アルナーが目を覚ましてから、丸一日が経った。

 教会の空気はアルナーの体に合っているのか、体調はすぐに回復し、三日後に出発することに決まった。出発までの間、セルゲレンは書庫に籠り、アルナーとスクローレンは教会から少し離れた場所で、剣術の稽古をしていた。

 この日も、アルナーとスクローレンは剣術の稽古に励むため、教会の外に出ていた。


「殿下?」


一休みをしていると、突然アルナーが立ち上がり、教会とは反対の方角を見つめた。

 スクローレンは不思議に思い、アルナーの隣に立ち、同じ方角を眺めた。


「スクローレン、すぐに教会に戻ろう」

「どうかしたのですか?」

「何か嫌な予感がする」

「・・・・・わかりました。戻りましょう」


スクローレンはアルナーの言葉に従い、すぐに教会に戻る準備をした。

 教会まで戻るのに数十分もかからない。二人は教会に戻ると、すぐに大司教とセルゲレンの姿を探した。


「すまない、セルゲレンは見ていないか?」

「いえ、見ていません」


通りかかった司教数人に声を掛けるが、誰も居場所を知らない。教会内はいつもと変わりないが、誰も見ていないとなると、やはり何か起こったのではないかと思わざるを得ない。

 それからも何人かの司教に居場所を尋ねるが見つからず、二人は先に食事を済ませようと、食堂へと向かった。

 それから、しばらくして、二人が食堂で昼食をとっていると、セルゲレンと大司教ユーラスが神妙な面持ちで食堂に入ってきた。

 その二人の表情を見て、スクローレンは内心驚きを露わにした。その理由は、アルナーの予感が的中したからだ。


「殿下、お食事中に申し訳ございません」

「構わないよ」

「至急お耳に入れたいことがございます。大司教室に来ていただけますでしょうか?」


アルナーは一度スクローレンと目を合わすと、セルゲレンの言葉に頷いた。

 大司教室に着き、全員が腰を掛けると、ユーラスが一枚の紙を机に滑らせた。


「先ほど、王都からの使者が来ました」

「父上に私がここにいるとばれたのか?」


セルゲレンは首を横に振った。


「そうではありません」


セルゲレンが妙な間をあけた。その間がアルナーを余計に不安にさせる。


「王都が殷帝国の手に落ちました」


アルナーが息を飲んだ。スクローレンは信じられないとばかりに目を見開いた。


万騎長トゥルマーンカビーナド殿からの文書がこれです。ここには殷帝国との戦いについて、王の最後について記されています」


アルナーもスクローレンも信じられず、言葉が出てこなかった。

 「無敗の王」として謳われていたゴルギアヌスが、簡単に負けるなどと信じられるはずがない。

 ずっと冷戦状態が続いていた殷帝国の戦力規模は、トスカル王国と引けを取らないが、それでもトスカル王国の方が勝っていたはずだ。

 それにも拘らず、トスカル王国が負けるとすれば、何万もの巨人族が攻め込んでこない限りありえない。

 ふっと、スクローレンは先日突如現れた集団の事を思い出した。そして、その集団である魔術師ショラム、奴らが殷帝国に手を貸したに違いないと決めつけた。


「そんな・・・・・。他の者たちはどうなったのだ?」


アルナーは机に身を乗り出し、セルゲレンに詰め寄った。


「陛下の首を持って帰った武王を見て、生き残った兵たちは城塞に逃げ込んだそうです。国民は今のところ無事です」

「そう、か・・・」


アルナーが力なく椅子に座り込むと、スクローレンが肩に手を添えた。


「他の王族はどうしているんだ?」


スクローレンの問いかけに、セルゲレンは腕を組んだ。


「簡単に王都が明け渡されたという事は、何もしなかったのだろうな。それか、他の王族も殺されたか。使者はこの手紙を持ってきただけだ」

「カビーナド殿は?」

「殷帝国軍に追われているそうだ。おそらくだが他の城塞に逃げ込もうにも、その先で待ち受けられているのかもしれん」


二人には、容易にカビーナドの現状が想像できた。

 だけど今はカビーナドなどたちの心配よりも、今にも死にそうなほど青褪めるアルナーの方が心配だった。


