと断っていたが、むりやり俺に持たせやがった」

「ほう、なるほど。髪を隠しても美貌は隠し切れないという事か」


セルゲレンの言葉にスクローレンが疲れた表情を見せた。相当大変だったのか、いい気味だとセルゲレンは人知れず笑った。

 そして、セルゲレンがとっておいた宿に着くと、四人は二部屋に分かれた。


「殿下、お疲れではありませんか?」


寝台に座り込んだアルナーに、スクローレンは顔を覗き込んだ。


「いや、大丈夫だよ。それより、今日貰ったものの中に装飾品もあったよね?」

「ええ、いくつかございます。それがどうかしましたか?」


アルナーは袋の中をあさると、装飾品を寝具の上にいくつか並べた。煌びやかな物ばかりだが、王族がつけるほどの派手な物は一つもない。


「どうするのですか?」


アルナーは袋から何かを取り出し、それに口づけ何かを囁くと、スクローレンに差し出した。


「スクローレン、これを持っておいてほしい。今は其方に何かやれるものはないが、お守りと思って持っておいてくれると嬉しい」

「殿下からいただけるものでしたら、この上ない喜びでございます。一生大事にいたします」


渡された金色の宝石のついた首飾りをすぐに身に着けると、大事に握りしめた。


「私には其方を守るほどの力はない。だからそのかわりだよ」


スクローレンはアルナーの前に跪くと、小さき君主を見上げた。


「私は殿下の剣となり盾となりましょう。あなたの命はこの身に代えてもお守りいたします」


スクローレンの言葉にアルナーが大きく首を横に振った。


「殿下?」

「そのような事を言わないでほしい。私が生き残って其方が死んだら、私は自分を殺したくなる。だから必ず生きて、私の傍にあり続けると言ってくれ」


アルナーの想いに、スクローレンはうっかり涙を流しそうになった。それをごまかすように、ことさら真面目な表情を作ると、アルナーの求める言葉を紡いだ。


「では、お誓いいたしましょう。いつどのような時も必ずや生きて殿下のもとに帰ってくると」

「うん、頼むよ」


アルナーが微笑むと、スクローレンも頬を綻ばせた。

 少ししてクラルスが二人を呼びに来ると、四人はすぐ近くにある店へ夕飯のため移動した。


「殿下はあまりお腹が空いていないようですね」


食の進まないアルナーをセルゲレンが口に合わなかったのかと思い、別の物でも注文しようかと口を出した。


「その、さっき店の店主たちがいろいろくれたから。どれも本当に美味しかったんだ。だからつい食べ過ぎてしまって」


アルナーが困ったように笑うと、セルゲレンはスクローレンを見た。


「店主たちがしつこかったんだ。仕方ないだろう」

「やれやれだな。美しすぎるのも一苦労というやつか」

「そうだな」


セルゲレンの言葉にスクローレンが賛同すると、セルゲレンは呆れて言葉も出なかった。


「そう言えば、弓衆はどうやって探すのだ?」


この街に来た一番の目的を思い出したアルナーはセルゲレンに問うた。


「弓衆は街中にはいないので、ヴィスコット周辺の山を探すのがいいでしょう」

「山?どうして山なんかに住んでいるのだ?」

「さあ、それは私にもわかりません。詳しい事は明日街の人に聞いてみましょう」


 会話も挟みながら賑やかに食事をとっていると、突如外が騒がしくなった。大勢の足音には人々の悲鳴が混ざっている。ただ事でないのは確かだ。


「殿下、ここでお待ちください」


スクローレンはセルゲレンに目くばせをすると、三人を残して出て行った。

 言われた通りアルナーは店から出ることなくスクローレンを待ったが、帰ってくる気配はなく、喧騒は増す一方だ。

 セルゲレンが立ち上がると、クラルスとアルナーも同時に立ち上がった。 


「殿下、ここを離れましょう」

「わかった」


三人が外に出ると、街は逃げ惑う人々と焦げくさい臭いが漂っていた。

 逃げ惑う人々に何が起こったのか聞こうにも、混乱した人々は足を止めない。

 アルナーはあたりを見渡し、逃げ走る人々とは反対の方向に視線を止めた。


「向こうだ」


そう言うと、アルナーは一人走り出してしまった。突然のアルナーの行動に反応出来なかったセルゲレンは、慌ててアルナーの後を追いかけた。クラルスもセルゲレンの後に続いた。

