8
満点の星空が広がる夜。
風に揺れる草木の音を耳にしながら不寝番をしていたスクローレンは、人の気配を感じ取った。
あと一刻もしないうちに朝日が昇り始めるだろう。だが、それは地平線を眺めることの出来る場所の話であって、山中では朝日が差し込むまでは少しばかり時間がある。
そのような時間に人が山林を歩いているとすれば、山賊あたりかとスクローレンは身構えた。が、聞こえてきた足音が一つだけであることに気が付くと、警戒よりも不信感を抱いた。
スクローレンは火を消すと、セルゲレンを見た。
「賊か・・・?」
異変に気が付いていたセルゲレンは既に起き上がっており、剣を手に持っていた。
「いや、足音は一人。女か子供だ」
「妙だな」
「山に捨てられたか?」
ときどき足音が止んでは、またゆっくりと近づき、しばらくすると草のかき分ける音がすぐ傍で聞こえてきた。
二人は近づく足音の方向を睨み、いつでも剣が抜けるようにと手を添えていた。
そして、ガサガサと草の分ける音がすぐ目の前で聞こえると、現れたのはアルナーと歳の変わらない少年だった。身軽な服装に、背には大きな籠を背負っている。二人は剣から手を離すと、立ち上がった。
しかし、警戒を解いた二人に対して、現れた少年は二人の姿を目にとめると、腰に掛けていた短剣を抜き構えた。
「少年、こんなところで何をしている?」
スクローレンが話しかけると、少年は一歩下がった。
「お前らこそ何者だ?ここはソルージエ様の山だぞ」
「ソルージエ?それは誰だ?」
聞いたことのない名前に、二人は首を傾げた。
「ソルージエ様は神に仕える方だ。ここはソルージエ様の神聖な御山だ」
「それは済まない事をした。俺たちは旅の途中でな」
セルゲレンが話すと、少年は二人の後ろで守られるように眠るアルナーを見た。
「すぐにこの山から立ち去れ!」
「いや、これも何かの縁だ。そのソルージエ様とやらに会わせてもらえないだろうか?」
セルゲレンの頼みにスクローレンと少年が目を瞠った。
何を言い始めるんだと言わんばかりの目でスクローレンは隣の男を見たが、セルゲレンは気づかぬふりをして言葉を続けた。
「俺たちは神とやらについて調べている。そのソルージエ様が何か知っているのであれば、ぜひとも教えてほしい」
「ソルージエ様は現世とお関わりになられないっ!」
少年がさらに声を荒げると、セルゲレンとスクローレンの背後で布の擦れる音がした。二人が同時に振り返ると、ちょうどアルナーが起き上がるところだった。
アルナーがゆっくりと起き上がり、外套に隠されていた金色の髪が晒された。木々から漏れ始めた朝日の光を浴び、髪自体が光を放っているような錯覚に陥る。
少年は、その光景から目が離せなくなっていた。
「スクローレン?」
アルナーは二人を見上げると、その奥にいる少年にも気が付いた。
「殿下、おはようございます。起こしてしまい申し訳ありません」
スクローレンはアルナーの傍らに膝を着いた。
「いや、大丈夫だ。それよりどうかしたのか?」
アルナーは立ち尽くす少年に目をやりながら聞いた。
「あの者はこの山に住んでいる者だそうで、少し話を聞いておりました」
「そうか。喧嘩をしていたのではないのだな?」
アルナーの幼すぎる物言いに、スクローレンは頬を緩めた。
「喧嘩などしておりませんよ。あの者が一緒に住んでいると言う者に会わせてほしいと頼んでいたのです」
「会ってどうするのだ?」
アルナーはセルゲレンを見た。
「その者は神に仕える者だそうです。もしかしたら、何か情報を得ることが出来るかもしれません」
「そうか。そういうことなら、私からもお願いしよう」
アルナーは立ち上がると、いまだに茫然と立ち尽くす少年に歩み寄った。
「すまないが、私からもお願いできるだろうか?」
少年は目の前にアルナーが来たことで、慌てて二、三歩後ずさった。
「お、俺の一存では無理だ。ソルージエ様にお聞きしないと」
「では、そのソルージエ様に聞いてきてもらえるか?」
少年は小さく頷くと、踵を返し走り出した。
「・・・・・あの者は戻ってくるだろうか?」
アルナーの問いにセルゲレンがしたり顔で笑った。
「間違いなく戻ってきますよ。殿下のおかげで」
「・・・・?」
アルナーはセルゲレンの言葉の意味がわからず首を傾げた。