「ヴァイオンは無事であろうか・・・・?」


アルナーの悲痛な言葉に返事の出来る者はいなかった。


「殿下、いかがいたしますか?」

「どうするとは?」

「王がいなくなった今、殿下は実質国王でございます。王都を奪還いたしますか?」

「だが、王は王族会議で選定される」

「その王族が王都を捨てた。ならば、王太子である殿下が必然的に次期国王かと存じます」


 まさかこんなにも早く玉座が回ってくるとは思っていなかったアルナーは、黙り込んだ。出来る事なら王都を奪還して、皆の無事を自分の目で確かめたい。

 だが兵も持たない無力な自分では、無理なことぐらい考えなくてもわかる。

 アルナーが口を開く前に、セルゲレンが先に言葉を続けた。


「今すぐには無理です。まずは城塞にいる万騎長たちや諸侯に助力を求めなくてはなりません。魔術師に関しては、その次でも遅くはないかと存じます。魔術師に対抗するにしても、兵を集めることが先決です」

「わかった。セルゲレンの言う通り、まずは王都の奪還をしよう」


少年は新たなる決意をするが、その表情は不安を隠しきれていない。それは、セルゲレンもスクローレンも同じだった。

 これからの方針について話し終えると、アルナーは先に部屋へと戻った。

 目を閉じれば、王都の情景が思い浮かぶ。王宮で親しくしてくれた家臣たちの安否を思い、胸が苦しくなる。

 目じりに浮かぶ涙を拭うと、アルナーは部屋を出た。

 所々に置かれた蝋燭の火を辿りながらアルナーが着いたのは、聖堂だった。

 ステンドグラスを通して漏れる月明かりが、アルナーを照らす。

 ガラスで覆われた天井部分からは、満点の星空を眺めることが出来る。

 夜の光で眩しいぐらいに輝く聖堂は、星の中にいるような錯覚に陥る。

 アルナーは神に願うため、胸の前で手を組み、目を閉じた。



・・・・―――・・・・。



 しばらくして、扉の開く音に、アルナーは瞼を上げた。

 カツカツと鳴る靴音が近づいてくると、その音はアルナーの傍で止まった。


「殿下、体が冷えてしまいますぞ」

「スクローレン」


アルナーは立ち上がると、スクローレンを見上げた。


「どうかしましたか?」

「みなの無事を祈っていた。神は聞き届けてくれるだろうか?」

「殿下の願いならば、神も聞き届けてくれるでしょう」

「そうだといいな」


アルナーとスクローレンは同時に満天の星空を見上げた。


「スクローレンは神を信じているか?」

「正直に申しますと、あまり信じていません。・・・・・見えないものに願うよりも、見えるものに願いを託したい」

「それは、どういう意味だ?」


スクローレンは空からアルナーへと視線を変えた。


「不確かな存在よりも、私は傍に仕える君主を崇めたいと言うことです」


スクローレンの言葉にアルナーは目を瞠った。視線を変えると、スクローレンが真剣な眼差しでアルナーを見ている。


「いるかいないかわからぬ神に願うぐらいなら、殿下の願いを共に叶える力として、剣となり盾となりましょう。殿下ならば、国を取り戻し、よき国を築いて下さると俺は信じてます」


スクローレンの勝手な願いに、アルナーは目を閉じた。


「其方が私に願ってくれるなら、私はその願いを叶えたい。民のためにも、仲間のためにも、其方のためにも・・・・・私のためにも」


スクローレンは跪くと、アルナーの手を取り、己の額を近づけた。

 己の身勝手な思いに応えようとしてくれる小さき王に、信じぬ神の加護を願って。




 * * *




 教会を発ったアルナーたちは、サンリック教会から七〇二スタード(約一一三〇キロメートル)先にあるヴィスコットという街を目指していた。だが、ヴィスコットが三人の目的地ではなく、その先にあるカーメルド城塞が本当の目的地だ。

 ヴィスコットへ行くことを薦めたのは大司教ユーラスだった。ヴィスコットのどこかに有名な弓衆の一族がおり、もしかしたら力を貸してくれるかもしれないと教えてくれたのだ。