 アルナーの目に何が見えているのかセルゲレンにはわからない。アルナーの見ていた方向にはただ逃げ惑う人々がいるだけだ。

 走り続けていると、段々焦げ臭さが増し、家屋が炎に包まれていた。そして、そこには暴れまわる盗賊の姿があった。


「おい!上玉がいるぞ!」


一人の男がアルナーに気が付き、目の色を変えた。アルナーはただ目の前の光景を目に映していた。引きずられるようにして運ばれていく若い女に、家に火を放つ盗賊。

 アルナーの纏う空気が変わったことに気が付いたセルゲレンは抜剣し、アルナーと盗賊の間に入った。


「殿下、お下がりください!」


クラルスも短剣を抜くと、アルナーの隣に並んだ。


「其方ら何をしている?」

「何をしているだって?ハハッ、見てわかるだろう」


盗賊の嘲笑にセルゲレンは不愉快そうに睨み付け、クラルスも怒りを露わにした。


「これが人間のすることか・・・・・、人間共はまた・・・・・」

「殿下ッ!」


アルナーの吐き出された言葉に、セルゲレンは何故だか嫌な予感を抱いた。

 咄嗟にアルナーの名を呼ぶと、アルナーの言葉が止まった。


「さあ、お前もおとなしく捕まってもらおうか」


男がニヤリと笑いながらアルナーに歩み寄ろうとしたが、男は一歩も踏み出すことはなかった。

 男の眉間に短剣が刺さり、男は目を見開いたまま絶命し、ゆっくりと倒れていった。

 それをスローモーションのように見送り、ハッとして三人は振り向くと、スクローレンが炎を背に立っていた。


「殿下、ご無事ですか?」

「ああ、私は大丈夫だ。それよりも早く火を」

「今領主が対応しております。直に兵士が到着します」


アルナーはスクローレンの話を耳にしながらあたりを見渡すと、何かに気が付いたようにまた突如走りだした。スクローレンが呼び止めたが止まらず、三人はすぐに追いかけた。

 燃え盛る建物。肌が焼けるように熱く、黒い煙があたりを包んでいる。

 アルナーはただ走り続けた。


「殿下!どこですか!」


スクローレンは見失ったアルナーの姿を探した。火の回りが早く、次第に道もわからなくなってきた。

 スクローレンだけではなくセルゲレンの顔にも焦りの色が浮かんでいた。それは、先ほどのアルナーの言葉に原因があった。


「スクローレン様、こちらです!」


クラルスの声に二人は急いで走った。三人が足を止めると、アルナーが家の前で小さな子ども抱えている。

 この中でどうして子供を見つけることが出来たのか、そんな疑問を抱いたが、今はアルナーの無事を確認でき三人は安堵した。―――――が、次の瞬間、三人が一斉に声を上げた。