それから、少年が戻ってきたのは半刻ほどしてからだった。三人は案内されるまま後をついて歩き、着いた場所は滝の傍にある小屋だった。何の変哲もない、物置小屋にも見えるような家だ。
「ソルージエ様、お連れ致しました」
少年が扉を開けると、中には一人の男がいた。その男は、六十を超えているだろう見た目に、質素な格好をして座っている。
「ようこそおいで下さいました、殿下」
「朝早くにすまない」
「いいえ、お気になさらないで下さい。クラルス、お茶を頼む」
「はい、ソルージエ様」
アルナーがソルージエの前に腰を下ろすと、スクローレンとセルゲレンはアルナーよりも一歩後ろに腰を下ろした。主君と家臣の立場を明確にするためだ。
「殿下のことはよく存じております。私は殿下がお生まれになる何十年も前に王宮に仕えておりました。神がお告げになったお言葉を陛下にお伝えするお役目を承っておりましたが、王の意にそぐわず、今はこのような場所で暮らしております。つきましては、殿下は何か神にお聞きになりたいことがございますのでしょうか?」
ソルージエは身の上を先にすべて話してしまい、そして本題を投げかけた。
「神に聞きたい事・・・?いや、私は神に聞くようなことはないよ。私ではなくセルゲレンが何か聞きたいことがあるのだと思う」
待ってましたと言わんばかりの態度でセルゲレンは頭を下げ、アルナーの隣に並んだ。
「私はアルナー殿下に忠誠を誓っております、セルゲレンと言います。ソルージエ様にお聞きしたいことがいくつかございます」
神ではなくソルージエにと言うところを強調するように話し始めた。
「いいでしょう。お聞きします」
「まずは、魔術師について何かご存知ですか?」
「魔術師については書物に記してある程度でしか存じません」
「そうですか。では神族については何かご存知ですか?」
「神族」その言葉が口から出た瞬間、ソルージエの目が見開かれた。それと同時にアルナーの様子もおかしくなった。
それに気が付いたセルゲレンは教会でのことに確信を持った。
「スクローレン、殿下を外にお連れしろ」
「わかった」
スクローレンもアルナーの変化に気づいており、すぐ行動に移した。二人が外に出ると、セルゲレンはソルージエに向き直った。
「何かご存知ですね?」
「先にお聞きしたいことがあります。殿下は自らが何者なのか知っておいでなのか?」
「いいえ、ご存じありません。それは我々も同様ですが。ですから、今こうしてあなたにお聞きしているのです」
ソルージエは出ていったアルナーの背を見つめ、一度瞳を閉じると、もう一度瞼を上げた。
「いいでしょう。私の知ることをすべてを話します。それがあのお方のためとなるのであれば・・・」
ソルージエは重たい腰を上げ、一冊の書物を取り出した。セルゲレンは初めて目にする書物に目を輝かせ、すぐに本を開き目を通すが・・・・・一切読めなかった。
古代文字はおおよそ調べ尽くしたセルゲレンですら、見たことのない文字が並んでいたからだ。
セルゲレンは早々に本を閉じ、ソルージエを見た。
「ここに記されている文字は、世界最古の文字であり神の文字です。これを読める者はもう私ぐらいの者でしょう」
「神に仕える者すべてが、読めるとうわけではないのですか?」
ソルージエは本を開くと、文字をなぞった。
「代々受け継がれてきた知識は、現在私のみが引き継いでいます。我が祖先はかつて神族とともにあったと言われていました。だからこうして私の代まで引き継がれてきたのです」
「あの子供には教えていないのですか?」
「あの子は我が子孫ではない。神の声が聞こえぬ者にはこの文字を教えることができません」
「では、その文字は神族とそれに仕える者のみが読めるということですね」
「その通りでございます。殿下もいずれ読めるようになるでしょう」
セルゲレンはもしかしたらともう一度本を開いてみたが、やはり読めやしなかった。
「セルゲレン殿は、殿下の何を見て神族とご判断なされたのでしょうか?」
「ある書物に、神族の瞳は黄金と記してありました。そして、魔族が殿下を狙いに来た。最初は魔族が殿下を殺すのでは無く、連れ去ろうとしているのであれば、殿下は魔族ではないかと思っていたのですが・・・・・元は神族も魔族も一つの種族。ならば、殿下の性格や見た目から神族の可能性の方が高いと判断しました」
