6
セルゲレンの住んでいた街を出発して二日目の正午、アルナー達三人は目的地であるサンリック教会に辿り着いていた。
王太子の突然の訪問に教会側は困惑していたが、セルゲレンが事情を説明したことで、立ち入りの許可が得られた。
しばらくして、三人が守門に馬を預けていると、一人の老人が数人の司教を連れて出てきた。
「アルナー殿下、ようこそおいで下さいました。大司教のユーラスでございます」
ユーラスと名乗った六十前後の男は、穏やかな表情でアルナー達を出迎えた。
だが、表面上では笑みを浮かべているが、どこか腹黒さを感じさせる。セルゲレンとスクローレンは警戒するよう、目を合わせた。
「私が王太子アルナーだ。二人は私の供であるスクローレンとセルゲレンだ」
「お二人とも存じております。さあ、どうぞ皆さま中へ」
ユーラスの後について中に入ると、何人もの聖職者がアルナー達を出迎えるために待っていた。
清廉な空間は、極悪人をも善人へと変えてしまいそうな空気が漂っており、スクローレンのような武人には居心地が少しばかり悪い。セルゲレンも図書館などの静かな空間は好きだが、教会の空気は別のようだ。
だが、アルナーだけは教会に入ってから、これまでで一番清々しい表情をしていた。それは、旅を共にするスクローレンとセルゲレンの目から見て明白で、アルナーが教会の人間だったのではないかと思わせるほどだ。
スクローレンとセルゲレンは、アルナーの過去について何か得られるかもしれないと期待を抱いた。
「突然来てしまって申し訳ない。教えてほしいことがあるのだが、いいだろうか?」
「私でお答えできることであれば、何なりとお聞きください」
ユーラスに案内された部屋は大して広くもない、小ぢんまりとした部屋だった。
用意された椅子にはアルナーだけが腰を掛け、スクローレンとセルゲレンはアルナーの後ろに立った。
「まずは
「魔術師と我々教会の人間は相容れぬ存在です」
ユーラスは表情を変えることなく言い放った。その表情に、三人は魔術師の存在を確かなものとした。
ユーラスは目を閉じると、皺の深い手を重ね合わせた。
「天地の理を守るのが教会の役目。そして魔術師は理を犯す存在です。魔術は死者を甦らすことも、天地を反すことも、この世を創りなおすことも可能とするでしょう。魔術師がどこにいるのか、どのような姿をしているのかは存じ上げません。まやかしの存在として、我々には語り継がれています」
「この世を創りなおす・・・本当にそんなことができるのか?」
聞き覚えのある言葉に、アルナーが一瞬で青ざめた。
「我々は魔術師と交わりません。真実は魔術師にしかわからぬことです」
「ですが、そう語り継がれていると言うことは、一度そのようなことがあったのではないですか?」
セルゲレンの鋭い指摘に、ユーラスの顔色が変わった。それを見逃すセルゲレンとスクローレンではない。
「殿下は魔術師に狙われています。このお方を守るためにも、正直にお答えください」
ユーラスは細い息を吐き出してから、小さく頷いた。
「真実を知る者はおりません。ですが、代々教皇が記し残す書物には、いま私が語ったことが記されてあります。もう何千年も昔の話です」
アルナーは恐ろしい事実に、体の震えが止まらなくなってしまった。
未知の存在ほど恐ろしいものはない。何が起こるのか。それに自分が関わっているのか。心が悲鳴を上げていた。
「それを止める術はあるのですか?」
「魔術師に対抗できるのは、神族である神王だけだと云われています。ですが、本当に神族が存在するのかわかりません。神族については、我々の持つ書物にも記載されておらず、これ以上の事は」
ユーラスの言葉を遮るかのようにガタリッと音がした。三人が音を出した張本人を見ると、そこには苦痛に表情を歪め、頭を押さえるアルナーがいた。
「殿下?」
スクローレンが声をかけると、アルナーが浅い呼吸で喘ぎ始めた。
スクローレンがアルナーの肩に触れると、アルナーの体が傾き椅子から崩れ落ちてしまった。
「殿下・・・殿下・・・・殿下ッ!」
スクローレンが慌ててアルナーを抱きかかえ、セルゲレンもすぐにアルナーの顔を覗き込んだ。繰り返される浅い呼吸に、段々と顔色が悪くなっていく。
大司教ユーラスは何が起こったのかわからず狼狽え、椅子から立ち上がることしかできなかった。