「殿下!逃げてください!」


スクローレンの声が聞こえ、アルナーが頭上を見上げれば、燃える家が崩れ、アルナー達を押しつぶそうと降ってきていた。

 スクローレンはすぐに駆け出し手を伸ばしたが、伸ばされた手が届く前にアルナーと子供は燃える家の下敷きになってしまった。


「でんかあああああああ!」


スクローレンの悲痛な叫びが反響した。セルゲレンは茫然と立ち尽くし、クラルスは崩れ落ちた。


「で、んか・・・・殿下・・・・・・!」

「よせ!今近づけば、お前まで死ぬぞ」

「だが殿下がッ!」


炎の中に飛び込もうとするスクローレンをセルゲレンが無理矢理抑え込んだ。

 轟々と燃える炎の中へ飛び込めば、人の体はすぐに火だるまとなるだろう。飛び込んで助けたい気持ちは理解できたが、その行動を許すかは別だ。


「スクローレン様、セルゲレン様!殿下が!」


クラルスの声で二人が同時に顔を上げると、家の下敷きになったはずのアルナーが、炎の中から出てきた。

 そして、信じられないものを目にした。

 まるで炎がアルナーを避けるように燃え盛っている。

 淡い光に包まれたアルナーを、三人はただ呆然と見ていた。


「殿下、殿下!」


ハッとしスクローレンは慌ててアルナーに駆け寄ると、無事を確認するように抱きしめた。


「クラルス、この子供の治療を頼む」

「はい」


クラルスは小さな子供を抱きとると、救護班のもとへと向かった。


「殿下、お怪我はございませんか?」


セルゲレンはアルナーの全身を見ながら問いかけた。

 燃える家の下敷きになったにもかかわらず、擦り傷どころか、アルナーの服は一切焼け焦げていない。

 ただアルナーの無事に安堵するスクローレンとは違い、人智の超える事態に、セルゲレンは何をどう声を掛ければいいのかわからなかった。


「大丈夫だよ、二人とも。私は何ともない」

「殿下、外傷ではなく、体のどこかおかしなところはございませんか?」


セルゲレンは外傷がないならば、身体の中で何かが起こっているのではないかと思った。


「いや、特には。少し体が熱いぐらいかな?」


体が熱いと感じるのは、おそらくだがこの炎の中にいるからだろう。だが今は確認する術は何もない。ひとまず、今は無事だったことを喜ぶことにした。

 そして夜明け前、ようやくヴィスコットの街から火が消えた。

 スクローレンは眠るアルナーの様子を確認すると、そっと部屋から出た。


「セルゲレン、殿下は眠られた」

「そうか。なら昼過ぎまでは起きられないだろう」

「ああ、そうだな」


 アルナーはあの後も逃げ遅れた人を助けたりと休みなく動いていた。傷の手当などしたこともないのに、アルナーは少しでも役に立ちたい兵士に手当の仕方を習い、怪我人たちの治療をして回っていた。

 全てが終わるころには、アルナーは歩くのもやっとなほど疲れ切っていた。


「お前は昨日の殿下のあれをどう思う?」


スクローレンが本題を口に出した。


「神族としての覚醒が近いのかもしれんな」


セルゲレンの返答を予想していたのか、スクローレンは表情を変えることはなかった。


「やはり、あれが神族の力なのか?」

「あれだけが神族の力ではないだろうが、その一つだろう。魔族に対抗する術を持つ神族ならば、己の身を守る術を持っていてもおかしくない」

「そうだな。では、殿下は自らの意志であの力を使われたのか?」

「いや、その可能性は低い。見た感じ無意識で使われてたように思えた」

「いい兆候ではないか。あの力があれば、殿下が誰かに傷つけられる心配はない」


スクローレンの言葉にセルゲレンが怪訝な表情をした。


「そう単純なものではない。秘められた力がはっきりしていない今、むやみに力が発動すれば暴走する可能性だってある。それがどんな力かわからないうちは俺たちにも対処しようがないのだぞ」


セルゲレンの言葉に、スクローレンは黙り込んでしまった。

 未知の力に対抗できるかと言われれば、それはわからないとしか答えようがない。もしその力でアルナーの身が危険に晒されるのならば、その身を犠牲にしてでも守ると言い切れる。