ソルージエはクラルスの入れてくれた茶で口を潤した。
「実に聡明であられる。だが、魔族と神族は同じ種族ではありません」
「どういうことですか?」
セルゲレンは書物に記されていた事実とは明らかに異なる歴史に盛大に驚いた。
教会で見た伝記ですら、神族と魔族は一つの種族だったと記していた。
だが、目の前にいる男は―――神に仕える男は―――知識欲の強いセルゲレンの欲を大いに刺激する言葉を発した。
セルゲレンは一秒の間ですら焦らされているように感じた。
「魔族とは・・・・神族が作り出した兵器です」
「―――――ッ!」
予想を遥かに上回る事実に、セルゲレンが目に見えて動揺した。
「それは・・・つまり・・・どういうことでしょうか?魔族は神族の手によって生み出されたと言うことでしょうか?」
「その通りです。魔族とは、人間を粛清するためだけに創り出されました」
ソルージエはセルゲレンの反応を窺うと、言葉を続けた。
「この世界に人間という種族が創り出された後、人間は争いを始めた。そして世界が混沌に包まれたとき、神族は人間を粛清するために魔族を創り出した。神族は魔族の力を使い人間を滅ぼし、そしてまた人間を創り出した」
その時の光景は到底想像できるものではないが、セルゲレンは背筋を震わせた。
「では、神族や魔族がこの世界から姿を消した理由はなんですか?」
「魔族が神族にも牙を剥いたからです」
セルゲレンが怪訝な表情をした。
「生みの親に牙を剥いたのですか?」
「魔族はただの兵器。だがその魔族にも感情があった。その感情とは支配欲。魔族はすべての頂点に立つために、神族を滅ぼそうとした」
「では神族は滅んだのですか?」
「神族が滅ぶことはありません。おそらく何処かに封印されているのでしょう」
「ならば殿下については?」
セルゲレンの問いにソルージエが手を合わせ目を閉じた。その行動が何を意味するのか解らないが、セルゲレンはただ言葉を待った。
「殿下は特別な存在です」
「特別な存在?神族であること以上にですか?」
セルゲレンの問いにソルージエはゆっくりと頷いた。
「・・・・・・・・殿下の正体は、・・・・・・・・・・神族の王であったアルナー王・・・・・・殿下は神王その者です」
驚愕の事実に、とうとうセルゲレンは言葉を無くした。
* * *
外に出たアルナーとスクローレンは滝の傍で休んでいた。
「殿下、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。迷惑をかけてすまない」
「いえ、お気になさらないで下さい。どこかお辛いところはございますか?」
「特にないよ。少し気分転換をしたいのだが、ここで水浴びをしてもいいだろうか?」
「わかりました。私は周辺の見張りをしております」
「ありがとう」
アルナーは服を脱ぐと、勢いよく川に飛び込んだ。
ひんやりとする水に潜り、水中から空を見上げた。揺れる水面に木々と青い空が映されている。
アルナーは今さっき起こった頭の痛みと同時に浮かんできた情景を思い出した。
そこがどこなのかはわからない。聳え立つ神殿に笑う人々。とても懐かしい気がしたが、自分に懐かしむ場所などない。
浅瀬で空を見上げると、幼き頃からの友がアルナーに向かって舞い降りてきた。
「エレルヘグ」
鷹は少年の肩に止まると、嬉しそうに頬に擦り寄った。
優しく頭を撫でてやっていると、鷹は何かに気が付いたのか後ろを振り返った。アルナーも同じように振り返ると、クラルスが立ち尽くしていた。
「クラルス、どうかしたか?」
アルナーが近づくと、クラルスが膝を着いた。
「これをお使いください」
渡された手拭いを受け取ると、アルナーは微笑んだ。
すると、急にクラルスが立ち上がった。突然の行動に驚いたアルナーはクラルスを見上げるが、クラルスはすぐに背を向けてしまった。
「あ、ありがとう」
慌てて礼を言うが、クラルスは何も言わずに家へと戻って行ってしまった。
その夜は、ソルージエの好意で家に泊めてもらうことになった。
小さな家に人が増えただけでも狭く感じるのに、さらにそれががたいのいい男が二人もいるとなると、余計に狭く感じさせる。
「殿下、少しお話をよろしいですか?」
アルナーが滝の傍で座り込み空を見上げていると、ソルージエが声をかけてきた。