 弓衆のことはセルゲレンもスクローレンも知っていたようで、二人の進言もあって、アルナーはすぐに決断した。 

 ヴィスコットまでの道のりは、広大な山林を抜ける必要がある。

 そして、その山林に入ってから、三人の足取りは緩やかになっていた。


「もう山賊には会いたくないな」


アルナーの小さな独り言を、スクローレンの耳が拾った。アルナーの言葉であれば、一言一句とも逃さないスクローレンは地獄耳と言えるだろう。現に、セルゲレンにはアルナーの独り言は聞こえていなかった。


「殿下は山賊に遭遇したことがおありなのですか?」

「え?ああ、ロージス城塞までの道中で一度だけ。初めて見たけど、すごく怖い見た目してるね」


あはは、と控えめに笑ったアルナーにスクローレンは詰め寄った。


「どこもお怪我はなさいませんでしたか?」

「あ、ああ、大丈夫だよ。一か八かの作戦だったけどうまくいって、みんな無傷だったから」

「ほう、殿下。その策とはどのようなものですか?」


二人の会話に聞き耳を立てていたセルゲレンが、アルナーの立てたであろう策に興味を示した。


「そんな大した策じゃないよ。人数が劣ってたから、強行突破をしたようなものだ」


まるで面白い本でも見つけたかのように目を輝かせるセルゲレンに、アルナーはたじろいだ。


「えっと、エレルヘグが頭上を飛んでいるのを知っていたから、私が頭上に向かって叫んだんだ。そしたらエレルヘグと数羽の鷹が応えてくれて、注意を引きつけてくれているうちに馬を走らせたんだ」


それだけだよ、とアルナーが困り顔で笑った。先に言った通り大した策ではないが、セルゲレンは感心するように頷いた。


「いえ、さすがは殿下でございます。初めて遭遇する危機に的確な判断を下せたことは、もっと誇ってよろしい事でしょう」

「いや、そんなに誇ることではないよ。兵の命を守るのは主君として当然の事だからね」


アルナーの言葉にスクローレンは頬を緩め、セルゲレンは感心するように頷いた。

 王としての資質は、その人間の育ち方や環境によって変わる。

 だが、それらに関係なく人の上に立つ者に絶対的に必要なのは、人の命を預かる覚悟だ。

 王は何千万もの兵の命だけでなく、自国の民すべての命を預かっていることになる。その責務を忘れ、傲慢だけの王を王とは呼べない。

 セルゲレンはようやく仰ぐ王を見つけたと、胸を躍らせた。


「セルゲレン、顔が気持ち悪いぞ」

「そういうお前も随分と頬が緩いぞ。『無傷の殲滅者』の名が泣くな」

「俺が付けたわけではない」


 セルゲレンが言った「無傷の殲滅者」はスクローレンが戦場で呼ばれている別称だ。

 スクローレンがそのように呼ばれるようになったのは、万騎長の称号を拝命する前だった。

 幾度となく無傷で戦場から帰ってくるスクローレンを見た騎士の一人が、「無傷の殲滅者」と呼んだことが始まりだった。

 自陣の兵たちがスクローレンをそう呼び称えているうちに、敵軍にも知れ渡って行った。今では、その名を知らない他国の兵士はいないだろう。

 それほどに、スクローレンは勇猛な戦士として、あらゆる国から恐れられていた。

 

「殿下はお前とは全く違う戦士となりそうだな。まだ戦場に出られてはおられぬから別称もないだろうが、あの見た目の王が戦場に出れば、間違いなく付けられそうだ」

「確かにそうだな。殿下ならば・・・『戦場の女神』とかだろうか」


真顔で告げたスクローレンの言葉に、セルゲレンが半眼で見た。


「お前、それを他の者の前で言うなよ」

「なぜだ?」


意味が分からないと首を傾げる無傷の殲滅者に、セルゲレンは深い深い溜息を吐いた。

 まだ幼さの抜けない王太子を何だと思っているのか、そう聞いてやりたかったが、セルゲレンはやめた。これ以上聞かぬ方がいいと、トスカルの神々が告げている気がしたからだ。

 日が落ち始め、三人はひらけた場所を見つけると、野宿の準備を始めた。スクローレンは周辺の見回りに行き、セルゲレンが火を熾している。アルナーはすることがなく、セルゲレンを眺めていた。