「大司教、早く医務室を」
セルゲレンの焦った声が飛んだ。
スクローレンが何度もアルナーの名を呼んでいる。切羽詰まったような声がいくつも飛び交っている。
聞こえてくる二人の声に、アルナーは返事をしようとしたが、その言葉は喉の奥で消えてしまった。
* * *
薄っすらと目を開くと、見覚えのない天井にアルナーは内心首を傾げた。そして、自分が寝台に寝かされていることに気が付き、首を動かしてあたりを見渡した。
「殿下、目が覚めましたか?」
扉の方に顔を向けると、ちょうどスクローレンが部屋に入ってきた。
目を覚ましたアルナーを見て、スクローレンが安堵の表情を浮かべた。その表情で、自分が随分と心配をかけてしまったことに察した。
「スクローレン」
謝ろうと口を開くが、喉が渇き、名前を呼ぶことしかできなかった。
「お体はどうですか?どこか痛いところなどはございませんか?」
スクローレンは寝台の傍に膝を着くと、一言断りを入れてアルナーの額に手を当てた。
アルナーは渡された水を口に含むと、ホッと息を吐いた。
「熱は下がっていますね」
「私はどれぐらい眠っていたのだ?」
窓のない部屋では、夜なのか朝なのかも分からない。
「殿下は丸三日は眠っておられました。倒れられた後、熱が中々下がらず」
「迷惑をかけてすまない」
「いいえ、迷惑など思っておりません。殿下の御身に何かあってはと心配に思っていたのです」
アルナーはスクローレンの言葉に顔を綻ばせた。
「心配してくれてありがとう、スクローレン。それで、セルゲレンはどこに?」
「セルゲレンは書庫で調べものをしています。あやつは本が好きですからね」
「そうか、時間が潰せていたのならよかった。スクローレン、其方はちゃんと休んでいたのか?」
暗がりでわかりにくいが、スクローレンの顔色が少しばかり悪いような気がする。どれだけ頑丈な武人でも、何日も休めていなければ、疲れもたまる。だが、スクローレンの場合は、寝不足によるものではなく、アルナーへの心配によるものだった。
「私は大丈夫ですよ。身体だけは丈夫ですから。それより殿下、お腹は空いてませんか?」
「そう言われると、空いている気がする」
アルナーは自分の腹を押さえ、空腹を訴えている腹に困ったように眉を下げた。
二人で食堂に向かい、アルナーは三日ぶりの食事をとった。が、三日も食べていなかったわりに、大して喉を通らなかった。
それに気が付いたスクローレンがまた心配したが、特にどこか悪いというわけではなかった。
「殿下、倒れられた時の事は覚えておられますか?」
「えっと・・・・・、すまない。よく思い出せない」
少し考えて、アルナーは小さく首を振った。
「それならいいのです。殿下、ここの中庭にとても綺麗な花が咲いているのですが、見に行きませんか?気分転換になりますよ」
「そうだな。ぜひ見に行きたい」
「では、この後行きましょう」
食事を済ませると、二人は教会の中庭へと足を向けた。
教会の中庭には、王宮にはない花がたくさん咲き誇っていた。アルナーは初めてみる花々に目を奪われ、夢中になって一つ一つをじっくり観察し始めた。
「すごいな!初めてみる花ばかりだ」
スクローレンは花を慈しむアルナーに頬を緩めながらも、頭の中はアルナーが眠っている間に起きた事で占めていた。
――――アルナーが倒れた後、スクローレンはずっとアルナーの傍に付いていたが、セルゲレンは書庫で魔術師と神族について調べていた。
丸一日書庫にこもり、夕食の時間になってようやくセルゲレンは顔を見せた。何かわかったことはあったのかと聞くと、セルゲレンの表情が険しくなった。
「神族は存在するようだ」そう言ったセルゲレンの表情は無理難題を押し付けられたような顔をしていた。
神族が存在するのであれば、魔術師に対抗する術を手に入れられるかもしれないと喜ぶべきなのに、セルゲレンからは全くそれが感じられなかった。
「神族は魔族よりやっかいかもしれん」
「なぜだ?」
「ここに来るまでにも話したが、神族は神の遣いと言われている。神は争いを嫌い、誰もを平等に扱うそうだ。これがどういうことかわかるか?」
「いや、わからん」
スクローレンの即答に、セルゲレンが呆れたようにため息を吐いた。