「どうかしたのか?」
ソルージエはアルナーの隣に腰を下ろした。
「殿下、先ほど何かを見られたのではありませんか?」
「どうしてそう思うのだ?」
「ただそう感じたとでも言っておきましょうか。神に仕える身に起こることは、普通の人間では理解の及ばぬことです」
アルナーはソルージエの言葉に微苦笑した。
「・・・其方の言うとおりだ。あの時何かが頭の中に流れ込んできた。見たこともない景色で見たこともない人々なのに、とても懐かしく感じた。どうしてだろうな」
アルナーの言葉にソルージエは人知れず強い思いを抱いた。
「それは誰かが殿下に何かを伝えようと、見せているのかもしれません」
「そんなことが有り得るのか?」
「この世に確かなことなどございません。我が身に起こることにはすべて意味があるのです。その記憶を大事になさりください」
「わかった」
アルナーは返事をすると、もう一度月を見上げた。
「それと、殿下にお願いがございます」
突然、ソルージエが頭を下げ、アルナーは瞬きをした。
「えっと・・・・?」
「クラルスを共に連れていってやってはくれませんでしょうか?」
「クラルスを?だが、あの者は其方の
ソルージエは顔を上げ、真っ直ぐアルナーの顔を見た。
「あの子は生まれて間もないころに、この山に捨てられておりました。それからはずっとこの山で過ごし、外の世界を何も知らないで今日まで来ました。殿下、あの子に外の世界を見せてやってくれませんか?弓も剣も並みよりうまく扱います。料理や裁縫も出来ます。どうか、あの子を連れていってやってはくれませんでしょうか?」
ソルージエの真摯な願いに、アルナーは優しい笑みを浮かべた。
「わかった。私からクラルスに話してみる。だが其方のこれからの生活はどうする?」
「私はこの山を出ます。なにやら世界が動き出すようなので」
「それは魔族と関係あるのか?」
「今はまだあなたにお話できません。ですが、あなたはそのうち自分で知ることになるでしょう」
「そうか。わかった」
アルナーはそれ以上の追及をせず、ただ頷いた。
その夜、夕飯を終えると、アルナーは台所に引っ込んでいたクラルスを呼んだ。
「クラルス、其方に頼みたいことがある」
「なんでしょうか?」
「私たちと共に来ないか?」
「え?」
アルナーの突然の提案に、ソルージエ意外の三人が驚いた。
スクローレンとセルゲレンはアルナーの深意を知るため、ただ言葉を待った。
「どうゆうことでしょうか?」
「私たちは今仲間を集めている。ソルージエから其方は弓も剣できると聞いた。ぜひ力を貸してほしい」
「申し訳ありませんが、お断りさせていただきます。私はソルージエ様の侍従です。ソルージエ様のお傍を離れるなど考えられません」
クラルスは考える間もなく、即座に断った。
だがクラルスの返答に異を唱える者がいた。ソルージエだ。
「クラルス、殿下の申し出を受けなさい」
クラルスにとって、ソルージエが賛成の意を表すとことは予想外だった。
そして、ソルージエが口添えしたことで、この話を知らなかった三人もソルージエがアルナーに頼み込んだことだと気が付かされた。
「ですがソルージエ様がお一人になられてしまいます」
「私は旅に出ねばならなくなった」
「ではなおのこと、お傍でお仕え致します」
「これは神に仕える者役目だ。クラルスは外の世界を見てきなさい。このお方ならば、そなたの知らぬ世界を見せてくださる」
ソルージエの話を聞いているうちに、クラルスの表情が段々と歪んでいった。
その様子は、最も愛する家族から捨てられた子供のように見えた。
「それは・・・・・、ご命令ですか?」
「そうだ。・・・・・これは私からの最後の命令だ」
クラルスは小さく頷くと、アルナーに向かって跪いた。
「前言の撤回をお許しください。このクラルス、殿下に忠誠を誓わせていただきたく思います」
クラルスのただ並べられただけの言葉に誰も何も言わなかった。いや、言えなかったという方が正しいのかもしれない。
なぜなら、クラルスの目が必死に涙を耐えていたからだ。
「ああ、よろしく頼む」
新たな仲間としてクラルスを迎えたアルナー達は、翌日ソルージエの家を出立することとなった。
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