 だが人間でしかないスクローレンは己の身一つでアルナーを守れるのか。スクローレンは初めて自信を無くしかけていた。


「お前が何を考えているのかは知らんが、今のところ神族に攻撃的な力より身を守る力の方が大きい可能性がある。自らの力で己の身を傷つけるようなことはないだろう」

「ああ、そうだといいのだがな」


セルゲレンが嘆息した。


「まずは魔族に対抗できるかだ。神族は一度魔族に敗れている。神王である殿下が力を無くし封印されてたとすれば、殿下の力をもってしても魔族に勝つことはできない」

「殿下の力以外に対抗する術はないのか?」

「ないことはない」

「それはなんだ?」


スクローレンは伏せていた顔を上げると、噛み付かんばかりの勢いでセルゲレンに詰め寄った。


「聖剣アクティナだ」


セルゲレンの言葉にスクローレンの眉間に皺が寄った。


「聖剣一本で勝てるのか?」

「それはわからんな。だが聖剣は神族が作ったものと言われている。可能性は十分にあるだろう」


たった一本の剣に懸けるのは、あまりにも無謀な策のように思えた。だが、それ以外に頼る術がないのも確かだ。


「まあ、今は仲間を集め、挙兵することが先だがな」

「それもそうだな」


セルゲレンは先走り過ぎた話し合いに折を付けた。

 それから、アルナーが目を覚ましたのは、丸一日すぎた夜だった。


「殿下、大丈夫ですか?」


アルナーは寝台の上で体を起き上がらせてからずっとぼおっとしていた。スクローレンが声を掛けても、生返事ばかりだ。

 スクローレンは、今にも目を閉じてしまいそうなアルナーの体をそっと横たえさせた。


「殿下、もう少しお休みください」


アルナーが目を閉じると、直ぐに寝息が聞こえてきた。

 数分もしないうちに扉がノックされ、セルゲレンが入ってきた。


「殿下の様子はどうだ?」

「先ほど起きられたが、また直ぐに寝てしまわれた」

「身体に異常があるわけではないんだな?」

「ああ、大丈夫だ。眠いだけのようだ」


セルゲレンは念のためにアルナーの体に触れたが、熱があるわけでもなかった。

 アルナーの傍を離れようとしないスクローレンを無理矢理連れ出し、付き添いはクラルスに任せて、二人は食事に在り付いた。


「殿下の睡眠時間が異常に長いという事はないのか?」

「そのようなことは聞いたことがない」

「ならば、やはりあの力が原因か」


スクローレンは何杯目かわからない葡萄酒を呷った。肉よりも酒の減りの方が早い。


「俺が傍を離れなければ、あのようなことにならなかった」

「過ぎたことを悔やむのは自由だが、今回の事で大きく事が進展した。だがこう何度も寝込まれては困る。極力危険な行動は避けてもらうべきだ」

「一生危険な目に遭わせはせん」


セルゲレンは内心無理だろと思ったが、それを口に出すような愚かではない。


「一つ、お前に言っておくことがある」

「なんだ?」

「盗賊たちが女を攫っているのを目にした時、一瞬神王が現れた」

「どういうことだ?」

「殿下はこれまで王宮の中で育った殿下でしかない。だが、神王である殿下は殿下であって、今の殿下ではない」

「ややこしい言い回しだな。もう少しわかりやすく言ってくれ」

「俺も何といえばいいのかわからないのだが、神王には少しばかり残虐な一面もあるのではないかと思った」


セルゲレンは葡萄酒を一気に呷った。


「神族は平和主義じゃなかったのか?」

「さっき神王が一瞬現れたと言っただろう」

「ああ」

「その時の纏う空気が神々しい存在だとかそんなのではなく、この世で最も逆らうことの出来ない存在のような圧倒的な力を感じた」

「それは・・・恐怖を感じたということか・・・・?」

「ああ、そうだな。神族が未知の力を有していることはわかっているが、それが単純にすごいとかではなく、恐怖でしかないのではないかと今は思えている」

「一度人間を滅ぼした力か・・・・・。だが、まだそうと決まったわけではない」

「わっかている。だが、もし殿下が神王であったころの記憶を取り戻した時、それが戦場などであれば、殿下は全ての人間を滅ぼすかもしれない」


セルゲレンの言った言葉を想像し、スクローレンは苦し気な表情を作った。

 ――――翌朝、目を覚ましたアルナーは神族としての面影はなく、これまでのアルナーと変わりなかった。


「殿下、ご気分はどうですか?」

「大丈夫だよ。心配をかけてすまない」 


昨夜のようにぼおっとした様子はなく、返答もしっかりとしている。

 セルゲレンとクラルスが部屋に入ってくると、四人はこれからについて話し合った。


「念のため今日一日はこの街にとどまり、明日弓衆のいる山に向かいましょう」

「調べておいてくれたのか?」

「はい。殿下がお休みになっている間、私とクラルスが情報収集をしておきました」

「そうか。二人ともありがとう」

「いえ、大したことではありません。弓衆については今日の夜にでもお話しいたします」

「わかった」


アルナーがいますぐにでも弓衆について知りたいと顔に出していたが、敢えてセルゲレンは気づかぬふりをした。


「この後、殿下はお好きにお過ごしください。街を見て回るも、部屋で過ごすもご自由になさって大丈夫です。ですが、決してご無理はなさらないで下さい。スクローレンが付いているので大丈夫かと思いますが」