「これだから剣術馬鹿は・・・たまには頭を使え。誰もを平等にという事は、それを執行するだけの力を持っているという事だ。争いを嫌うと言うが、争いが起きれば実力行使で止めるのだろう。それを行うのが神族だ」
「だがその神族はいない。いれば戦争など起きていないだろう」
「確かにその通りだ、じゃあ、何故神族に関する書物があると思う?」
「それは、神話好きのお前みたいな奴が考えたんじゃないのか?」
セルゲレンは力なく首を振った。スクローレンの軽口を相手する気力もないようだ。
「見た者がいるからだ。神族の最期をな」
「最期という事は滅んだのか?」
「滅んだのか、天に還ったのか、それとも封印でもされたのか。ここにある本には記されていなかった」
セルゲレンは茶を口に含むと、盛大な溜息を吐いた。
「それで、他にもあるのだろ?」
「・・・・殿下の御出生についてだ」
もったいぶるような話し方に、スクローレンは目で急かした。それに気づきながらも、セルゲレンはまた茶を口に含んだ。
「殿下は魔族よりも神族の可能性の方が高い」
「どういうことだ!?」
予想を遥かに上回る内容に、スクローレンは驚きに立ち上がってしまった。セルゲレンは落ち着けと言わんばかりの目でスクローレンを見た。
「確証はあるのか?」
「ないことはない」
セルゲレンの曖昧な言葉に、スクローレンが眉を顰めた。
「神族は黄金の瞳を持つ。神族のみだ。お前も殿下の瞳の色は知っているだろう」
「ああ、勿論知っている。確かに黄金の瞳だ。だが・・・」
スクローレンは突然服を引っ張られる感覚に、目が覚めるかのように目を瞬いた。
視線を下げると、アルナーが心配そうにスクローレンの服を掴んでいた。
「殿下、どうかされましたか?」
「何度も呼んだのだが返事がなかったから。大丈夫か?」
「申し訳ございません。少し考え事をしておりました」
「無理をしてないか?疲れているのなら私に構わず休んでほしい」
アルナーの表情からして、長い時間考え込んでいたらしい。スクローレンは心配かけてしまったことを申し訳なく思い、片膝を着いた。
「殿下、ご心配していただき嬉しく思います。ですが、本当に考え事をしていただけです」
「本当か?」
「私が殿下に嘘をついたことがございますでしょうか?」
少し意地悪気に言うと、アルナーがようやく笑った。
「いや、ない!」
「そうでございましょう。さあ、そろそろ中に戻りましょう」
スクローレンは心内で渦巻く思いに蓋をした。
* * *
トスカル王国と殷帝国との戦争から数日、トスカル王国には新たなる国旗が掲げられたいた。
トスカル王国に掲げられていた国旗はすべて焼かれ、トスカル王国の象徴は灰となって消えてしまった。
「王は死に、王太子は行方不明。トスカル王国の民は見捨てられたか」
王宮までの道を凱旋する兵を見て、男は不敵に笑った。
それを見て咎める者はいない。民はみな、この先の不安を抱えながら敵国の兵たちを見ている。
「そこのお嬢さん」
男は一人の女性に声を掛けた。
「えっと、なんでしょうか?」
「この国の王族について聞きたいのだが」
「王族ですか?」
女は訝しげな表情で男を上から下まで見た。
旅人風の格好に国外の人間だと判断づけたのか、一人納得して頷いていた。
「国王様は斬首され、城門に首が晒されていたそうです。王太子殿下は行方不明だと噂されています。他にも王族の血族の方はいますが、どこにいるのかまでは私にはわかりません」
「王族は民を助けに来ないってか」
男の言葉に女は眉間に皺を寄せて黙り込んだ。
王族をよく思ってはいないが、余所者に悪く言われる筋合いはないと言った表情だ。
「王太子殿下は行方不明と言ったが、いつからいないんだ?」
女は頬に手を当て考えるようなしぐさをした。
「具体的なことはわかりませんが、殷帝国の兵士が王太子が見つからないと話しているのを耳にしました」
「なるほどな。それなら王宮にはいないのか」
「ところで、あなたは王族を探しているのですか?」
女の質問に男は鼻で笑った。
「まさか!
男は後ろ手に手をひらひらと振り、歩いていってしまった。
男は預けていた馬に跨ると、王都ウェールを去った。
「はてさて、どこに向かおうか」
男は軽快に馬を走らせ、歌を口ずさんだ。
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