「セルゲレンもそうだが、みな火を熾したりできてすごいな。私は一度もしたことがない」

「殿下がこのようなことをなさる必要はありませんよ」

「どうしてだ?」

「え?」

「え?」


セルゲレンはまさかそのような返答が来るとは思わず、不躾な反応をしてしまった。


「失礼しました。殿下の傍には必ず誰かがおります。ですから、殿下がこのようなことをなさる必要はないのですよ」

「でも、私がしてもいいのではないのか?皆は忙しそうにしていることが多いし」


セルゲレンの答えに納得できなかったアルナーはまた首を傾げた。

 セルゲレンがどう説明すべきか悩んでいると、ちょうどスクローレンが戻ってきた。


「どうかしたのか?」


セルゲレンの困った様子と首を傾げるアルナーの両方を交互に見、スクローレンはセルゲレンに問いかけた。


「殿下、こやつに聞いてみてはどうですか?こやつなら殿下の求める答えを教えてくれることでしょう」


後は任せたと言わんばかりに背を向けると、アルナーの視線がスクローレンに向いた。

 現状についていけぬスクローレンは首を傾げた。だが、厄介事を押し付けられたことは、セルゲレンの態度から容易に読み取れた。


「スクローレン、そなたに教えてほしい事がある」

「私でお答えできることであれば」


アルナーは嬉しそうに頷いた。


「どうして私は火を熾す必要がないのだ?」


王太子の突拍子もない問いに、スクローレンはセルゲレンの背中を睨んだ。

 セルゲレンは殿下がする必要はないや、他の者がそばにいるからなどと言ったのだろう。だが、それにアルナーが納得できず、困っているところにスクローレンが戻ってきて丸投げしたのだろうと見当した。正しくその通りだ。

 スクローレンはアルナーの正面に膝を下ろした。


「殿下は火を熾してみたいのですか?」

「熾してみたいと言うか、皆できるではないか。それなのに、私だけできないのは恥ずかしいと思って」

「ならば殿下には殿下のできることをなさればよいのですよ」


答えになってない回答にアルナーは考え込むと、しばらくして納得したように頷いた。


「そうだな。なら、私は木登りが得意だから、木の実取りをしてみるよ」

「なりません!」


スクローレンが一秒の間も空けず反対した。それに驚いたのはアルナーだけではない。セルゲレンもスクローレンの声に驚いて振り向いた。


「木登りなど危険すぎます。万一、落ちて怪我でもしたらどうするのですか。それに、木には蛇などが住み着いています。噛み付かれでもしたら、それこそ死に至ります」

「いや、さすがの私でも蛇がいるかいないかぐらいわかるよ」

「いいえ!そう易々と蛇を見つけられはしません。決して、木登りはなさいますな」

「いや、でも・・・」

「いいですね?」

「わ、わかった。木登りはやめておく」


二人の話に耳だけ傾けていたセルゲレンは、過保護すぎる戦士に呆れて首を振った。

 ――――アルナーらがヴィスコットを目指している頃、王宮では殷帝国の騎兵隊と四獣王家であるバホットが出立の準備をしていた。

 その見送りに殷帝国の王である武王が自らの足を運んでいた。


「武王、そろそろ出立をいたします」

「王太子の居場所はつきとめたのか?」

「東へ向かうのを見たと言う者がおりました。それを追ってみようかと思います」

「だが、確証はないのであろう?」


武王が訝し気な表情を作った。


「おそらくですが、カーメルド城塞を目指しているのでしょう。すでに王太子にも王都が落とされたことが知れている頃です。王都を奪還することを考えているのであれば、挙兵を考えるに違いありません」


武王は組んでいた腕を解き、顎に手を当てた。


「そうか。貴公がそういうのであれば、そうなのであろう。深追いはしずぎるなよ」

「必ずや武王の御前にお飾りの王太子の首をお持ちいたしましょう」

「楽しみにしている」


バホットの出立するその背を、武王は不敵な笑みを浮かべながら見送っていた。

 その笑みが何を意味するのか。バホットにとって武王は本当に味方なのか。またその逆も然り。

 国を奪われた国民は、赤き国旗を見て「ある言葉」を言った。

 

「暗黒時代の再来だ」―――――と。


 はたして、暗黒時代は、この二人によって持たされたのか。それとも、この二人も誰かの掌の上で踊らされているのか。

 それは、この盤上に上がった者の誰一人として、知らぬことだった。


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