「俺が付いている限り殿下が危険な目に遭う事は無い」


アルナーが返事をする前にスクローレンが答えた。


「クラルスはどうする?」


ずっと黙って話を聞いていたクラルスにアルナーが問いかけると、話しかけられると思っていなかったクラルスはびくりと肩を揺らしてしまった。

 セルゲレンに仕事を言い渡されてでもしていればすぐに答えられたが、あいにく答えを持ち合わせていない。

 クラルスは答えを求めて、セルゲレンを見た。


「特に用がないなら、私と一緒に見て回らないか?」


クラルスはスクローレンの様子を覗った。

 別にスクローレンが怖いというわけではないが、二人の邪魔になるのではないかと思ったのだ。だがスクローレンは特に気にした様子もなく、すぐに頷いた。


「殿下がそう仰るのでしたら、同行させていただきます」

「うん、ありがとう」


 アルナーなりに歩み寄ろうとしているのだが、クラルスは足踏みをして近づこうとはしなかった。

 もともと人との関わりをほとんど持ってこなかったクラルスが、いきなり外の世界に放り出され、人とうまく関わりを持つと言うのはかなりの難題だ。それに加えて、王族とのなど接したことがなく、余計にアルナーとの距離を測りかねていた。

 アルナー自身は友のように接してほしいのだが、まだまだ先になりそうな気がした。

 宿を出て、三人は一日目に回りきれなかったところを中心に見て回ることにした。

 まだ来ていなかった場所を回っているから、一日目同様の光景が広がっていた。

 外套を被っているにもかかわらず、人々の視線が自然とアルナーに集まる。スクローレンは一日目のおかげで慣れていたが、クラルスは傍にいる自分にも視線が向けられ居心地が悪く、知らず知らずのうちにため息が出ていた。

 初めて見る食べ物にアルナーが目を輝かせていると、スクローレンが耳打ちをしてきた。


「食べますか?」

「いいのか?」


スクローレンが頷くと、アルナーは店主から三人分受け取った。

 それを見ていたクラルスは、アルナーが夕飯を食べられなかったのはスクローレンのせいでもあることがわかった。

 まだ付き合いの浅いクラルスでも、この武人が幼き王太子にどれだけ甘いかすでに理解してしまっている。

 二人のやりとりを見てセルゲレンが何度か呆れた表情をしていたが、クラルスも少なからずセルゲレンと同じ心情であった。


「クラルスも食べよう」

「え?私のぶんですか?」

「もしかしてこれ嫌いだったか?私は食べたことがないから」

「いえ、私も初めてです」

「じゃあ一緒に食べよう」


クラルスは受け取ると、頬を綻ばせた。

 クラルスが笑みを浮かべるのを見ると、アルナーは早速口に運ぼうとするが、スクローレンの手がそれを遮った。


「殿下、大丈夫かと思いますが、先に一口」


そう言ってスクローレンはアルナーが手に持っていた分を一口かじった。


「毒見などしなくても大丈夫だと言うのに」

「念のためです」


アルナーは呆れたようにため息を吐いてから、待ってましたと言わんばかりにかじりついた。


「うまい!クラルスも食べてみな」


クラルスは一口食べると、初めて食べる味に驚いて目を瞠った。それを見たアルナーは嬉しそうに微笑んだ。

 その後もぶらぶらと歩き、食べたいものがあれば迷うことなく食べ、宿に戻るころには腹いっぱいだった。

 宿にはまだセルゲレンの姿はなく、クラルスもアルナーの部屋で過ごしていた。


「クラルスは将来の夢とかあるか?」

「夢、ですか?」

「そうだ。何かなりたいものや、したいことはないのか?」


クラルスが考え込むと、アルナーはじっと待った。


「世界中を見て回り、自分の見聞録を書いてみたいです」


少し迷ってから答えられた言葉に、アルナーは微笑んだ。それを目にしたクラルスは恥ずかしそうに頬を染め俯いた。


「素敵な夢だな。私も一緒に回りたいな」

「殿下も世界を見て回りたいのですか?」

「それはもちろん見て回りたいよ。だって世界は広いから、私の見たこともない世界が広がっているのだろう。それに私は雲の上にも行ってみたい」

「雲の上ですか?」


アルナーが一度頷いた。


「一度でいいから眩しいぐらいに輝く星を手に取ってみたい」

「それはまた壮大な夢ですね」


アルナーが控えめに笑うと、クラルスも初めて声を出して笑った。


「夢は大きくないと楽しくないよ。だけど私には先にすべきことがある」


アルナーが真剣な表情を作ると、クラルスは勝手に背筋が伸びた。


「その先にすべきこととは、国を取り戻すことですか?」

「まずはそうだね。だけどそれだけではだめだ。国を取り戻した後、隣国との関係を改善し、国の政にも力を入れなばならない。その一つに奴隷解放や隣国との同盟も考えている」

「奴隷解放ですか?同盟は可能かもしれませんが、奴隷解放は難しい話ではないですか?」


この国の現状を考えると、クラルスにはどうしても不可能な話だと思えた。


「どうしてだ?」

「え?どうしてって、奴隷制度は遥か昔から続いてきた制度です。それを変えるとなれば、諸公からだけではなく他国からの反発も起きます。そうなれば同盟どころか反乱や戦争は避けられません」


クラルスの意見は尤もだった。

 奴隷制度は何千年も昔から続いており、奴隷制度と言う言葉が生まれる前から人が人を虐げていた。

 人が滅びぬ限り、虐げられる人がいなくなることはない。それがこの世界での考え方だ。


「だけど誰かがやらなくては、この悪しき世界を正すことはできないよ」


驚きのあまりクラルスは言葉が出なかった。

 世界中を見て回りたいというぐらいだから、この世界を好いているとばかり思っていたのに、アルナーはこの世界に対して最悪の評言をした。

 アルナーがこの世界を嫌っているというわけではないだろう。むしろこの世界が愛おしいと感じているからこそ、この世界を正したいと思っているに違いない。

 だがその思想は何の力も持たない人間にとっては恐ろしいことでもあった。

 ずっと黙って話を聞いていたスクローレンは、アルナーの抱く野望が危険な方向へと向かっている気がした。

 悪しき世界を正すと言ったアルナーの考えは、セルゲレンがこれまでに得た神族の情報に酷似しすぎている。もしアルナーが神族だとすると、それを何かしらの方法で行使する可能性がある。そうなった時、スクローレンは自分がどうすべきなのか、アルナーをこれからどのように導くべきなのか、考えても今は答えが出なかった。

 部屋に戻ったクラルスは、セルゲレンに相談を持ち掛けていた。


「殿下と何かあったのか?」

「殿下ご本人と何かあったわけではないのですが、殿下のお話で気になることがありまして」

「気にせず話してみろ」


セルゲレンは自分の寝台に腰を下ろすと、クラルスと向き合った。


「セルゲレン様は殿下が奴隷解放をお考えになっているのをご存知ですか?」

「いや、初耳だな」

「殿下は本気でなさるおつもりです。それに、この悪しき世界を正すとも仰ってました」


聞き逃せない言葉に、セルゲレンの表情が険しくなった。


「セルゲレン様はどう思いますか?」

「どう思うとは?」

「奴隷解放自体を悪いとは思いません。ですが、殿下の思想は少し過激に思えます。大人であられるセルゲレン様やスクローレン様が導く側として、助言すべきではありませんか?」

「お前の言いたいことはよくわかる。だが今はまだ何もいう事は無いな」

「どうしてですか?」


セルゲレンの言葉に、クラルスの表情が険阻になった。


「変に殿下の考えを捻じ曲げれば、これまでの愚王のようになってしまう可能性があるからだ。よき政を行おうとしている間は、俺たちから何か助言をしたりはしない」


クラルスにはこれまでの愚王がどのような者だったのかわからない。十四年間、山の中だけで過ごしてきたクラルスには、トスカル国の王がどのような政を行ってきたのか知らない。

 ずっと外の世界で暮らしてきたセルゲレン達の意見の方が正しいのだろうと思うが、何もしないでいるという事が出来なかった。

 それは少しずつだが、クラルスがアルナーへの忠誠心を抱き始めているからだと本人は気が付いてなかった。


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